EVOLUCIO WORKS INFO

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20211226 本日も内容全くございません。エヴォルシオ

2021-12-26 15:35:26 | 本の要約や感想
何もありません。

小泉八雲の「門付け」というエッセイを読み、感性の深さに泣いた。
山本周五郎の短編(長屋天一坊)を読み、おわきという女性の豪傑さに笑った。

E V O L U C I O 
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20211214 小説「逃亡者」感想少し

2021-12-14 15:11:01 | 本の要約や感想

20211214
画像は練馬ミヤモトファームの農家カフェ

先日、小説「悪人」の感想を書いたが、今日は折原一さんの「逃亡者」の感想を少し。

話は、ある主婦が殺人事件の被疑者となり全国を逃げ続けるというもの。

これは実際にあった15年目の時効あと一か月というところで逮捕された福田和子の事件の構図を少し借りている。

けっこうな長編だったが時間があれば一気に読める文章で、98パーセントは面白い。私は推理小説はめったに読まないがこれは結末以外は楽しめた。

結末はちょっと奇抜が過ぎてリアリティに欠けるような気がした。
時間をかけて読んだわりには何も残らないといった読後感だった。

しかし犯人の女性が全国を逃げ回り、各地で2,3年ずつの目立たない暮らしをするのだが、その描写にはリアリティがあってよかった。実際に行って見て歩いたんだろうなということがよくわかった。ロードムービー的サスペンスドラマといえば近いのかもしれない。昼にテレビでやりそうな。

犯人の女性が東北に暮らしている時に恐山に行く場面があるのだが、私は恐山なんか行きたくないな。イタコとか口寄せとか怖いよ。私の恐山に対するイメージは昔古本屋で見たかもしれない「アサヒグラフ恐山特集」みたいなおそらく50年前くらいのものなので、賽の河原にやたら小さい老婆が白装束でいそうな雰囲気が頭に浮かぶ。今はどうなのか。気の利いたカフェでもあるのか。

話が変わるが、今年亡くなった歌手のジェリー藤尾さんの伝記のような本をだいぶ前に読んだことがあり、それによると彼の父は日本人、母はイギリス人で上海に生まれ、戦後に来日した。

敗戦直後につき裕福ではない外国人は差別をされたようで、母は若くして亡くなり、ジェリーは順調にぐれて新宿に出てはケンカに明け暮れる毎日だったが、ある時からバンドボーイとなり、歌を歌い、ルックスの良さもありテレビや映画に出るようになった。

この人は今では知る人も少なくなってきたが素晴らしい人で、実に男らしい。その男らしさが節目節目で仇になったことも多々あったような気がする。

それでジェリーさんの本は彼の人生を独白するといった内容だったが、ほとんど私は忘れてしまった。しかしその中に彼が恐山に行ったことが書いてあり、やっぱり何か深い体験をしたようで、そのことだけを私は憶えている。

E V O L U C I O
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20211212 小説「悪人」感想少し

2021-12-12 17:29:22 | 本の要約や感想

20211212

小説の「悪人」を読みました。
作者は吉田修一さんです。
だいぶ前に映画を先に観たので比べるとどうかなと思いながら読みましたが、映画はかなり原作に沿って作られていたようで、違いはあまりわかりませんでした。

しかし読書中、深津絵里の顔しか浮かんでこないという強い影響はありました。とはいえ映画のキャスティングはベストだったと思いました。それに深津絵里は好きな女優です。代表作が何かは知りませんが。

吉田修一さんの本を読むのは初めてで、これは推理小説ではないし、何小説なのでしょうか、人の心の奥底を丹念に書いているし、最後まで気を抜かず、奇抜に収束することもなく、私はラストあたりで少し涙腺が切れかかりました。どこで切れかけたかは忘れてしまいましたが。さすがに山本周五郎賞を獲っただけのことはありますね。

疑問点は映画版の時とやはり同じで、あの両親からあの娘が出来上がるとは思えなかったこと。なぜああいう性格に育ったかが書かれていなかった。おそらくそれはわざとなのでしょう。つまりどこにでも起こり得るのだという示唆であるのでしょうか。

