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20240321 東映オールスター

2024-03-21 18:47:00 | 映画
20240321

昨日は結局、任侠映画を3本観てしまった。
東映オールスターだったから、まあ仕方がない。

もっと昔の片岡千恵蔵、市川右太衛門らが出てくる古い東映オールスターも最高だが、大正任侠物東映オールスターも、これはまた格別。

中でもやっぱり飛車角鶴田浩二だな。
顔よし、声よし、華も実もあり、かつジェントルな雰囲気で、歌も上手いとくる。

「人生劇場・飛車角」
観るのはたぶん2回目だが、
少しだけ出てくる青成瓢吉役が、
若き梅宮辰夫だと今回初めて知った。

吉良常の月形龍之介もよかった。
佐久間良子は過ぎるほどの美人だった。
高倉健はこの時まだ若いが、
この作品から着流し渡世人のイメージを纏い、
任侠映画イコール高倉健という快進撃が始まるわけだ。
そのシリーズをコンプリートしておいて、
「冬の華」「夜叉」を観ると、これがまた感慨深いのだ。

こういった任侠映画の何がいいかというと、
とにかく悪い奴は悪い顔をしているところがいい。
なにしろ単純明快。

世の中がまだ善悪割り切れた時代が消え去って、
それでも頑固に命を惜しむより仁義で割り切りたい男と、
人と世の変化と割り切れなさを描いた現代やくざ映画「冬の華」が、
任侠の成れの果て、
もしくは終着点といった趣で、
感慨もひとしおなのである。

E V O L U C I O 


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20231203 映画「PLAN 75」感想など

2023-12-03 16:23:00 | 映画
以下の文章は20231017に書きました。

……私もうっかりしていたら、
古希70歳を射程に捉える齢になり、
世間でいうところの終活のことは考え始めている。

あれを捨てて、これを捨てて、それも捨てて、と、
捨てるものばかりである。
出来るなら部屋をからっぽにしてから死にたい。
しかし人に見られたくない物があるからではない。
そういうものは持たない主義なので、
ビデオ、DVD、そんなものはまったくない。
PC内にも変なファイルは一切ない。
以前に書いていた日記も捨てた。
……それは今になって少し後悔しているが。

物を捨てるのは簡単で、
分別して、それぞれ対応する日に出せばいいのだ。
全部を迷わず捨てるなら、これはすごく簡単。

一番大変なのは、捨てる物と残す物の分別である。
これを判断することが大変で時間がかかる。

しかし日記を捨てると、
他の大概の物も捨てられる気分になる。
踏ん切りがつくというか。
なにしろ、からっぽにしてから死にたいのだ。

安楽死。

現在の日本国内では違法である。
私の知る限りでは、
スイス、ベルギー、オランダなどにおいて可能らしい。
しかし我が国でも超高齢化がもっと進めば、
法整備がなされ、やがて安楽死も合法になるかもしれない。
それを民間ではなく、国が大規模に行ったら、どうなるか?
という仮想を基に作られた映画が「PLAN 75」である。
Amazonで観たので、感想などを少し。

───ほんの数年先ほどの未来の話。
超高齢化が進み、
それを支える世代が少子化により圧倒的に足りず、
政府は国民が75歳になった時、
生活が成り立たない人には安楽死を選ぶ選択肢を与えた。
それを望むと10万円が貰え、自由に使える。
その日まで毎日15分だったか、
センターから話相手になってくれる電話がかかり、会話ができる。
そしてあらかじめ決めたその日にセンターへ行けば、
ベッドに寝かされ、ガスを吸わされ、苦しまずに死ねるというのだ。

主役を演じるのは倍賞千恵子。
寅さんの妹さくらだった人だが、
とうとう安楽死を演じる齢になってしまっていた。
しかしさすがに老いに戸惑い、
世間の無常に心で泣き、
命の選択に迷う演技は一級品である。

この映画に対する私の感想は、
「合同安楽死」を国が執り行うという設定はよかったが、
リアリティに欠けるところが多々あり、
あまり本気にはなれなかった。

例を挙げると、
センターに集まった年寄りが次々に、
ガスにより苦しまずベッドの上で死んでいくわけだが、
葬式も墓も合同である。(予算別コースによる)

するとその死んだ人たちの所持品が残る。
それをたった二人の係員、
といっても年寄りの男と外国人のパートのような若い女が
コンビで片づけるのだが、それがあまりに杜撰なのだ。

