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なぜかシャンソンを語る 11 美輪明宏

2015-09-23 19:39:53 | なぜかシャンソン
10のつづき。

“美輪明宏が本物か偽物かを考える時、
「銀巴里」を忘れることはできない。”

と9に書いた。

銀巴里は1951年に開店し、1990年にその歴史を閉じた。

美輪明宏は開店の翌年1952年から閉店まで出演している。

銀巴里はシャンソン喫茶で、コーヒー代でシャンソンの生歌を聴くという店であった。
私は前にも書いたように行ったことがないから、店の内情などを知らないが、
もともとはダンスホールで、美輪が出演をするようになった後の1955年に改装を施し、
シャンソン喫茶として新装開店したらしい。

あちこちの資料を読むと、どうやら、
店の舞台に関することはほとんど美輪が任されていたようだ。

キャパシティは着席制だから、せいぜい100人。
コーヒー代だけで、観ることのチャージはなし。だと思う。
そのうちコーヒー代が上がったにせよ、2000円くらいの様子だ。

結局、経営難で1990年に閉店したが、
あれほどの名店を誰も継ごうとしなかったのは、
やっぱりどうやっても儲からなかったからだろう。

少し考えただけでも、
出演者のギャラや銀座の賃貸料、機材、など、
コーヒー代くらいではとてもやっていけない。

それに、
最初は「歌う場所さえあれば」という出演者も
それなりに有名になってくれば、出演料も上がってくるだろう。
払わなければ同様他店に移籍する人もいただろうし、
ただ、このへんのことは実際には知らないし、
とても微妙で難しいからこれ以上は推測では書けない。

そんな場所で美輪は全責任を持ったまま、
ほとんど40年を貫き通した。
その40年の間に何度も自らの世間的なブームを持ちながら、である。


なぜかシャンソンを語る 10 美輪明宏

2015-09-21 17:30:02 | なぜかシャンソン
9のつづき。

続きを書くことを忘れていたわけではないが、
なかなか思い出さなかった。

それに、
美輪明宏について「本物か偽物かを問う」などと書いたからか、
それともあのスピリチュアル先生のことを嫌いなどと書いたからか、
最近、私の生活上空に何やら負の圧力体でも滞留しているかのように
心もカラダも重かった。

ということは霊感ゼロの私には全くなかったが、
いや、なんだかもうすっかり秋の気配である。

今年の夏は猛暑が2週間ほど続いて、
その後は雨、雨、雨といった記憶で、
ダラダラといつまでも残暑が続く例年の様子とは、
ずいぶんと違った季節の移ろいであった気がする。

夏の終わり。
そして秋も深まるというのなら
何を聴くかというと、やはりシャンソンではないだろうか。

人生の夕暮れに枯れてゆく自分の姿と、
未だ春を謳歌している若者たちとの対比を歌に込めてみたり、

やはり己が人生の若き小川のせせらぎがついに大河に変わり、
やがて海という涯てに消えゆくまでを数分間に演じてみたり、

例えば物騒な歌。背徳の歌。未練がましい歌。

この、もの思う秋にシャンソンを聴かずして、何を聴くのか。
でも私はジャズを聴いている。ラテンジャズである。
夏の喧騒と熱気を残しながらも、
季節が変わり何かがひとつ終わりつつあるという黄昏を
このラテンジャズは十二分に聴かせてくれる。

つづく。




なぜかシャンソンを語る 9 美輪明宏

2015-08-15 22:14:33 | なぜかシャンソン
8のつづき。

「黄色い頭が浮かんで飛んで行く」
という前回に書いた部分について、
今読み返したら、
当日、美輪さんが舞台の上で実際に黄色い頭だったか
よく憶えていないことに気がついた。

まあ、いいか。

それで、話の焦点は、
美輪明宏が「本物なのか偽物なのか」を結論づけよう
ということになってきたのであるが、
そこを判断するには他の何よりも彼の「行動」を見るべきだ、
と前回までに書いた。

