EVOLUCIO WORKS INFO

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1/17 Diary

2019-01-17 20:52:06 | Diary

1/17
昨日、夕方に目が疲れたので横になりしばらく目を瞑っていたら眠ってしまい、
気がついたらすでに真っ暗で、7時か、8時か、と焦って時計を見たら翌日の0時半でした。
ああこれはダメだと独り苦笑し、そのまま朝まで寝ました。
目覚めのコーヒーがまた美味かったこと。
それで今日は早速、コーヒー豆を5種800グラム買ってきました。


高架橋コーヒー

2019-01-04 19:27:00 | Diary

1/4記

大晦日の早朝まだ昏い時間━━時刻は6時少し前━━にコーヒーを飲んでいたら、
「カタンカタン、カタンカタン」
と電車が鉄橋を通過する音が聞こえてきて、けっこう驚いた。
ここに4年ほど住んでいるが、初めてのこと。
コーヒーを飲みながら一番近い電車が通る高架橋の場所を考えたら、
ああそうか、あれは京王線か、と合点したのだけれど、
マップで確かめると1.5km以上は離れている。
冷えて乾いた大気と大晦日の閑散によるささやかな贈り物ということなんだろうか。
「カタンカタン、カタンカタン」
乾燥注意。


Diary 20190103

2019-01-03 18:46:19 | Diary

暮れの最後に口にしたのがコーヒーで、
年明けの瞬間にはコーヒーを淹れていて、
だからもちろん年の初めに口にしたのもコーヒーで、
つまりコーヒーばかり飲んでいるのだが、
暮れに豆を買いそびれていたから、
そろそろ買い置きも底かなと先ほど確認したら、
まだ600グラムはあり、だいたい10日くらいは保つのだけど、
しかし1キロはないと不安になるので、
買いに行きたいわけで、
新しい年の始めにさて何の豆を買おうかと、
考えている。

今年もよろしくお願いいたします。




カワサキのファイナルの意味

2018-12-06 19:41:10 | Diary


最近、驚いたというか苦笑してしまったことがあり、それは、
Kawasaki。バイクのカワサキの話である。

カワサキのバイクラインナップに長くWという車種があり、
もちろん私などが説明するまでもないほどに有名なバイクなのだが、
たとえばメグロから始まり、W1、W3、最近のW650、W800、と続いてきたが、
私の記憶では、2016年にとうとう生産終了となり、豪華版のファイナルエディションが出た。

生産終了の理由は、古い設計のエンジンなので、
排ガス規制が通らなくなってきたことが大きな要因だと言われていた。

オールドファッションの空冷2発など他メーカーにはとっくになくなっているし、
しかもあのエンジンの造形の美しさを充分に認めていた私は、
そうか、とうとうWも終りか。なんとかして買ってしまおうかな。
などと思ったりもした。

しかし今さら重量200キロ以上のバイクに乗る気もしないから、
そのまま忘れて時間が過ぎたわけだが、つい最近、イタリアのショーにて、
カワサキから2019年新型W800が、しれっと発表された。

ファイナル・エディション(最終版)とはなんだったのか。
ファイナルという言葉の意味と疑問はどこに帰結するのか。
要するに、何が「終り」なのか。

私は客でもないのにメーカーに問いたいわけだったが、面白いことに、
カワサキのファンは、そんなことにまったく拘泥せず、
「新型、出たか」などと騒いでいるのだ。

つまり、私だけがまだカワサキに対して初心だっただけのことで、
他はぜんぜん「ファイナル」などという言葉に惑わされはしなかった。
皆「ファイナル」を、よくある「閉店セール」程度にしか考えていなかったのだ。

しかしなぁ。
あの三菱だって、エヴォルーションをファイナル・エディションできちんと終えたわけだし、
普通、ファイナル(最終)なら、それで終りだと思うが、などと、くどくど考えている。

