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夢の羅列<保育園送迎>

2016-07-31 17:17:31 | Dreams
夢の羅列<保育園送迎>


いつからなのか、
夢の中で私は、保育園の<お手伝いさん>のようなことをやっているようだった。

その朝も、園にひとりだけ残った子供を送り届けることになった。

朝に園から家へ送るのも何か変なのだが、夢の出来事なのでとやかく言わず、
とにかく子供を車に乗せた。

そこにエプロン姿の保母さんが園庭を小走りでやってきて、
「これも、これも」と私はなぜか寿司桶を手渡された。

白木のではなく、高級そうな塗りの桶であった。

私は車を園庭から道路に出した。

子供は後ろで壊れたラジオのごとく何か歌を歌っている。
アニメか何かの元気な歌だ。
私は朝はクラッシックという男なので、うるさくて閉口した。

路地を注意深く走って、やがて幹線道路に出た。

どこだろう、ここは。雰囲気では第一京浜の港区あたりに似ている。

それにしてもこの子の家はどこなのか、私は運転の合間に地図を開いた。

けっこう遠いよなあ。なんでこんなとこから通っているんだろう。

片側4車線の一番右を走っていたのだが、
どうもこの車線では右に曲がらされてしまうようだから、左に変更しなければならない。
ところが、左側にはトラックなんかの大型車がぎっしりと走行中で、
まったく車線変更できそうな気配がない。

おいおいおい。
子供を乗せて無茶も出来ないし、などと考えていたら、
左のトラックが私の方へ寄せてくるではないか。

私はギリギリ右に寄せてトラックを回避するのだが、トラックはまだ寄せてくる。

もっと右に行かなければトラックと接触してしまう。
私は右のスペースをちらっと確認した。

右はなんと線路だった。

しかし考える間もなくトラックが寄せてくる。

私は反射的に右にハンドルを切って、とうとう私は線路を走っているようだった。

後ろからは音痴なアニメ歌。あーうるさい。

まいったなあ。そう思っていると携帯が鳴った。

「はい。もしもし」

「あー、どうですか。そろそろ着きそうですか」

「いやー、ちょっと問題がありまして。でももう少しだと思います」

電話は保母さんからだった。

「話しは変わるのですが、○○ちゃんを送った後に、その桶を……。」

「いや、ちょっと今、詳しく話しをしている余裕がないんですが、ちょっと…。」

「桶に園長先生の握ったお寿司が入っているんですけど、○×町の△○さんまで…。」

「えっ、中身が入っているんですか。」

はっとした。そういえば音痴が聞こえない。

私は後ろを振り返った。

○○ガ○が飯粒を口の周りに付けたまま満面の笑み。

線路上を走っていなければ殴っていたかもしれない。そして、

また電話が鳴る。

「はい、もしもし」

「ワシの寿司どおなっとるんかのー」

もう何がなんだか。
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ペンペンコ (7/27追記あり)

2016-07-27 19:57:41 | youtube



動画は、フィリピンが生んだ世界の歌姫、シャリース・ペンペンコであるが、歌っている場所はどうやらフィリピンのどこかモール内のようだ。

年格好、雰囲気などから推定すると、彼女が世界に飛び立つ直前くらいではないだろうか。後ろにいるすっとぼけた感じの女性はシャリースのお母さんのようだ。確実ではないが。

シャリース・ペンペンコ。本来はチャリース、は7歳くらいからフィリピン国内のコンテストを総なめにして、さらにYoutubeによって世界の注目を浴び、やがて第一線のエンターテイメントへと飛び出した。セリーヌ・ディオンやアンドレア・ボチェッリなどと競演を果たし、それも一歩も引かないパフォーマンスを魅せたのだが、そんな彼女も実は10歳くらいからジェンダー(性自認 Gender identity)の問題に悩んでいたらしく、とうとうカミングアウトして、それからの活動は断続的であるように思える。