遺品仕分け室には二人以外にはいないから、
金目の物が出てくればポケットに入れてしまうのだ。
国が運営する人の死を扱う施設で
そんな杜撰なことってあるだろうか?
誰が考えても、そこは厳重であるべき箇所だろう。

もう一つ。
センター側の職員に若い男がいて、
彼は安楽死の契約業務を行っている。

相談会という名の「死の営業」中に、彼の叔父がやってきた。
長年会っていなかった叔父はPLAN 75を契約したいというのだ。
詳しく尋ねると、一人暮らしで先行きに不安しかないと言う。
叔父は契約を完了した。

さて決行の日に男は躊躇いながらも叔父をセンターへ車で送る。
静かな悲壮感が車内の二人を無口にする。
車から降りた叔父はとぼとぼとセンターへ入ってゆく。
その後ろ姿を見送り、男は独りで運転し、来た道を戻る。
しかしその途中、悩み始める。
「これでいいのか」と。
悩んだ挙句にその死を止めようとセンターへ戻り建物に駆け込む。
しかし叔父はすでにベッドでこと切れていた。

男はせめて葬式を合同ではなく自分で出してやろうと、
なんと遺体を盗み出してしまう。
それをあの遺品管理室の外国人女パートがなぜか手伝うのだ。

それぞれの気持ちはわかる。
しかし国が運営する人の死を扱う施設で
そんなことってあり得るだろうか?
他のスタッフや警備員の姿がまったく見えないのだ。
そういったリアリティの乏しさにより私は本気になれなかった。

死んだ叔父のとなりのベッドでは
奇しくも倍賞千恵子が死に臨んでいたわけだが、
その命の行方は実際に観ていただきたい。
そこがこの映画の一番深いところになるのだろう。

映画の中で、
少子高齢化の解決策として国による「合同安楽死」を実施するわけだが、
しかしそれは個人それぞれの人間性を考慮しない切り捨てであり、
例えば企業の人員整理と同じで、
国や企業を残すために不要な部分は切り捨てて調整するのだ。

それとは逆の方法で、
もしも法律で「共同介護法」などが成立したら、どう思うか。
例えば近所数軒を一つのグループにして、
動ける人は動けない人を、
それがまったく知らない人であっても。
介護しなければならなくなったら。

その時が来たら私たちは、
共同介護とPLAN 75のどちらを支持するのだろうか。

しかしどちらも実現はしないだろう。
なぜなら、
そこに利権がなければ議員が立法しないからだ。
このどちらにしても利権が発生するというより、
現在の利権状況を壊しかねないから、
実現はしないだろうと思う。

このPLAN 75を観て思ったことは、
私個人的には「これは案外悪くないな」ということである。
いずれ私も必ず後期高齢者になるわけだが、
その時に金に困らずとも、身体的に困る可能性は否定できない。
すると介助や介護をされる側になるわけだが、
怪我や病気で入院し、
回復のための看護を受けることは別として、
もうそこから枯れて朽ち果てていくだけの自分を、
若い人たちの時間と労力を使い、
そこに年間数百万円の税金を投入し、
介護されるようなことは絶対に拒否したい。
拒否の意思があるうちに拒否しておきたい。
もちろん私の個人的な気持ちであるから、
違う意見を否定するつもりはまったくない。

私自身は、
歩けなくなったら終わり。
口から食べられなくなったら終わり。
そう考えているので、
PLAN 75、悪くないじゃないか。
貰える10万円はちょっと少ないと思ったが。

少子高齢化の問題は、
人権やら人間性やら、そして経済やら利権やらが複雑に絡み合い、
すべてをここに書くことは無理で省略した文章になってしまったが、
どこかで目を瞑って「えいっ」と断ち切ってしまうことも
解決につながるのかもしれないと少し思っている。
判断をAIにでも任せて、優先事項を「国の未来」とでも設定すれば、
もしかすると「えいっ」とまず私からやられてしまうかもしれない。

しかし高齢者たちが善意で
「いいよ、国のため、子供のためならその選択でもいいよ」
と承諾したとしても、
結局そこに何らか利権構造を作られ、
せっかくの善意が国の未来のためでなく、
利権屋たちの懐のためにしかならないことは予想できる。

映画に戻ると、
倍賞千恵子や叔父さんが死ぬにはまだ早いのではないか。
まだ身体が動くのだから、十分に働けるだろう。
75歳以上だと職がない、というような設定になっていたが、
それこそ知恵を絞って考えるべき問題だろう。

