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20231026 追記あり

2023-10-26 18:38:00 | 本の要約や感想

玉川上水
太宰治が入水した場所。らしい。
当時はもっと深くて急だった。らしい。

以下追記。20231027

画像の場所に行ったのは少し前のこと。
行く。といっても近いからね。吉祥寺から上水沿いを少し上ったところにあった。小さく目立たないが石碑もあり、すぐにわかった。

なぜ行ったのかというと、「人間失格」を読んだからだった。私は初めて読んだ。どこで買ったのか憶えていないくらいずっと以前から手元にあったのに、今までなんとなく避けていた。ところがやはり以前このブログに私が太宰治と檀一雄の熱海の一件を面白がって書いていた時、太宰治のことを考える時間が増えて、それなら「人間失格」を読まないと理解も深まらないだろうと、ようやく手に取ったのだった。

「人間失格」は長編でもないからすぐに読み終えたが、全編にわたってまるで生気のない文章が夢遊病者の日記のように綴られていて痛々しかった。一度や二度読んだだけでその深い部分を理解できるものでもなく、だからここにもとくに書くことはないが、要するに私は「人間失格」を読んだ。考えた。よしそれなら近いし行ってみよう。それだけのことだった。

太宰治に花でもないだろうから、ポケットサイズのウイスキーを買って、入水地点ではなく、そこから少しだけ下った二人が引き上げられたらしい地点に流した。そこは井の頭公園が見える場所で、日曜日の昼過ぎだったから若い家族連れが多く賑やかだった。

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20230930 読書「林芙美子・残菊・帯広まで」

2023-09-30 17:44:00 | 本の要約や感想
20230930

もう月末だというのに、二晩続けて二つの短編小説を読んでしまった。
林芙美子の「晩菊」と「帯広まで」である。

私は林芙美子を読むのは初めてで、もちろん彼女の代表作は「放浪記」だが、これは少し長編なのでまだ読む気にはなれない。しかも三部作らしいので、読み始めたら他の大事なことは一切頭から消え、コンプリートを目指してしまいかねないことが恐ろしい。さらに変な勢いがつくと他に読みたい本がいくらでも積んであるため、また読書廃人になってしまうかもしれない。だから、ここで「放浪記」を読まないという選択は自分にとって賢いのだが、本当は読みたい。

毎年、神無月の足音を聞くとなぜかそんなことばかりをやっている。秋になると無性に本が読みたくなったり映画を観たくなったりする。要するに年末繁忙期を迎えるにあたり、そのストレスに耐えかねて私は現実逃避をしようとするのではないか。

10年くらい前のことだが、忙しい10月に入ってから、ドラマ「おしん」300回全部を観たこともある。

いや今そんなことを書こうとしていたわけではない。読書の簡単な感想である。

「晩菊」と「帯広まで」はまったく異なる設定の小説だが、話の核心が少し似ている。

「晩菊」は、50半ばのすでに隠居生活の、かつては絵葉書にもなったという美人元小町が主人公。玄人筋だったその女の独り身の家へ電話がかかってくるところから話が始まる。これは戦後すぐの話である。

電話をかけてきたのはまだ20代後半ほどの男で元軍人。だから女と男は齢が30才近く離れている。もともと女の方が男に熱を上げていた間柄で、戦時中は男のいる広島まで会いに行き、親子ほどの齢の違いを超えて情交を重ねたりした。

ここが重要で、つまりこの元小町の女は当時の一般の女性に比べて並外れた美貌を50の齢でも保っていたわけである。美貌そこに女は自分の存在理由を賭けていた。

久しぶりに男からの電話を受けた女は準備に抜かりない。すぐに風呂へ行き、戻ると氷を顔に当てて肌を引き締め、地味だが金のかかった粋な着物を選んだ。ある意味ひとつの勝負がこれから始まるのだ。齢は離れているが、たとえ戦後の混乱期であってもやつれた様子は見せてはならないと決意をし、仕上げに酒を少しきゅっと飲んで目を潤ませれば支度は完成である。

数年ぶりに会う男が来た。女がわずかにでも期待したように、男は仕事に成功したからまた思い出して女に連絡をしてきたということではないらしい。どうやら風体に疲れが見える。酒を出して軽く世間話をする。ほろ酔いの頃、男は仕事の金が足りない。40万円貸してくれと言い出した。しかし女は慌てず騒がず。男は女の話す暮らしぶりや部屋の様子から、少しは貯めこんでいるだろうと検討をつけていた。しかし女の方が齢も年季も数枚上だから相手にならない。

