今日は20220529です。
昨日、結局のところ17時間くらいをコーヒーとトーストのみで小説を読み通してしまった。読むのが遅いのかもしれない。
一昨日、探し物をしていたら古本が数冊出てきて、未読のものがあり、翌朝にちょっと読み始めたら、それからずっと止まらなくなった。三浦綾子の「天北原野・上下巻」である。
1975年頃に書かれた作品で、北海道と樺太を舞台に大正の終わりから昭和20年(1945)の終戦くらいまで20数年を描いている。
「氷点」の三浦綾子らしく、愛と憎しみや苦難などが延々と続く話なのだが、その中に「試練、赦し」などのキリストっぽさがほんのりと香りづけされいて、読んでいるうちに私の性格の悪さもどんどん浄化されていくから私自身驚いた、というようなことは残念ながら少しもなかった。
主人公は二人。貴乃(きの)と孝介。
物語は幸せの色で始まったが、すぐに色を失い、離ればなれ。絶望からの長い諦念の中で再会。しかし近くにいても会話さえ憚られる関係が続く。
女は苦労ばかりをしている。成功を遂げた男は女を少しでも助けたいが、人の目があり直接の行為はできない。いくらでも金はあるから余計にもどかしい。それに近くにいれば思いは募る。なにしろいちいち二人とも善人すぎるし、考えすぎるし、我慢しすぎ、なのである。
私としては、男の初めの判断ミスが最後まで影響した、と思うが、なにしろ時代と人々の考え方が今とまったく違うし、判断ミスがなかったら小説にならないのだから仕方がない。ボタンの掛け違いを物語の軸にしているわけなので。
当時の日本にはまだ姦通罪があり、不貞を働いた女は懲役に連れて行かれた。逆に男は妾を囲うことは男の甲斐性だといわれた。そんな時代である。
物語の終盤に戦争が終わる。
舞台は樺太である。樺太は大きい。日本の本州の半分くらいあるのではないか。もともと樺太は日露戦争によって南半分を日本に割譲されていた。つまり北半分はロシア(ソ連)だった。真ん中に日露の国境があった。主人公はじめ多くの日本人が北海道から南樺太へ渡り漁業や製材業で稼いだ。そこで終戦である。
1945年8月の終戦とほぼ同時に北からソ連軍が「日ソ中立条約」を無視して南に攻めてきた。本来なら相互不可侵である。しかも終戦である。それを一切無視してソ連が攻めてきた。
主人公たち家族、親戚、知人らを含めた樺太の住民たちは最初はその中立条約があるから終戦を迎えても誰も慌てなかった。ところがソ連の侵攻を目の当たりにし、樺太全住民が北海道へ逃げるため、一気に南端の町へ押し寄せた。まさに阿鼻叫喚である。
その時の樺太における悲劇は検索すればいくらでも出てくるだろう。
私はここに説明できるほど詳しくはない。小説にすべて描かれているわけでもない。住民が端から残らず虐殺されたというわけでもない。残った住民もいる。もちろん殺された住民もいる。連れていかれた住民もいる。この樺太を知ることは今日のウクライナにおける悲劇を理解する一助になると思えた。
最後、主人公一家たちも誰かは死に、誰かは命からがら生き残る。人生の意味と儚さを毎年咲く花の永遠に重ね、思い、小さな希望を次世代に託し物語は終わる。
私は読書中、主人公の苦難に涙腺が弱ることは全くなかったが、終盤に、主人に仕える女中の心の在り方には泣きそうになった。あの頃の日本人らしさ全開のセリフにはまいった。女中は幾子さんである。
複雑な出自や幸不幸の表裏一体、被害者であり加害者でもあるという視点、など今では珍しくない設定の小説であるが、当時これを書いた、書ききった三浦綾子の力量はやはり特筆すべきだろう。なによりもエンターテイメント性がしっかりとあることが素晴らしい。ちなみに三浦綾子の好物は「札幌名物・沖縄饅頭」とのこと。
さて同じ三浦綾子の「海嶺・上下巻」もあるのだが、私はどうしたらいいのか。
本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O