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5/31 コーヒー

2020-05-31 20:02:58 | コーヒー

5/31

先週の金曜日に、注文していたコーヒーが3種類、計1.2キロ届いた。
しかしもうだいぶ暑いから、通販で買うのは秋まで出来ないかと思う。

私の注文する焙煎業者にクールの取り扱いがなく、
配送途中で車内の熱にやられてしまう可能性があるからだ。

それにしても最近、コーヒーの消費量が少し増え、1日60グラム以上飲むので、
あたりまえだが、保存している豆がみるみる減っていく。

日本とは季節が逆の南米で新型コロナの感染者が増えているらしく、
コーヒー価格に影響がなければいいと思うが、まあ、いずれあるでしょう。

今は自家製のジンジャーエールを飲んでいる。

おやすみなさい。E V O L U C I O

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5/30 夢の失効手続き

2020-05-30 19:37:56 | Dreams

5/30

すべて夢の話なのだが、
今日の夕方4時に車の免許関係の大事な手続きがあったことをまったく忘れていて、
昼寝から目が覚めたのが3時頃であった。
目が覚めたといっても夢の中で覚めたので、実は覚めていないのである。

その手続きを期限日の今日しないと免許証は失効してしまうのだった。
私は酷い忘れぶりに、
とうとうこんなことも出来なくなってしまったかと独り嘆いた。

しかし、もしかするとまだ間に合うかと慌てて書類を探してみたが、
部屋が滅茶苦茶でどうにもならない。
ところが、何事もどうにもならなくなると逆に冷静さを取り戻す私は、
まあ間に合わないとしても、もう慌ててもしょうがない。
それに何かきっと救済措置があるだろう。
などと散らかった書類を見ながら考えた。

それにしてもなぁ、まったく忘れていたし、何も準備をしていないし、
オレももうダメだなぁ、ボケたなぁ、と苦笑いをしていたら覚醒してきて、
ようやく本当に目が覚めて、時計を見たら12時半で、もちろん昼のね。
おいおい、まだぜんぜん余裕じゃないか、
よしよし、ならシャワーを浴びて、コーヒーを飲んで、書類を探して行くか。
なんだよ、オレって出来る奴じゃないか、ふふふ。
と、ベッドの上でしばらく笑っていたら、
その予定がまったくないことにやっと気がついた。

おつかれさまでした。E V O L U C I O

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5/28 Diary どうでもいいこと。

2020-05-28 19:58:28 | Diary

5/28

最近、寝酒にスコッチ&ソーダ、もしくはスコッチサワー&ソーダを飲んでいたのだが、
だからといってけっして深く眠れるわけでもないような気がして、
しかも夜中に酔いが醒めたからなのか、ふっと目が覚めてしまうことが多くなり、
ここ数日は飲むのを止めている。
もともと寝つきはすこぶる良い方なので、まったく困らない。
だいたいすでにもう眠いしね。

おやすみなさい。E V O L U C I O

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5/27 Diary パン

2020-05-27 19:00:36 | Diary

5/27

夕方、近所で買ったパン・ド・カンパーニュ(田舎パン)を食べたが、
やはり私はこういった粉と水と塩と酵母だけのパンが好きだ。
最近のバターたっぷりのリッチテイストは甘くて飽きる。

おつかれさまでした。

おやすみなさい。E V O L U C I O

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5/25 Diary 我が国の防御システムについて

2020-05-25 18:09:11 | Diary

 5/25

我が国の新型コロナウイルス禍は収まりつつあるようだが、結果論として惨事となった欧米に比べ圧倒的にその被害は少なかった。

今回のコロナ禍の初期で、他国のように追い返せば事足りたのに、親切にも停泊を認めて、なおかつ全面的に船内での治療などに対応したクルーズ船での日本のやり方を揶揄していた部分もあった欧米のメディアは、その後に強い毒性に変異したと思われるウイルスの襲来に自国らが遭い、もう日本どころではなくなったようでしばらく彼らの発言はあまり見られなかったが、最近になって日本がまた目につくようで、「日本は奇妙な成功をした」「その理由はわからないが、日本での死者は極めて少ない」などの「事実だから認めるが悔しいから絶賛はしない」という論調の記事が出てきたように思える。