しかし男には男の方法がある。今夜この女を殺してしまったらどうなるかと酔った頭で考えている。

女もそんな男の雰囲気を感じ取り、ここで男に疲れを見せてはならないと思った。女はさりげなく奥へ行き、ビタミン注射を自分の腕にぶすっと射つ。そしてヒロポンをくっと飲んで居間に戻ってきた。男は泊めてくれと言い出した。女は泊めるのは嫌だが、邪険にすれば何をするかわからない。まあいいわ、女は男に残った酒を全部飲ませてさんざん酔わせ、明日の朝早々に追い出してやれと思っている。だから私は今夜は眠れないのよ。早速ヒロポンの薬効で目が爛々と燃えている。ふふふ。夜は更けてゆく。


「帯広まで」
これは帯広という地名に、昔の帯広の様子がたっぷりと描かれているのでは、と私は誘われて読み始めたが、そうではなかった。ほとんどの舞台が東京で、最後に帯広に着くのだった。以下に粗筋を書くが、細かい部分は読んだばかりなのに忘れてしまっていて間違いもあるかもしれない。

「帯広まで」
まだ若い女(二十歳そこそこ)は浅草の踊り子。当時は映画はサイレント(無声。映像のみ)で、音楽隊と弁士が劇場にいた。女はいつの間にかその音楽隊にいたヴァイオリン弾きの男と結婚をして一緒に住み始める。

それから2,3年すると男の上司が突然死んでしまい、残されたその上司の妻を男が労わっているうちに関係性が微妙に変化し、それに感づいた元踊り子の女が男に「離婚したいならどうぞ」などと強気だが心にもない(当時はそんな女の意地みたいな気風があったのではないか)ことを言い、男は女に4拾円の手切れ金をやって離婚をした。女は男を思って毎日泣いた。

女は落ち着いた頃、また踊り子に復帰した。容姿が外国人に間違われるほど優れていたため、その他にも化粧品の販売員などをし暮らしていた。

そんなある時、化粧品の販売で帯広まで行かないかと誘われた。実は帯広には今、別れたあの男が住んでいることを知っていたから、女は遠く帯広まで行くことにした。

男が帯広になぜ住んでいるのかというと、死んだ上司の妻だった女がアイヌの女で、映画がそろそろサイレントからトーキー(フィルムに音と声が入った)に変わり始めたその頃(1935年前後ではないか)、東京などでは楽士の仕事がなくなり、再婚したアイヌの妻の故郷でならまだトーキーの設備はなく、楽士の仕事もあり、流れて落ち着いたのだった。

踊り子の女は数人の同僚の女たちと長旅のすえ帯広にようやく着き、次の日?から化粧品を道民に売りつけて、仕事が終わってから男の職場に電話をした。

男は待ち合わせの店にやってきた。女は久しぶりの再会に胸を弾ませて待っていたが、やってきた男がどうにもみすぼらしい。(笑) 私が忘れられなかったのはこんな男だっただろうか。そんなことを思いながら話しをしていると、男が家に来ないかと誘うのだった。自分から夫を横取りした女がいる家になど行きたくなかったが、男が何度も言うので、結局行くことになった……。ここまでで話の95パーセントくらい。残り5パーセントはなんということもないが、変な余韻が残る。

以上、二つの短編の粗筋みたいなものを書いたが、感想までは面倒になってしまった。それはまたの機会にと思う。さようなら。また明日。

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20230820 何もございません。

2023-08-20 17:50:27 | 本の要約や感想
20230812(以下の文章を書いた日付)

先日、小説「丹下左膳」(林不忘)を読んでいるとここに書いたが、それを読了しないうちに吉川英治の「平の将門」を読み始め、今朝方読み終わった。

平将門というと日本三大怨霊のひとりに数えられ、神田明神や大手町の首塚で有名だが、私はそれほど詳しくはなかったので、一度彼の略歴をざっと頭に入れておきたいと思っていた矢先、その小説仕立てが見つかったから読んでみた次第。

平将門は西暦900年ごろに今の千葉北部に生まれた。
桓武天皇の血筋で、父は土地の豪族。
将門は若い時には相馬小次郎と呼ばれた。
15歳くらいの時に上洛(京都)し働いたが、
あまり出世の道が見えず、30歳になる前に国に帰る。