おつかれさまでした。
E V O L U C I O

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20211031 100中野ローカル

2021-10-31 16:15:00 | 本の要約や感想

20211031

書くこともないので昨日の続きだけれど、

中野駅と東中野駅の間にある谷戸地区に評論家の小林秀雄と長谷川泰子は住んだ。

泰子の精神不調に耐え切れず、小林は逃げ出した。

その後も泰子は東中野からは離れず、やがて男の子を産む。

そこへ中原中也が顔を出し、名付け親となり、ちょこちょこ面倒をみたりした。

その当時、中原はたぶん中野区桃園町に住んでいたはずだから、東中野までなら間違いなく歩いただろう。

桃園町はいわゆる中野通り五叉路の西側で、東中野は五叉路の東側にある。だからつまり中原中也は五叉路を跨いで大久保通りを往復していた、ということになる。だからどうしたなんだけど、100年くらい前の話です。ローカルな話でした。

おつかれさまでした。
evolucio
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20211030 画像 名付け親は中原

2021-10-30 14:38:00 | 本の要約や感想

20211030

中原中也の家から去った長谷川泰子が小林秀雄と住んだ谷戸地区がこの画像の辺りだったと思う。最寄りは東中野。

ところが小林佐規子と名を変えた長谷川泰子がけっこうな精神的瑕疵のある人で、物書きである小林秀雄はたまらずとうとう逃げ出した。

その後も長谷川泰子は東中野にしばらく住み続け、たしか左がかったヤクザな男の子供を産み、しかし男は少しの金を置いて消えて、なぜかそこに中原中也がやって来て子供の名付け親になり、その後も来ては赤ん坊の面倒をちょこちょこみた、という話が私は好き。うろ覚えで書きましたけど。

おつかれさまでした。
evolucio
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20210710 マルキドサドの

2021-07-10 21:04:00 | 本の要約や感想
20210710

1740年生まれのフランス貴族マルキドサドの著作ソドム120日の原稿の海外流出を阻止すべくフランス政府が6億円で買ったというニュースで、その12メートルの巻紙原稿の写真を私は初めて見た。

私には以前からここに書いているようにエロはあってもグロはないから彼の作品を読んだことがない。

まああれはグロではないと推測するが、なにしろ今まで読む気がしなかった。

しかし手稿には興味があり、今回、彼の手書き文字を目にして少し感動した。

詳しくはないから断定はしないが、あの作品は獄中で書かれ、描写の多くは経験ではなく想像だったと記憶している。

おつかれさまでした。
evolucio
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20201201 中野重治の詩は抒情なのかわからない。抒情って何だ?

2020-12-01 18:39:28 | 本の要約や感想

20201201

昨日、ひとつ前のページの文章を書いて公開にしたのだけれど、夜中にはっと目が覚めて、その時、頭に浮かんだのはなぜか「抒情」という言葉で、よくよく考えてみたら自分は抒情の意味をよくわかってないのではないか、と深夜のベッドの上で心配になり、PCを立ち上げて少し確認したら、ますますわからなくなり、しかし眠いし、それで一旦、昨日の文章を非公開に処理して、また寝たという次第。もちろん少し恥ずかしい気持ちとともに。しかし「抒情」の意味はけっこう難しくて、これを書いている今でも明確にわからない。言葉の意味が広くて深いのがその原因であるかと。

通常、抒情(叙情)の意味とは「自分の感情を述べ表すこと」であるらしい。すると自分の感情を詩に書き表している中野重治は抒情詩人ということになり、昨日書いた私の文章における中野が抒情を拒否したという箇所はまったくの私の勘違いであったことになる。

昨日までの私の抒情や抒情的などの意味の認識はというと、赤とんぼや故郷などの童謡を抒情歌と呼ぶが、私はその雰囲気を抒情、抒情的だと思っていた。間違いではない。そして童謡ではなく、クラッシック音楽などにも抒情的というニュアンスがあり、それは哀愁や切なさを含んだ物悲しいのにどこか心地よい曲調を指す場合が多いと思う。