ということは、KLXもファイナルはとっくに出ているが、それも新型が出るのだろうか。

Diary 20181020 見る

2018-10-20 21:12:07 | Diary
昨日の夕方、まだ暗くはない道を歩いていたら、先で何かの作業をやっているのが見えた。
そのまま進むと、それは寺の塀から大きく飛び出した枝を伐採していたのだった。
それもけっこうな量で、警備員を2人、道の上手下手につけての作業だった。

道は寺の長い塀に沿った一通の裏道なので広くはない。
そこにバサバサと枝をエンジンカッターで切り落としているのだ。
近づきながら視線を枝から道に移すと、
小学校2年生くらいの女の子が警備員に話しかけているのが目に入った。
「何をしているんですかぁ」
まだ私は少し離れていたから聞こえなかったが、そんなことを言ったに違いない。

「伸びすぎた枝を切り落としているんですよ」
と警備員が答えたのはさらに近づいた私にも聞こえた。
「ふーん」と女の子。
そして数秒、黙ったまま感心したように切られる枝を見てから、そしてひと言。
「がんばってくださいね。」と小さな手を小さく目の前の警備員に振った。

ちょうどその時、私は女の子と警備員の間を通っていたから、
女の子の声も聞こえたし、顔もちらっと見えた。
のんびりとした顔である。
間延びした声である。

まるで時間の感覚が他の人の3倍も遅いかのような目の光。
「いえ、あ、はい。どうもありがとうございます」
恐縮というか、変に狼狽している警備員。

昨今の、なんでも速いことが有用で、遅いことは価値がない、というような風潮の中、
ああ、こんな子まだいるんだなあ、と私は思った。
きっとなんの警戒心も持っていないのだろう。
帰り道を急ぐということを知らないのだろう。
その佇まいがどうにも無垢すぎるのだ。
二人を少し過ぎてから軽く振り返って見ると、まだ彼女は立ち止まったまま話かけていた。

ああいった子は遺伝じゃなく、突然この世に現れるのではないか。
私の知識というか、経験というか、感覚というか、勘というか、適当というか、
まあそんな思いがある。
「誰にでも陽気に多弁に話しかける」性質が顕著にみられるウイリアムズ症候群という
先天性の特性が知られているが、それを思い出した。

その特性は、まるで人懐こい犬のようだとも称されるというが、
人との壁をまるで作らない、とも、現代の妖精である、とも知られているらしい。

あの彼女がそうだとは言っていないが、しかし、あの小さい女の子の目を一瞬だけ見た時、
と同時に、「がんばってくださいね」という警備員への声を聞いた時、
私まで優しさに包まれたような気がした。
なにか浄化されてしまった気がした。
幸い私を見てはいなかったが、目の光には一切の屈折がなかった。
その光は「人の心を見通す」というような意識の高さも全くなかった。
ただ純粋に「見る」だった。

「見る」以外には何もなく、そして彼女はきっと無力だった。
しかし区別なく、目をそらさず「見る」。
ただ「見る」だけ。見続けるだけ。
直接的には誰をも助けない。救わない。そんな意識もない。
しかしあの時、第三者の私でさえ少し心が軽くなった気がした。

Diary 20181007

2018-10-07 16:03:11 | Diary


「♪リハビリはノーノーノー。」

なぜか急に思い出した。

Diary 20180925 Thai traditional 3

2018-09-28 18:58:21 | Diary


この動画こそが、
私にとって今のところタイ歌謡ナンバーワンであることを発表しておきたい。
この歌、この声、この丸顔。
清々しいまでのカントリー娘。
この曲ももちろんのこと━━それがオリジナルかどうかは不明だが━━
プロの歌手がレコーディングをしたトラックが他にいくつもある。しかし、
やはり前回にも書いた理由と同じで、
私の耳と心には圧倒的にこの素朴な歌い手の声が沁み込んでくるのだ。