帰ってみると故郷(下総。千葉北部にあった)はすっかり没落していた。
父の代で築いた広大な領地や馬や財産のほとんどを
叔父たちに騙し取られていた。
それから数年は死に物狂いで働き、武力を蓄えた。

自分の嫁とりなどの諍いも重なり、
常陸、今の茨城の豪族や叔父たちとの恨み骨髄の戦いが始まる。
将門はこの小説では領地の民から人気があったため、
戦いでは多くの民が将門側に立ち、最初は圧勝。
妻子もでき、幸福な日々。
しかしそれも続かず、また戦い。
ついに妻子を殺され、将門怒髪冠を衝く。

当時の都(京都)の不安定さや、
四国地方で起こった度々の乱などもあり、
それらの影響で関東地方も安定しなかった。

小説では、
四国で乱を起こしている勢力と、
将門の関東の勢力が同時に京都に攻め込むことを
画策している将門の側近も登場する。

関東と京都を行き来する敵側の謀略によって、
朝廷にとって将門は
関東にある朝廷の領地を荒らす謀反人である
という認識が出来つつあり、
都の軍隊をいつ将門征伐に向けるか時間の問題であった。

一方将門側では、
いっそ将門が関東(八州だか十州)を一つにまとめれば、
都もそう易々と手は出せないだろうという意見が出始める。

そのうち将門は(小説では)新天皇であると担ぎ上げられてしまい、
正統な血筋でもあったため、逆に都の真の脅威朝敵となり、
勅令を受けた軍勢が征伐にやってくる。
将門はよく戦ったが、
飛んできた矢が頭に刺さって絶命。38歳くらい。

といった平将門の略歴でした。
あくまでも小説でのことです。
詳しくは調べてください。吉川英治「平の将門」

この小説で将門は、
田舎生まれの、のんびりとした性格。
純粋愚直で人を騙すことを知らず、だからすぐに騙される。
畑仕事を厭わず、馬にでも乗っていれば幸せ。
領地の民を大事にし、情けもあり、
敵の妻や妾を部下が捕らえてきても放してやったりする。
ただしひと度怒れば鬼神のように恐ろしく強い。
だから読んでいると、
あぁまた騙された、とか、
そこで気を抜かないで、などと思うことしきり。

矢が刺さって死んでから、首は京都に送られて、
さらし首になったが、首は夜な夜な喋って笑い、
そのうち身体を探して首が飛んでゆき、
関東に落ちたところが……。
というような怨霊伝説は小説になかったので、
ここでは言及しません。

大手町の首塚。
私も去年に手を合わせに行ったが、
あそこは呪われることも覚悟で行きなさいとのこと。
改築してきれいになっていたが、
以前の方がそれらしかった。
まあ首のご本人がどう思っているか知らないが。

成田空港。
おそらくあの空港も1000年以上前には、
将門の領地だったのではないかと今ふと思った。
あんなところに空港はいらなかった
という意見は多いが、私も賛成で、
結局利権のための空港建設だったのだ。
「あんなところ」にはかつて御料牧場 があり、
私も行ったことがあるが、それはもう天国のような場所だった。

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20230818 ──岡しのぶ / もし君と結ばれなければ──より

2023-08-18 17:38:05 | 本の要約や感想
20230818



あの夏に君とよく来た喫茶店とりこわされるを見る夕暮れの




     ──岡しのぶ / もし君と結ばれなければ──より


        (ネスコ発行 / 1996文芸春秋発売)




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20230815 未明の未明

2023-08-15 16:17:49 | 本の要約や感想
20230815

昨夜寝つきが悪く、よしそれなら石原寛治の「最終戦争論」でも読んでやろうと読み始めましたが、長すぎて早々に断念し、代わって小川未明の童話を読みました。すぐに寝ました。

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20230803 ほんの呟き。丹下

2023-08-03 20:52:00 | 本の要約や感想
20230803

私は最近、林不忘の「丹下左膳」を読んでいます。
夢中です。

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20221121 小説「 ある男」を読んで感想。

2022-11-22 17:31:00 | 本の要約や感想

20221122

前置き。
映画「ある男」が始まったらしく、以下の感想文は2か月前に書いたまま放置していたものだが、タイミングなので加筆をして、下書き保存扱いから公開処理をしてみた。私は小説と映画の違いを知らない。これはあくまで小説の感想である。

映画版のキャスティングを見て、私の感じたことは、また妻夫木か、なのだが、妻夫木で悪いはずはない。安藤サクラも私は好きだが、小説のイメージとは少し違った。「万引き家族」の雑な下着姿が私の中にまだ残っているからだと思う。おそらく映画を観れば、私のイメージは一新されるのだろう。