しかし、それが詩についての抒情ということになると少し変わってくるらしく、自分の感情を込めることを抒情とするなら、やはり中野重治は抒情詩作家であるといえる。ところがいくつかの中野についての文章を読むと、やはり中野重治は初期は抒情詩を書いていたが、共産党員になった頃に抒情に決別した、というような見解もあったり、いや中野は「新しい抒情」を生み出した抒情詩作家である、という人もあり、私は悩むところである。

この「新しい抒情」という考え方がおそらく詩の業界にはあるらしく、私は業界人ではないから知らなかったが、つまり、要するに「抒情」の意味も時代とともに変わっているようなのだ。

私としては抒情はあくまでもその言葉が嬉しくとも悲しくともある種の心地よさを持っていたいと思うので、デブ助云々に抒情であるとしたくはないが、まあ学識としての判断に準じたい。それに詩というものをカテゴライズするところから困難であるとしかいえなくもない。

この追記で何を言いたかったかというと、まずは私の認識不足。そして抒情という言葉の捉え方が業界によって違っているということ。そして「新しい抒情」というような複雑さがあるということ。です。だから昨日の文章は消さないが、当たっているかもしれないし、まるで見当違いなのかもしれないので、ご理解ください。以上。

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20201130 中野重治の詩を読んで、ほんの個人的な感想文。追記あり。

2020-11-30 18:43:00 | 本の要約や感想

20201130


  ここは西洋だ
  イヌが英語をつかう



  中野重治 「帝国ホテル」より抜粋 昭和29年 昭和詩集 角川書店発行




詩人中野重治という名前はけっこうな重さを持っていると思うが、私は彼の作品を読むのはこの本でが初めてである。

中野重治Wikipediaリンク

名前だけは知っていた。なんとなく抒情詩作家であるような気がしていた。しかし真逆でした。共産党員のプロレタリア詩人で、冒頭に貼った抜粋のようにかなり挑発的で辛辣で、抒情の欠片もないというか、抒情は拒否だという気概があり、しかしそれは抒情を理解しないということではなく、自分は抒情を行かず、人が目を背けるような場所を歩こうと決めていたようだ。まあ私は彼のいくつかの詩を読んだだけなので、その後変わったの変わらなかったのか、わからないが、Wikipediaを読むと「死ぬまで左翼」といった様子である。とはいえ現代の共産党とは違い、理想を追いかけた当時の謂わば良い左翼であり、それは作品に顕れている。人に嘘があれば詩は書けない。そこに嘘があるかないかわかる人にはわかる。ただし嘘といっても日常の金の無心につく嘘などではなく、自分が紙の上に吐く言葉に嘘があるかどうかである。


冒頭の抜粋は題名通りに帝国ホテルのことを書いていて、暗喩ではなく明確明瞭に揶揄している詩なのだが、なかなかキビシイですね。つづきを少し貼りましょう。



  それからここは安酒場だ
  デブ助が酔つぱらつている

  それからここは安淫売屋だ
  女が裸で歩く


イヌとはおそらくホテルの従業員だろう。デブ助は外国人かもしれない。女はそういった商売の人だろう。(補記。そういった商売の人ではなくて、露出の多いドレスのご婦人を指しているのかもしれない) 安淫売屋が悪いというのではなく、お高く気取っているけど安淫売屋じゃねーか、という感情を読み取れるが、ホテルはその大小にかかわらず今も昔もそういった側面は少なくないので、中野さんの気持ちはわかる。いかにも共産党員らしい視線での作品で、いわゆるブルジョアを毛嫌いしているといった気持ちが露骨に表れていて、しかもそれが直球で表現されているところが私にとって好ましく面白い。デブ助などという言葉を他の詩に見たことがない。