「太陽が沈むとき、鳥は巣へと飛び戻る」
歌はこのように始まり、
「しかし私はもう帰ることはできない」
というような意味で終わる(らしい)。

生のラテンバラードを聴きながら泥酔というのが長年の第一希望だったが、
こういったタイ歌謡(おそらくルークトゥン)でドロドロというのも僅差である。

Diary 20180922 Thai traditional 2

2018-09-22 19:02:21 | Diary






(加筆ではないが、後から動画を貼った)

ここ東京は秋の気配も濃厚ですが、
どうです。うら寂しい虫の音と、そしてタイのメロディに酔い痴れていますか。
上の固定ページの動画の歌を最後まで聴かない人とはトモダチにはなれませんよ。
しかし、ここ数日、閲覧数が極端に減ってるのはどういうことなのか。

ところでこの動画の曲。このちょっと力の強そうな娘が歌っている歌。
これは調べると原曲は、いや原曲かどうかはわからないが、
とにかくレコーディングされたトラックがあって、それから推測すると、
どうやらタイの歌謡曲だと思われる。

タイの伝統的な音階と歌唱法を使って、かつ分かり易く馴染み易く作曲したようだが、
例えば日本のでいうとなんだろう。
今、ふっと頭に浮かんだのは田端義夫の「島育ち」か。
これは近いと思う。少なくとも遠くはない。
古すぎて誰もわからないだろうが、私にしても知ったのはYoutube以降である。
「島育ち」は、奄美地方の叙情を歌った曲だが、これに加え沖縄の「19の春」
そして「安里屋ユンタ(新版)」の3曲を「島唄ベスト3」と呼んでいる。私が。勝手に。

話をタイに戻すと、
上に貼ってあるのではないレコーディングトラックの方は
タイでは有名だと思われる歌手が歌っているわけだが、
たしかに歌もこの太めの彼女より上手いし、一般的な美人度は上かもしれない。
しかし、私の好みは断然、この太めの娘の歌である。
とにかくリアリティがある。
声も歌も何もかもに質量を感じる。
そして醸し出される圧倒的に健全な雰囲気が素晴らしい。
何度聴いても、つい微笑まずにはいられない。
一瞬で心を掴まれ、目の前に実り豊かな農村の風景が広がって見えるのだ。

「瀬戸の花嫁」にも似たほのぼのとしたイントロから彼女の明るい歌が始まると、
自分の中からダークなサイドがすぅーっと消えていく感覚が明確にある。

Diary 20180918 Thai-traditional

2018-09-18 19:07:11 | Diary
上の固定ページに貼った動画は、タイのオーディション番組だと思うが、
この歌い手を見て思うことは、「丈夫そう。よく働きそう。」である。

この他にも同じオーディションの動画にブックマークをいくつかしてあり、
たまに「独りアジアン・ナイト」を開催し、続けて聴く。

こういった歌が向こうの民謡なのか歌謡なのかはわからないが、
まあトラディショナルであることは間違いなく、
現地の酒場で、こんな生歌を聴きながらドロドロに酔っ払いたい気もする。

タイに行ったことはないが、飲むならなんだろう。
やっぱりビールか。シンハーとかの。
いや、タイも米どころだから醸造酒があるはずだ。

しかし、この動画の曲も、そして他のもそうだが、やけに転調が多い。
転調というよりも、もともと調性という概念がなかったのかもしれない。
そこを詳しく掘り下げて語れるほどの音楽素養は私になく、悔しいが、
あの転調のとこがかっこいい。好きだ。
また後日、同系列で今のところこれがナンバーワンという動画を貼りたい。
もう心の底まで沁みること間違いなし。

Diary 20180912 BAT

2018-09-12 19:08:16 | Diary
先ほど、ブラジルのイエローブルボン・フレンチを濃いめに淹れて飲んだ。

フレンチは、
温度と抽出量に注意すれば「これぞコーヒー」という美味さになりえる。
それで、濃いコーヒーを飲みながら思ったことは、
やはりこんな美味いコーヒーには葉巻だよなあ。だった。
もちろん、今ここに葉巻はないのだが。

