20230930
もう月末だというのに、二晩続けて二つの短編小説を読んでしまった。
林芙美子の「晩菊」と「帯広まで」である。
私は林芙美子を読むのは初めてで、もちろん彼女の代表作は「放浪記」だが、これは少し長編なのでまだ読む気にはなれない。しかも三部作らしいので、読み始めたら他の大事なことは一切頭から消え、コンプリートを目指してしまいかねないことが恐ろしい。さらに変な勢いがつくと他に読みたい本がいくらでも積んであるため、また読書廃人になってしまうかもしれない。だから、ここで「放浪記」を読まないという選択は自分にとって賢いのだが、本当は読みたい。
毎年、神無月の足音を聞くとなぜかそんなことばかりをやっている。秋になると無性に本が読みたくなったり映画を観たくなったりする。要するに年末繁忙期を迎えるにあたり、そのストレスに耐えかねて私は現実逃避をしようとするのではないか。
10年くらい前のことだが、忙しい10月に入ってから、ドラマ「おしん」300回全部を観たこともある。
いや今そんなことを書こうとしていたわけではない。読書の簡単な感想である。
「晩菊」と「帯広まで」はまったく異なる設定の小説だが、話の核心が少し似ている。
「晩菊」は、50半ばのすでに隠居生活の、かつては絵葉書にもなったという美人元小町が主人公。玄人筋だったその女の独り身の家へ電話がかかってくるところから話が始まる。これは戦後すぐの話である。
電話をかけてきたのはまだ20代後半ほどの男で元軍人。だから女と男は齢が30才近く離れている。もともと女の方が男に熱を上げていた間柄で、戦時中は男のいる広島まで会いに行き、親子ほどの齢の違いを超えて情交を重ねたりした。
ここが重要で、つまりこの元小町の女は当時の一般の女性に比べて並外れた美貌を50の齢でも保っていたわけである。美貌そこに女は自分の存在理由を賭けていた。
久しぶりに男からの電話を受けた女は準備に抜かりない。すぐに風呂へ行き、戻ると氷を顔に当てて肌を引き締め、地味だが金のかかった粋な着物を選んだ。ある意味ひとつの勝負がこれから始まるのだ。齢は離れているが、たとえ戦後の混乱期であってもやつれた様子は見せてはならないと決意をし、仕上げに酒を少しきゅっと飲んで目を潤ませれば支度は完成である。
数年ぶりに会う男が来た。女がわずかにでも期待したように、男は仕事に成功したからまた思い出して女に連絡をしてきたということではないらしい。どうやら風体に疲れが見える。酒を出して軽く世間話をする。ほろ酔いの頃、男は仕事の金が足りない。40万円貸してくれと言い出した。しかし女は慌てず騒がず。男は女の話す暮らしぶりや部屋の様子から、少しは貯めこんでいるだろうと検討をつけていた。しかし女の方が齢も年季も数枚上だから相手にならない。
しかし男には男の方法がある。今夜この女を殺してしまったらどうなるかと酔った頭で考えている。
女もそんな男の雰囲気を感じ取り、ここで男に疲れを見せてはならないと思った。女はさりげなく奥へ行き、ビタミン注射を自分の腕にぶすっと射つ。そしてヒロポンをくっと飲んで居間に戻ってきた。男は泊めてくれと言い出した。女は泊めるのは嫌だが、邪険にすれば何をするかわからない。まあいいわ、女は男に残った酒を全部飲ませてさんざん酔わせ、明日の朝早々に追い出してやれと思っている。だから私は今夜は眠れないのよ。早速ヒロポンの薬効で目が爛々と燃えている。ふふふ。夜は更けてゆく。
「帯広まで」
これは帯広という地名に、昔の帯広の様子がたっぷりと描かれているのでは、と私は誘われて読み始めたが、そうではなかった。ほとんどの舞台が東京で、最後に帯広に着くのだった。以下に粗筋を書くが、細かい部分は読んだばかりなのに忘れてしまっていて間違いもあるかもしれない。
「帯広まで」
まだ若い女(二十歳そこそこ)は浅草の踊り子。当時は映画はサイレント(無声。映像のみ)で、音楽隊と弁士が劇場にいた。女はいつの間にかその音楽隊にいたヴァイオリン弾きの男と結婚をして一緒に住み始める。
それから2,3年すると男の上司が突然死んでしまい、残されたその上司の妻を男が労わっているうちに関係性が微妙に変化し、それに感づいた元踊り子の女が男に「離婚したいならどうぞ」などと強気だが心にもない(当時はそんな女の意地みたいな気風があったのではないか)ことを言い、男は女に4拾円の手切れ金をやって離婚をした。女は男を思って毎日泣いた。
女は落ち着いた頃、また踊り子に復帰した。容姿が外国人に間違われるほど優れていたため、その他にも化粧品の販売員などをし暮らしていた。
そんなある時、化粧品の販売で帯広まで行かないかと誘われた。実は帯広には今、別れたあの男が住んでいることを知っていたから、女は遠く帯広まで行くことにした。
男が帯広になぜ住んでいるのかというと、死んだ上司の妻だった女がアイヌの女で、映画がそろそろサイレントからトーキー(フィルムに音と声が入った)に変わり始めたその頃(1935年前後ではないか)、東京などでは楽士の仕事がなくなり、再婚したアイヌの妻の故郷でならまだトーキーの設備はなく、楽士の仕事もあり、流れて落ち着いたのだった。
踊り子の女は数人の同僚の女たちと長旅のすえ帯広にようやく着き、次の日?から化粧品を道民に売りつけて、仕事が終わってから男の職場に電話をした。
男は待ち合わせの店にやってきた。女は久しぶりの再会に胸を弾ませて待っていたが、やってきた男がどうにもみすぼらしい。(笑) 私が忘れられなかったのはこんな男だっただろうか。そんなことを思いながら話しをしていると、男が家に来ないかと誘うのだった。自分から夫を横取りした女がいる家になど行きたくなかったが、男が何度も言うので、結局行くことになった……。ここまでで話の95パーセントくらい。残り5パーセントはなんということもないが、変な余韻が残る。
以上、二つの短編の粗筋みたいなものを書いたが、感想までは面倒になってしまった。それはまたの機会にと思う。さようなら。また明日。
E V O L U C I O