以上、上にダラダラと書いたが、
しかし私も本当の高齢になればあっさりと変節し、
上に書いた気持ちと真逆のことを言う可能性もある。
ボケて施設に入れられ、卑猥な言葉を絶叫し
全裸でウンコをぼとぼと落としながら徘徊する未来だって、
絶対に来ないとも限らないのだ。


文とは関係ないが、
今日はこれから温泉に行ってきます。
20231203

E V O L U C I O



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20231116 本日何もございません。

2023-11-16 17:27:00 | 映画
本日も、以前書いたまま保存していた文章にて更新とさせていただきます。

以下は20230605に書いた文章。

少し前に
「すべてうまくいきますように」という映画を観に行ったことを、ふと今朝思い出し、感想などを書いてみた。

フランス・ベルギー合作映画で、監督はフランソワ・オゾン。
主演はソフィー・マルソー。

テーマは安楽死。その是非を問う、というような内容。

これは実話を元にした作品のようで、原作はエマニュエル・ベルンエイム。
その小説家エマニュエルの役をソフィー・マルソーが演じている。


────エマニュエルの父はある日、脳卒中で倒れた。

エマニュエルが父を見舞うと、身体の自由が効かなくなったことを受け入れられない父は安楽死をしたいと言い出す。

エマニュエルは悩むが、父の決意は固く、安楽死について調べ始める。

フランス国内で安楽死は認められず、それをするなら隣国ベルギーへ父を連れていかなければならないようだった。

しかし、それを家族がすると自殺幇助となり、エマニュエルと妹は逮捕される可能性が大きかった。

父が富裕で大きな財産があることも相続問題により事を難しくした。

そして父は実はゲイであり、そのかつての愛人(中年男)も登場し、周囲は振り回され、皆が怒ったり泣いたりする。

エマニュエルの母(シャルロット・ランプリング)はすでに感情を捨てたかのような表情で何も言わない。

実父の安楽死を企画進行するという気が進まない作業をいやいや進めるうちに父の具合は好転し、それならもうその選択は不必要かと思われたが、父の決意は揺るがず、逆に急かされる。そうしているうちにとうとう警察が動き出し、エマニュエルと妹に捜査の手が伸びてきた。父はどうなるのか。そして母が長年閉ざし続けてきた心の声とは。────



というような話なのだが、
この作品は、安楽死の是非を問う、ということの他に、金がなければそれを選べない、という問題も提起しているだろう。

誰でもその気になればいつでも簡単に死ねるが、それは痛みや苦しみや後処理問題を伴うから、なかなか決心がつかないし、しかも決行したら、いろいろな意味で家族に迷惑がかかる。

この作品の場合は、そういった希望を多額で受け入れる合法的組織が存在し、そこに本人を本人の意思とともに連れていきさえすれば、あとのことは何も滞りなく、あっという間に事が進む、という図式が用意されている。我々日本人には馴染みがないが、こういった組織や方法は実際にEUにあるのだろう。

もちろん、受け入れや決行には多くの条件があり、法律的な問題をすべてクリアしなければ、金をいくら積んでも希望は果たされない。

さて、ここまで書いておいてなんだが、他人の安楽死についての答えなど私にはないことを明確にしておきたい。自分のことは自分で決めるだけである。

自分の死の行方を想像し判断できるうちはまだよいが、齢を取ればそのうちある瞬間からそれまでの自分とは違ってしまうことが可能性として低くはないから、そうなった場合──具体的に言えば、発言と行動が支離滅裂になった場合、それが本人の意思であってもそれを「本人の意思」とは法的に認められず、だから安楽死を望んで用意していたとしても、決行はされない。財産があればなおさら複雑になり、ゆえにそこまでを明晰なうちに考えて決めておかなければならない。けっこう難しい話。もしこれが日本でも解禁されたら、今度は本人の周囲から「安楽死という選択もあるらしいよ」というような柔らかな強迫を受けないとも限らない。

この映画は、どちらかというと明るめに人の死を描いていて、あまり深刻な感じがない。死に向かう父もけっこう明るいし、作品の核が死そのものより、安楽に死ぬためにはひと波乱もふた波乱あるよ、というしっかりとしたストーリー展開のある映画なので、観てもそれほど気が沈まない。

ところが、NHKのドキュメンタリーで安楽死を扱った作品があり、それを動画で、ベッドに横たわる女性が服薬し、数分後に完全に死ぬまでをはっきりと見たら、これは重かった。逝く人、送る人、それぞれの気持ちを考えたら、さすがに私の涙腺も切れなかったが、切れそうにはなった。