私は煙草を吸わない。
もう15,6年ほど前にやめた。

当時、吸うなら両切りだった。
ショートピースかゴールデンバット。
それ以外は吸った気がしなかった。

ピースは高級な香りと味が楽しめたが、バットは安くてもしっかりとした味があった。
ゴールデンバットは私が止めた頃、たしか110円だったかなあ。
しかし近所で、なかなか売ってなくてね。

それから、煙草を止めてずいぶん経ってから、やはりコーヒーには葉巻だな、と思い、
けっこう高い葉巻を買って、独り当時の工房の地下室で吸っていたのだが、
いや、あのね、味は美味いよ。コーヒーにも最高に合う。しかし、
もうあの後味が受け付けなかった。舌にいつまでも残るニコチンとタールが。

結局、自然消滅的に葉巻も吸わなくなったのだが、気がついたことがひとつあった。
葉巻にインスタントのコーヒーは絶対に合わないということ。
今は製法もよくなって、インスタントでも慣れればけっこうそれなりに飲めるのだけど、
葉巻に合わせることは無理。なにしろ不味さが際立つ。

やはり、レギュラーをフレンチかイタリアンのローストで、濃く甘く淹れて楽しみたい。
昨今流行りの浅煎りではあの煙をしっかりと受け止めきれないだろう。

濃いコーヒーというと、それならスターバックスなどのエスプレッソかと思われるが、
いや、あれは味の変化が早いから、あまりお勧めできない。

葉巻はサイズによるが、1時間くらいは楽しめるわけで、
それに合わせるとなると、やはり、
ネルドリップ、点滴抽出、30グラムで120ml、3分以内。そんなところではないか。

この方法なら味は長持ちするし、冷めても美味い。
濃さに飽きたら熱湯を注げば、また違った風味が立ち上がるのだ。

……何を書いているのかわからなくなってきた。

書きたいのは葉巻の話ではなく、煙草の話だった。いや、ゴールデンバットの話だった。
いや、そうではなく、バットの話だった。

これを今書いているのは私の部屋なのだが、右の手が届くところに窓がある。

それでね。以前から窓というか雨戸というか、そのへんからキーキーキーキーと、
何かが擦れる音がすることがあって、それはアルミを擦ったような音だったから、
私はおそらく雨戸ではなく、サッシが風で微振動して鳴っているとずっと思っていた。

そういうことは少なからずあるから。

建物とか何かのオブジェクトとか、その構造が風とかの周波数にぴったり合ってしまって、
共鳴してしまうという現象。

音がする度に窓を開けてみたり、触ってみたり、揺らしてみたり、すると音は止むので、
まあそんなこともあるよ、とあまり深刻に考えないで今日まで過ごしてきた。

まあ、もうだいたい予想はついてきたと思うが、
今日、先ほど、またキーキーキーキーと音がするので、
窓を開けて、ふと戸袋の奥を見たら、
バットがいた。コウモリが2匹、戸袋の暗さに潜んで鳴いていた。

小さい。
手のひらに乗るくらい。
これは迂闊に雨戸を動かしたりできないな。

こいつら、暗くなったら出動するのかね。
まあ適当にやってくれとも思うが、しかし、
戸袋の中を汚すからなあ。
ゆっくり考えよう。

おわり。


画像はうちではありません。

夏の13階段

2018-08-22 19:06:34 | Diary


去年の夏は雨ばかり降って、
たしか秋に近くなってからやっと緑が増えたような記憶があるが、
今年はすごい、というか、ひどい。
「生い茂る」とはこのことかと実感できる。

油断すると窓の隙間からも細い蔓が侵入してくるので、
最初は面白いと思っていたが、段々と恐怖感も覚えてきた。

つい先日も、傷から種子が入って、
まだ生きているのに背中から植物がしっかりと生えてきたネズミの動画を見たばかりなので、
暑さも戻ってきたことだし、そのうち「静かなる侵略」の悪夢を見そうだ。