「本物か偽物か」
もちろんこれは純金かメッキかを問うものではなく、
はたして24kなのか、それとも22kなのか、という私の疑問である。
言い方を変えると、
純粋なのか、僅かに混ざっているのか、だ。

その「行動」を考える時に忘れることが出来ないのが、
「銀巴里」というシャンソニエ、今でいうライブカフェが
1990年まで銀座7丁目にあったことではないだろうか。

私は残念ながら行ったことがない。

行けなくもない歳だったが、
閉店した1990年の時点で私は美輪明宏を
たぶんよく知らなかったのではないだろうか。

それ以前に銀巴里の名を微かに耳にした記憶はある。

六本木の小さなバーで、
ほとんど無名のピアノ弾き語りの女性歌手が
呟くように歌う暗く沈んだ曲をシャンソンと知り、
彼女が休憩時間に私に語った「時々は銀巴里に行く」
という情報の断片を、まだまだ若かった私は
「ふーん」という一言にもならないほんの相槌で片付けてしまい、
つまり私は銀巴里には行かなかった。

という後悔の念を行間に滲ませながらこのブログを
今頃トボトボ書いているわけであるが、問題は
美輪が「本物なのか、ほぼ本物なのか」である。

つづく。

なぜかシャンソンを語る 8 美輪明宏

2015-08-08 21:06:53 | なぜかシャンソン
7のつづき。

リサイタル後半はシャンソンを美輪は歌った。

焼け野原に落ちる夕日のような色の舞台で、
シャンソンの歌詞に込められた物語を美輪は、
主人公が瞬時に乗り移ったかのように、
一曲数分間の世界を構築し、
我々にその夢を垣間見せ、
愛、あるいは狂気の余韻を闇に残して
幕間にその都度消えた。

一曲ごとの演劇を私たちは息をすることも忘れたように魅入り、
美輪が袖に消えると一斉に「ふーっ」と長い溜息をつくのだった。

そしてまた美輪さんは何事もなかったように舞台に現れて、
いろいろな話をし、
それが次の曲の前振りだったか
脈絡がなかったかはもう憶えていないが、
次の前奏が始まるとまた途端に瞬間的に
会場は新たな物語に包まれるのだった。

それを私は見ながら、
ああ、この人は如来か菩薩かインドの神様なのかもしれない、と思った。
まあ如来も菩薩も本来インドの神様なのだけれど、
少なくとも一神教の系統ではないなと感じた。

観ているうちに黄色い頭の美輪さんが浮遊して、雲に乗って、
飛んでいってしまうのでは、という感覚に満たされ始めた。
もし本当に飛んでいっても不思議ではないという気持ちだった。

そしてもうひとつ、
「ああ、この人は強いな」だった。

善悪を問わず飲み込んで溶かしてしまう超越性を感じた。

美輪さんについてはっきりと書いてしまえば、
私としては気に入らないところもあった。
具体的には、スピリチュアルだのオーラだの、
○○になれるアプリだの、である。

私はその日、そこの部分を見極めに行ったのだった。
「本物か偽物か」をである。

その日から後、長い時間を美輪明宏について考えたが、
結論から言うと、
私の小さな尺度では計りきれないのだった。

混沌としているからこその完成形という存在を理解するには、
私にはまだ早かった、ということか。しかし、

「本物か偽物か」
これを美輪明宏に問う時、私が判断の基準にするのは結局、
言葉ではなく、姿かたちではなく、行動である。

つづく。

なぜかシャンソンを語る 7 美輪明宏

2015-08-04 20:58:29 | なぜかシャンソン
6のつづき。

美輪明宏は、日本人が伝承すべきこととして、
童謡や唱歌の重要性を説いている。
私もまったく賛成である。

メロディだけでなく、
歌詞に使われる言葉の格調の高さによる幼児教育の有効性を
美輪は説いている。
まったくその通りである。

リサイタル2部構成の前半をそのような曲調でまとめたことは、
並の歌手に出来ることではない。なぜなら、
後半のシャンソンとはまったくその趣が違うからだ。

唱歌や童謡を歌ってから、
それではあらためまして、シャンソンでございます。
といっても、聴衆はイメージの統一に苦しみ、
未消化のような気持ちのまま帰路につくことにならないか。