E V O L U C I O 


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20231110 映画「風と共に去りぬ」感想など

2023-11-10 20:20:00 | 映画
本日急に寒く、高齢化で寒さに弱くなった私は更新の気力なく、
以前の下書きをもって更新とさせていただきます。

以下は20230924に書いた文章。


なぜか眠れず、
では何か映画でも観るか、と考え、
ネットで少し迷ってから
「風と共に去りぬ」を選んだ。

このあまりに有名な作品の
原作を読んだことがないことは明らかだが、
1939年制作の映画版を観た記憶もほとんどなった。

私が子供の頃はテレビくらいしかなかったから、
同じく古い長編映画「十戒」を5回くらい観ているのに、
この作品を観ていないわけがないのだが、
記憶にほとんどないのは、
子供心に面白くなく、しかも長く、
つまり何度も放映していたが、
しっかりと観なかったのではないか。
一方「十戒」は特撮もあり十分に面白かった。

さて深夜からほとんど朝までかかって、
4時間近いこの映画「風と共に去りぬ」を観たわけだが、
それで得た結論は、
この作品世界を描ききるには、
4時間でもぜんぜん足りなかったね、
であった。

原作者はマーガレット・ミッチェル。
舞台となるのはアメリカ南北戦争の時の
アトランタなど南部地方。

裕福な農場経営者の娘スカーレット・オハラの
恋と愛と絶望、そして希望などを、
当時のアメリカが南北二つに分かれて戦った
戦争を通して描かれている。

「Gone with the wind」
風とはもちろん戦争のことだろう。では、
風と共に去ったのは何か?というと、
私の今の感想では、
おそらく戦争以前の南部にあった
裕福で不安のない落ち着いた生活のことではないか。
戦争という激しい風が豊かな暮らしを吹き飛ばしてしまった。

その落差を象徴させるため映画では、
常に明るく前向きで強靭であったはずの夫レット・バトラーを
最後に失意と絶望によって去らせているが、
スカーレットはその直前まで
自分が夫を誰よりも愛していることを自覚していなかった。

それと同じようにスカーレットにとって、
生まれてから戦争が始まるまでは、
魚にとっての水であるかのように当たり前すぎて、
それを知覚さえしなかった「平和で裕福な生活」が
失われる日が来ることなども考えたことがなかった。
夫も豊かな生活も、
それこそがなにより一番大事なことであったのに。

もちろんこの作品は南部人側からの
一方的な考えに基づいた物語であり、
登場する奴隷たちの描き方もおそらく相当に甘い。

白人至上主義もKKKという存在も一切出てこないし、
当然、私刑「リンチ」も、
ビリー・ホリデイの歌うところの「奇妙な果実」も、
まったく登場しない。

しかしそういったバランスの悪さをいったん脇に置いて、
この映画(原作ではなく)は何を言いたかったか、と考えれば、
結局は「青い鳥」のことであり、
そして「だからどうした?希望を捨てるな。」
ということではないか。

そういった当時も今でも通用するテーマに帰結することは、
まったく悪いことではない。

もしくは、
我々日本人には理解できない部分があるのかもしれない。
それは例えば、荒廃した我が土地を前にして、
スカーレットの「たとえ何をしたって、ここで負けてはいられない。」
といったような激しい性格もそのひとつで、
それを理解できないわけでもないが、
やはりどちらかというと、
劇中で対比させられる義姉メラニーの
無垢で賢く控えめな性格に
日本人男子ならきっと傾くに違いない。

スカーレットは強い女なのだ。
目的のためなら平気で騙すし、敵なら殺すし、
復活のためには綺麗ごとは言っていられないという
明確な思想とリーダーシップがあるのだ。
上に書いたメラニーは聖母のような人だが、
メラニーでは一切の難を薙ぎ払って復活することは
できなかっただろう。
開拓者精神の南部アメリカ人はだから
強い女スカーレットに快哉の声を上げるのではないか。

ダイジェストではない大長編の原作小説は、
スカーレット・オハラの人生を軸に描きながら、
当時の南部の文化と生活史の記録という面が強いらしく、
じっくりと読み込めば、
今日現在にも通用するであろう、
南部的アメリカ人の考え方の理解を深められそうだが、
そうそう時間もないので、やめておきます。

