小泉八雲の「門付け」というエッセイを読み、感性の深さに泣いた。
山本周五郎の短編(長屋天一坊)を読み、おわきという女性の豪傑さに笑った。
E V O L U C I O
20201201
昨日、ひとつ前のページの文章を書いて公開にしたのだけれど、夜中にはっと目が覚めて、その時、頭に浮かんだのはなぜか「抒情」という言葉で、よくよく考えてみたら自分は抒情の意味をよくわかってないのではないか、と深夜のベッドの上で心配になり、PCを立ち上げて少し確認したら、ますますわからなくなり、しかし眠いし、それで一旦、昨日の文章を非公開に処理して、また寝たという次第。もちろん少し恥ずかしい気持ちとともに。しかし「抒情」の意味はけっこう難しくて、これを書いている今でも明確にわからない。言葉の意味が広くて深いのがその原因であるかと。
通常、抒情(叙情)の意味とは「自分の感情を述べ表すこと」であるらしい。すると自分の感情を詩に書き表している中野重治は抒情詩人ということになり、昨日書いた私の文章における中野が抒情を拒否したという箇所はまったくの私の勘違いであったことになる。
昨日までの私の抒情や抒情的などの意味の認識はというと、赤とんぼや故郷などの童謡を抒情歌と呼ぶが、私はその雰囲気を抒情、抒情的だと思っていた。間違いではない。そして童謡ではなく、クラッシック音楽などにも抒情的というニュアンスがあり、それは哀愁や切なさを含んだ物悲しいのにどこか心地よい曲調を指す場合が多いと思う。
しかし、それが詩についての抒情ということになると少し変わってくるらしく、自分の感情を込めることを抒情とするなら、やはり中野重治は抒情詩作家であるといえる。ところがいくつかの中野についての文章を読むと、やはり中野重治は初期は抒情詩を書いていたが、共産党員になった頃に抒情に決別した、というような見解もあったり、いや中野は「新しい抒情」を生み出した抒情詩作家である、という人もあり、私は悩むところである。
この「新しい抒情」という考え方がおそらく詩の業界にはあるらしく、私は業界人ではないから知らなかったが、つまり、要するに「抒情」の意味も時代とともに変わっているようなのだ。
私としては抒情はあくまでもその言葉が嬉しくとも悲しくともある種の心地よさを持っていたいと思うので、デブ助云々に抒情であるとしたくはないが、まあ学識としての判断に準じたい。それに詩というものをカテゴライズするところから困難であるとしかいえなくもない。
この追記で何を言いたかったかというと、まずは私の認識不足。そして抒情という言葉の捉え方が業界によって違っているということ。そして「新しい抒情」というような複雑さがあるということ。です。だから昨日の文章は消さないが、当たっているかもしれないし、まるで見当違いなのかもしれないので、ご理解ください。以上。
20201130
ここは西洋だ
イヌが英語をつかう
中野重治 「帝国ホテル」より抜粋 昭和29年 昭和詩集 角川書店発行
詩人中野重治という名前はけっこうな重さを持っていると思うが、私は彼の作品を読むのはこの本でが初めてである。
中野重治Wikipediaリンク
名前だけは知っていた。なんとなく抒情詩作家であるような気がしていた。しかし真逆でした。共産党員のプロレタリア詩人で、冒頭に貼った抜粋のようにかなり挑発的で辛辣で、抒情の欠片もないというか、抒情は拒否だという気概があり、しかしそれは抒情を理解しないということではなく、自分は抒情を行かず、人が目を背けるような場所を歩こうと決めていたようだ。まあ私は彼のいくつかの詩を読んだだけなので、その後変わったの変わらなかったのか、わからないが、Wikipediaを読むと「死ぬまで左翼」といった様子である。とはいえ現代の共産党とは違い、理想を追いかけた当時の謂わば良い左翼であり、それは作品に顕れている。人に嘘があれば詩は書けない。そこに嘘があるかないかわかる人にはわかる。ただし嘘といっても日常の金の無心につく嘘などではなく、自分が紙の上に吐く言葉に嘘があるかどうかである。
冒頭の抜粋は題名通りに帝国ホテルのことを書いていて、暗喩ではなく明確明瞭に揶揄している詩なのだが、なかなかキビシイですね。つづきを少し貼りましょう。