ある男X役の窪田正孝、私はこの俳優を知らなかったが、配役にドンピシャであった。小説を読みながら頭に思い描いていたXがまるでそのまま登場したかのようである。少し検索したら、いい役者らしい。明るくはない目の光がいい。

以下はほんの私の感想文で、結論はまとまらない。
話の序盤までの粗筋あり。


2022/9/24
「ある男」という小説を読んだ。
作者は平野啓一郎。読み易かった。面白かった。
まあまあの長編だったが、一気に読んでしまった。

──────幼い子を亡くし、離婚をした女が、残ったもう一人の子を連れ横浜から九州宮崎の実家へ戻り、まだ癒えない傷に痛みながら色彩のない暮らしをしていると、ある日、見知らぬ男が現れた。

女が、実家の営む文房具店の店番をしていると、女と同じ齢くらいの男がスケッチブックを買いにやってきたのだった。

店の近くの山で林業に従事しているという静かな雰囲気の男はその後、何度も店に画材を買いに来た。女は傷を持つ。男には何か影がある。お互いが遠慮勝ちに手探りで距離を縮め、やがて二人は結婚をし、娘が生まれる。

ところが夫であり、娘の父親であるその男が仕事中にあっけなく事故死してしまう。

女は葬儀を終え、男が生前、一切の絶縁をしていたという男の実家へ初めて連絡をすると、男の兄が群馬県伊香保から宮崎へとすぐにやって来た。

しばらくは結婚や死因などについて話し合ったが、兄は遺影の写真を見ると驚き「これは弟ではない」と言った。

結婚した時に交わした戸籍では間違いなくその兄の弟の名であり本籍であったし、そこへ連絡したから兄である男はここに来たのだ。

もちろん女の姓も婚姻時に夫のものへと役所で公式に変わっている。

しかし今、目の前の兄、自分とも義理の家族であるはずの男は「死んだというこの写真の男は私の弟ではなく、まったく知らない男だ」と、すでに相続詐欺を疑うかのような目で女に言うのだった。

では一体、この三年間、自分の夫であり、娘までを作って、しかし突然死んだ男は誰なのか。

女は混乱し、前の夫と離婚した時に親権問題などをうまくまとめてくれた横浜の弁護士に連絡をした。それからその弁護士の調査により、三年間は夫であった「ある男」の真実が少しずつ明らかになっていく。──────

物語はこのような始まりで、捜索と謎解きを軸にし、そこに世間の裏側に棲む人物たちを登場させ、さらに在日ヘイト問題を絡め、おそらく主題は人間のラベリングやカテゴライズにあると私は思ったが、まあ読んだ人それぞれの感想だろう。

しかしその主題について、私の感想としてものすごく簡単に例えて書くと、私たち人間が、もしも犬の思考や視点で他人を見たとしたら?という考えがヒントになるのではないか、と考えた。

犬にとって目の前にいる人間の人種も美醜も学歴も、年収も前科も善悪も将来性もまったく関係ない。

自分(犬)にとって味方か敵か、家族か他人か、獣の直観による好きか嫌いか、それらが判断材料であり、目の前の人間がたとえ泥棒でも人殺しであっても犬にとってはそれが減点の要因にはならないのだ。しかし人が人を見る時はどうだろう。とはいっても小説中に犬は一匹も出てこないし、犬が善だとも私は言わない。

人が他者を判断する時の材料と、犬のそれはずいぶんと違う。
全ての人が犬の視点で人を判断したら人類はどうなるのか。幸せになるだろうか。たぶん犬のおやつが売れることは間違いないだろう。

子供の時に「正直に生きなさい」と育てられたのに、大人になって騙されると「バカ正直」と言われるような理不尽さもこの世界にはあるのだし。

結論はまとまらないが、一つ私が言えることは、ほとんどの人間は犬ほど純粋には生きていない、ということ。少なくとも私自身は犬のような視点で人を見ることは難しいだろうと思う。私の性格は「やや悪い」ので仕方がない。

小説の私の感想は「面白かった」である。今のところ。
映画になって、数日前から公開されているらしい。。
俳優を見るとけっこうな名優揃いで、しかもかなり原作のイメージに沿った配役であるようだ。配役に変な圧力を感じない。監督は「愚行録」の石川慶。