それにしてもこの動画での歌唱である。必ずしも最高ではない機材、というよりも要はカラオケで歌ってこのレベルである。声の響き。伸び。艶。ダイナミクス。声量。この時16歳くらいだろうか。詳細はよくわからないが、彼女は正式な歌のレッスンを受けたことがないという。まったく天性の恐ろしさ強烈さをまざまざと私たちに見せつけるのである。

高い声が出る。声量がある。音程がしっかりしている。そんな人はいくらでもいる。しかしそれに加えて、人を魅了する声であることはなかなかない。人を魅了するということはそれが声の場合極めて微妙なことで、咽喉および頭蓋骨の形状や、出し方、響かせ方など、その要因と組み合わせは実に無数にあり、練習をすれば良い声にはなっても、人を魅了する声、もっと聴きたくなる声にはそう簡単になるわけではない。エコーのダイヤルをマックスにしても、このようにハーモニクスの効いた歌声には決してならない。

(追記)

歌っている曲は何か。というと、これは1993年の「IKAW」というフィリピン映画の主題歌であるらしく、その名も「IKAW」イカウ(あなた)という曲である。

私は最初、曲調からこれは賛美歌だろうと考えていた。まだ観てはないが、映画がかなりのメロ調なので、「あなた」とは、物語における夫のことのようだ。

それにしてもフィリピン人の歌の上手さは特筆するべきものがある。なぜこんなに上手いのかずいぶん考えたが、わからず仕舞いである。ずいぶん前には日本にもマリーンという歌手がいて、彼女もたしかフィリピンの人であった。と書いたばかりでなんだが、マリーンは現在も活動中である。

つづく。
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Charice Pempengco - Ikaw

2016-07-24 20:23:51 | INFORMATION
Charice Pempengco - Ikaw
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Diary 20160711

2016-07-11 19:47:16 | Diary
昨晩、「美女と野獣」は観なかった。

何度も観ているし、やることが他に山積みではあるし、と断念した。

まあ、断念というほどのこともないのだが、
日本語吹き替え版が手元にあれば、間違いなく観ただろう。

やはり「美女と野獣」は日本語版が楽しめる。

それにしても、
「プリンス オブ エジプト」と「アナスタシア」が
ディズニーの作品でないことに昨日、初めて気がついて、少し驚いた。

ああいったものは全てディズニーだと思い込んでいた。

そういえば、この2作品はけっこう古いものなのだが、
私のディズニーサウンドトラックコレクションには確かに入っていない。

「アナスタシア」のメインテーマである「Once Upon A December」を聴くと、
なぜこんなにすごい曲が書けるのか、その才能に感動する。

アレンジも、か細いオルゴールのメロディから始まり、
最後にはまさにサンクトペテルブルクの宮殿を思い浮かばせる壮大かつ重厚、
豪華にして絢爛な大ワルツへと展開していく。

レディオヘッドのトム・ヨークがいくらディズニーを貶そうと、
私はディズニーのサントラが好きである。

ディズニーなら3時間でも聴けるが、レディオヘッドを3時間は辛い。

あ、そうか。「アナスタシア」はあれか、20世紀フォックスか。
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エジプト、そしてZippoの由来。エクソダス。 

2016-07-10 20:28:20 | Diary
今日付けでトップ画面に貼ってある動画は、
鼻歌を歌いながら子象を撫でる外国人の女性の図、なのだが、
そのけっこう上手な鼻歌が
アニメ「プリンス オブ エジプト」のテーマだったから、
ついそのアニメを探して観てしまった。

見始めてからわかったのだが、
要するに筋は旧約聖書の出エジプト「エクソダス」からということで、
古い人間としては当然のごとく、
同じストーリーを基にした古い映画の「十戒」と較べるのは致し方なく、
やっぱり「十戒」の方が面白かったかな、と個人的には思った。

だいたいわりと最近、CS放送で「十戒」を何度も再放送していて、
昼過ぎの眠い時間によく観た。それでだろうか、
モーゼ=チャールトン・ヘストンというイメージが脳内に固定化されている。

