EVOLUCIO WORKS INFO

EVOLUCIO WORKS INFORMATION

Diary 20180925 Thai traditional 3

2018-09-28 18:58:21 | Diary


この動画こそが、
私にとって今のところタイ歌謡ナンバーワンであることを発表しておきたい。
この歌、この声、この丸顔。
清々しいまでのカントリー娘。
この曲ももちろんのこと━━それがオリジナルかどうかは不明だが━━
プロの歌手がレコーディングをしたトラックが他にいくつもある。しかし、
やはり前回にも書いた理由と同じで、
私の耳と心には圧倒的にこの素朴な歌い手の声が沁み込んでくるのだ。

「太陽が沈むとき、鳥は巣へと飛び戻る」
歌はこのように始まり、
「しかし私はもう帰ることはできない」
というような意味で終わる(らしい)。

生のラテンバラードを聴きながら泥酔というのが長年の第一希望だったが、
こういったタイ歌謡(おそらくルークトゥン)でドロドロというのも僅差である。

Diary 20180922 Thai traditional 2

2018-09-22 19:02:21 | Diary






(加筆ではないが、後から動画を貼った)

ここ東京は秋の気配も濃厚ですが、
どうです。うら寂しい虫の音と、そしてタイのメロディに酔い痴れていますか。
上の固定ページの動画の歌を最後まで聴かない人とはトモダチにはなれませんよ。
しかし、ここ数日、閲覧数が極端に減ってるのはどういうことなのか。

ところでこの動画の曲。このちょっと力の強そうな娘が歌っている歌。
これは調べると原曲は、いや原曲かどうかはわからないが、
とにかくレコーディングされたトラックがあって、それから推測すると、
どうやらタイの歌謡曲だと思われる。

タイの伝統的な音階と歌唱法を使って、かつ分かり易く馴染み易く作曲したようだが、
例えば日本のでいうとなんだろう。
今、ふっと頭に浮かんだのは田端義夫の「島育ち」か。
これは近いと思う。少なくとも遠くはない。
古すぎて誰もわからないだろうが、私にしても知ったのはYoutube以降である。
「島育ち」は、奄美地方の叙情を歌った曲だが、これに加え沖縄の「19の春」
そして「安里屋ユンタ(新版)」の3曲を「島唄ベスト3」と呼んでいる。私が。勝手に。

話をタイに戻すと、
上に貼ってあるのではないレコーディングトラックの方は
タイでは有名だと思われる歌手が歌っているわけだが、
たしかに歌もこの太めの彼女より上手いし、一般的な美人度は上かもしれない。
しかし、私の好みは断然、この太めの娘の歌である。
とにかくリアリティがある。
声も歌も何もかもに質量を感じる。
そして醸し出される圧倒的に健全な雰囲気が素晴らしい。
何度聴いても、つい微笑まずにはいられない。
一瞬で心を掴まれ、目の前に実り豊かな農村の風景が広がって見えるのだ。

「瀬戸の花嫁」にも似たほのぼのとしたイントロから彼女の明るい歌が始まると、
自分の中からダークなサイドがすぅーっと消えていく感覚が明確にある。

Diary 20180918 Thai-traditional

2018-09-18 19:07:11 | Diary
上の固定ページに貼った動画は、タイのオーディション番組だと思うが、
この歌い手を見て思うことは、「丈夫そう。よく働きそう。」である。

この他にも同じオーディションの動画にブックマークをいくつかしてあり、
たまに「独りアジアン・ナイト」を開催し、続けて聴く。

こういった歌が向こうの民謡なのか歌謡なのかはわからないが、
まあトラディショナルであることは間違いなく、
現地の酒場で、こんな生歌を聴きながらドロドロに酔っ払いたい気もする。

タイに行ったことはないが、飲むならなんだろう。
やっぱりビールか。シンハーとかの。
いや、タイも米どころだから醸造酒があるはずだ。

しかし、この動画の曲も、そして他のもそうだが、やけに転調が多い。
転調というよりも、もともと調性という概念がなかったのかもしれない。
そこを詳しく掘り下げて語れるほどの音楽素養は私になく、悔しいが、
あの転調のとこがかっこいい。好きだ。
また後日、同系列で今のところこれがナンバーワンという動画を貼りたい。
もう心の底まで沁みること間違いなし。

夢の羅列<猿面> 20171031採取

2018-09-15 17:25:40 | Dreams



夢の羅列<猿面> 20171031採取


長年、仕事としてやってきた金属加工やシルクスクリーンなどについて、
私はどこまでもアナログ的なアプローチで自らの道を進む所存であったが、
昨今におけるIT化の大波にとうとう押し流され始めた感を覚え、
それならばいっそのこと芸術という道にこの齢ながら向かってしまえと、
いや、むしろ多くの経験と腐敗寸前まで熟成発酵した創造への直感をもってすれば、
今だから、私だからこそやらねばならぬのだと結論に達した。あくまでも夢の中で。

