偶然の音楽/ポール・オースター(柴田元幸訳)/p15 感想その12「原文・石の重さとベケットの名前」
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参照「石のリアリティ」
先日、一応の結論を書いたが、核心にはきっとほど遠いなという感は否めない。
さて、英文の原作を注文したらすぐに届いたので、早速、あの石の重量の部分を確認してみた。
'They weigh somewhere between sixty and seventy pounds'
Murks said.'Just enough to make you feel each one.'(108p)
「一つ25キロから30キロある」とマークスは言った。
「ちょうど1キロ1キロが実感できる重さだ」(177p.178p) 柴田元幸訳
1ポンドは約0.453キロであるから、60ポンドは約27キロ。70ポンドは約31キロ、になる。
すると訳はとくに間違ってはいないことが証明された。
それでは作る壁のサイズはどうだろう。
'Two thousand feet long and twenty feet high-ten rows of a thousand stones each.(106p)
「長さ600メートルで高さ6メートル、一段につき千個の石が十段。……」(174p) 柴田元幸訳
これも間違ったところは何もない。
そうすると、以前にも書いたが、
30キロの人が持てるほどの小さな石を十段積んでも、
どう考えても6メートルの高さにはならないのに、小説では「なる」と考えられている。
だからリアリティがかなり薄い。
私はこの部分に作者のどんな意図があるのか、今のところ明らかにはできない。
そして今回もう一つの問題というか衝撃。
英文の原作が届いて、裏表紙を見てあっと思ったこと。それは、
「ボール・オースターはこのブリリアントで不安定な寓話にサミュエル・ベケットとグリム兄弟を溶かし込んでいる」
と書いてあったのだ。
グリムはまだしも、ベケットは不条理劇作家じゃないか。
不条理━━事柄の筋道が立たないこと。
日頃、不条理な夢の記述をさんざんしておきながら、
私にはこの不条理の物語というものを明確に理解する読解力なんて、
はっきり言って、ない。
しかし読んで初めて感じた抽象画的な感覚はけっして遠くはなかったな。
それにしても、
超絶悲観論者で鬱病のベケットはたしかあのカフカが好きだったような気がする。
フランツ・カフカ。有名なのは「変身」だったか。
若い時にカフカをそれだけ読んだ記憶はあるが、まったく理解できなかった記憶もある。
なんだったか。目が覚めると虫になってたんだっけ? それしか憶えていない。
虫、苦手だからなあ。
そうか。ポール・オースターを調べてみればいいのか。
……Wikipediaで読んでみると、やはりベケットやカフカに影響を受けていると書いてある。
この「偶然の音楽」これ一冊だけで考えようと思っていたから、
調べるのは少し自分的にルール違反である気がするが、まあ仕方がない。
何にも道標は必要だ。
不条理。ベケット。カフカ。そしてグリム。
やっかいこの上ない。
ところで寓話ということは、つまり、寓意があるということになるわけか。
つづく。
偶然の音楽/The Music of Chance/1990/柴田元幸訳/新潮文庫