「奇妙」「その理由がわからない」なんとすばらしい褒め言葉であろうか。

ある国がある国を研究考察し結論を出す場合、される側として、これに勝るうれしい言葉があるだろうか。いやない。つまり欧米はまだ自分たちの物差しでしか人を測れないことを露呈したのである。我々東洋の深い思想に彼らの思考はまったく届かなかったことの証なのである。

答えを言おう。
なぜ我が国の要所要所に護国神社があり、また他の大小の神社仏閣が全国に普く古来より鎮座しているのか、それを考察の基礎とせず我が国の何を語るというのか。笑止千万、片腹痛い、失笑噴飯、Lol、一昨日来い、なのである。


神社仏閣が地形や利便性に沿って「まあこんなもんだろう」と適当に建てられていると思ったら大間違いで、すべての寺社は他のすべてと綿密に連携し、その設置方角は光と神と仏の出入口として精緻に精密に緻密に計算されているのである。

たとえば江戸の守り神と呼ばれる芝増上寺の裏鬼門封じのように、実は江戸だけではなく、日本全国津々浦々までこの国には強力にして強大な「結界」が張られているのである。


だから他国が「奇妙なことに」や「理由が不明だが」などと発言すると私はうれしいのである。
神州不滅、一日一善、ここらで止めてもいいコロナ、なのである。

ちなみに私は本日、東京のド真ん中に鎮座マシマシている巨石「幸せ撫でガエル」を万遍なく撫で回してきたので、今や幸せオーラに充ち満ちているのである。

以上、荒俣宏の読み過ぎかもしれないのである。


(下線、小林旭/自動車ショー歌より引用)

おつかれさまでした。E V O L U C I O

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5/22 Diary コドモ

2020-05-22 19:58:05 | Diary

5/22

子供って面白い。
あんなに小さいのにちゃんと足と手があって、動いて。
それでまた服がね、今はみんなジャストサイズで着ているから、
かわいいこと。
その上、最近は一人前にマスクしてるのがね、さらにね。

誰の絵が好きかという自問で、
画家の名前をどんどん絞っていくと、
私の場合最後に残るのはもしかすると
「いわさきちひろ」なのかもしれない。

彼女が今でも生きていたなら、
マスク姿の子供の絵を描いただろうか。
見たかった。

おやすみなさい。evolucio

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5/20 就職しました。

2020-05-20 18:50:53 | Dreams

5/20

昨今の世界情勢に鑑み、私も暮らしの安定を計らねばと就職をする気になった。
いい具合に近所で頃合いの会社を見つけた。
さっそく面接が通り、私はめでたく仮雇いの勤め人となった。

働きによっては本雇いにしてくれるらしい。しかし正直ヤル気はない。
同じように一緒に仮雇いになった新人が他に二人いた。
若くもなく年寄りでもない男たちだった。

さて何の会社かというと、
おでん屋である。
しかも牛乳屋も兼ねていた。
昨今のコロナ禍により学校の休みが続き、牛乳の卸販売が滞っていて、
中年男の社長は売れ残った分を政府に買い取ってもらう気でいるらしく、
私も「いいアイデアですね」とテキトーな相槌を打った。

牛乳は売れなかったが、おでんも売れなかった。
おでんは1階の店で対面販売である。売れないからもう真っ黒である。
煮詰まった黒いおでんを見つめながら私は現実感を失いボーッとしていた。
しかし現実感を失うのはあたりまえの話で、すべて夢の中の出来事なのだから。

とはいえ、夢の中でこれは夢だと認識できる時は稀で、今回は曖昧であった。
私はなるべくラクをして給料を毎月もらいたいと考えていた。
謂わば、目の前の黒いおでんに私の未来があるといっても過言ではないのだった。

ところが実は、
この会社のおでんと牛乳は表の看板で、本業は裏稼業であるらしかった。
というより話を聞いていると、どうやら本来の裏稼業がおもわしくなくて、
ただの看板であったおでんと牛乳の稼ぎに頼っているというのが実情の様子であった。
つまり今になっては、おでんも牛乳も裏もすべてダメなのである。
それで人を新規に雇うということは何か事情があるのだろう。