それをさせないためには、
ふたつのイメージを凌駕する、もしくは
つなげてしまうほどに強力なイメージが必要である。

それこそが美輪明宏という存在感で、
彼の、いや彼女の、いややっぱり彼の圧倒的な存在感が、
何もかもを飲み込んで、
咀嚼し、
あらためて旋律に乗せて歌う時に、
シャンソンや唱歌という枠ではなく、
「美輪明宏のうた」で統一され、
まったく違和感なく、
片や日本の伝承歌、片やフランスの色恋歌を
すんなりと私達に聴かせてしまう。

つづく。

なぜかシャンソンを語る 6 美輪明宏

2015-08-01 09:21:28 | なぜかシャンソン
5のつづき。

(数年前の)
美輪明宏リサイタルの当日、車で行くのが一番楽で早いので、
環七を真っ直ぐ走り、すぐに着いた。

近くの店でコーヒーかなんかを飲んで、
すでに暗くなった人見記念講堂前で少しだけ並んで入場した。

たしかロビーに大きなふたつの花が飾られていた。
ひとつだったかな。
なにしろ、そのうちひとつの贈り主の名は「江原啓之」だった。
もちろん花からはオーラが噴き出していた、ような気がする。

…あの江原某という男、私ははっきりと嫌いだが、
歌はけっこう上手いんだよね。
上手そうに歌わなければもっといいのに、と思う。

会場ですぐに感じたのは、
「若い人が多いな」だった。
というよりも、
「若い人がいるな」か。

他のシャンソン歌手の会場では見られない光景だった。
とくに石井好子さんの時など、
「会場までは這って来ました」というほどに
危うい感じのお客さんが散見され、
まあ会場前の道路にはリムジンがズラーっと並んでいたが。

着席し、しばらくすると暗くなって公演が始まった。
なんというか、
「戦後の荒廃した街の夕焼け」のような演出照明の背景がよかった。
戦後の荒廃した、という部分は私の主観だけれど。

たしか2部構成で、
前半は日本の童謡など、
とくに伝承という意味を込めたに違いない曲構成を美輪は丹念に歌った。
圧倒的という形容がこれほど似合う人もいないだろう。

しかし、
美輪さんがラジオなんかの収録中に
ほんの鼻歌で歌う童謡のほうが、私としては好みかな。

つづく。

なぜかシャンソンを語る 5 美輪明宏

2015-07-10 20:26:47 | なぜかシャンソン
美輪明宏も観に行ったことがある。
どこで観たか、これはよく憶えている。三軒茶屋だ。
昭和女子大学の人見記念講堂で観た。聴いた。

何年前だったか。
10年は経っていないと思う。

なぜ観たのかというと、
これは偶然と気まぐれから始まったのだった。

いや、前から美輪さんのステージは見たいと思っていたのだが、
彼のチケットは取れないものとばかり思い込んでいた。
なぜなら、
昔、渋谷のジャンジャンの前を通った時に、
ものすごく人が並んでいて、誰が出るのだろうとポスターを見ると、
美輪さんだった、という記憶が強くあり、
それにかの銀巴里の伝説も知っていたので、
そう簡単に手に入るとは思っていなかった。

ところが数年前のある日、ネットを見ていたら、
「美輪明宏リサイタル」の告知が目に止まり、
あれ、と思い、
その場で試しにチケットを購入してみたら、あっさりと買えて、
おお、アキヒロ買えたよ。とむしろ驚いたくらいだった。

たしか数年前というと、
いわゆるスピリチュアル全盛か、終わりかけくらいの時だったと思う。
美輪明宏の歌は好きなんだけど、あれはいただけなかった。

彼のCDは以前から聴いていた。
シャンソンがとくに好きだった。
ヨイトマケの唄はちょっと怖かった。
彼の本も何冊か読んだ。
書いてあることは素晴らしいと思った。
「宗教と信仰はまったく別である」
という彼の言葉をいまでもよく憶えている。