それからここは安酒場だ
デブ助が酔つぱらつている
それからここは安淫売屋だ
女が裸で歩く
イヌとはおそらくホテルの従業員だろう。デブ助は外国人かもしれない。女はそういった商売の人だろう。(補記。そういった商売の人ではなくて、露出の多いドレスのご婦人を指しているのかもしれない) 安淫売屋が悪いというのではなく、お高く気取っているけど安淫売屋じゃねーか、という感情を読み取れるが、ホテルはその大小にかかわらず今も昔もそういった側面は少なくないので、中野さんの気持ちはわかる。いかにも共産党員らしい視線での作品で、いわゆるブルジョアを毛嫌いしているといった気持ちが露骨に表れていて、しかもそれが直球で表現されているところが私にとって好ましく面白い。デブ助などという言葉を他の詩に見たことがない。
もちろんデブ助も比喩だとも考えられ、単にホテルに来るたとえば大柄の外国人を指すのではなく、日本という国の上に何かのよからぬ手段で立ち、まだまだ貧しい地方の生活など顧みず、戦後の混乱に焼け太る誰かの姿を指しているのかもしれない。(訂正。帝国ホテルという詩は昭和三年以前に書かれたようなので、戦後という理解は当たらない)
最後にもう一つ、彼の思考の根底がよくわかる詩の抜粋を貼っておこう。中野さんはどうも汽車とか機関車が好きなようだ。
きかん車
きかん車
まじめな
金で出来たきかん車
━━以下追記━━12/1
昨日、上の文章を書いて公開にしたのだけれど、夜中にはっと目が覚めて、その時、頭に浮かんだのはなぜか「抒情」という言葉で、よくよく考えてみたら自分は抒情の意味をよくわかってないのではないか、と深夜のベッドの上で心配になり、PCを立ち上げて少し確認したら、ますますわからなくなり、しかし眠いし、それで一旦、昨日の文章を非公開に処理して、また寝たという次第。もちろん少し恥ずかしい気持ちとともに。しかし「抒情」の意味はけっこう難しくて、これを書いている今でも明確にわからない。言葉の意味が広くて深いのがその原因であるかと。
通常、抒情(叙情)の意味とは「自分の感情を述べ表すこと」であるらしい。すると自分の感情を詩に書き表している中野重治は抒情詩人ということになり、上に書いた私の文章における中野が抒情を拒否したという箇所はまったくの私の勘違いであったことになる。
昨日までの私の抒情や抒情的などの意味の認識はというと、赤とんぼや故郷などの童謡を抒情歌と呼ぶが、私はその雰囲気を抒情、抒情的だと思っていた。間違いではない。そして童謡ではなく、クラッシック音楽などにも抒情的というニュアンスがあり、それは哀愁や切なさを含んだ物悲しいのにどこか心地よい曲調を指す場合が多いと思う。
しかし、それが詩についての抒情ということになると少し変わってくるらしく、自分の感情を込めることを抒情とするなら、やはり中野重治は抒情詩作家であるといえる。ところがいくつかの中野についての文章を読むと、やはり中野重治は初期は抒情詩を書いていたが、共産党員になった頃に抒情に決別した、というような見解もあったり、いや中野は「新しい抒情」を生み出した抒情詩作家である、という人もあり、私は悩むところである。
この「新しい抒情」という考え方がおそらく詩の業界にはあるらしく、私は業界人ではないから知らなかったが、つまり、要するに「抒情」の意味も時代とともに変わっているようなのだ。
私としては抒情はあくまでもその言葉が嬉しくとも悲しくともある種の心地よさを持っていたいと思うので、デブ助云々に抒情であるとしたくはないが、まあ学識としての判断に準じたい。それに詩というものをカテゴライズするところから困難であるとしかいえなくもない。
この追記で何を言いたかったかというと、まずは私の認識不足。そして抒情という言葉の捉え方が業界によって違っているということ。そして「新しい抒情」というような複雑さがあるということ。です。だから上の文章は消さないが、当たっているかもしれないし、まるで見当違いなのかもしれないので、ご理解ください。他にもいろいろ不足蛇足があると思います。以上。
20201116