何をするか。

まずは紙で猿の版画を作ってみた。もちろん夢の中で。

夢の時系列を書くと、

先に芸術家への転身を無謀にも宣言した。
その処女作として猿の版画を作ると発表した。
すると、
奇特な方々から注文がいくつか入った。
しつこいようだが、もちろん夢の中で

それから私は版画の制作に入った。
彫刻刀は持っていた。
以前、「よし、時代は能面だ。」と一瞬思った時に、その熱に浮かれた勢いで買い、
そのまま使わず、キレイに置いてあるのだった。
ちなみに、能面は「彫る」のではなく、「打つ」のである。
能書きは一流なのである。

さて今回は、いや今回も木彫りは面倒なので、パーツに切った紙を重ねる手法をとった。
彫刻刀は使わず、全行程をハサミに頼った。
面倒という時点ですでに芸術の魂は失われているわけだが、まあいいだろう。

この作り方は私が小学生の時分に覚えたのである。
なにせ紙だから小1時間もすれば出来上がった。
摺り上がったばかりの作品を見て私は即座にこう思った。

「酷いな。」
いくら芸術と言い張っても、これはまずい。
小学生の図画工作でもこれよりレベルは高いのではないか。

人に見せていいものではないな。
だいたい、猿の版画が売れると思ったオレが間違っていたかもしれない。
いや、売れるかどうかを考えている時点でそれはすでに商業的だな。
さてどうするか。
よし、まずはこの面を被ってみよう。

鏡を見ると、薄暗い部屋にマヌケな猿が座っていた。

悲しかった。

おわり。

Diary 20180912 BAT

2018-09-12 19:08:16 | Diary
先ほど、ブラジルのイエローブルボン・フレンチを濃いめに淹れて飲んだ。

フレンチは、
温度と抽出量に注意すれば「これぞコーヒー」という美味さになりえる。
それで、濃いコーヒーを飲みながら思ったことは、
やはりこんな美味いコーヒーには葉巻だよなあ。だった。
もちろん、今ここに葉巻はないのだが。

私は煙草を吸わない。
もう15,6年ほど前にやめた。

当時、吸うなら両切りだった。
ショートピースかゴールデンバット。
それ以外は吸った気がしなかった。

ピースは高級な香りと味が楽しめたが、バットは安くてもしっかりとした味があった。
ゴールデンバットは私が止めた頃、たしか110円だったかなあ。
しかし近所で、なかなか売ってなくてね。

それから、煙草を止めてずいぶん経ってから、やはりコーヒーには葉巻だな、と思い、
けっこう高い葉巻を買って、独り当時の工房の地下室で吸っていたのだが、
いや、あのね、味は美味いよ。コーヒーにも最高に合う。しかし、
もうあの後味が受け付けなかった。舌にいつまでも残るニコチンとタールが。

結局、自然消滅的に葉巻も吸わなくなったのだが、気がついたことがひとつあった。
葉巻にインスタントのコーヒーは絶対に合わないということ。
今は製法もよくなって、インスタントでも慣れればけっこうそれなりに飲めるのだけど、
葉巻に合わせることは無理。なにしろ不味さが際立つ。

やはり、レギュラーをフレンチかイタリアンのローストで、濃く甘く淹れて楽しみたい。
昨今流行りの浅煎りではあの煙をしっかりと受け止めきれないだろう。

濃いコーヒーというと、それならスターバックスなどのエスプレッソかと思われるが、
いや、あれは味の変化が早いから、あまりお勧めできない。

葉巻はサイズによるが、1時間くらいは楽しめるわけで、
それに合わせるとなると、やはり、
ネルドリップ、点滴抽出、30グラムで120ml、3分以内。そんなところではないか。

この方法なら味は長持ちするし、冷めても美味い。
濃さに飽きたら熱湯を注げば、また違った風味が立ち上がるのだ。

……何を書いているのかわからなくなってきた。

書きたいのは葉巻の話ではなく、煙草の話だった。いや、ゴールデンバットの話だった。
いや、そうではなく、バットの話だった。

これを今書いているのは私の部屋なのだが、右の手が届くところに窓がある。

それでね。以前から窓というか雨戸というか、そのへんからキーキーキーキーと、
何かが擦れる音がすることがあって、それはアルミを擦ったような音だったから、
私はおそらく雨戸ではなく、サッシが風で微振動して鳴っているとずっと思っていた。

そういうことは少なからずあるから。

建物とか何かのオブジェクトとか、その構造が風とかの周波数にぴったり合ってしまって、
共鳴してしまうという現象。

音がする度に窓を開けてみたり、触ってみたり、揺らしてみたり、すると音は止むので、
まあそんなこともあるよ、とあまり深刻に考えないで今日まで過ごしてきた。

まあ、もうだいたい予想はついてきたと思うが、
今日、先ほど、またキーキーキーキーと音がするので、
窓を開けて、ふと戸袋の奥を見たら、
バットがいた。コウモリが2匹、戸袋の暗さに潜んで鳴いていた。