蛇足だが、城戸さん(妻夫木)、いい人すぎませんかね。

以上。

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20221117 何もあたみません。

2022-11-17 15:33:09 | 本の要約や感想


本日は20221117でございます。
寒くなく暑くなく風もなく、とくに何もなく、そんな日でございます。

先日11/8このブログに、太宰治と壇一雄について少し書きましたが、それに関する本を確認の意味で読みましたので、あらためて以下に要約を書きました。

今回読んだ本は、壇一雄が太宰治と坂口安吾との思い出などについて書き遺した短い記述の数々を一冊の本に編集した「角川ソフィア文庫「太宰と安吾」壇一雄」です。

11/8は昔読んだ私の記憶で書きましたが、今回読むと少しだけ違っていました。とはいっても、当の壇一雄も年代で記述が少し変わってますから、まあいいでしょう。今日は私が書き直したかったからです。


────────昭和11年11月。(1936年 ちなみに226事件の年のこと)

太宰治(27歳)は熱海の宿で何かを書くつもりだったが、連日、酒を飲んだり、女を買ったりで筆はちっとも進まず、とうとう熱海の各所にツケが溜まり、どうにもならなくなっていた。

金が足りなくなり送れと太宰は東京の妻初代に連絡をした。初代は苦労して金を工面した。額は70円ほど。おそらくは今の15~20万円ほどではないか。初代は太宰の友人壇一雄(24歳)を訪ね、その金で清算をし、早々に連れ戻してきてほしい、と頼んだ。

壇が熱海に着き太宰を訪ねると、太宰は機嫌よく壇を迎えた。預かった金を渡すと、太宰は「行こう」と天ぷら屋に誘った。しかしそこは高級な店で、壇の不安は的中し、食後に28円(5~8万円くらい?)を請求された時にはさすがに太宰の顔も血の気を失っているように壇には見えた。

ミイラ取りがミイラになったのだった。壇は初代の顔を思い浮かべ、苦い酒になったが、早くも金は決定的に足りない。しかし諦めによって二人ともやけくそになり、酒と女に(さらにツケで)連日溺れた。

太宰は「菊池寛(48歳 芥川賞創設者)のところに金策に行ってくる」と壇に言い、壇は人質よろしく宿に残され、太宰は東京に戻った。

壇は数日待ったが、太宰は宿に戻らない。その代わりに太宰が手配したらしい女が毎日慰めにやってきた。ツケを溜めてある料理屋の主人が痺れを切らし「待っていてもどうにもならないから、先生(太宰)を見つけましょうや」ということになり、おそらく料理屋の主人はツケ回収の熱海代表なのだろう、宿も承諾し、壇は料理屋を連れて東京に戻った。

壇の考えでは、まずは荻窪の井伏鱒二(38歳)の家に行き、太宰の足取りを探るつもりだった。井伏鱒二は近隣作家の小ボスのようになっていて、太宰治も井伏に師事しているような関係だった。井伏も人の世話をよくし、多くの人が井伏を頼った。

壇は料理屋を連れて井伏邸を訪ねた。期せずして太宰がいた。しかも井伏との将棋の真っ最中だった。壇は激怒して見せた。訝る井伏。説明する料理屋。黙っている太宰。

井伏から返済の確約を得て料理屋は帰った。井伏のいない時に太宰が壇に弱々しく言った。

「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」

井伏が文京区の佐藤春夫(詩人作家44歳、面倒見の良い人。東京の作家の大ボス的?)にわけを話し、100円ほどの金を用立ててもらった。足りない分は井伏の持ち物や初代の着物などを質に入れ作った。井伏と壇が熱海に行き、総額300円(60~80万円?正しくは調べてください)をようやく清算した。(ほとんど全部を佐藤が払ったという記述も別にある) ほっとした二人は温泉に浸かった。────────

以上が壇と太宰の「熱海行」の顛末であるらしい。(角川ソフィア文庫「太宰と安吾」壇一雄)より要約。

壇一雄は太宰の「走れメロス」の創作に、この「熱海行」が発端になっているとすれば幸せであると書いている。

「熱海行」の顛末記から私が感じた太宰の心情を書いておくと、太宰はけっして宿に残した壇を忘れていたわけではなく、それまでにも世話になりっぱなしの井伏にさらに多額の借金を申し出ることを躊躇していたようだ。まして極端に心の弱い太宰のことである。話を切り出せずに将棋などを指していたのだろう。

