EVOLUCIO WORKS INFO

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何を描くか

2015-10-31 18:01:14 | Diary
「ピカソは狂った」

周囲はそう噂した。
保守的な世間には早過ぎたイメージだった。
これがまたその100年前(1800年頃)であったなら、
あまりの異端異形という理由で、
ピカソは死刑になったかもしれない。

彼が「アビニヨンの娘たち」を描いた1907年において、
世間一般はまだまだ「精神と表現」という
形而上(形にならない物事の本質)のイメージを、
視点の破壊によってカタチにする芸術的創造について、
すぐさま理解する許容量を備えていなかった。

ところが世間がその狂人の世界に追いついた頃、狂人は、
あっさりとまた「新古典主義」という常人に戻ってしまう。

終生ピカソは「何を描くか」を考えつづけた作家ではなかったか。

もちろん彼の残した作品数を見れば
「何かを描きたい」という<衝動>が
桁外れに強かったことは周知だ。しかし、
ある一つのモチーフもしくはイメージが彼の頭の中を
悩ますほどに占領していたとは思えない。

常に充満するイメージが噴出したのではなく、
ギリギリと「絞り出した」からこそ、キュビズムの誕生を
我々は見たのではないか。

比べてH.R.ギーガーは「噴き出す衝動」の人ではなかったか。

つづく。
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時代と変革

2015-10-28 20:32:37 | Diary
ピカソは、
「青の時代」に描かれた作品を自ら見て、
よく描けてはいるが、やはり何かが違う。
静ではなく動を、
死ではなく、生を描きたい。
そんなふうに思ったのかもしれない。

いや、もしかすると、こうかもしれない。
「今までは青の気分だったが、それはもう終わった」

そして、
次の「薔薇色の時代」に画面から寒さは消えつつあったが、
しかし、まだそこは死の国のようだった。

そして自分の望むもの。
本当に描きたいもの。
それを自分に問い、意識や心を絞って絞って、
乾いたそれをさらに絞った挙句、
出会ったアフリカ美術のひと押しによって、
やっと一滴の雫が垂れた時、
キュビズムという絵画表現の革命が起きた。

つづく。
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才能と衝動

2015-10-27 18:21:46 | Diary
芸術家には、
「絞り出す才能」の芸術家と
「噴き出す衝動」の芸術家という2つの違いがあると思える。

私にはそれらを丹念に論評する力はないが、
誤解と迷走を恐れずに書くと、

例えばピカソは「絞り出す才能」だったのではないだろうか。
築き上げた高度なデッサン力や描写力を捨てて、
アフリカなどの美術からヒントを得た表現へと変貌していった。

つまりは、
自分の高い能力をいったん壊し、
新たなイメージと方法論によって、
高みのさらなるまた高みへと飛翔していった。

「何かが違う。何かが違う」
ピカソはきっとそう思い続けたのに違いない。

つづく。
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今度はロッキー12345 そしてファイナル

2015-10-25 17:40:49 | Diary
観るわけがない。
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まだエイリアン

2015-10-20 18:48:30 | Diary
映画「エイリアン」の第一作は1979年の制作で、
監督リドリー・スコットと女優シガニー・ウィーバーを世に知らしめた。
また、それ以上にエイリアンの造形や、
劇中の廃船、化石となった異星人などをデザインしたH.R.ギーガーの名が
注目を浴びた。

当時のことを私はもうよく憶えていないし、
この第一作目を観たかどうかも曖昧なので、はっきりとは言えないが、
世間が受けた衝撃は、エイリアンという映画からである以前に、
H.R.ギーガーの創作したイメージ、
生物と機械を限界まで気色悪くかつ性的に融合したデザインから、
であるとおそらくは言えなくもない。

もちろん、映画より以前にギーガーの画集や
レコードジャケットデザインなどがあったわけだから、
知る人こそは知っていたが、
メジャーに流通した時のパワーはさすがに計り知れない。
アートがうまくエンターテイメントになった時、
イメージを具現化する爆発的な力を生み出した良い例だったと思う。
しかも、いつまでも陳腐に成れ果てないのは、
彼の制作すべてが本物で、生半可な仕事ではないことの証明だろう。

以前にも書いたように、私にはエロはあってもグロはないから、
当時も今も、ギーガーのデザインから
それほど影響されることはないが、しかし、
バイオメカニカルというオリジナリティにはいつ見ても驚かされる。
「バイオとメカの融合」と言うことは簡単だが、
ギーガーのそれらの完成度は吐き気がするほどに高い。

ギーガーの絵、造形、プロダクツなどを見ることは、
デザインとイメージの本質について多くの示唆を見つけることでもある。
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私とエイリアン