ただし、サウンドトラックはアニメの方が好きだ。
まあアニメはミュージカル仕立てであるし、
アメリカのこういった音楽の作曲からアレンジ、演奏、歌、まで、
その職人たちの能力は常に盤石で、結果が不出来ということはない。

しかし、冒頭で、モーゼの母が川にモーゼを流す場面で歌う子守り唄については、
日本語で歌っている女性が誰なのかわからないのだが、英語版より良かった。

ホイットニー・ヒューストンとマライア・キャリーの歌うエンディングソングも、
これは文句なしに良いが、これがこの映画の曲だとは今日まで知らなかった。

物語で、モーゼが結婚するツィッポラだが、これについては以前から
思っていたことがあり、それは、
ツィッポラのスペルはZipporahもしくは、Tziporaとなるわけだが、
つまり、私の彫刻の素材であるZIPPOの名前の由来はここからなのでは、
ということである。しかし根拠はまったくない。

ライターのZIPPOの由来でよく言われているのが、
"着火音が「ジッポー」と聞こえるから" であるが、
しかしそれに加えて、モーゼの奥さんの名前を重ねたということも
十分に考えられるような気がするが、やはり根拠はない。

これについて検索してみると、日本語での記述はまったく見当たらない。
英語での記述がわずかにみられる。とはいっても、
どれも推論で根拠はないようだ。

物語に話しを戻すと、
「出エジプト記」は、旧約聖書の「創世記」の次の章で、
「創世記」の神話的な記述に較べて、
世界史という観点からも重要な実録的であり、面白いのは、
ユダヤ人(ヘブライ人)がここですでに他者から嫌われているという点である。

「出エジプト記」にしても、
ヘブライ人は他者と交わらず、しかも繁殖力が強く、
今にも国が乗っ取られそうだから、
奴らを奴隷にして働かせ、子が男子なら殺してしまえ。
そうエジプト王であるファラオが布告するのだが、
そこから赤子モーゼが川に流され、エジプトの王妃が拾い、物語が始まるわけだ。

ヤハウェの力を得たモーゼを先頭にエジプトから脱出した一団は、
シナイ山で一悶着あるが、モーゼがめでたく十戒を授かり、ユダヤ教の成立となる。

それがだいたいBC13世紀くらいだといわれているから、
現代からだと約3300年ほど前になる。

ユダヤ教のすごさは、教育を最優先に考えているところで、
国を挙げての教育の底上げという政策は、何十年も何百年も経つと、
そうでない国とは恐ろしいまでの差が出来ることだろう。

我が国もそうありたいと思うが、しかし、
彼らの一神教に比べて、八百万の神という思想は、圧倒的に素晴らしい。

それで、この「エジプト」を観てから勢いがついてしまって、
同系というか、アニメの「アナスタシア」も観てしまった。

「美女と野獣」をこれから観ようかどうするか、考えている。
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Seven/Zippo

2016-07-07 05:24:57 | Zippo

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夢の羅列<梅雨の注意点>

2016-07-05 18:54:02 | Dreams
夢の羅列<梅雨の注意点>

夢の中で、
あくまでも夢の中で、私は自宅にいた。

自宅とはいっても、夢の中でのことなので、
今思い返せば、あれはどこか知らない家であった。

私がいて、知り合いの男がいて、もうひとり知らない大男が居間に立っていた。

大男と知人が言い争うのを私は聞いていたが、ふいに知人が
ロープを大男の首に巻き付け、締め始めた。

しかしどうも締め方が緩いようで、大男は暴れに暴れた。

どけ、と私は知人を押しのけて、
ロープを二重かつ緩み戻しのないように締め直し、力を最大に込めた。

二重にした効果は絶大で、大男は真っ赤な顔になり、息も声も出なくなった。

その時、二階から人の気配が降りてきて、私は
一瞬どうしようか考えたが、とっさに大きな声を出し、
それを音の煙幕のようにして大男の首を持って外に出た。

首だけ、というのも奇妙ではあるが、
ロープが巻き付いたままの首を持って私は外に出ると、その首を
車の運転席のシートの下に隠した。

ドアを閉める時に、いやこの暑さだから閉めると蒸れて腐り易いかな、
などとまるで鍋のカレーのような不謹慎なことを考えたが、
やはりイヌなどが臭いに集まることの方が不安で、しっかりとドアを閉めた。

