6/23
最近、萩原健一の追悼の意味でだろう、彼の出演作品をCS放送で見かけることが多いのだが、
数日前にも映画「いつかギラギラする日」が放映されていて、観た。が、最後まではちょっと。
初めて観たわけではなかった。
しかし何も記憶になくて、ああこんな映画だったか、と、ただそれだけを思った。
大監督の深作欣二のメッセージが私にはよくわからなかったので、あまり書くこともないが、題名について今回わかったことがある。それは、同名に近い「いつか、ギラギラする日々」という小説を私は以前、所有していたことがあり、映画のタイトルももちろん知っていたわけで、これはどういうつながりなのかと長年疑問であったのだが、それが今日wikiを読んで氷解した。
この映画のプロデューサー奥山和由が角川から題名を譲ってもらったらしい。(wikipedia参照)
ただ、そんなに単純な話ではなく、まさに紆余曲折という、この題名だけが人の心にひっかかり続けて、最後にこの作品のタイトルになった、らしい。
私も河野典生の書いた小説の内容をまったく憶えていないが、このタイトルは素晴らしいと思っていた。最終的に映画タイトルになったわけだが、俳優や演出などよりもタイトルが一番良いよね。
なんとなく似ている映画で、やはり奥山製作の「GONIN」というのがあったが、こっちの方が私には面白い。鶴見辰吾がけっこうよかった記憶がある。
本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O
6/14
昨日、CSで映画「ファイト・クラブ」を放送していたので、なんとなく見始めた
初めて観るわけではなかったが、人が殴り合う映画である、くらいしか記憶になく、
主役二人の出会いとか、役回りとか、そうかそうかと思い出すというより、
つまり、初めて観るのと同じでありました。
さすがにデビッド・フィンチャーだから貶す箇所などないのだが、しかし、
最後までは観れなかった。途中でどうでもよくなってしまった。
たしか最後まで観ないと肝心な部分がまったくわからない映画だったような気もしたのだが、
とにかくそれ以上観るのが面倒になってしまった。
ブラッド・ピットは、若いときよりも最近のほうがぜんぜん良く思えることがその要因かと。
本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O
6/10
昨夜は、ディズニーの映画、わりと最近にリメイクされた実写版の「シンデレラ」を観た。
途中からだったが、大筋はとくに改変もなく、記憶にあるシンデレラの話そのものだった。
さすがのCGパワーで、カボチャの馬車が現れるシーンや、
それがまた、ただのカボチャに走りながら崩れるシーンなどは見事でした。
舞踏会に遅れて現れたシンデレラの魔法の青いドレスの素晴らしさといったら、
もう言葉にはできないくらいで、
目が覚めるほどとは、ああいったことをいうのだろう。
そして特筆すべきは、継母役のケイト・ブランシェットのクッ◯バ◯ァ全開の演技。
あの最後のシーンのくやしそうな顔ね。
私の大好きなケイト・ブランシェットだから、何を演じてもぜんぜん嫌いにならない。
今、緑茶と凍頂烏龍茶を混ぜて飲んでいたが、口の中はなぜかイチゴの風味が充満している。
外は雨。
おつかれさまでした。
E V O L U C I O
6/9
昨日、CSで映画を2本観たのだが、
ディカプリオ出演作品はやはり私には合わないことがよくわかった。
「華麗なるギャッツビー」
好きな女優のキャリー・マリガンが出ているからと観たのだが、観なくてもよかった。
予算がかかっていることだけは理解できたが、どこを評価していいのか、まったくわからず。
もちろん、ディカプリオのせいではまったくなく、むしろ、
ギャッツビー役にはたしかに彼がうってつけであるとは思った。ただ、
フィッジェラルドの「グレイトギャッツビー」という原作自体を私は以前から理解できないのだ。
以前のブログにも書いたことがあるが、訳者3人分のを読んで、面白さがまったくわからず、
映画もロバート・レッドフォード主演の作品を観たが、よくわからず、
今回、新しい版のを観ても、くしゃみが途中で止まってしまったような気分で終わってしまったし、
いや、絶対的なカタルシスを求めているわけではないのだが、なんか、とにかくよくわからず。
しかしキャリー・マリガンは、どこに出てもいつも同じ感じで、そこが凄い。
あの含み笑いのような顔でそこにいるだけで、もう十分です。ギャラ払ってください。という気持ち。
逆に、早い時間に観た「ドランゴンタトゥーの女」のルーニー・マーラという女優。
この人を私は昨日初めて認知したのだが、役がすごくよかったから、観た後に少し検索したら、
え、「キャロル」のあの女優なのか? としばらくは信じられないくらい役によって違うのだった。
方やパンク調の眉毛なし、ピアスあり、スタンガン持ち、という役柄で、
方や、地方出の素朴な、なんか英国風のお菓子でも作ってくれそうな優しい感じ、で、
これが同じ女優だと知識では理解しても、私の感覚がそれを同じだとはまだ受け入れ難く。
そうはいってもパンク調の彼女はとてもよくて、
最初は無機質で、口から酒とクスリの匂いが漂ってきそうな雰囲気だったのだが、
途中、ダニエル・クレイグと打ち解けてからはすっかり有機的に見えてきて、
しかも細身ながら頼れる感じがあり、頭も天才で、悪者に対しては躊躇しないし、よかった。
最後はちょっとかわいそうだったが、よく出来た映画だった。もう一度しっかりと観たい。
ダニエル・クレイグも、この映画ではまったく強くなくて、とくに、
突然の裸のルーニーを前にした時のモゴモゴ感はすごくよかった。
「オレには規範があるから」と言っておきながら、即座に撤回したところが、よかった。