さて、おでんにしろ牛乳にしろ裏稼業にしろ、
私にはどれも気が進まないことばかりであった。
しかし強いて言えば「おでん」かなぁ。
ここで辛くともおでんの修行をしておけば、
もしこの先食えなくなってもおでん屋の開業もできるではないか。
私の未来において希望をしない選択肢の最後の一つとして残してもいい保険だ。

しかしそんな消極的な心構えでおでん屋が成り立つほど甘いわけもなく、
しかも目の前のあの臭くて黒いおでんを見ていると、
先ほどの主張とは逆になるが将来役に立つとも思えなかった。
だいたいテキトーにおでん屋を開業するくらいなら、
本気でコーヒー屋をやるに決まっている。

「ガチャ」
社長と新人二人が部屋に入ってきた。
これから本雇いの儀式を始めると言う。
「儀式」か。
なにしろ胡散が大変に臭うのである。

さてその儀式とは、
仮に「中途採用本雇いの儀」とでもしておこうか。
社長と新人ひとりが組みになり、お互いの袖をめくった右腕を交差し合わせるのだが、
ただ合わせるのではなく、
その合わせた腕の間に熱いおでんではなく、
真っ赤に焼けた1センチ角ほどの鉄片を入れることが肝であった。

悩む間もなく始まった。
「あ゛ぁー」と新人。
「くぅー」と社長。
そりゃあ熱いだろう。小さくとも焼けた鉄である。
大袈裟に叫ぶ新人に対して、さすがに社長は目をつぶり小さく呻くだけであった。

さて、どうやって逃げようか。
こんなのにつき合ってられないよ。
夢でした。

おしまい。E V O L U C I O

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5/16 映画「レディプレイヤー」

2020-05-16 20:39:23 | 映画

5/16

先日、「レディ・プレイヤー」という映画をCSで放映していたので、まず解説を読むと、なんとなく子供向けのような気がしたのだが、監督がスピルバーグだというし、最近のフルCGの完成度も確かめたかったので見始めた。

見始めたはいいが、たいして面白くもなかったのでどうしようかと考えながら観ていた。まあスピルバーグだからそのうち何かやってくれるだろう、という期待だけで最後までスイッチをオフにせずにいたのだが、とくに何も目新しいことは起こらず終わってしまった。これはなんだろう。要するに私には合わない作品だったようだ。

物語に捻りがなく、隠し扉、3つの鍵、隠された宝、髭の賢者、呪文だか箴言だかの数々、そのうち仮想と現実が徐々に混じわっていくだろうな、きっと世界は救われるだろうな、大団円、そしてチュー♡(をしたかどうか憶えていないが、たぶんしただろう)など、ああなってこうなるんだろうな、という予測をことごとく終始外さず、つまりこの作品は話の流れを重視せず、ディティールに心血が注がれているのだろう。

楽しみ方はおそらく、作品内に散りばめられた80年代?のポップカルチャーへのオマージュやトリビアを見つけることにあるのだと思う。

そういったことに興味がない私には面白くあるはずもなく、だから私の評価はまったく価値がない。好きな人には玉手箱なのでしょう。きっと。

だからこの映画を私のように単にひとつの物語として観たらそれほど面白くはない。
たとえていうなら、多くの古典からの引用を盛り込み、その知識がなければ意味がわからないというほど難解なエリオットの詩「荒地」のように、物語に幾重にも織り込まれた小さな世界観をひとつずつ開けてゆく楽しみをスピルバーグは提示したのではないか。

とはいえ、その夜に観た「スーサイド・スクワッド」の方が私には断然楽しめた。

ハーレイ・クインはもちろんよかったのだが、彼氏のジョーカーが一番よかった。キチっぷりに深い香りがあった。ジョーカーだけが他のキャラクターに比べその作り込みが一段上にあったと思う。

しかしハーレイ・クインは元々ただの精神科医なのに、なんであんなに強いのかが謎だった。ジョーカーに頭に通電されて、身体的にも何か増幅されたものがあったのだろうか。まあ魅力的だったからどうでもいいのだが。