私は今までずっと、
アメリカ合衆国について、なんとなくステレオタイプに、
南部は田舎で荒っぽく(テキサス、牛、カウボーイ)、
北部は都市部でリベラルかつ上品(ボストン、清教徒、商工業)、
というような大雑把な認識だったが、
この映画では、まったく逆で、
南部こそが欧州貴族文化を伝える上流で、
北部は獰猛な野蛮人のように描かれていたことに
少し驚いた。

しかし奴隷解放を旗印に戦ったのは北軍であり、
リンカーンというアメリカ史上もっとも偉大な大統領が
その先頭に立っていたことくらいは私たちも知っている。

だから、
綿花農場のために奴隷制を存続させたかった南部と、
奴隷を開放し、所得のある労働力に変え、
その購買力に期待をした北部を比べれば、
単純に北部のほうが「人間的」に思えるが、
世の中そんなに単純ではないことは
私もまあまあわかっている。

今これを書きながら、少し南北戦争などについて調べ、
資料を読んだが、深すぎてとてもとても答えなど出ない。
公開されて事実とされていることと、
陰謀論の間くらいが真実ではないだろうか。

迂闊に知ったかぶりを書くほどまでにはバカでもないので、
これくらいで終わるつもりだが、
しかし考え進めてみると、
この南北戦争の原因と影響はおそらく今日まで
終結することなく続いている気配は濃厚で、
先の大統領選の時に、アメリカ議会に突入した一群が
たしか南軍旗を掲げた記憶もあり、
そして今日の民主党政権下におけるアメリカ合衆国内の
基地外ぶりを見るにつけ、
マーガレット・ミッチェルの言いたかったことに、
そうかもしれないな、と頷く私が、いないでもない。

E V O L U C I O



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20231108 映画「ともしび」感想など

2023-11-08 16:43:55 | 映画
20231108
本日は更新のための画像も気力もないため、
だいぶ前に下書きした文章にて失礼いたします。

以下は0230611に書いた文章です。


数日前の夜、さあこれから寝ようとしてから急に
何か重苦しい映画が観たくなり、あれこれ迷って選んだのが「ともしび」。

監督脚本アンドレア・パラオロ 。
主演は、フランス人女優シャーロット・ランプリング。

Google画像検索リンク

じっくり選んだ甲斐があり、これは重苦しかった。
その重さが先日ここに紹介した映画「サラの鍵」のように最初からはっきりと感じる重量ではなく、淡く静かに忍び寄ってくる湿度のような重さで、いつの間にか主役の心と身体は鎖に囚われてしまうのだ。

───静かに暮らす老夫婦に突如起こった問題により残された妻の生活と心が徐々に閉ざされていく。それを打ち破る気力も体力もそれほど残っていない老いた女にとってもう頼れる人も場所もなく、ふと辿り着いた誰もいない海岸に彼女は何を見るのか。───

などと書いても、実は私は眠かったので、全体的によくわからなかった。

先日新宿に観に行った映画「すべてうまくいきますように」でこのシャーロット・ランプリングはほんの少しだけの出番だったにもかかわらず、その僅かな映像に消しても消せない存在感を示していたが、この「ともしび」ではカメラが最初から最後まで彼女を追い続ける。この映画はそのストーリーやテーマ以前に、シャルロット・ランプリングの「老い」を徹底的に見る作品である。


ベルギー。地方都市の片隅で質素に暮らす老夫婦がいる。

────ある日、夫が過去の罪で警察に連行され逮捕収監されてしまう。
罪状は作品中では最後まで明確にされない。

妻のアンナはそれでも日常を変わらずに、演劇サークルへ参加したり、プールで泳いだりと過ごしていく。

※ここの理解は我々日本人には難しいのではないか。
日本人の老夫婦なら、もし夫が逮捕収監されたら、妻はそれまでと同じように暮らせるだろうか。それは世間的にも自己的にも。