Diary 20180818 Latin/Joto/☆bucks/

2018-08-18 19:13:40 | Diary


このブログを書いている今、ここは東京で、昨日からやけに涼しい。
これは一ヶ月前倒しの気温ではないか。
涼しくなるとコーヒーも一段と美味くなるので素直にうれしい。

今日飲むつもりのコーヒーはブラジルのフレンチ・ローストだが、
フレンチを淹れるのはけっこう難しいのだ。

濃く淹れるのか、薄く淹れるのか。
熱くさらっとか、温くじっくりか。

ドリップがびしっと決まればいい一日がスタートするのだが。

で、コーヒーを淹れてきた。
今はそのフレンチのコーヒーを飲みながら書き進めている。
ドリップはいまひとつ。
抽出時間が15秒ほど長かったように感じる。

しかし、こんな初秋のような陽気になると、どうしてもラテンが聴きたくなる。

毎年書いているような気がするが、
夏の喧騒と熱の名残りを感じつつ、冷たい風も吹き始める季節にはラテンが合う。

というより、
そんな季節に合うのがラテンではなくて、そんな季節に合うラテンが私は好きなのだ。

だから、某輸入食料品店で終日かかっているような忙しい感じのサルサなどはあまり聴かない。

わかりやすく言うと、気だるいリズムが好きだ。

今日の日付でこのブログのトップ固定ページに貼った動画は、
メキシコの歌手と、キューバの大歌手のコラボレーションなのだが、
こんなのを聴くと、濃いコーヒーを飲みながらキューバ葉巻でも吸いたくなる。

濃いコーヒーといえば、先日、ひどく暑い日に川向こうの城東地区へ電車で行った時のこと。
用事が済み、帰りに駅中のスターバークスに寄ったのだが、
これがなんだかテキトーな店舗で、なんというか仮店舗というか、
駅ビルのエントランスの空いたコーナーで仮営業をしています、といった感じで、
まあ、そんなことどうでもいいのだが、しかし注文をしてから見ていると、
コーヒーを頼む客が全然いなかった。

もう皆が皆、フラペチーノ的なシェイク的な、よくわからないが、
そういった筋を注文していた。
それが悪いなんて全然思わないが、私はコーヒーを頼んだ。

「エスプレッソのダブルショットをアイスで。」
と注文したら、スタッフの女の子の頭の上にはっきりと「?」がでっかく浮かんだ。
そんな大きな目でまじまじと見られても困るのだが。

意味が通じなかったようなので、
「エスプレッソのドピオを氷の上から注いでくれ」とあらためて言い直した。

やっと理解してくれて、エスプレッソをバシューッと淹れてから彼女は
エスプレッソのカップと氷の入ったカップを両手に持って私の前まで来て、
「これをここに入れればいいですか?」と確認をとり、私は「はい」と応え、
めでたく私のアイスコーヒーは出来上がりました。

味は期待していなかったが、いや全然美味かった。

ひと口飲んで飲めないレベルだったら砂糖とクリームを入れようと思っていたが、
そんな必要もなく、あのスタッフ、全般たどたどしい感じだったが、けっこう上手だったな。

ショットしたばかりの濃いエスプレッソを一気に氷で冷やして香りを閉じ込めてあるから、
喉越しでその濃厚な香りがぱっと花開き、そして小爆発したかのように鼻に抜け、
これから中央線で川を渡り我が町に戻る気力も蘇るというもの。

城東は昔から都会で、
我が町は昔は田畑で、
できるならその頃を歩いて見てみたい。
新宿から西の先は延々と田舎だったんだろうな。

帰路、浅草橋で降りようかと少しだけ思ったが、降りるほどの用事を思いつかなかった。

おわり。

この時期

2018-08-13 19:32:39 | Diary
盆である。
盆で毎年、頭に思い浮かぶのが「一人盆踊り」というフレーズで、それもどうかと思う。
これは友川かずきの歌のタイトルで、このブログの固定ページに貼ろうかと思ったが、
「ダカダカダンッダカダカダンッ」と騒々しいから止めた。
代わりに春の歌だが「桃源」という静かな曲を貼った。