初代の願いを果たせずミイラになった壇にしても、自分も飲んで買った当事者側であるから、誰にも偉そうなことを言える立場でもなく、太宰を恨んだわけでもなく、井伏邸で激怒したのは、「この場はそうすべき」という気が働いたようである。

その初代(小山初代)さん。彼女も太宰の妻として苦労したわけだが、しかしこの人もWikipediaを読むかぎりでは波乱万丈の人で、太宰と離婚後、日本は北から南まで、果ては満州チンタオにまで行って、ついにまだ若くして白木の箱で帰国する、というアグレッシブさを今の世にまで伝えられていて、もしお墓が近くにでもあれば、私も行って手を合わせてあげたいが、そこまで詳しくは書いてなかった。

いや検索したらすぐにわかった。弘前だった。写真もあって、古い墓石が傾いて立っている。すでに無縁仏らしい。寺もそろそろ整理したいが、太宰のファンが時々来るから迷っている、と書いてある。サイトリンク

もう少し検索したら、2019年に有志たちによって整備されたとのこと。傾きも直された模様。「太宰を支えた人を忘れないで」ということらしい。まったくだ。素晴らしい。なかなかできないこと。

さて、この壇一雄の「熱海行」という文章の中で、とくに私の心に残った行があり、それを以下に書き写しておく。

────────文学を忘れてしまって、虚栄を抜きにして、おのおのの悲しみだけを支えながら、遊蕩にふける時間が、私達の僅かな、安静な時間だったといえるだろう。────────

これを「ああバカだなあ、弱いなあ」と思う人はいるだろう。その人たちに私は言いたい。「その通り」と。
しかし、バカで弱いからこそ書ける文章もあるということではないだろうか。
もちろん彼らは本当のバカではないしね。

もうひとつ。巻末に吉本隆明が解説を書いている。そこからも抜粋しておきたい。

────────太宰治、坂口安吾の他、織田作之助、石川淳、壇一雄といった、いわゆる無頼派と呼ばれた作家たちは、それぞれ良質な作品を残しているが、彼らは女、薬、酒といった表層的なデカダンス(退廃的なこと)と裏腹に極めて強い大きな倫理観を持っていたように思う。────────

この吉本の言葉の意味は、彼ら無頼派は戦前戦中戦後でその主張に違いはなかった。ということ。戦中は戦意高揚を、戦後は民主主義を、と変遷した作家も少なくなかった中で、彼らは変わらなかった、ということ。変わらずにいた、ということを今になって文字にすることは簡単だが、当時の日本の燃え上がった戦意の中で、変わらずにいることは難しかったと推察される。

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20221108 まったく何もありめろす。

2022-11-08 17:55:00 | 本の要約や感想

火宅の人
20221108

マラソンのことを昨日と一昨日ここに書いたが、その「走る」というイメージからふと思い出したのは「走れメロス」。懐かしいですね。

登場人物がギリシャ人のような名前だが、もちろん太宰治の創作で、日本人ならおそらく誰でも一度は読んだ、いや読まされた記憶があるのではないか。

──────悪政の王に捕らえられたメロスは、処刑されるのであればその前に妹の結婚式にどうしても出たいと3日間の猶予を王に嘆願した。そして自分の代わりに竹馬の友セリヌンティウスを城に置いてメロスは旅立った。

もともと性悪説論者の王にしてみれば、メロスがそのまま逃げたとしても、残されたセリヌンティウスを処刑し、「ほら見ろ、人間は信用できないだろ」と自分の正しさを証明できるから、結果はどちらでもよかった。

数日後、幾多の困難を切り抜けてメロスはセリヌンティウス処刑寸前の城内に飛び込んでくる。涙の抱擁。打ち明け合う僅かな疑念や諦念。そして友情はさらに深まった。その二人の姿を見た王も人間不信の殻を捨て、仲間に入りたいと申し出るのだった。──────

たしかこんな話だったと記憶しているが、太宰がこの短編を書くにあたってそのヒントとした太宰自身の体験があり、これも世に知られた話ではあるが、それを簡単に書くと、

──────太宰の妻は、熱海に行ったきりで帰ってこない夫太宰を心配し、太宰の親友の檀一雄に幾ばくかの金を持たせ、様子を見てきてくれと頼んだ。

熱海にいた太宰はそろそろ酒代が乏しくなってきたところにちょうど懐を膨らませた友がのこのこやってきたから「いよ待ってました」とばかり、それから何日も二人で熱海の町を飲み歩いた。