暑い時期にはいろいろ注意しなければならないことが多い。

現実には私は人の首を締めたりはしません。
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夢の羅列<心模様はシクラメンのかほり>

2016-07-02 23:46:44 | Dreams
夢の羅列<心模様はシクラメンのかほり>


夢の中で私は繁華街にいた。

ネオンがうるさいパチンコ屋があり、
けたたましい騒音のディスカウントストアやゲームセンターが並ぶ。
店頭に数台のジューサーが置かれ、生ジュースを販売している果物屋。

ははあ、これは新宿渋谷ではないな。

新宿の大ガード付近をそっくり杉並区は高円寺に持ってきたような、
JRガード下がどうしても街の中心構造になってしまうというような、
それでいて雑多感がいかににも垢抜けないローカル臭のする、
そんな繁華街を私は歩いていた。

出で立ちはジーパンにグレーのパーカーである。
まるで中学生である。

どこへ行くのかというと、
楽器店である。

何かを買うというような目的はなく、
おそらく誰かに呼ばれたのではないか。
わりと前向きな気持ちで私は楽器店に向かっていた。

現実には楽器店などには行かない。
最後に楽器店という場所に足を踏み入れたのはいつだっただろうか。
もう憶えていないくらいに、もしかするとあれは前世だったかな、
というくらいに昔のことだ。

夢に戻ると、
私は楽器店の前まで到着し、階段を上がろうとした。すると、
店の前にとても古い友人が立っていて、私の名を呼んだ。

「おお、○○。何してんの」

「いやー、心模様がいろいろあってね」

若い頃のバイク事故によるよく回らない呂律は昔のままだった。

私はしばらく彼となんとなく話しをしながら、
最初に彼が言った心模様という言葉の使い方について考えていた。

普通、いろいろあって模様のようだから「心模様」なのだが、しかし、
「心模様がいろいろあってね」は間違ってもいない。なぜなら、
模様も色や形、様々だからだ。

でもたぶん私は使わないな。
使うとしたら「心模様が複雑でね」か。
いや、これでは少し表現が硬いか。

「心模様が混濁気味でね」
「心模様が点描のようでね」
「心模様が都会のモザイクのようでね」
「心模様がアクアフレッシュの最後みたいでね」

書くほどに愚かになってきた。

最初に友人が言った使い方が一番すっきりとしてよかった。
というより、
単に「いろいろあってね」でいいのではないか。
街で偶然に会って、いきなり心模様を持ち出されても困惑するというものだ。

などとどうでもいいことを考えていたら、やはり、というか、必然というか、
あの「心もよう」という曲のイントロが聴こえてきた。

井上陽水である。

長いギターのイントロが終わり歌が始まった。

「♪真綿色した、シクラメンより」

おいおい、これでは布施明じゃないか。

「心もよう」の出だしはどうだったか。

夢の中での思考なのでどうしても「心」と「シクラメン」が混濁するのである。
いつの間にか楽器店も繁華街も友人も消えた。そして、

そんな点描意識からやっと私は抜け出し目が覚めた。

「なんにしても、もう全てが古いな」

暑い。
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Coffee Note 20160701

2016-07-01 19:53:09 | コーヒー
つい最近、かなり有名な店からコーヒー豆を各種購入してみたのだが、
これがあまり芳しくない。

飲むのが早すぎたのかと思い、少し日にちをおいてから淹れてもみたが、
これがあまりよろしいとはいえない。

その店のオーナーというか、社長というか、創業者というか、
その人の言動などを読んだりすると経験も実績も知識も情熱も感じるのだが、
肝心のコーヒーがあまり素晴らしく感じられない。

やはり飲むのにはまだ早いのか。
判断は簡単に下せない。

他の店で買ったコーヒーはとても美味いのだが。
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