つづく。





なぜかシャンソン 4 石井好子

2015-07-06 20:07:50 | なぜかシャンソン
石井好子さんのことのつづき。

私が観に行った時にステージ上で本人が
「82歳です」と言っていたが、
背が高く堂々としたドレス姿は舞台によく映え実に風格があった。
声量も豊かで、
「やっぱり歳だな」と思わせるところは微塵もなかった。

当日、ホールの玄関に入った時に
石井好子がただの老歌手でないことは、すぐわかった。

私は彼女が日本シャンソン協会や毎年7月のイベント<パリ祭>の
創設者であったことなど、その時にはまったく知らなかった。

ただ、老いた歌い手がその生涯の終わりに…、
もちろん私が勝手にそろそろ終わりそうだと推測していただけだが、
きっと会場に半分くらいの客の前で、
どんな歌を歌うのだろうか、と観に来ただけだった。
ところがそんな私の想像は入場にして吹き飛ばされた。

ホールの玄関から入ると広いロビーは花、花、花で満ちていた。
置く場所に困るほどの花輪、花束、花スタンドであった。

私も若くはないので、すぐに綺麗な花の裏に潜んだ
業界の力関係ということに考えが及んだ。

なぜかというと、
他のシャンソン歌手を観に行ったこともあったが、
こんなに花が飾られたロビーを見たことはなかったからだ。

ああ、これは大変な人なのだな。

私は私にとって少し場違いな感のあるロビーで素直にそう思った。

後になって少し調べると、
石井さんは、日本のシャンソン界を牽引し、発展に尽力された人であった。
歌手であって、プロデューサーでもあった。
だから、いわば門下生たちも多く、花の数の意味も理解出来た。
そしておそらく力関係だけではなく、最初に書いたように
彼女は相当な人物であったのだろう。
その人柄の良さや大きさが歌を通して私にも届いた。

うまいヘタでは計りきれない表現力、
それは底にしっかりとした嘘のない彼女の人生があってこそ。
それがそのまま偽りなく無骨にしかし優しく歌に聴こえてくる。

石井好子の特筆すべきは、何を歌っても明るいことだろう。

いわゆるシャンソンは暗い歌も多い。
しかし石井好子の歌うシャンソンはどれも暗く聴こえない。
何を歌っても人柄が前に出てしまって、なぜか希望を感じさせる。

今は落ちてしまって聴けないが、
以前、Youtubeに石井好子の歌う「帰り来ぬ青春」という動画があった。
これは実に大変によかった。
この歌はたしかシャルル・アズナブールの歌だったと思うが、
日本でもいろいろなカバーがある。その中でも、
石井好子のそれは額縁に収まらない絵のような感があり、
歌い出し最初の4小節でつい笑ってしまいそうになるのを堪えれば、
あとは素晴らしい感動のゴールが待っているというものである。
私はその動画で涙腺が緩んだこともあると最後に書き残しておきたい。

次は美輪明宏。

なぜかシャンソン 3 石井好子

2015-07-02 22:38:29 | なぜかシャンソン
石井好子を私は一度だけ観に聴きにいったことがある。
今からちょうど10年くらい前のことである。

「一度くらい聴いておかなければ」

という気持ちが突如湧き起こり、どこだったか、
あれは芝公園のメルパルクホールだったか、
その2階席で観た。聴いた。

その年はたぶんYoutubeの元年で、
だからまだ日本ではYoutubeをほとんど見ることが出来なかった。
通信速度とコンテンツ量に問題があったと思う。

私も石井好子のことをほとんど知らずに、
しかし何かで見かけた映像での歌が心に残っていて、
「観ておこう」と出かけたのだった。

期待は全然していなかった。
正直な話、ずいぶんなお歳であったから、
歌唱については期待は出来なかった。
期待をしたのは(はっきりと言えば)消え去ってゆく最後に
いったい何を見せるのか、聴かせるのか、であった。
若さも力も技も超えた何かを私は聴きたかった。
しかしその期待は裏切られるだろうと予測していた。
もしかすると途中で席を立つかもしれないと思っていた。