アンナは刑務所へしばしば面会に行くが、夫の顔色は冴えない。

日常のルーティンに夫との面会が増えただけで、それほど以前と変らない暮らしをしていたアンナだったが、徐々にその影響が忍び寄ってくる。

自宅に独りでいると、近所の子供の母親が怒鳴り込んでくる。
アンナは居留守を使い応対しないが、その女はドアの外で罵り続ける。

そしてプールの会員証がクレジットの問題で使えなくなる。

またある日、孫の男の子の誕生日にアンナが菓子を作って訪ねた時、出てきた自分の息子に強烈に拒絶され追い返されてしまう。

このように我々視聴者には、続けざまに起こる不安な出来事の原因である夫の罪状やアンナの苦悩の芯が明かされないままカメラはアンナだけを追い続ける。

アンナ(シャーロット・ランプリング)は70歳くらいである。
顔も身体も年相応に見え、プールでは着替えるシーンもあり、隠すことなく老いた裸体も映し出される。

結局のところ、この映画は何を描いたのかと考えると、「老い」そして「急落」「閉じてゆく世界」その中で人は何を感じるのか、そんなことではないか。予告編でアナウンスされる「自己再生」のような意味はよくわからなかった。それにニューヨークタイムズの「奥底に宿る鋼のような意志に心震える」というレビューにも素直に頷けなかった。

上に書いたように私は眠い目で観たので理解が浅いかもしれない。しかし考えすぎると重いから、いっそシャーロット・ランプリングを鑑賞する映画だと言い切っていいかもしれない。詩的な映像の中で追い詰められていく老いたシャーロットの血の気のない表情や静物画のような印象を私たちは見て何を思うのだろうか。

この映画は本に例えるなら「詩的な小説」なので、一応のストーリーはあるが明確な結論はなく、視聴者の想像と思想を足して様々な解釈をすればいいのではないか。いや、むしろ何も考えず頭の中を空っぽにして字幕も見ずに、シャーロット・ランプリングの表情と仕草だけをボーっと見ていることが何よりも答えに近づけるかもしれない。


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20230822 地下幻燈劇画 少女椿 感想

2023-08-22 17:50:00 | 映画
以下は20230514に書いた文章に今日少し加筆したものです。

先日、
何かの記事を読んでいたら、
「世界で放送禁止の日本アニメ10選」(11選?)
とかいう括りのアニメタイトルが並んでいた。

性的描写や暴力表現、
政治思想の違いなどにより、各国で禁止になったというのだ。

例えば「キン肉マン」にはナチが登場したので、
フランスでは禁止になった。

「進撃の巨人」は虐殺シーンのため中国で禁止になった。

「ポケモン」を「私はユダヤ人」という意味だと思ったらしく、
サウジアラビアで禁止になった。

そんな中で、
日本以外の全ての国で放映を禁止になった唯一の作品があるというのだ。
それは「地下幻燈劇画 少女椿」というタイトルであった。
確か記事では、世界においては完全に葬り去られた作品である、
というような説明がされていたように思う。

私はもうすっかり頭も身体も錆びついた老人なのでアニメなどほとんど見ないが、
その「葬り去られた作品」に興味が湧いた。
「時間をかけて探すほど興味はないが、
もしすぐに検索で出てくれば見てみようかな」
そんな心持で検索をしてみた。

葬り去られたのだから、まあ簡単にはないだろう。
しかし絵柄と概要だけでも見てみたい。
怖いもの見たさである。
キーワードを入れてenterキーを叩いた。

一瞬でDAYLYMOTIONに見つかった。
しかもフルである。
実写版もあるようだが、ここで話しているのはあくまでアニメ版のこと。

───戦後の解放感があふれる煌びやかな夜の街。
しかし一歩裏路へ入ると貧しさが闇に横たわり、
そんな場所で花を売る「少女椿」

安っぽい電子音が奏でる三拍子の幻惑。
少女の呟く七五調。

導入から嫌いじゃないなと思った。
?丸尾末広か?と思ったら、その通りだった。
作画の調子、音楽、セリフ、声、どれも嫌いではなかった。

私は丸尾末広を知ってはいるが、よくは知らない、
というような距離感で、
彼の作品も今まで二三読んだに過ぎなかった。

繁華街の喧騒とは裏腹に、
人さらいが闇で嗤っていそうなガード下で、
花を全部買い取ってくれた中年紳士は、
見世物小屋の経営者であった。

その日は花が全部売れて、
少しばかりは機嫌よく母のもとへ帰る少女。

ところが母は寝床で亡くなっていて、
その後、
生活に困った少女は見世物小屋の主を訪ねて行く。

その辺から子供には見せられない描写が続き、
大人でも正視に耐えられない場面もあり、
途中から有能な魔術師が現れ、話は展開し、
やがて少女は自立への道を歩むのだが、
最後に少女がどうなったかは忘れてしまった。

なにしろ終始エロとグロが満載なのである。
私にエロはあってもグロはない、と以前にも書いたように、
私はグロの物はまず見ない。
好んで見ない。
最初からわかっていれば絶対に見ない。