もちろんデブ助も比喩だとも考えられ、単にホテルに来るたとえば大柄の外国人を指すのではなく、日本という国の上に何かのよからぬ手段で立ち、まだまだ貧しい地方の生活など顧みず、戦後の混乱に焼け太る誰かの姿を指しているのかもしれない。(訂正。帝国ホテルという詩は昭和三年以前に書かれたようなので、戦後という理解は当たらない)

最後にもう一つ、彼の思考の根底がよくわかる詩の抜粋を貼っておこう。中野さんはどうも汽車とか機関車が好きなようだ。


  きかん車
  きかん車
  まじめな
  金で出来たきかん車


━━以下追記━━12/1

昨日、上の文章を書いて公開にしたのだけれど、夜中にはっと目が覚めて、その時、頭に浮かんだのはなぜか「抒情」という言葉で、よくよく考えてみたら自分は抒情の意味をよくわかってないのではないか、と深夜のベッドの上で心配になり、PCを立ち上げて少し確認したら、ますますわからなくなり、しかし眠いし、それで一旦、昨日の文章を非公開に処理して、また寝たという次第。もちろん少し恥ずかしい気持ちとともに。しかし「抒情」の意味はけっこう難しくて、これを書いている今でも明確にわからない。言葉の意味が広くて深いのがその原因であるかと。

通常、抒情(叙情)の意味とは「自分の感情を述べ表すこと」であるらしい。すると自分の感情を詩に書き表している中野重治は抒情詩人ということになり、上に書いた私の文章における中野が抒情を拒否したという箇所はまったくの私の勘違いであったことになる。

昨日までの私の抒情や抒情的などの意味の認識はというと、赤とんぼや故郷などの童謡を抒情歌と呼ぶが、私はその雰囲気を抒情、抒情的だと思っていた。間違いではない。そして童謡ではなく、クラッシック音楽などにも抒情的というニュアンスがあり、それは哀愁や切なさを含んだ物悲しいのにどこか心地よい曲調を指す場合が多いと思う。

しかし、それが詩についての抒情ということになると少し変わってくるらしく、自分の感情を込めることを抒情とするなら、やはり中野重治は抒情詩作家であるといえる。ところがいくつかの中野についての文章を読むと、やはり中野重治は初期は抒情詩を書いていたが、共産党員になった頃に抒情に決別した、というような見解もあったり、いや中野は「新しい抒情」を生み出した抒情詩作家である、という人もあり、私は悩むところである。

この「新しい抒情」という考え方がおそらく詩の業界にはあるらしく、私は業界人ではないから知らなかったが、つまり、要するに「抒情」の意味も時代とともに変わっているようなのだ。

私としては抒情はあくまでもその言葉が嬉しくとも悲しくともある種の心地よさを持っていたいと思うので、デブ助云々に抒情であるとしたくはないが、まあ学識としての判断に準じたい。それに詩というものをカテゴライズするところから困難であるとしかいえなくもない。

この追記で何を言いたかったかというと、まずは私の認識不足。そして抒情という言葉の捉え方が業界によって違っているということ。そして「新しい抒情」というような複雑さがあるということ。です。だから上の文章は消さないが、当たっているかもしれないし、まるで見当違いなのかもしれないので、ご理解ください。他にもいろいろ不足蛇足があると思います。以上。

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20201116 壷井繁治(つぼいしげぢ)の詩の抜粋と少し感想

2020-11-16 14:52:11 | 本の要約や感想

20201116


  ひとりでいると
  なんの奇蹟も起こらず
  夜は更けて行く



  ━━壷井繁治「動かぬ夜」より抜粋━━

昭和29年発行「昭和詩集」(角川書店)より


壷井繁治Wikipediaリンク



いつものことであるが、私はこの壷井繁治さんを、この本を読むまでまったく知らなかった。壷井という名前ですぐに思い出すのは「24の瞳」の壺井栄さんであるが、まあ関係ないだろうと思ったら、お二人はご夫婦でありました。小豆島出身の二人が東京で出逢い(遠縁らしいので再会、もしくは紹介?)結婚に至ったというようなことらしいです。若き日は世田谷の三宿に住み、晩年を中野の鷺宮(若宮)で過ごしたということです。私は中野若宮なら知らない道はないというくらいによく知っています。道が狭い。西武信金がある。その向かいには果物屋。線路と川があって車ではややこしい。とか。でもいいところです。