「一人盆踊り」って、しかしタイトルがいいよね。
はっきり言って、曲よりもタイトルがいい。
この5文字だけで「咳をしても一人」に対抗できる寂寥感がある。
「咳をしても1人」は、湯呑みが文机に置かれているイメージだが、
「1人盆踊り」は一升瓶が部屋にごろごろしている感じだ。
それで「ダカダカダンッダカダカダンッ」なのだから、寂しさも一入。

普段、友川かずきなんか聴かないのだが、
たまーに思い出して聴いてみると、やはりいい。
友川かずきは若い頃にジャニス・ジョプリンがものすごく好きだったらしく、
そのへんにも私が好きである遠因があるだろう。

ライブは3度ほどしか観ていないので、よいファンではないが、
15年くらい前だったか最初に渋谷で観た彼のライブは、
私が観て聴いた他の誰よりもよかったような記憶がある。
それほど他を体験しているわけでもないが、
好きで焦がれて、やっと来日して観に行ったロジャー・ウォータースのそれよりも、
正直な話、全然よかった。

違いを説明するのは面倒なのでしないが、
とにかく張り詰めたものがまったく違っていて、
友川かずきはその日その時間その曲その場所で燃え尽きようとしていたが、
ロジャーはほどほどに流している感じがした。

友川かずきというと、よく一緒に飲んだという故たこ八郎とのエピソードが好きなのだが、
酒飲みの世界は酒飲みにしか理解できないので、残念ではあるが、酒も才能だからね。

さて、毎年この時期になると、やれ原爆だ終戦だということになるが、
当然であり、そのことについて私に文句はない。

しかし、つい先日、7日だったか、広島の慰霊に合わせてなのだろう、
まだほんの子供、それもあれは幼稚園児くらいか、そんな子たちに
原爆を落とされた地の阿鼻叫喚の大きな画を何枚も見せて、
先生だか坊さんだかみたいな人が説明するのだが、
その画がまさに地獄絵図で、私個人の意見を書くと、あれはまだ早いなと思った。

7歳以下はまだ真っ白なので、あんな恐ろしいイメージはきっとトラウマになりかねない。

もしかすると主催者はそこを狙っているのかもしれないが、
いや、小さい子供にはもっと楽しいもの、美しいもの、ハッピーなもの、
そんなところを見せておけばよくて、深く考えさせるのは中学生くらいからいいのではないか。

とくに男の子。

男は案外メンタルが繊細で、ああいったイメージを成長過程でうまく処理できず、
いつまでも引きずる可能性が高い、という気がする。

それは、戦争がどうの、原爆がどうの、という具体的なイメージではなく、
心の底によくわからない暗い影ができてしまうというか、
小さな背中に早くも何かの原罪的な意識を背負ってしまうというか、
そんな気がする。

これに検証はなく、あくまでも「気がする」という私の個人的な意見なのだが。

ネコさしみ

2018-08-11 17:09:03 | Diary


うちの庭に毎日来る野良の白茶のネコが、最近ケンカをしたらしく、
少し元気がないようにみえたので、昨晩、もう一匹のサビ茶がいない時に、
マグロの刺身をたっぷりとやったら、ひと口食べた瞬間、美味さが衝撃だったのか、
その後すぐにガツガツいかず、しばらく皿の回りを挙動不審気味にウロウロして、
見ていて面白かった。

あれ、もしかすると食べないのかと心配したが、
一枚ずつ皿から咥えて少し離れた陰で大事そうに結局完食した。

サビ茶はからっきし弱いくせに、白茶にだけは強く、
白茶は強いのだが、サビ茶にだけは弱く、というより優しく、
食が細かったサビ茶の食欲が最近、なぜか旺盛で、
サビ茶は遠慮せず白茶の分まで食べるから、サビ茶のいない時にまたやろう。

