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ドリー・コニー・ビリー

2016-11-29 18:44:27 | Diary
先日のつづき。

ドリー・パートンからのコニー・スティーブンスを書いていたが、
やはりコニー・スティーブンスは若い時の声が素晴らしい。

まだおそらく現役のご本人には申し訳ないが、あの若い時にしか出せない
ポーランド産の羽毛のように柔らかく甘いロングトーンはなにしろ絶品である。

1959年頃に放映されていたらしいアメリカのテレビ番組の劇中でコニーが
たぶん毎回歌う場面があり、その歌のどれもが私個人の意見では
「死ぬ直前に聴きたい歌」の候補筆頭で、ごめんねビリーというところ。

ビリーはもちろんホリデイなのだが、
ビリー・ホリデイ最高といつも書いておきながら、
死ぬ間際になったらコニーかよ、とビリーも草葉の陰で怒っているに違いない。

でも死ぬとしたら、死んで消滅していくとしたら、やっぱり
甘ーく優しい感じに包まれて消えていきたいと思う、最期くらいは。

他なら何が聴きたいかと考えると、
まず男の声は却下。死ぬ時にまで男の声なんか聴きたくない。

こういった嗜好品を選ぶ際の理由には
たとえば自分にしかわからない100のポイントがあるとして、
それはもう個人的に完全無欠の満点でなければまったく意味がなく、
99点の場合は逆にその僅かな残念さがかえって気持ち悪くてむしろ
5点くらいの方が清々しかったりする。しかしそうはいっても、
死ぬ直前に5点の歌を聴かされてもなあ。と思うが、
なぜドリー・パートンの歌のことを書き始めたのかとあらためて考えたら、
そうか、映画「ボディガード」をCS放送で少し観てしまったからか。

おそらくつづく。

Diary 20161126 Dolly

2016-11-26 21:19:49 | Diary
今日の時点でこの上のトップページに「I will always love you」の動画が
貼付けてあるが、ホイットニー・ヒューストンではなく、ドリー・パートンである。

この曲はドリー・パートンの作詞作曲であり、あのプレスリーさえも
歌いたいと希望した曲である、らしい。

曲調もコード進行も詞もどれもシンプルでわかり易く、歌声も軽く、
ホイットニー版のように殊更に盛り上げたりしないが、
名曲でしかもこのテイクは後世に残る歌唱ではないか。と私は思っている。
頭は盛り過ぎだと思うが。

とはいっても、
マイクの種類と口元との距離からおそらくリップシンクであると思うが、
それにしてもこのきれいに力まず上がっていく声の響きが素晴らしい。
何度聴いても飽きない。

私は晩年のビリー・ホリディやジョニー・キャッシュのように人生の終わりの色を
そのまま枯葉のごとく歌ったような、そしてその中に
「最期に聴かせてやる」という気迫のある声が好きだが、反対に
この若いドリー・パートンのような甘い女性歌手の声も好きである。
とくに言うと、若い時のコニー・スティーブンスが好きである。

おそらくつづく。

Diary 20161124

2016-11-24 22:38:52 | Diary
携帯電話を買い替えたことは先日ここに書いたが、
まったく同じ機種の新品をウェブで買い、すべてのデータを移し、
設定も以前のものと完全に同じにしたから、今の私にストレスはない。

私としては前の携帯電話の動作が怪しくなってきた時に、
「まあいい加減にi-phoneに換えることも致し方ないか」と思っていたのだが、
店員が「同じ機種は全店に在庫がない」などと勝ち誇るかのように言うから、
アンチの性格に火がついて、結局また携帯電話を使っているわけだが、
買った時にそれが業界では「白ロム」と呼ばれるものであることを初めて知った。

普段あまり携帯電話とかスマートフォンとかに興味がないから
そういった事情に詳しくなかったが、調べてみたらその「ロム(SIMカード)」が
入っていない「白ロム」と呼ばれる新品や中古がインターネット上には
たくさん流通していた。

中古が流通することは当然なのだが、新品が安く流通するということは、
それをもっと安く入手する人がいるということ、もしくは諸事情アリだが、
そういえば以前そんなこと、つまり「あっちで買って、こっちで売る」ということを
毎日何度も繰り返している人たちがいるという何かの記事を目にしたことがあった。

ドコモとかauとかのキャリアのルールの隙間をついたあくまでも合法的な
小遣い稼ぎだろうし、私も今回ドコモ店頭で別機種について提示された金額に比べて
破格の値段で購入したわけだし、なにも文句はないが、
世の中ますます複雑だなと思った。