ところが、これがすごく良かった。

あの方は繊細な芸風ではないし、声も繊細ではないから、
歌も繊細ではない、かというと、これは説明が難しくて、
聴き方、聴く側の気持ちによって大味に聞こえたり、
繊細に聞こえたりするのではないか。

あまり器用に歌う人ではないので、
興味ない人には良さがわからないと思われる。

上の書き方は揶揄しているのではなく、本当に良かった。

バンドもうまかったしね。

なぜかシャンソン 2

2015-07-02 18:52:30 | なぜかシャンソン
前回に岸田今日子の「マズルカ」ということを書いたら、
奇遇にも次の日からCS放送で「傷だらけの天使」の再放送が始まり、
ちょっと見たらまさにその「マズルカ」を聴いてしまった。

ドラマの中で岸田今日子が演じる探偵事務所社長の綾部貴子が
好んでいつも聞いているレコードという設定である。

荒唐無稽、かつチープで浪花節なドラマの中で、
この曲が流れると、岸田今日子の人物像を説明せずとも掘り下げ、
全編軽いノリの物語に深みを与えている、ような気がする。

そういえば萩原健一は越路吹雪の「ラストダンス」をカバーしていた。

日本でシャンソンというと、越路吹雪という人も多いかもしれない。
しかしそういった人はもう少なくて、多くは鬼籍なのかも。
越路吹雪の名も今はまったく聞かないし。
私もよく知らないし。

この日本にはシャンソン界というものがたぶんあって、
それを縁から覗くと、けっこうな深さがあって、
それぞれの歴史や関係、エピソードなんかがあるのだろうけれど、
私は全然知らない。

が、少しその辺について書くと、
そのシャンソン界というのは、いやその一翼を
おそらく石井好子さんがリードしてきたのではないか、と推測する。

石井好子さんという人は私が勝手に推測すると、
女性なのだけれど、相当な人物であったのではないか。

つづく。


なぜかシャンソン 1

2015-06-30 19:48:35 | なぜかシャンソン
ダラダラと7,8年続いた前ブログから仮とはいえ、
新規になったことを記念して何か告白をしようか。

「実は私はシャンソンが好きである」

いや、シャンソンどれでもすべてということはない。
日本の日本語のシャンソンに限る。
いや、日本語のシャンソンすべて、ということもない。
日本語のシャンソンのごく一部が好きである。

だからエディット・ピアフは聴かない。
彼女の人物像に興味はあるが、歌は聴かない。
実はあの声がちょっと怖いんだよね。

フランスのいわゆる我々がシャンソンと呼ぶ音楽ジャンルは、
最盛期が1960年代より以前だから、録音も古くて、
しかもあのヨーロッパ的な歌声がちょっと怖い。
「怖い」というか、どちらかというと「苦手」か。
聴けば、うまい、良い、と思うことは間違いないのだが、
やはり苦手な部分が微かにあって、結局、聴かない。

エディット・ピアフのどこが苦手なのかというと、
古いヨーロッパ的な感じ以外にも説明しきれないことがあって、
発音も現在と少し違うのかもしれない。
悪くはないが、聴かなくてもいいか、という消極的な気持ちです。

たぶん聴き慣れていないということもあるだろう。
何度も無理して聴けば、そのうちすごく好きになるかもしれない。

「怖い」のはあれか、岸田今日子の「マズルカ」か。
岸田今日子がマズルカを歌っているわけではなくて、
ポーラ・ネグリという人の曲だった。あれは怖い。

なぜ岸田今日子の名が出てくるのかというと、
説明が面倒だからしないが、曲はこれ
知っている人は、ああこれか。という曲。
もちろんマズルカだからシャンソンではない。

だいたい「いわゆるシャンソン」が残っているのは日本だけなのだと思う。
本場のフランスにしても、1960年代以降はフレンチ・ポップスへと
変遷したわけで、要するにシャンソンは「懐メロ」扱いということか。

日本で残っているといっても、まあ残っているとも言い難いか。

つづく。