さて作品の紹介ですが、この本には彼の20篇ほどの詩が載せられていて、その中から私が良いと思った箇所を脈絡を考えずに抜粋します。行にいちいち題名とかを書くのは面倒だし、かえって複雑になるので、ここでは単純に並べます。繰り返しますが、下の抜粋はひとつの詩ではありません。いくつかの詩からの抜粋を並べたものです。



  星と枯草が話していた

  蟻を殺したが
  悲鳴すら聞こえなかった

  死者たちもたちあがつて抗議する
  生き残った者のなかに生きる死者の存在

  僕が物言わぬからといつて
  壁とまちがえるな

  目を覚ますと、僕は喪章で飾られていた

  風の中の乞食 



プロレタリア詩人ということらしいですが、私はけっこう好きです。
暗い表現が多く、全部を真剣に読むと疲れますが、ある部分に光のような言葉があり、その印象と風景に心が誘われます。

E V O L U C I O




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20201109 佐藤春夫 盡日吟より抜粋と感想

2020-11-09 19:31:33 | 本の要約や感想

20201109

佐藤春夫Wikipediaリンク

佐藤春夫といえば「秋刀魚の歌」が有名で、
さんま苦いか塩つぱいか。のアレである。
そしてやはり世に知られているのは、
谷崎潤一郎から妻を譲渡された件だろう。
秋刀魚の歌もさんまを歌ったわけではなく、その譲渡される前の谷崎の妻を想った詩であるらしい。

「譲渡事件」と呼ばれる件も、だいたい当時のマスコミが醜聞のように書き立てて勝手に騒いだだけで、
本人たちにとっては納得と理解の中で円満に、まあ円満かどうかはわからないが、粛々と進められた話ではないだろうか。

この「昭和詩集」に載せられた「盡日吟」(じんじつぎん?)という佐藤春夫の少し長い詩を私は今日初めて理解しよう思いながら読んだが、結局何が書いてあるのかわからなかった。しかし最後の2行に、



 ああ感情を整理せよ
 むなしく夢を追う勿れ




盡日吟 拙書「捨てた花」に題する狂騒曲 より抜粋  

昭和29年 昭和詩集 角川書店発行


とあり、これは佐藤春夫の親身の言葉だろう。

「一日中歌う」というような意味の「盡日吟」と、形式にとらわれない「狂騒曲」という言葉から、心を浮遊させ思うままに詩を書いたであろうことはわかり、しかしその最後に、はっと我に返って、もしくは数日経ってから少し冷静になって、いつか読む誰かのために、締めの言葉としてこの2行を添えたのではないだろうか。

彼の小説「田園の憂鬱」は、都会から田舎へと犬や猫とともに移り住んだ男が次第に狂ってゆく姿を田園の自然と薔薇に重ねて書いたものらしいが、私は読んだことがない。まあ読む気もないかな。この盡日吟と同じように、その小説のどこかにきっと親身な言葉があるのだろうけれど、それを探す時間はもうないのだから。

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20201031 一穂せんせい

2020-10-31 23:41:38 | 本の要約や感想



絵がヘタじゃの。

E V O L U C I O

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20201030 吉田一穂の詩について。個人的な感想。

2020-10-30 18:15:50 | 本の要約や感想

20201030


 私は、終夜、遠方に、
 静かな妹を見送る。


吉田一穂の詩「雪」より抜粋

(昭和29年 角川書店発行 昭和詩集から)



私はこの吉田一穂(よしだいっすい)という詩人を知らなかった。
数篇の作品を読んだ感想を書くと、これは良い悪いの評価ではなく私が好きか嫌いかで言うのだが、あまり好きな感じではない。