ひとりでいると
なんの奇蹟も起こらず
夜は更けて行く
━━壷井繁治「動かぬ夜」より抜粋━━
昭和29年発行「昭和詩集」(角川書店)より
壷井繁治Wikipediaリンク
いつものことであるが、私はこの壷井繁治さんを、この本を読むまでまったく知らなかった。壷井という名前ですぐに思い出すのは「24の瞳」の壺井栄さんであるが、まあ関係ないだろうと思ったら、お二人はご夫婦でありました。小豆島出身の二人が東京で出逢い(遠縁らしいので再会、もしくは紹介?)結婚に至ったというようなことらしいです。若き日は世田谷の三宿に住み、晩年を中野の鷺宮(若宮)で過ごしたということです。私は中野若宮なら知らない道はないというくらいによく知っています。道が狭い。西武信金がある。その向かいには果物屋。線路と川があって車ではややこしい。とか。でもいいところです。
さて作品の紹介ですが、この本には彼の20篇ほどの詩が載せられていて、その中から私が良いと思った箇所を脈絡を考えずに抜粋します。行にいちいち題名とかを書くのは面倒だし、かえって複雑になるので、ここでは単純に並べます。繰り返しますが、下の抜粋はひとつの詩ではありません。いくつかの詩からの抜粋を並べたものです。
星と枯草が話していた
蟻を殺したが
悲鳴すら聞こえなかった
死者たちもたちあがつて抗議する
生き残った者のなかに生きる死者の存在
僕が物言わぬからといつて
壁とまちがえるな
目を覚ますと、僕は喪章で飾られていた
風の中の乞食
プロレタリア詩人ということらしいですが、私はけっこう好きです。
暗い表現が多く、全部を真剣に読むと疲れますが、ある部分に光のような言葉があり、その印象と風景に心が誘われます。
E V O L U C I O
20201109
佐藤春夫Wikipediaリンク
佐藤春夫といえば「秋刀魚の歌」が有名で、
さんま苦いか塩つぱいか。のアレである。
そしてやはり世に知られているのは、
谷崎潤一郎から妻を譲渡された件だろう。
秋刀魚の歌もさんまを歌ったわけではなく、その譲渡される前の谷崎の妻を想った詩であるらしい。
「譲渡事件」と呼ばれる件も、だいたい当時のマスコミが醜聞のように書き立てて勝手に騒いだだけで、
本人たちにとっては納得と理解の中で円満に、まあ円満かどうかはわからないが、粛々と進められた話ではないだろうか。
この「昭和詩集」に載せられた「盡日吟」(じんじつぎん?)という佐藤春夫の少し長い詩を私は今日初めて理解しよう思いながら読んだが、結局何が書いてあるのかわからなかった。しかし最後の2行に、
ああ感情を整理せよ
むなしく夢を追う勿れ
盡日吟 拙書「捨てた花」に題する狂騒曲 より抜粋
昭和29年 昭和詩集 角川書店発行
とあり、これは佐藤春夫の親身の言葉だろう。
「一日中歌う」というような意味の「盡日吟」と、形式にとらわれない「狂騒曲」という言葉から、心を浮遊させ思うままに詩を書いたであろうことはわかり、しかしその最後に、はっと我に返って、もしくは数日経ってから少し冷静になって、いつか読む誰かのために、締めの言葉としてこの2行を添えたのではないだろうか。
彼の小説「田園の憂鬱」は、都会から田舎へと犬や猫とともに移り住んだ男が次第に狂ってゆく姿を田園の自然と薔薇に重ねて書いたものらしいが、私は読んだことがない。まあ読む気もないかな。この盡日吟と同じように、その小説のどこかにきっと親身な言葉があるのだろうけれど、それを探す時間はもうないのだから。
20201030
私は、終夜、遠方に、
静かな妹を見送る。
吉田一穂の詩「雪」より抜粋
(昭和29年 角川書店発行 昭和詩集から)
私はこの吉田一穂(よしだいっすい)という詩人を知らなかった。
数篇の作品を読んだ感想を書くと、これは良い悪いの評価ではなく私が好きか嫌いかで言うのだが、あまり好きな感じではない。
難しい言葉を探してきて使っているように思えるのと、距離と書いてディスタンス、最弱音と書いてピアニシモと読ませたりと、当時では画期的だったのかもしれないが、その方法が多用されていて、どうもしっくりこない。そのこともあり、また全体の印象としてなんとなく外国の詩集を和訳で読んでいるような感じがするのだ。もちろんこれらすべては私の読み込みと理解の不足だろう。さらっと読んだだけなので。