そんなこんなで買ったものは新品とはいっても一応念のために
初期設定へのリセットを何度か繰り返したが、
まあたいして重要なデータも入れていないし、心配はとくにない。

ホントにi-phone にしてもよかったのだが、
あのノッペリした感じが前からどうも好きになれないのは拭いきれない。
ほとんど機械的ボタンがないのがどうにも安心できない。とはいっても、
私はああいったものについてけっして苦手ではないし、嫌いでもないので、
あればあったで、いろいろ使うことになるだろうけれども、
ほとんどパソコンに手が届くところにいる今の環境では、あまり必要性を感じない。

まずテキストはキーボードで打ったほうが全然ラクだし速い。
画面も大きいし、速度も速い。
でもあれか。要するにいわゆるアプリというものがたくさんあるというのが、
スマートフォンの特徴なのか。
それにカメラの性能もよくなっているし、
あとはラインとツイッターとインスタグラムみたいなところか。

どれも全部やらないから問題はないが、
最近はラインというのが一般にひとつの連絡網となっている事実があるので、
「えっ? メールくれ?。ラインやってないの」とか言われることが多くなり、
「あんな得体のしれないものやるんじゃないよ」とも言えないし、
まあそのうちね。

レ・ミゼラブルフィクション・ガイズ伝

2016-11-17 14:46:29 | 映画
先日テレビをつけたら「レ・ミゼラブル」をやっていて、少し観た。

わりと最近のミュージカル仕立てのではなく、リーアム・ニーソンの、である。

私は生まれて初めて読んだ小説がこのレ・ミゼラブル、邦題「ああ無情」なので、
今でも無情感に苛まれて生きている、ということはまったくないが、
この物語には何か特別なものを感じている。

読んだといっても、当時小学生の私が読めるようなレベルのものだったので、
10年くらい前に本当の原作の和訳のブ厚いものを一度図書館で
読んでみようとしたことがあったが、
10ページくらいでもう先に進めなかった。

もうよく憶えていないが、たしか第一章の描写が細かすぎて、
進行があまりに遅く、この文体が延々続くのかと思った時点で
私の負けは確定だった。
たしか神父の財布の中身を細々と説明をするところで挫折したような。

物語はフランス革命後を舞台に「法と正義、愛と赦し」などを描いたと思われるが、

ひとつのクライマックスとして、
薄幸の女ファンティーヌ(ユマ・サーマン)がベッドで死ぬわけだが、私はどうしても
映画「パルプフィクション」でウォレスの妻ミア(同ユマ・サーマン)が
高純度のヘロインを一気に吸い込んで死にそうになるシーンを思い出してしまい、
「レ・ミゼラブル」のそこは泣けるシーンのはずなのだが、まったく泣けない。

本来ならファンティーヌがその人生のほとんどにおいて嘗め尽くして生きてきた
辛酸の数々を思い返す力ももはやなく、今ベッドに虫の息で横たわり、
彼女に残された唯一の光、娘コゼットに一目会いたいがために力を振り絞って
生の縁に痩せ衰えた指をようやくかけているのだが、
コゼットは未だあの呪われ憎むべき守銭奴テルナルディエのもとにあり、
長年ファンティーヌは預けたコゼットを人質のように扱われテルナルディエに
騙され続け、金を搾り取られ、とうとう娼婦にまで身を落とした果ての今際の際に、
彼女の境遇と運命を通して当時のフランス社会の激しい嵐をも透かして見えるが、
やっぱりどうしても私は泣けない。どうにもヘロインの白い粉がちらつく。
アドレナリンの注射一発で生き返りそうに思えてしょうがない。

「パルプフィクション」はそんなチープでくだらないシークエンスの玉手箱なのだが、
いつ観ても結局のところ面白い。よく出来ている。チンピラ映画の金字塔だ。
ロスのあの常にダラけて何か香料くさくそして乾いた感じがよく伝わる。

とくにクリトファー・ウォーケンが幼少時のブッチを訪ねて、
ブッチの父の形見の金時計を居間でブッチに手渡すシーンで
その時計の由緒を真面目な顔で子供ブッチに長々と話すウォーケンの顔が最高で、
なんでこんなくだらない話をタランティーノは思いつくのか、いつも感心する。

クリストファー・ウォーケンといえばミッキー・ロークのサブにまわった
映画「ホームボーイ」のチンピラ、ウェズリー役が一番好きだが、その次は、
いや同列でどうしたって「ディアハンター」のニックだろう。ところが、
2012年にアル・パチーノと共演した「Stand Up Guys」もすごくよかった。