とうとう溜めた宿代まで飲んでしまい、帰るに帰れず、そこで太宰は「しばし待て、われが金策果たしここに戻るまで待て友よ」と言ったかどうかは知らないが、なにしろ壇を宿に残し太宰は帰京した。

ところが幾日経っても太宰はちっとも戻ってこない。まさかの事故か急病か。それに酒もないし待ちきれなくなった壇は宿にわけを話して自分も東京に帰った。そして荻窪の井伏鱒二邸(当時の近隣作家たちの溜り場)に行くと、そこには井伏との将棋に熱中する太宰の姿が。激怒する壇。屁理屈で煙に巻く太宰。

だいたいこんな話だったが、これが全て本当かどうか私は知らない。記事を読んだ私の記憶も曖昧ではあるし。しかしこの二人が親友だったことは確かなようで、いつも死にたい死にたいの太宰は酔って壇に一緒に死のうとガスホースを咥えて言ったという話もある。

同時代の詩人中原中也が酒場で酔って同席の太宰をしつこくいじめる。泣いて逃げる太宰。追う中原。それを暗がりで待ちぶせの壇、手には一振りの木材。たしかこんな逸話もあった気がする。

檀一雄もいわゆる「火宅の人=家庭を顧みず放蕩三昧の人」として有名な作家だが、当時の作家たちは皆人品濃厚の人ばかりで、そこに交じると壇でさえ霞みはしないが突出もしないところが面白い。

ちなみに、壇一雄の自宅に一時期夫婦で居候していた坂口安吾はある時、自分の妻に、カレーライスを百人前頼んでくれ、と言い出し、夫人は仕方なく近所の数件の店に頼んで回った。やがて壇の家には百人前のカレーライスが並べられた。という事件があったらしい。当時の文壇にまともな人はいないのかな。

さて私は「走れメロス」で竹馬の友という言葉を知ったが、今では誰も使わないだろうね。私だって文章でも会話にでも使ったことがない。だいたい最近、竹馬を見たことがない。私の頃はカラー竹馬ね。乗れますよ。♪タンタン竹馬、カラー竹馬。懐かしいね。こんな昔のことを言うのはボケの兆候。ありがとう。いただきます。さようなら。

20221117「熱海行」について、関する本を読み、書き直しました。

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20221014 きっと何もないのでしょうせつ。

2022-10-14 18:28:00 | 本の要約や感想
20221014

先週から3冊の小説を読み終わり、
ふと各ページ数を足したら、
2000ページくらいだった。

平野啓一郎「ある男」
面白いが、著者のマジックを感じた。

東野圭吾「白夜行」
面白いが、虚無感に終わる。

東野圭吾「幻夜」
面白いが、空しい。

天気も不安定。
おつかれさまでした。
E V O L U C I O

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20221013 雨ですが、何もないどころか、全くありましぇるど。

2022-10-13 20:13:03 | 本の要約や感想
20221013

だいぶ以前に、
シェルドレイクという人の本を読んだ時に、
離れた場所にあるそれぞれの人や物は片方に起きた事象に共鳴する。
というような主張があったと記憶しているが、
私はそれを読んだ時には、まったく、わけがわからなかった。
そんなことは偶然だ、と。
しかし最近、そういったこともあるのかもしれない、
と思ったりもするのだが。

雨ですね。
おつかれさまでした。
E V O L U C I O


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20220814 山頭火の句その2 貼っただけ。感想なし。

2022-08-14 18:54:12 | 本の要約や感想
20220814



     ひとり山越えてまた山 



                 種田山頭火


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20220813 山頭火の句1 感想などなし。

2022-08-13 17:04:49 | 本の要約や感想
20220813



     どうしやうもないわたしが歩いてゐる 



                 種田山頭火



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20220806 夏の歌・岡しのぶ/歌集より5 (追記あり)

2022-08-06 17:32:07 | 本の要約や感想
20220806



いつかの夏の夜
川べり
月がついてくるといって
泣いた私が
同じことをいって
泣く妹の手を
ひいて行く
月の夜



──岡しのぶ / もし君と結ばれなければ──より

    (ネスコ発行 / 1996文芸春秋発売)


ここ数日、紹介している岡しのぶの歌集の中には短歌だけではなく、あまりに華奢な著者の姿や、風景などの小さな写真が載せられている。

その写真にはそれぞれ著者のほんの呟きがキャプションとして添えられている。

上の文もその一つだが、しかし著者が歌人であるため、短い文もつい韻文となってしまっていて、まぎれもなくこれは詩であり、実は私はこの歌集の中でこの一文が一番好きなので、これを載せて彼女の歌集の紹介感想などは一応の区切りをつけたい。