2015-10-17 15:54:31 | Diary
前項のつづき。

結局のところ、
エイリアン4のクライマックスで、
宇宙船の窓から噴き出す血と骨と肉片を観ながら、
感動、それも仕組まれたそれに抗えず、
ほんの僅かにではあるが涙腺を弱めながら私は、
無限の空間に散った生まれたばかりの儚くも凶暴な幼心を想って
心に泣いた。

そして、
2日間で8時間という何も得るものがない時を過ごしてしまった私自身の
無計画さに泣いた。


これでエイリアン1234を望まずしてコンプリートしてしまったわけだが、
第一作が1979 年の制作であることに驚いた。

しかも、第四作でさえ1997年と、すでに18年の時が過ぎているではないか。

3と4は明らかに過去に観た憶えがない。しかし、
1の記憶は非常に薄い、もしくは曖昧だった。
映画「エイリアン」に関しての私の記憶は、
ほとんど全部が2のものであった。

この認識を今回の鑑賞で得たわけだが、得なくてもよかったね。




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午後のエイリアン

2015-10-15 20:59:49 | Diary
火曜日の昼過ぎにCS放送で、
映画「エイリアン」の1と2をうっかり続けて観てしまい、
小さな後悔と反省をしていた次の日のやはり昼ごろ、
ちょっとニュースでもとスイッチを入れたら、
なんと「エイリアン3」が始まってしまった。

こんなものを観ても何もメリットはない、と思いながらも、
監督がデビッド・フィンチャーで、
「驚きの結末が」などとメニュー画面に書いてあるものだから、
結局のところ、しっかりと最後まで観てしまった。

終了後、コーヒーを淹れて、心の苦味と一緒に味わっていると、
驚くことに、まったく予期せぬ「エイリアン4」が始まったではないか。
しかし、もうこんなものをいくら観ても同じことの繰り返しだと、
私にはわかりきっていた。
生まれつき学習能力が高いのだ。
まあコーヒーを飲み終わるまで、と導入部だけを私は嘲笑気味に眺めた。

パート4の監督は独特の世界観を持つジャン・P・ジュネであった。
しかも3から200年後の設定だという。
しかもリプリー(シガニー・ウィーバー)が生き返るという。
しかもしかもしかも、である。

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夢の羅列<思想および未来時計>

2015-10-07 18:59:43 | Dreams
夢の羅列<思想および未来時計>


夢の中で私は、
首の過剰ストレッチによる頚椎損傷の可能性を
どこかの女子事務員二人にくどくど説明していた。

そして私はついに、こう断言したのだった。

「健康への思想の在り方は、
リスクを負い健康を手にするか、リスクを負わず不健康であるか、
ではなく、
リスクを負わずして健康となるか、不健康であるか、の選択なのだ」

女子事務員の一人は、そわそわと帰りたそうに、
もう一人は、「聞いてあげてるけど、この人大丈夫かしら」

という表情であった。

考え方は間違っていないだろう。しかし、
澄んだ目できっぱりと人に断言するほどのことだろうか。

とはいうものの、私にしても本当は、
携帯のメモに書き溜めた「私の一日一思想集」を
一刻も早く削除したいと痛切に欲していたのだった。

しかし夢の中での機械操作ほど怪しく虚しいことはない。

さっき押したボタンが消えている。
触る度に機種が違う。

本気で相手にすればするほど死の螺旋へと巻き込まれてゆくのだった。

そういえば何時だったか。
私は左手の腕時計を見た。

それはGショックのような複合機能型の時計であった。
それにしても時刻がまったく狂っているように思えた。

昼の1時か1時半ほどのはずなのに、時計は夕方6時半を示していた。

よし、まずこれを直そう。
ここが基本だ。
正確無比な時間こそ社会的人間の第一条件なのだ。

ところが、
夢の中での機械操作ほど怪しく虚しいことはない、のだった。

これもボタンを押す度に機種が変わった。
まるで未来の時計のように様々な環境、用途に合わせた仕様へと、
すぐさま変化するのだった。

お、これはロシア語表記か。
お、これは電磁波測定機能か。
お、これは易ではないか。

なにしろどれもカッコいい。
カッコいいんだけど、大事な時刻が合わせられないのだった。

しまいに針が反乱逆行さえし始めて、
私は「いやこんな時こそ冷静に考えるべきだ」と自分に言い聞かせるも、

夢の中での思考ほど怪しく虚しいこともなく。


終わり。





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朧おぼろ

2015-10-04 21:41:44 | panlogos



馬鹿にも月、朧おぼろに夜の蜘蛛。
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コバルト遊園地

2015-10-03 18:26:00 | panlogos



洞窟遊園地、コバルト色の道しるべ
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