しかし、暗いとサビ茶の視認性が悪く、油断すると目の前にいたりする。

画像はもう3年前のものだが、よく見てね。

森田童子 高さ

2018-07-21 20:32:46 | Diary
先日、森田童子が亡くなったという報を知って、思わず独り声が出た。

声を上げるほど私の身体のどこか、いや心の奥底に、
いつまでも優しくあり続けるというような人はそれほど多くはなく、
今さらながら彼女の遺した声、歌、曲の数々が私の中に、
このラテン好きの、ブルース好きの、シナトラスタイル好きの、
さらに付け足しておくとピンクフロイド好きの私の中にひっそりと、
まるでいつまでも溶けない感傷の飴が一粒置き忘れたままになっているのを深くに感じた。

私がまだ20歳ごろに、友人がカセットテープを「ほれ聴いてみ」と私に貸した。
いや、もう少し前の高校生の時だったかもしれない。もう当時を明確に憶えていない。
カセットテープには森田童子のファーストアルバム「グッドバイ」が録音されていた。

それで私は初めて森田童子を聴いて、正直に書くと何も感じなかった。
当時その頃私は8ビートのロックしか聴かなかったので、心にまったく届かず、
テープもおそらく一回しか、いやA面B面を通して聴いたかも怪しく、だから
私はせっかく貸してくれた彼に、「○○○○○○○に似てるな」などと、
今思えばとんでもない感想を返し、
早熟気味の彼は「ちっ」とたしか舌を打った。
(○は、森田童子の名とここに並べたくないために伏せ字にした。)

きっと私になら価値がわかるだろうとわざわざ貸してくれたのだと思う。

それから10年ほど経ち、私も彼も森田童子にもいろいろあって、
その間にふとあらためて聴き直したカセットテープ(なぜか返していなかった)の
森田童子の声に段々と魅せられ始めて、その当時は金子由香利も聴き始めていたから、
そういった「しっかりした歌」を聴きたいという私の季節だったのかもしれない。

そのすぐ後だったか、突然、あちこちから森田童子の声が聴こえるようになり始めて、
どうやらテレビドラマの主題歌に使われたらしいということがわかり、
私は結局そのドラマを見ることは今に至ってなかったが、その感性が嬉しかった。

そして同じ頃、早熟気味の彼、
私に森田童子やボブ・マーリー、エラ・フィツジェラルドなんかを初めて聴かせてくれた男。
部屋に行けば、小さな音でジョーパスなんかを聴いていた彼はあっけなく死んでしまい、
私の心に月並みだがぼっかりと穴が空いた。

その後、私にとって森田童子の歌は、私の歳が増えるごとにその存在も増し、
もちろん毎日など聴きはしないが、毎日聴けるほど私も強くはないので、
時々、本当に時々、時間を止めてしっかりと聴いたりする。

昔には、こんな日がくるとは思ってもみなかったYoutubeの動画を今観たりしながら読む
森田童子の動画に書き込まれた同世代の、もしくはもっと上の世代の人のコメントの中に、
それは、誰にでもある多感な時期をからくも8ビートで逃げ切った私とは違い、
当時、うっかりと真正面に森田童子を捉えてしまい、
それをどうしても捨てられずに抱えたまま生きてきて、
今の今でも心の芯はまだそこにあることを感じさせるような吐露を見つけ、
私はバカだなあと思いながらもそれに共感してしまう自分の部分もあり、
会うことも話すこともないであろうそんな人たちの後ろ姿を想って、
暗い気持ちになったり、優しい気持ちになったり、また、
もしかすると何もかも手に入れた人が少しだけ若さの記憶に戻ってみて、
感傷の甘さを舐めているのかもしれないと考えてみたりと複雑ではあるが、
しかしその複雑な部分をすべて切って捨てていくと残ることは何かというと、
森田童子の遺した作品の完成度の驚異的な高さだと思う。
その高さにおいて作品は純粋かつ絶対値だといえる。ゆえに、
聴くべきは感傷ではなく、その高さにある。