おつかれさまでした。evolucio

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5/13 映画「スリーピングビューティー」感想

2020-05-13 18:31:08 | 映画

5/13

ある夜、もう寝るかと思っていたが、なんとなくつけていたCS放送で「スリーピングビューティー」という映画がちょうど始まり、先に解説を読むと、川端康成の原作を映画化したものであるらしく興味が湧き、ならちょっとだけ観るかと見始めたら、なんだかとんでもなく悪趣味の設定で、最初の方からおっぱいがたくさん出てくるのだが、それがまったく奇妙な出方で、私はそのSMチックなおっぱいを見ながら「エッチな映画が始まったぞ」と独りゲラゲラ笑ってしまい、ところが主演のエミリー・ブラウニングを映画「レジェンド・狂気の美学」で以前に観て、不思議な顔の女優だなと思っていたこともあり、彼女の奇妙な魅力に引っ張られたまま観ていたら、突然よくわからないままプツンと終わった。

作品は現実を描いているのだが、しかし観念的で、どの場面もたとえば睡眠薬を飲み寝ずに歩き回っているような現実感に乏しい感触で、主人公のルーシーの見ている世界だけが時空に浮遊しているようだった。

私は川端康成の原作「眠れる美女」を読んでいないから原作とどれだけ違っているのかわからないが、映画の冒頭に感じた気持ちの悪さは終始拭えなかった。後味もけっしてよくはない。

なにしろ心の闇というか奥底というか、そこいらを拗らせたきった、しかし金と暇はある年寄りが次々に出てきて、そこに全裸のルーシー(エミリー・ブラウニング)が薬で眠っているわけである。

眠っているルーシーも金になるからそうしているわけだが、しかし彼女も心の闇を抱えていることは明白で、それなら闇と闇の対決なのかというと、いや片やまだ子供の域を脱していない年頃で、片や人生の終焉にまだ何かやり残したことがあるといったような◯◯爺ぃたちで、金を使うのは百歩譲ってまだ許そう、しかしなんで相手を眠らせてまで、と思ったのは私だけではないはず。気持ち悪ぃ。おいおい人生の最後はスカッと行こうぜ。そんなに拗らせた挙げ句ドロドロ煮詰まっているなら、もう独りで首括れよ、と画面に向かって口に出そうになった時よく考えてみれば、そうか、ガス自殺をした川端康成は偉かったな。と不謹慎にも思ったのでした。

そのうち原作を読んでみようかなと。おしまい。

暑いね。EEVVOOLLUUCCIIOO

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5/12 Diary

2020-05-12 16:22:47 | Diary

5/12

昼間、犬の散歩をしている人を見て不思議な気持ちになった。
犬って面白い。
つながれていることに違和感なく歩いている。
人も面白い。
犬をつないで歩いていることに疑問を持たずに歩いている。
そんなもんか。
まあそんなもんだろう。

おつかれさまでした。E V O L U C I O

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2020.5.THE THREE DEGREES youtube

2020-05-07 15:49:18 | youtube

貼った動画は重いので削除しました。

追記アリ。

最高である。
今、スリーディグリーズが熱い。オレの中で。

全盛期(70年代)に比べてあの時の若さと引き換えにこの圧倒的な存在感を得た彼女たちのステージに魅了されない人がいるだろうか。

1975年くらいに来日し、「夜のヒットスタジオ」に出演した時、サイドで歌っていた細くて小顔のヴァレリー・ホリデイが今はセンターで歌っているが、見れば見るほどなにしろ可愛さが増しているような気がしてならない。

そして向かって右のわりと新加入であるフレディ・プールさんも、とことん煮詰めたかのような可愛さに溢れ、その濃厚すぎる魅力に私は感動すら覚えるのである。

それでこのオーケストラであるが、相当に金がかかっているだろう。

70年代の全盛期におけるブラックミュージックっぽさは薄れているが、逆にそれが豪華さを高めている。

リズムもホーンもストリングスもコーラスもレベルが高く、とくにベースの上手さは特筆しておきたい。

どんなすごい人がこのベースを弾いているのかと見ていたら、8分前後に学校の先生みたいな人がつまんなそうに弾いている姿が少し映り驚くのだが、いや上手さは隠せないね。派手さはまったくないが素晴らしい。