ではこの「少女椿」というアニメは何か。
何なのかというと、
エログロを突き抜けた先にある"メルヘン"
とでも書けば一番わかりやすいだろうか。
と書いてから、その動画を今少し見て確認したら全然違った。

この作品についてこれ以上書くのは大変なのでやめておく。
考えているうちにもっとおじいさんになってしまう。

ただ最後にひとつだけ書き足しておくと、エログロは嫌いな私ではあるが、このアニメは嫌いではない。
それはなぜだろう?
しかしそのなぜの正体を追い詰めていく時間もないわけで。

「地下幻燈劇画 少女椿」
世界中で放送禁止になったアニメ作品。
今日の時点でもすぐに見つかるが、
お薦めはしない。

E V O L U C I O


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20230609 映画「サラの鍵」

2023-06-09 18:17:31 | 映画
20230609

数日前、
夜になって、なぜかふと重いテーマの映画が観たくなり、
あれこれ選んだ結果、
「サラの鍵」という作品を観た。

見始めてから気がついたが、
この映画は、以前にも選んだことがあり、しかし冒頭の時点ですでに期待を超える重い内容だったため、その日、鑑賞から早々の撤退を余儀なくされた作品だった。

主演が私の好きな女優クリスティン・スコット・トーマスだったから、その時は彼女を目当てに軽い気持ちで手を出したところ、灼けた鉛のようなテーマに火傷をし、手をひっこめた、という次第であった。

さて、あまり詳細を気にせず概略を書くと、



────ナチスドイツ占領下のフランス。
1942年7月16日朝。突然ユダヤ人地区にフランス警察が大挙し、ユダヤ人たちを家族ごと連行した。連行理由はユダヤ人だから。その数は2日間で約13000人。そのうち子供は4000人。(ここで連行の結末を先に書いておくと、この内、終戦まで生き残ったのは100人程度とのことである)

胸にユダヤ人の象徴であるダビデの星をつけた家族たちは、何の準備もできないまま、まずは市内の競輪場に押し込められた。

過密状態の競輪場で水や食料をほとんど与えられず、そしてトイレを使うことも許されずに5日間を彼らはそこで過ごしたが、不安と恐慌により、屋根から飛び降りる者も少なくなかった。映画では競輪場の観客席のそこら中が糞尿まみれ。子供の見ている前に人がドスンドスンと落ちてくるといった状況。(私はここで前回、観るのを断念した)

そんな過酷な状況の中に震えながら身を寄せて座る一つの家族がいた。父と母と娘の3人。娘の名はサラ。金髪。まだ7歳くらいである。

本来は4人家族。サラには弟がいる。

実はサラは連行された朝、母親が警察の応対をしている時に、とっさの機転を利かせ、幼い弟を納戸に隠してきたのだった。
その納戸の鍵を手にずっと握りしめている。

やがて家族は阿鼻叫喚の中で引き離され、大人、子供、男、女、それぞれの収容所に連行されるわけだが、サラは自分のことよりとにかく弟が心配。

すぐに家に戻れると思い、まだ寝間着の弟を納戸に隠し、鍵をかけてきてしまったが、すでに1週間ほどが経ち、どうなっているのか、弟以外のことは考えられないくらいにサラは焦っていた。

ついにサラは知り合った年長の少女と鉄条網をくぐり抜け、収容所から脱走をする。

親切なフランス人老夫婦に助けられ、事情を話し、少年に変装し、夫婦とともに弟の待つパリの自宅アパートへ向かう。

走れない老夫婦を置いてアパートの3階に駆け上がるサラ。
自宅だった部屋にはすでに知らない家族が入居していた。
知らない子供が中からドアを開けて顔を出した。
サラはその子を押しのけて部屋に飛び込む。
勝手知ったる我が家であるから、迷うことなく一目散に納戸へと向かう。
そして納戸の鍵を回す。扉を開ける……。



この映画は、
二つの時間軸の話を交互に見せるように出来ている。

一つは上に書いた1942年からのサラと家族の話。

もう一つは、2009年のパリに暮らす女性ジャーナリストの話。

────女性ジャーナリストのジュリア(クリスティンSトーマス)は45歳。
ニューヨーク育ちで、フランス人と結婚をし、17歳くらいの娘が一人。

雑誌社に務めているが、いろいろなタイミングが重なって今回、1942年にパリで起こったユダヤ人の悲劇を社で特集することになり、ジュリアはその担当になった。

同時に私生活では、フランス人の夫が親から受け継いだパリのアパートに家族3人での引っ越しを計画している最中だった。

1942年の忌まわしい事件を調べていくうちに、その引っ越し先のアパートが、実はかつてのユダヤ人地区にあることをジュリアは知ってしまう。

ユダヤ人迫害の記録を管理保存するユダヤ人機関がパリにあり、その機関の膨大なデータベースによってその地区のことをジュリアは初めて知ったが、さらに機関の担当者に、これから引っ越しをするアパートについても詳細を調べてもらうように願い出る。