話を最初に戻して、「華麗なるギャッツビー」だが、簡単に感想を書くと、
つまり、神様は見ているだけで、何もしてくれないよ、ということなのか。
それがフィッツジェラルドのメッセージなのかもしれない。
もうひとつ。
フィッツジェラルドの良さや価値というのは、結局、文体なのだろう。
文体は、その言語と文化と歴史をよく理解していないと感じ得ない感覚なので、
物語がとか、設定がとか、会話がとか、いうことではなく、日本人作家で例えるなら、
谷崎潤一郎を訳で読んでも、どこまであの流麗な文体を理解できるか疑問であるように、
逆に私にはギャッツビーを理解できないのだろう。理解したいが。
本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O
結局、寝たのは朝の5時で、しかし9時前には起きた。
烏龍茶を飲んでいると、ネコがやってきたのでエサをやり、自分も適当に食べ、
食後には烏龍茶の茶殻に緑茶を混ぜて、これは美味いな、と飲んでいたら、
宅急便がきて、そういえばTシャツを注文していたのだ、と思い出し、
届いた中に白シャツ5枚があり、これは自分用。
糊をとるために早速洗った。
さて、コーヒーを飲もうかな。
今日は過ごし易い陽気ですが、おつかれさま。また明日。 E V O L U C I O
6/7
いや、もうね、昼過ぎの3時にちょっと昼寝しようかと横になって、
うっと目が覚めたら窓が暗くて7時だった。夜のね。
これが朝の7時だったらいろいろな意味で大変なことなんだけど、
しかし昼寝に4時間ていうのも、ちょっと人としてマズイな。
今週はひどく疲れていたんですよ。なぜか。
今はものすごく元気。頭も冴えてる。コーヒー飲んだしね。
でも11時には寝たいと思っています。
本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O
昨日、最後のコーヒー6グラムを飲みきってから、
まあ、しばらくはお茶を飲んで過ごそう。たくさんあるし。
と思っていたのだが、
今日になって、まったく無いとなると逆にコーヒーが飲みたくて飲みたくて、我慢できずに、
とはいっても、こんな気持ちを徒歩5分駅前の某コーヒーで解消させたくはないので、
陽が落ちてから行ってきました、代々木上原。
本気で長くやっているコーヒー屋で、期間限定ブレンドを買ってきた。
一応の感想は、
焙煎が若くて、ちょっとまだ飲むには早かったかな。
いかにも「焙煎したてです」という味で、輪郭が粗い。落ち着きがない。
とはいっても、オレの舌だからね。当てにはならず。
本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O
6グラムしかなかった。
昨日このブログに2杯分が残っているだけ、と書いたのたが、実際はエチオピア6グラムだった。
2種計で25グラムくらいはあるような気持ちだったのだが、外れた。
6グラムか。
念じても気合いを入れても6グラムは6グラム。
よし、6グラムで淹れてやろう。
そのための少量用のドリッパーもちゃんとあるわけよ。
そして、これでもかというくらい丁寧に6グラム80mlのコーヒーを淹れた。
さすがに薄いのだが、しかし美味かった。
マスカット風味のエチオピアの香りがよく立って
「ああ美味い」と思っていたら、飲み終わっていた。
もうありません。
もう一粒もコーヒーはありません。
本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O
6/2
いよいよコーヒーがない。
あと2杯分くらいの豆しかない。
いつもは常時1キロくらいは保存しているのだが、
最近は茶を飲むので、今回はなんとなく買いそびれている。
どうしようかな。
以前なら、残りが500グラムにも減ったら不安で仕方なかったのに、
今日現在「お茶がいろいろあるし、まいいか」という心持ちである。
先刻、ダークなマンデリンの残りを飲みきったところなので、
今日はもうコーヒーは飲まず、紅茶でもいいしね。
先日に買った玉露は、もう飽きたから、
残りを5グラムずつのパケにして、冷凍庫に入れてしまった。
そのかわり、静岡の新茶をたくさんいただいてしまい、
開封したパックは早めに飲まなくてはいけない。
しかし、お茶を飲むって、つまり水を飲むということなので、
地方の良質な水が豊富な土地で飲む味とは全然違うんだろうな。
いっそ移住するか。水を求めて。
上のヘタな絵は、最近、骨董屋で見つけたちょっと古いカップ。
ものすごく薄くて軽いエッグシェルカップで、伊万里焼きだと思う。
職人の手彩色で、雰囲気は大正カフェーといった感じ。
唇への当たりが素晴らしく、いつものコーヒーが2倍は美味くなるので、
もうちょっと他のカップは使えないなと思っている。
絵はその華奢な佇まいがまったく表現できていない酷さなのだが、
まあヘタな絵もいいだろうということで。
本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O
6/1
昨日、つつじとアザレアが私の中でつながったことを書いたのだが、
それにしても今頃その辺に咲いているつつじの花の色というのは、なかなか難しい色で、
あの色を再現しようと思っても、そう簡単には出来ないような気がする。
ただの赤寄りの赤紫ではないし、それに不透明な感じがしないから、
普通のピンクのように赤と白を混ぜて、というような単純ではなく、
白の上にマゼンタを混ぜずに上手に被せて、そこに何かを足すような気がするのだが、
その大事な何かがわからない。
まあ何事もそんなもんだ。
そのうちふっとわかるだろう。
本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O