そのいくつかの彼の詩の中で「雪」という七行の短い作品があり、最後の二行がこのページの冒頭にある抜粋である。私は読んだ彼の作品の中でこの二行に一番心が惹かれた。
厳しい冬、雪に閉ざされた北国の夜、夜通しの道のりを誰かが妹を遠くまで送って行く。その「静かな妹」が生きているのか亡骸なのか七行では判断がつかないが、飾りのない言葉であり、手を伸ばせばそこに妹の身体を感じさせる確かな手応えがある。
とはいえ、私は少し天の邪鬼なので、選び抜かれた言葉を連ねた他の詩に比べて素朴なこの言葉に惹かれたのかもしれない。卑近な例えを書くと、フランス料理を食べて帰宅をし、茶漬けを食べたら感動した。というようなことかもしれない。だから批評はしない。感想であります。
ところが、このページを書くのに何度も読んでいたら、けっこういいな、とも思い始め、もう一篇から抜粋を紹介しておこうか。けっこうというのも失礼か。
それから、一穂先生の似顔絵を描いたからここに貼ろうと思ったのだが、どうせ私の絵です、真面目な先生に怒られそうなので、まあ2,3日してから貼ろうかと、本日は貼りません。
「死の馭者」から抜粋
埋れた街々の夜を渉る幽かな鐘の乱打が、
悶え噎び遠く吹雪の葬列に送られてゆく。
E V O L U C I O
感涙
まねごとの祈り終にまことと化するまで、
つみかさなる苦悩にむかひ合掌する。
指の間をもれてゆくかすかなるものよ、
少年の日にも涙ぐみしを。
おんみによつて鍛へ上げられん、
はてのはてまで射ぬき射とめん、
両頬をつたふ涙 水晶となり
ものみな消え去り あらはなるまで。
原民喜(はらたみき)wiki
━━以下私の感想━━
この詩人、原民喜について私はよく知らないわけだが、どうやら広島の原爆の被爆者であるとのこと。
彼の詩は、死の予感、匂い、そういったイメージがあるなどという程度ではなくて、死そのものや破滅悲惨などが書かれ、読むとむしろ作者を痛々しく思う。
彼がキリスト教徒であったかは定かではないのだが、早逝した姉の聖書を譲り受けたとあるから、この感涙という詩はキリスト教を念頭に置いたものであるだろう。
それにしても、キリスト教徒詩人の八木重吉もそうだが、なぜそんなに純粋になろうとするのだろうか。自分はもっと襤褸を着なければいけないのではないか、というように自らを苦難や試練に追い込んでいくのだ。
この詩でも最後の行にそのような希求を読み取れる。
厳しすぎないか、と私は思うが、しかしこの詩は好きです。
私はこんな心境にはなれはしないが、理解はできる。
そしてこの詩が言葉の遊びではないことを彼は身を以て証明したわけであるし。
爆心地から1.2kmの自宅で被爆をしたというのだから、当然彼は地獄を目の当たりにしたのだろう。地獄を見た人を私などが批評できるわけもなく。
E V O L U C I O 20201028
だが夜は気づかなかつた、
それはすでに夜の傷口だつた、
しづかだつた。
野田宇太郎の詩「夜の傷」から抜粋
野田宇太郎wikiリンク
━━以下説明と感想━━
この傷口というのは、老いて切り倒され横たわる樫の木の切り口である。
森の奥で夜の闇がその白さを隠すように忍び寄る。
やがて樫の木は闇に見えなくなり、
“傷口は木のそれから夜のものに変わった”
私の感想では、この“”内がこの詩の要であるだろう。
重ねて書くと、
切り倒された樫の木の太く白い切り口はまるで傷口のように見えたが、
夜がやってきて森が闇に覆われると樫の木も闇に溶けて、
白い切り口だけが闇に浮かび、それはいつしか夜の傷口に見えた。
だが夜はそのことに気づかなかった。
何かの暗喩であるようにも思えるし、
しづかだった。という最後の一行に読めるように作者はただそこにあるがままを書き記したようにも思える。
私はふとニーチェのこの言葉を思い出した。
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
E V O L U C I O 20201027