そして後半に入ってくるタンバリン。これがあるとないとではまったく違う印象で、そこからノリも一層深まり、ああ楽しい、と理屈ではない何かが押し寄せてくるのだ。

以下追記。

夜のヒットスタジオの動画を貼ったので追記を少々。

TSOP(ザ・サウンド・オブ・フィラデルフィア)ソウルトレインのテーマ曲で登場するスリーディグリーズ。
「コンバンハ」がシーラ・ファーガソン。
「コンニチハ」がヴァレリー・ホリデイ。
「サヨナラ」がフェイエット・ピンクニー。(2009年没)

このうちのコンニチハ・ヴァレリー・ホリデイが今日現在のスリーディグリーズのリードヴォーカルを務めている。そのチャーミングさは今も昔も変わらない。

なんといっても登場から3人とも実に楽しそうで、シーラ・ファーガソンのアハハ笑いを聞くと幸せな気分になる。

当時1975年くらいのアメリカのショーピジネス界における黒人女性歌手の地位と待遇を考えてみれば、けっして恵まれた状況ではなかったはずで、全盛期の人気と仕事量とその裏を思えば、おそらく筆舌に尽くし難い経験の数々があったに違いないが、もしこの動画にあるように日本のテレビ局でとてもよい待遇で迎えられ、彼女たちが心から楽しめる時間を持てたのだとしたら、45年後の今視ている私としても、とても嬉しい気持ち。

たしかに、彼女たちの一番の有名な曲「When will I see you again」を英語以外では日本語だけでしか発売されていないし、「にがい涙」という作詞安井かずみ作曲筒美京平コンビの作品もリリースされていて、そう考えるとスリーディグリーズと日本との関係は悪くなかったと思いたいが、まあビジネスの世界だからロマンティックな面はほどほどに、であろうか。

この夜のヒットスタジオ時のメンバーは黄金期ともいえる3人で、それぞれがソロとして通用するほどに歌のレベルが高く、そして踊りがまたなんというか、そんなにきっちりしていないというか、余裕の感じというか、基本はあるけどテキトーですよ、という黒人アーティストによくある緩さがとても私は好きで、今視てもチャーミングに溢れている。とはいっても当時、私は彼女たちをテレビで見て、正直なところ「怖い」と思っていた。だってまだ子供だったから。

夜のヒットスタジオでのバックバンドはダン池田とニューブリードだと思うが、ベース、かんばってます。

当時の日本のビッグバンドの実力は高く、今、他の外国の動画、本場フィリースタイルの演奏と比べても引けを取るものではないと思う。

4番目の動画のコントの後に日本語で歌う貴重な映像ではバックを原信夫とシャープスアンドフラッツが務めているとのこと。

まあアメリカの音楽業界は日本に比べてあまりに裾野が広く奥が深くて、上手いミュージシャンはゴロゴロいるから、総力戦で勝てるかといったら勝てないけどね。

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5/5 映画「愛しのアイリーン」感想

2020-05-05 20:12:18 | 映画

5/5

先日、「愛しのアイリーン」という映画を観たので、感想を少し。

新井英樹のコミックが原作であるらしく、この作者の名前を私は憶えていなかったが絵柄は記憶にあった。汗臭く泥臭い作品が多かったと思うが、私はひとつもきちんと読んだ記憶がまったくない。おそらく当時の私には「こんなの暑苦しくてとてもとても」だったと思う。

それで映画「愛しのアイリーン」だが、もちろん原作コミックのことはまったく知らなかった。話が始まって、安田顕か、まあ顔は知っているな。なんか今回は変な役だな。河井青葉か、よく知らないが、たしか「私の男」に出ていたような。などと思いながら観ていたら、主人公岩男の母役の婆さんの演技が白熱してきて、私は一気に映像に引き込まれた。