アル・パチーノの話に変わってしまうが、
「Stand Up Guys」は「スカーフェイス」そして「カリートの道」に続く
最終話といった感じで、
我らが高倉健の「昭和残侠伝」「日本侠客伝」からの「冬の華」そして
「夜叉」という流れに近い、俳優の年齢にともなった幕引きというかトドメというか、
やっぱり遠くから見続けている私たちからすると感慨も一入というところである。

「パルプフィクション」について最後にひと言つけ加えるとすれば、
これを封切りで観た時の感想は、「勘違いをする人がいるだろうな」だった。

人を殺してもヘロインを打っても、なんとなくシャレで済んでしまう劇中の世界を
実生活と区別がつかない人は案外多いという気がしたのでした。


デイ・オブ・ザ・赤外線

2016-11-16 19:17:57 | Diary
3年くらい使っている携帯電話が怪しい動作をするようになったので、
すぐ近くのドコモに行くと、修理だといくら、買い直すといくら、との説明の後、
「もう同じものはもちろんのこと後継機も在庫が全店ありません」と言われ、
私は言葉の裏に「もうスマートフォンにしなさいよ」という意味を感じたわけだが、
全店にもうありません。という変に自信満々の言葉に少しむっとしたから、
それなら探してやろうという気になって、ネットで探したらまったく同じ機種を
1分も経たずに見つけて、拍子抜けしたがすぐに注文し、翌日の今日に届いて、
全データを赤外線送受信という初めての体験も無事完了し、
万事つつがなく、本日も平成、そして天下太平、私は今日も元気です。
何か忘れていることはありませんか。あります。

マクマーフィー

2016-11-14 20:11:00 | Diary
テレビをつけたまま何か作業をしたりするのだが、そんな時に
けっこう良い映画なんかが始まると手が止まり見入ったりしてしまう。

昨夜も「カッコーの巣の上で」が始まってしまい、
内容もほとんど憶えていなかったので、結局最後まで観てしまった。

刑務所の強制労働を逃れるために仮病の精神異常で病院に入院したマクマーフィーが、
管理主義的な病院の体制と婦長に反発し、他の患者仲間たちに少しずつ「楽しみ」を
見せ感じさせ、団結によって管理体制を崩そうとするのだが、
頭の不安定な仲間たちは面白い仲間ではあるが、なかなか一致団結とはいかず、
マクマーフィーはやがて病院からの脱走を計画する。

なにはともあれ、70年代のアメリカの空気感が映像によく映されていて、
それだけで「観よう」という気にさせる。

私は映画をほとんどの場合、この空気感で判断することが多いので、
逆にいえば、空気感が馴染めないと思ったら、もう先を観ることができない。

けっこう重いテーマと舞台設定と登場人物であるのに、エンターテイメント性を
失うことなく、最後まで面白く観ることが出来たのは素晴らしいという他ない。

マクマーフィーを演じたジャック・ニコルソンは文句なしだが、他に
先住民の患者、チーフを演じたウィル・サンプソンがとてもよかった。

存在感がすごくて、そこにいるだけで映像がぐっと締まるという感じであった。
それに、はっきりとした意思を見せ始めてからの表情のそれまでとの違いが
まさに賢者と狂人との違いといってもよく、その彼の最後の行動に悲しさと希望が
混ざり合い、あれ以外は考えられないエンディングであった気がした。

まだ若いダニー・デヴィート(映画ツインズのシュワルツェネッガーの双子のお兄さん)
が出演していて、ああこの人、と思った。

怖い婦長役のルイーズ・フレッチャーという女優は誰なのかと調べたら、
おお、「ボウイ&キーチ」に出ているのか。

「ボウイ&キーチ」はもう一度観たい映画で、
ボニーアンドクライドに似ている話なのだが、詳しくは忘れた。

夢の羅列<別れの埠頭>

2016-11-13 15:42:26 | Dreams
夢の羅列<別れの埠頭>


夢の中で私は、どこかのパーティーかイベントの会場にいた。

安手の映画で見たようなミラーボールの光が隅々まで流れていた。音は四つ打ち。

ドレスコードはなさそうな満員の客筋と際どいユニフォームの女店員たち。

私は所在あるわけもなく、人いきれに蒸した店内をウロウロしている。

その時、若い男が私の名を呼んだ。

「スミマセンお待たせしました。これです。これを○○へ届けてください」

人相風体のわりにはやけに腰が低いやつだ。
私は夢の中なのでそれですべてがわかったような気がして、それに
ちょうど外に出ることも出来るし、渡りに船と詳細を尋ねることもなく
小さなバッグを受け取って店から出た。