難しい言葉を探してきて使っているように思えるのと、距離と書いてディスタンス、最弱音と書いてピアニシモと読ませたりと、当時では画期的だったのかもしれないが、その方法が多用されていて、どうもしっくりこない。そのこともあり、また全体の印象としてなんとなく外国の詩集を和訳で読んでいるような感じがするのだ。もちろんこれらすべては私の読み込みと理解の不足だろう。さらっと読んだだけなので。

そのいくつかの彼の詩の中で「雪」という七行の短い作品があり、最後の二行がこのページの冒頭にある抜粋である。私は読んだ彼の作品の中でこの二行に一番心が惹かれた。

厳しい冬、雪に閉ざされた北国の夜、夜通しの道のりを誰かが妹を遠くまで送って行く。その「静かな妹」が生きているのか亡骸なのか七行では判断がつかないが、飾りのない言葉であり、手を伸ばせばそこに妹の身体を感じさせる確かな手応えがある。

とはいえ、私は少し天の邪鬼なので、選び抜かれた言葉を連ねた他の詩に比べて素朴なこの言葉に惹かれたのかもしれない。卑近な例えを書くと、フランス料理を食べて帰宅をし、茶漬けを食べたら感動した。というようなことかもしれない。だから批評はしない。感想であります。

ところが、このページを書くのに何度も読んでいたら、けっこういいな、とも思い始め、もう一篇から抜粋を紹介しておこうか。けっこうというのも失礼か。

それから、一穂先生の似顔絵を描いたからここに貼ろうと思ったのだが、どうせ私の絵です、真面目な先生に怒られそうなので、まあ2,3日してから貼ろうかと、本日は貼りません。


       「死の馭者」から抜粋

 埋れた街々の夜を渉る幽かな鐘の乱打が、
 悶え噎び遠く吹雪の葬列に送られてゆく。




E V O L U C I O



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20201028 原民喜の詩「感涙」の感想を少し。

2020-10-28 21:30:21 | 本の要約や感想


  感涙

 まねごとの祈り終にまことと化するまで、
 つみかさなる苦悩にむかひ合掌する。
 指の間をもれてゆくかすかなるものよ、
 少年の日にも涙ぐみしを。

 おんみによつて鍛へ上げられん、
 はてのはてまで射ぬき射とめん、
 両頬をつたふ涙 水晶となり
 ものみな消え去り あらはなるまで。




原民喜(はらたみき)wiki

━━以下私の感想━━

この詩人、原民喜について私はよく知らないわけだが、どうやら広島の原爆の被爆者であるとのこと。

彼の詩は、死の予感、匂い、そういったイメージがあるなどという程度ではなくて、死そのものや破滅悲惨などが書かれ、読むとむしろ作者を痛々しく思う。

彼がキリスト教徒であったかは定かではないのだが、早逝した姉の聖書を譲り受けたとあるから、この感涙という詩はキリスト教を念頭に置いたものであるだろう。

それにしても、キリスト教徒詩人の八木重吉もそうだが、なぜそんなに純粋になろうとするのだろうか。自分はもっと襤褸を着なければいけないのではないか、というように自らを苦難や試練に追い込んでいくのだ。

この詩でも最後の行にそのような希求を読み取れる。
厳しすぎないか、と私は思うが、しかしこの詩は好きです。
私はこんな心境にはなれはしないが、理解はできる。
そしてこの詩が言葉の遊びではないことを彼は身を以て証明したわけであるし。

爆心地から1.2kmの自宅で被爆をしたというのだから、当然彼は地獄を目の当たりにしたのだろう。地獄を見た人を私などが批評できるわけもなく。

E V O L U C I O 20201028

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20201027 野田宇太郎の詩 「夜の傷」からの抜粋

2020-10-27 21:13:36 | 本の要約や感想

 だが夜は気づかなかつた、
 それはすでに夜の傷口だつた、
 しづかだつた。


野田宇太郎の詩「夜の傷」から抜粋

野田宇太郎wikiリンク


━━以下説明と感想━━
この傷口というのは、老いて切り倒され横たわる樫の木の切り口である。
森の奥で夜の闇がその白さを隠すように忍び寄る。
やがて樫の木は闇に見えなくなり、
“傷口は木のそれから夜のものに変わった”
私の感想では、この“”内がこの詩の要であるだろう。