小さい。
手のひらに乗るくらい。
これは迂闊に雨戸を動かしたりできないな。

こいつら、暗くなったら出動するのかね。
まあ適当にやってくれとも思うが、しかし、
戸袋の中を汚すからなあ。
ゆっくり考えよう。

おわり。


画像はうちではありません。

「我ら百姓家族」感想

2018-09-09 17:18:18 | 映画
少し前のことだが、
「我ら百姓家族」というドキュメンタリー映像作品が放送されていて、
それを観た感想を少し。

作品は、兵庫県の山間に住む家族を20年近くに渡り取材したもので、面白かった。

学生運動に明け暮れた男が国鉄に就職し、そこでも組合運動に勤しみ、
やがて職場で知り合った女性と結婚をし、夫婦で自然食品の販売を手がけるが、
排ガスを撒いて健康食品を配達することにジレンマを感じ始め、
さらに長男のアレルギー体質もあり、そこから極端ではあるが、
山の中で自給自足の生活を家族で確立しようと移住をする。

数年のうちに自分と妻。長男次男三男。長女。次女三女は双子。家族は総勢8人となる。

畑もやれば家畜も育て、炭を焼き、電気も作ればバイオガスも作り、まさに自給自足。

子供も早朝から一日中仕事に追われ、なかなか学校にも行けず、
父は年端もいかない娘たちにも容赦なく鶏の首を落とすことを命じる。

ところが長男が15歳の時に、妻が夫も子供も何もかもを捨てて離婚し山を降りてしまう。
その時一番下の双子は5歳だったか。

それでも残された家族は自給自足を貫き、長男次男は山男として逞しく一人前に育つ。
しかし三男は山の暮らしを嫌がり、茶髪にし、やがて東京へ出て役者を目指す。

次男が所帯を持ち、近所に自分たちで家を建てる。

父親の理想はこの土地に自分の王国を作ることだったと私には思われた。

正しくは、自分の、というより自給自足が主役で、つまり自給自足の国を作りたかった。
もっというと、自分の考えの正しさをこの土地で証明したかったのではないか。

父親は基本が真面目な人なのだろう。
真面目が過ぎて自分が頑固者になっていることに気がつかない。

成人した末っ子の双子は山を降りて就職をする。
逆に三男は東京での夢に破れ、山に戻る。
山の暮らしが好きだと言っていた長男も結婚をし、山に家族を作る。

父は、近くに息子たちがいるにしても、家では独りになり、
ある日、身体の不調を覚え、病院に行くとガンを告げられる。

双子が帰ってきて、しばし父の世話をする。
ガンは転移をし、片目を摘出する。(もちろん病院で)

しかし医者にもう余命3ヶ月だと告げられ、坊主を用意しろとまで言われ、
本人もほとんど動くことも出来なくなり、介護の苦労というよりも、
終末期の痛みを和らげるためにだと思うが、とうとう入院をする。

もう最期だということで、家族を捨てた元妻が病床に現れ、言葉を交わす。
「同士ですから。お互いがんばりましょう。」と相変わらず左翼的発言の元妻。
「あんただけがんばってください。」となかなかいい返しの寝たきり元夫。

破れた王国の主は天に召され、
後始末を終えるとあの山が好きで山の暮らしを誰よりもよく知る長男は、
彼の家族とともにすぐに山を降り、海辺に移住する。

次男の家族が一番、父の望みに近い暮らしを続けるような気配で、
役者の夢に破れた三男はフィールドアスレチックのスタッフとして山で働き、
双子の娘たちは街で働き、幼少に足りなかった勉強をする様子。
鶏を屠ることができず泣いたあの優しかった長女はどうしたか忘れた。

ここでしっかりと書いておきたいことは、子供たちのポテンシャルが皆高いということ。

学校に行けなかった分、学力は低いかもしれないが、基本性能が大変に高い。

人の一生は、仮説━実験━分析━結論、そしてまた仮説の繰り返しだと私は思っているが、
そこを彼らはよくわかっているような気がする。しかも底力を持っている。

私ごときがこの父、そして家族について何をいうこともないし、その力も権利もない。

制作がフジテレビなので、それなりの「演出」もあるだろうし、
世の中、作用と反作用というバランスがあるわけだし、
「禍福あざなえる縄のごとし」という言葉もあり、今後何がどうなるか、
何がよかったか、何が悪かったか、100年でも経ったらきっと答え出るだろう。
それまでは誰も予想できないと思う。

生前の映像で、片目を失った身体でようやく起き出し、外に出て、
長年、家族で作ってきた自分の理想郷を、
しかしもう誰も居ない王国の姿を眺める男の背中が印象的だった。

しかし彼はよくやったと思う。

勘違いや間違った部分はたくさんあったにしても、
彼自身は、いい悪いは別にして、やりきったのではないか。

見逃しの三振では決してなかった。
ホームランでもなかった。
なんだろうね。
三塁打タッチアウトというところか。

思い出しながら書いたため、少し記憶違いがあるかもしれない。

おわり。