夏が終わりつつあるこの季節はとくにラテン系の音楽が聴きたくなる。
真夏の暑さと喧騒がまだ残っている気持ちの中にふと忍び込む秋の気配。
そんな夕暮れにラテンジャズやヴォーカルものを聴きながらコーヒーを飲むのだが、
このコーヒーという飲み物も、10回淹れれば、だいたい3回はあまり美味くない。
それで10回のうち5回ほどはまあまあ普通に美味くて、
さらに「おっ、これは」という感じが1回。
この9回に含まれる感想がコーヒーの全てであれば、
それほどコーヒーにこだわることもないのだが、残りの、
10回のうち、たった1回がまさに突き抜けるほどに美味いことがあり、
もう大声を出してそこらを走り回りたいくらいに美味いのだが、
それもまあ出来ないので、目をつぶって、電気も消して音楽も消して、
その一杯の味わいと余韻に短くない時間を浸って過ごす。
もうね。そんな一杯には他の一切が邪魔に思えてね。
そして余韻が黄昏の彼方に去りつつある頃にまたプレーヤーのスイッチをオンにして、
小さめの音量で聴くスローテンポのラテンジャズの切なさ。
そんな時、窓の外に「トンッ」と小さな足音が聞こえて、
ネコたちがエサをねだりにくるのがわかる。
私が庭に出るとネコは「遅いよ」という顔で私を迎える。
最高のコーヒーの余韻で優しい気持ちの私はネコの頭を撫でてやろうと手を伸ばす。
しかしネコはあっさりと私の手を避けて1メートルほどさがる。
4匹が四方に散って誰も触らせてくれない。
エサは食ってもねだっても、触らせてくれない。
たとえ野良であっても時にはこの優しさを受け止める「優しさ」があってもいいと思う。
そして寂しくリビングに戻ればラテンのリズムとまだ鮮やかなコーヒーの甘い残り香。
真夏の暑さと喧騒がまだ残っている気持ちの中にふと忍び込む秋の気配。
そんな夕暮れにラテンジャズやヴォーカルものを聴きながらコーヒーを飲むのだが、
このコーヒーという飲み物も、10回淹れれば、だいたい3回はあまり美味くない。
それで10回のうち5回ほどはまあまあ普通に美味くて、
さらに「おっ、これは」という感じが1回。
この9回に含まれる感想がコーヒーの全てであれば、
それほどコーヒーにこだわることもないのだが、残りの、
10回のうち、たった1回がまさに突き抜けるほどに美味いことがあり、
もう大声を出してそこらを走り回りたいくらいに美味いのだが、
それもまあ出来ないので、目をつぶって、電気も消して音楽も消して、
その一杯の味わいと余韻に短くない時間を浸って過ごす。
もうね。そんな一杯には他の一切が邪魔に思えてね。
そして余韻が黄昏の彼方に去りつつある頃にまたプレーヤーのスイッチをオンにして、
小さめの音量で聴くスローテンポのラテンジャズの切なさ。
そんな時、窓の外に「トンッ」と小さな足音が聞こえて、
ネコたちがエサをねだりにくるのがわかる。
私が庭に出るとネコは「遅いよ」という顔で私を迎える。
最高のコーヒーの余韻で優しい気持ちの私はネコの頭を撫でてやろうと手を伸ばす。
しかしネコはあっさりと私の手を避けて1メートルほどさがる。
4匹が四方に散って誰も触らせてくれない。
エサは食ってもねだっても、触らせてくれない。
たとえ野良であっても時にはこの優しさを受け止める「優しさ」があってもいいと思う。
そして寂しくリビングに戻ればラテンのリズムとまだ鮮やかなコーヒーの甘い残り香。