20220807追記


以下を追記しておきたい。

上に紹介した短い詩のどこに私が惹かれるのかというと、普遍性に、だ。

いつだったか自分が幼い時に、月がついてくると泣いた記憶のある姉が、今度は同じことを言って泣く妹の手を引き川べりを歩いてゆく。

このような意味の詩たった8行を繰り返し読むと私は情景の中に閉じ込められてしまいそうになるのだ。

───月の川べりを歩く少女と幼子の姉妹。親も一緒に歩いているのかもしれない。夏祭りの帰りだろうか。しかし辺りは夜の深い緑。妹は甘えたくてさっきまで泣いていた。
家族の会話も静寂の神秘にいつしか途切れ、川の音と虫の声だけの中を歩ている。
小さな橋をいくつか横目に通りすぎると、家はもう近い。───

月がついてくると思える心の真白さは短いだろう。
それはすぐに気にならなくなり、いつか存在すら忘れて、しかし時を十分に重ねて後、ふと見上げた空に変わらずあることに気づき、あれからずっと自分を見守っていたのかと思ったり、優しい光に誰かの姿を見たりする。

私はこの詩を読むと、何度も読むと、姉妹たちから少し離れた橋の上にでも立って見ているような気になる。また自分が親の気持ちになって一緒に歩いているような気にもなる。月になって上から家族を見ている気にもなるし、鳥や虫になって木の陰からこっそり呼びかけてみたくなるのだ。

だから何度読んでも飽きない。百回読んで飽きないのだから、千回でも飽きないだろう。この詩が私にとって普遍性を持っているのだ。しかしそれは私だけのことかもしれない。他人の興味に何も感じないことは、いくらでもあるから、人それぞれの感じ方でいいだろう。

歌集の主役である短歌は素晴らしいものが多いが、身体も頭もずいぶんと錆びてきた私にとって本気で読むには少し消化が悪い気がする。夏の午後にでも、さらっと読むのがちょうど良く、うっかり読み込むと変な熱が出てきそうだ。だから上に置いた詩の幻燈のような鈍い月の明るさがちょうどいいのだろう。そして私は川のそばに住んでいる。月はめったに見上げない。


E V O L U C I O


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20220805 夏の歌・岡しのぶ/歌集より4

2022-08-05 17:11:40 | 本の要約や感想
20220805


夏服の立ちつくす君二番線 蟬時雨降る八月五日




──岡しのぶ / もし君と結ばれなければ──より

    (ネスコ発行 / 1996文芸春秋発売)


ちょうど今日と同じ日付の歌があり、上に紹介した。
ただ、この「夏服の君」が誰なのか簡単ではなく、考えたが答えは明確には出なかった。
この歌一首だけでは判断はできず、歌集全体から焦点を絞っていかなければならないだろう。絞り切る時間もさすがにないわけだが。

著者は10代の女の子で、歌集はある男との陰影の深い日々を思う歌が多い。しかし長く付き合うことは叶わなかったらしい。

とうとう別れの日なのか、二番線のホームで蟬時雨の中、最後の言葉を俯き加減に交わし、男は列車に乗り込んだ。そして窓から見える夏服の彼女を見つめた。

列車はゆっくりと走り出す。離れてゆく彼女は涙も拭かず口を結んだまま自分を見つめて立ちつくしている。小さくなる。やがて見えなくなった。8月5日。

というふうに著者が男の視線で歌ったように今日の私には読めるが、違ったらごめんね。

でも、夏服の男が立ちつくしても邪魔なだけで絵にはならないから、おそらく正解だろう。

この歌集には、君、きみ、私、わたくし、わたし、汝、吾、我、などと人称表現が多様で、その判別や想像がし難いのだが、まあいいんですよ些末なことは。その時その時、読みたいように読めばいいだろう。勘違いも醍醐味のひとつとして。

いずれにせよ8月5日が著者にとって忘れられない日であったことは間違いなく、今日、おそらくその日から26,7年後?の同じ日に、まったく何ら関係のない部外者のブログに断りもなく載せられて、しかも勝手なことを推測され書かれているわけだが、それもこれも時代の罪ということで済ませたいと私は思っている。

そして、私は今年たくさんの本を処分したが、しかしこの歌集はまだ私の手を離れては行かない。

E V O L U C I O


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