重いガラスの扉から左へ歩いた。すぐにまた左へ曲がった。

商店街の通りはアメ横のような感じで、歩行者天国になっていた。
人が多いが、あの店の閉鎖空間の蒸れた空気とは大違いで、ああ気持ちがいい。

人の流れの中を開放感を楽しみながらしばらく歩いて、そういえば、と、
私はなんとなくバッグを開き中をのぞいてみた。

まず目に入ったのは古い型の携帯電話。それと
名簿のように名前がびっしりと書かれて折り畳まれた数枚の紙。それから
透明なビニール袋にゴソゴソと入った何か薬の小分け包装のような包み。
あと内容が植物的なやはり透明で小さなパックもいくつが入っていた。

「・・・・・!?」

やられた。これは罠だ。迂闊だった。こんなもの確かめずに預かるなんて。

これで待ち構えた刑事に職質を受ければ即逮捕である。

刑事の成績は上がって、このエリアの取り締まりは当分緩くなるだろう。

バッグを渡した男がきっと嗤ってる。
バッグを待っている奴らも嗤ってる。
刑事が今、オレを目で追いながら嗤ってる。

夢の中とはいえなんという私のマヌケであろうか。

おそらく店を出てから監視されているはずだ。
どこかで必ず声をかけられるだろう。そうしたらもう逃げられない。
刑事も伊達にスニーカーを履いているわけではないのだ。

○○へはあの路地を入るのだが、囲まれるならきっと入ってすぐにだろう。

私は変に立ち止まらず、とにかく今出来る最善を考えた。とその時、

路地への入り口の右のスペースに駐まっていたひどくオンボロな
ピザ屋のデリバリーバイクの成れの果てのような三輪に
これもオンボロなオヤジが乗り、走り始めるのが見えた。

私は反射的にその後部荷台にしがみついた。三輪は人波を分けて走り出した。

オヤジは慣れているのかけっこうなスピードで商店街を抜けていく。

いいぞ。その調子だ。

私に後ろを見るほどの余裕はなかった。落とされないのに精一杯だ。

商店街を抜けると人がぐっと少なくなり、それから駅の反対側なのか埠頭に出た。

よしよしいいぞ。もう誰もいない。三輪は路肩に止まった。

私もほっとして降りた。

「おじさん、久しぶり。最近の様子はどう?」

「いやー、もううるさくってダメだよ。あそこは今日も刑事ばっかりでナ」

乗る前は知らなかったが、降りたらなんとなく知っているオヤジのような気がした。

これが夢のいい加減なところである。

どうやらこの60を越えた男はあの通りで何十年も細々と売を
独立系でやってきたらしかった。
とにかく古株で、商いも小さく、しかも憎めない人柄だからか、
周りからも潰されず、また役人からもなんとなく見逃されて、
気がついたらこの齢になっていたというような男であった。

なんでこんなチンピラな夢を見るのだろうか。
ひとつだけ原因を挙げるとすると、寝る前に
映画「パルプフィクション」をCSでたまたま観たからかもしれない。
あれはつくづくチンピラ映画だけど、やはり傑作だよな。

私はオヤジに別れを告げて、さらに人気のない埠頭の奥へと
コンクリート道をまた歩き始めた。

終わり。

夢の羅列<洪水と動物たち>

2016-11-09 20:27:55 | Dreams
夢の羅列<洪水と動物たち>


住宅街が洪水に襲われ、
絵に描いた動物たちが渦に飲み込まれていく様子を私は夢の俯瞰で見ている。

蠅のはなし 小泉八雲

2016-11-05 15:56:17 | 本の要約や感想
二百年ほど昔、京都に飾屋久兵衛という商人が住んでいた。
店にはたまという若狭の国生まれの下女がいた。
久兵衛夫婦はたまにやさしく、たまも二人になついていた。

しかしたまは良い着物などを夫婦からもらってもまったく着ず、
休みの日もいつも仕事着であった。

たまが夫婦のもとにきてから5年ほどたったある日、夫婦はたまに尋ねた。
なぜ身だしなみを整えようとしないのか。

「両親が亡くなったとき私は子供で、兄妹もなく、
二人を供養する余裕もありませんでした。しかしやっとそのための蓄えが出来、
近く寺へ位牌をおさめ、法要を営むことが出来ることになりました」