話の筋はというと、
田舎のパチンコ屋の純情ウスノロ店員の中年男、岩男が淡い恋に破れ、持て余した性欲の勢いでフィリピンへと嫁を買いにゆく。貯金するしか能がなく地道に溜めた貯金から300万円ほどを使い仲介業者から買った嫁アイリーンを日本に連れて帰った。

年老いた母はその外国人嫁を猟銃で撃ち殺そうとするが果たせず、しかしその後は嫁を虫けらと呼び、以降、邪険に扱い続ける。

国に残した家族思いのクリスチャンで健気な嫁だが、まだ金で繋がった夫に心も身体も許す気になれず、夫の岩男は身体はデカいが性格が優柔すぎて嫁の態度を受け入れたまま悶々と暮らしている。
そんな息子を溺愛している母はどうしても日本人の嫁と息子を一緒にさせたく、その弱みにつけ込んだ女衒ヤクザの口車に乗ってしまい、アイリーンを拉致させてしまう。しかし寸前で帰宅した岩男が猟銃を持ってヤクザの車を追いかけて行く……、という感じで、起承転結でいえば、ここで承くらいではないか。

私は最後まで母である婆さん役の女優が誰だかわからなかった。
もたいまさこ?に似ているが、いや違うだろう。では誰か。と考えながら観ていたら、すっかり婆さんの演技に嵌ってしまい、カメラの前で燃え尽きてしまうのではないかと不安になるほどに荒ぶる女優魂に私はヘッドロックされ、最後までそれは外せなかった。女優の名は木野花。

岩男の嫁フィリピーナ役で実際にもフィリピンの女優ナッツ・シトイも大変によかった。弾けるような可愛さと芯の強さを併せ持つ佇まいがよかった。とはいえ私には小学生くらいの子供にしか見えず、そういった対象には最後まで思えなかったが、あのフィリピンの田舎から出てきたばかりのような南国娘が、日本の田舎の雪道を綿入れ袢天姿でトボトボと歩く姿にはちょっとまいった。あれは見るのが辛かった。

話はヤクザがアイリーンを拉致し、それを岩男が追いかけてゆき、行き止まりの山道に追いつめたところから新たな展開を見せていくのだが、その後のことはここには書かない。

それでこの作品の主題は何か?というと、
私の今のところの答えは「都会と地方を一緒にするな」ではないかと考えている。

都会と地方にはそれぞれの長所や短所があるが、しかしやはり地方には、とくに雪国には、私のような都会育ちの自然の災いにまず苦しんだことのない者にはまったくわからない厳しさがあり、故田中角栄がそのことをよく言ったことを思い出す。

それはたしか「他の者にとって雪はロマンだが、雪国の者とっては雪は戦いだ」というような意味であった。

だからこの映画にも雪の景色が出てくるが、私にはその本当の厳しさがわからない。「美しい」で済む世界ではないということはわかるが、そこに生きて暮らすことなど1ミリも思うことはない。

厳しさは雪や自然環境だけのことではなく、直截にいえば、嫁問題であり、排他的な村社会のしがらみであり、雪と同じように気ままな都会暮らしとは大きく違う部分が良くも悪くもあり、導かれる答えは、雪を美しいと思う尺度では地方の全ては語れない、ということではないか。

もちろん私には地方に排他的な村社会などが「あるかどうかもわからない」ままこれを書いていること自体が本質的にズレているわけだが、そこはご容赦のほどを。

しかしそれを悪い意味だけで書いているわけではない。
村社会は良くも悪くも作用するであろうし、良くも悪くもは村でも町でも同じであり、つまり「違う」ということを言いたいだけで、それをひと言でいうなら、まあ「多様性」なのかもしれないが、それだと当たらずとも遠からずというところか。

主人公岩男の暮らす環境は、田んぼに囲まれた古い実家があり、ボケた父がいて母がいて、パチンコ屋に勤め、夜は下卑た上司と絵に描いたような地方の飲屋街のフィリピンパブで飲み、下品な話をする。なにしろ冒頭から「オ◯ンゴ、オ◯ンゴ」の連呼である。上司の挨拶が「おはようご◯ーメン」である。