重ねて書くと、
切り倒された樫の木の太く白い切り口はまるで傷口のように見えたが、
夜がやってきて森が闇に覆われると樫の木も闇に溶けて、
白い切り口だけが闇に浮かび、それはいつしか夜の傷口に見えた。
だが夜はそのことに気づかなかった。

何かの暗喩であるようにも思えるし、
しづかだった。という最後の一行に読めるように作者はただそこにあるがままを書き記したようにも思える。
私はふとニーチェのこの言葉を思い出した。
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

E V O L U C I O  20201027


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偶然の音楽/ポール・オースター(柴田元幸訳)/p15 感想その12「石の重さとベケットの名前」

2018-03-10 21:06:53 | 本の要約や感想
偶然の音楽/ポール・オースター(柴田元幸訳)/p15 感想その12「原文・石の重さとベケットの名前」

<偶然の音楽の要約と感想最初から>リンク

参照「石のリアリティ」


先日、一応の結論を書いたが、核心にはきっとほど遠いなという感は否めない。

さて、英文の原作を注文したらすぐに届いたので、早速、あの石の重量の部分を確認してみた。

'They weigh somewhere between sixty and seventy pounds'
Murks said.'Just enough to make you feel each one.'(108p)


「一つ25キロから30キロある」とマークスは言った。
「ちょうど1キロ1キロが実感できる重さだ」(177p.178p) 柴田元幸訳


1ポンドは約0.453キロであるから、60ポンドは約27キロ。70ポンドは約31キロ、になる。

すると訳はとくに間違ってはいないことが証明された。

それでは作る壁のサイズはどうだろう。


'Two thousand feet long and twenty feet high-ten rows of a thousand stones each.(106p)


「長さ600メートルで高さ6メートル、一段につき千個の石が十段。……」(174p) 柴田元幸訳


これも間違ったところは何もない。

そうすると、以前にも書いたが、
30キロの人が持てるほどの小さな石を十段積んでも、
どう考えても6メートルの高さにはならないのに、小説では「なる」と考えられている。

だからリアリティがかなり薄い。

私はこの部分に作者のどんな意図があるのか、今のところ明らかにはできない。

そして今回もう一つの問題というか衝撃。
英文の原作が届いて、裏表紙を見てあっと思ったこと。それは、

「ボール・オースターはこのブリリアントで不安定な寓話にサミュエル・ベケットとグリム兄弟を溶かし込んでいる」

と書いてあったのだ。

グリムはまだしも、ベケットは不条理劇作家じゃないか。

不条理━━事柄の筋道が立たないこと。

日頃、不条理な夢の記述をさんざんしておきながら、
私にはこの不条理の物語というものを明確に理解する読解力なんて、
はっきり言って、ない。

しかし読んで初めて感じた抽象画的な感覚はけっして遠くはなかったな。

それにしても、
超絶悲観論者で鬱病のベケットはたしかあのカフカが好きだったような気がする。

フランツ・カフカ。有名なのは「変身」だったか。

若い時にカフカをそれだけ読んだ記憶はあるが、まったく理解できなかった記憶もある。

なんだったか。目が覚めると虫になってたんだっけ? それしか憶えていない。

虫、苦手だからなあ。

そうか。ポール・オースターを調べてみればいいのか。

……Wikipediaで読んでみると、やはりベケットやカフカに影響を受けていると書いてある。

この「偶然の音楽」これ一冊だけで考えようと思っていたから、
調べるのは少し自分的にルール違反である気がするが、まあ仕方がない。
何にも道標は必要だ。

不条理。ベケット。カフカ。そしてグリム。

やっかいこの上ない。

ところで寓話ということは、つまり、寓意があるということになるわけか。

つづく。

偶然の音楽/The Music of Chance/1990/柴田元幸訳/新潮文庫
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