と、今までのなりふりかまわない無作法をたまは夫婦に詫びた。

たまは蓄えた百匁のうち七十匁を使って法要を行い、残りの三十匁をお内儀に預けた。

しかしつづく冬の日にたまは突然病に冒され、1月11日に死んだ。
久兵衛夫婦はその死を深く悲しんだ。

それから10日ほどしたある日、大きな蠅が家の中に入ってきた。
冬にこんな大きな蠅は珍しいと仏教徒の久兵衛は殺さずに外へ逃がした。

ところが蠅はまたすぐに戻ってきて、家の中を飛び回った。

それから何度遠くに放しても蠅は必ず戻ってきた。

「あれはたまではないかしら」お内儀は久兵衛に言った。

「おそらくそうだろう」

「きっと私がたまから預かった三十匁を
自分の魂の供養のためお寺へおさめてほしいのでしょう」

その言葉を聞いたのか、蠅は障子から落ちて、久兵衛が拾ってみると死んでいた。


小泉八雲作 上田和夫訳 EVOLUCIO要約

文化の世界

2016-11-03 15:27:02 | Diary
外に出てみると、何か人の流れる感じがいつもと違う。
「ああ、今日は祝日か。なに、文化の日とな」

今日は文化の日です。良い天気。

しかし文化の日とはなんだったか。正直なところまったく知らない。

さっきパソコンで調べると「憲法を公布した日」であるらしい。

それなら憲法記念日があるじゃないか。そう思うのも当然のところ。

すぐにそれも調べると、

「5月3日 憲法記念日は施行された日」とのこと。

そんなこととはまったく関係がないが、
ここ2日間ほど宮尾登美子の小説を読んでいたから、頭の中が、
明治から昭和初期になってしまい、戻ってくるのに苦労する。

暗くなってちょっと外に出るのに提灯と半纏はどこにあったかと思ったりする。

それから私、少しお香に興味があって、お香といっても練り物ではなく、原木の。

でも本当に「少し」であって、そんなに全然詳しいわけではなく、
そのうち趣味でやってみたい、と思っていただけなのだが、とんでもない、

宮尾の小説で香道の話があるのだが、それによれば、
香道に使う本当に最高の香の原木(伽羅)は、聖徳太子の時代から
受け継がれたもので、それが時代時代に流派によって少しずつ分けられて、
今では、それを何かの重要な記念の日だけに数ミリだけ削って使うらしい。

またその最高の物を持っていることがひとつの権威であり、
しかしだからといって金があれば買えるものではなく、とはいっても
金がなくては買えないものであることも確か。であるらしい。

要は小切手を白紙で相手に渡せる資産と度量と能力がないと
手に入らないのではないか。

いま簡単に調べてみたら、通販の伽羅が1グラム6万円ほどであった。

覚せい剤の数倍の値段なのでは。よく知らないが。
24kゴールドだって1グラム5千円も出せば買える。

しかしその6万円でも、つまり「並の物」ということなのだと思う。

だから生半可な興味だけではその世界には入れないということがわかった。

まあ趣味ならいいけど。

コーヒーの世界もけっこうそういうことなんじゃないか。最近思う。

巡る巡らない巡れば。

2016-11-02 19:29:11 | Diary
秋も深くなってきたが、どうにもコーヒーを飲みたい気がしない。

あれほど毎日コンスタントに約60gずつ消費していたのに、減らない。

もちろんそれは前に書いてきたようにあのティピカの上下激しい味の落差に
よるのだが、この「飲みたくない」感じが一過性なのか、それともそうでないのか、
自分の嗜好の急な変化に対して大変に興味深い。

そのうち時間が出来たら、というより何もすることがなくなったら、
全国のおいしいコーヒー店を巡る旅にでも出たいと夢見ていたが、
もうぜんぜんそんな気がなくなってしまった。

酒蔵を巡りたいほど酒を飲まないし、食べ物にもそれほど興味がないし、
何を巡ればいいのだろうか。

その日その日の行き先は決めなくても何か一本の道の糸がほしいわけだが、
なら廃墟か。あまりピンとこないし、もう先達が多すぎるな。

競輪か。よく競輪好きは西へ東へと流れてゆくと聞くが、
正直、まったく興味がない。
でも競輪を追って行くその感じは嫌いではない。

全国匠職人を探す旅はどうだ。いや人の話を聴くのが苦手だな。

仏像巡りはあくびが出そう。教会巡りは陰気くさい。神社も、うーん。

いっそ凶悪事件現場巡りなんかはどうだろう。いや気が滅入るし、本気になれない。

霊感ゼロだから、幽霊関係もまったく意味ないし。

じゃあパワースポットか。でもそんなにパワー要らないし。

カルト宗教巡りは面白そうだが、どこかで行方不明になりそうだ。

考えてみると、なかなかこれといったものが見つからない。

それなら全国各地の川だの海だので石でも拾ってみるかな。

拾った石を並べて売ってみるかな。

テキトウな文章。テキトウな結論。失礼。