けっして上品ではない私が見てもキツい生活環境なのだが、ところが岩男が嫁を買いにフィリピンへ行くと、そこにはさらに一段も二段も低い環境が普通にいくらでも広がっているのだ。

この、観客、岩男、フィリピンの貧しさ、という三段構えの構図にもっと深い答えがあるように思えるのだが、それを書くにはまだ考えが足りない。

ただし、フィリピンがすべて貧しいわけもなく、フィリピンのハイクラスは英語も満足に喋れない日本人などはまず相手にしないことは明記しておきたい。

最後に、私のこの映画への結論は簡単だ。これは母である婆さんの映画である。制作者や監督、出演者たちの様々な思いはあっただろうが、婆さんがそれら全てを捩じ伏せてしまったのではないか。

老婆で感動した記憶があるとすれば、映画「阿弥陀堂だより」のおうめ婆さんを演じた北林谷栄である。

北林谷栄の生と死の狭間のように止まった時空においての演技を「静」とするならば、こちら「愛しのアイリーン」で気違いじみた、まるで怖いものなどないがごとく突進する鬼婆は「動」として対比させることが出来る。しかし、山に広がる死の予感に満ちた雪の中で、善も悪も絶対値としての等価に凍りつかせてしまうような厳寒の中で、「動」であった老婆は自らの生涯最高の記憶を二つの命に重ね合わせた瞬間、彼女の「動」はついに終わった。荒ぶる魂は雪の静けさに永遠に同化した。
その真っ白に昇華してゆく彼女の姿を私がここに神々しいと書いて何の差し支えがあろうか。

日本に来たばかりのアイリーンが山の田んぼ道を走る軽トラックの助手席で口ずさむタガログ語の歌とその後の花火の場面がとても素晴らしい。

健全ではないが、いかがわしくもない。

以上。E V O L U C I O

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5/4 映画「祈りの幕が降りる時」感想

2020-05-04 18:37:23 | 映画

5/4

普段あまり最近の日本映画は観ないのだが、CSで「祈りの幕が降りる時」という作品をなんとなく見始めたら、なかなか最後まで見せてくれた。

主演の阿部寛という俳優は、私の認識よりずっといい役者になったんだなぁと終始思った。

まず主役を張れる器量も存在感もあり、そしてよい意味で力が抜けていて大袈裟な演技をするでもなく、立ち姿もいいし、歩けば涼しげだし、きっと本来の性格もいいのだろうな。あまり彼の作品を観たことがないのだが、機会があれば観てみようかなと思った。

しかし一番よかったのは小日向文世で、善人が善人であるがゆえに世の中の昏い底へと墜ちてゆく哀しさを十分に演じてくれた。

何もなくても父と娘というシチュエーションには弱いのに、あんな設定であれほどの演技をされたら、あまり性格のよくない私でさえうっかり涙腺が切れそうになった。

小日向文世という人のこともあまり知らなくて、たとえばアウトレイジ、それから世の中から電気が突如なくなってしまうという設定の変な作品、それくらいが頭に浮かぶだけだが、しかしそういった少しクセのある役よりも今回のなんの特徴もなく、ただの善人で、運命に翻弄され続け、次第に息も出来なくなってゆくというような役を演じる方が難しいだろうなと思った。

いや理屈ではなく、私は彼のその静かな、しかし迫真の演技に圧倒された。

以上。 E V O L U C I O

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5/3 Diary

2020-05-03 19:37:49 | Diary

5/3

世は自粛につき平静ではあるが、
今年も裏庭にジャスミンが咲き零れ、
甘い香りに目が覚めるという贅沢を楽しんでいた朝、
となりの娘がなにやら絶叫していた。

おつかれさまでした。E V O L U C I O

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5/2 夢・川縁

2020-05-02 20:24:49 | Dreams

5/2

夢の中で、
どこか田舎のような場所にある家の裏手の川へ降りて行くと、
茂みに何かの灯りが薄暗く灯っていて、
そこに数えきれないくらいの羽虫が集っていた。

私はそれを見て少しぞっとしたが、
しかしよく見ると、
羽虫だと思っていたのはすべて小さなコウモリだった。
それくらい小さい5ミリほどのコウモリが無数に飛んでいたのだった。

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