住所がわかっているから記録はすぐに出てきた。
かつて住んでいた家族の名前がわかった。
そして写真がプリントアウトされた。
そこには幼い金髪の少女とその弟であろう子供の姿があった。
ジュリアは混乱した。

67年前、
ある日、突然の連行で着の身着のままアパートを追い出されたユダヤ人家族がいた。
その後すぐに入居してきたフランス人家族がいた。
どういった経緯でそこへ入居したのか。
当時、何の力が働いたのか。
それは今においても正当といえるのか。
不動産の今に至る権利は誰のものか。
夫側の家族たちは、それについて暗黙の了解済みなのか。

ジャーナリストとしての使命感が強いジュリアは
消えた少女サラの行方を追うとともに、
触れてはいけない家族の暗部に手探りで降りてゆくのだった……。



この事件の問題点は、

ユダヤ人迫害者としてナチス・ドイツだけが指摘されてきたが、実はフランス人もその時ナチス・ドイツによる占領下とはいえ、それを行ったという事実。

いざとなったら法律も人権も通用せず、人間が家畜以下の扱いを受けたこと。

政府の行いに対して、フランス国民からは意見が発せられず、戦後何十年も経って、ユダヤ人の訴えによってようやく事件が注目されたこと。

などだろうか。


以上、概略の説明をしたが、間違い箇所があれば失礼。
私の感想はまたそのうち追記などにて。

この作品は、サラとジュリアだけでなく、他の様々な人の心の機微が丁寧に描かれていて、重いテーマと衝撃のある映像ではあるが、鑑賞は無駄にならないだろう。


E V O L U C I O


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20230412 寅さんとマドンナ

2023-04-12 20:57:00 | 映画


画像は、
去年の9月だったか。
帝釈天にて。

明日は黄砂がひどいらしいから、
寅さんでも観ようかな。

マドンナ役。
映画版第一作目の光本幸子さんだけ
名も顔も知らなかったが

あとは名前が出てこない人が2,3人で、
顔だけなら光本さん以外は全員知っていた。

寅さんと、
浅丘ルリ子と、
船越英二が一緒に旅に出る回がよかったね。

※昨日、この船越英二のところを間違えて高島忠夫と書いたが、大間違い。
後で読み返して自分で驚いた。失礼。
ちなみに、上でよかったと書いたのは、
15作目の「寅次郎相合傘」でした。
三人で旅に出るのか、旅先で会うのか、
そのへんのことは忘れました。

evolucio


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20220908 帝釈天 柴又アレジ 前田吟

2022-09-08 18:27:00 | 映画

20220908

先週、生まれて初めて柴又の帝釈天へ行った。

最初から柴又へ行こうとしたわけではなかったが、コーヒーの豆を買いに出て、しかしなんとなく東の方角へ新宿、秋葉原、新小岩などを横目にずっと進んでゆくと、とうとうその先はもう千葉県という辺りまで来てしまった。

すると交差点に柴又の文字を見つけ、これはさすがに素通りとはいかず、しかし人混みは嫌だなと参道入口をのぞいたらやけに空いていたから、これならいいぞと初のお参りを果たした次第。

それほど長くはないが、まるで映画のセットのような雰囲気がとても良い参道商店街があり、そして帝釈天は木彫が素晴らしいと初めて知った。もちろん葛飾柴又といえばあの人だろう。

数年前のことだが、ラジオでニュースを聴いていたら、そのうち番組が変わり、俳優の前田吟さん(映画「男はつらいよ、ひろし役)が登場し、映画の裏話などを披露してくれて面白かった。

その話の中で、後藤久美子とジャン・アレジの話があり、1995年くらいの出来事なのか、オフシーズンで暇なジャン・アレジが映画の撮影の度に後藤久美子にくっついてきたという話。

しかし後藤は撮影だからアレジの相手はできず、アレジも独りで柴又界隈をどこに行くわけでもなく、仕方がないからその当時、俳優たちや撮影隊が待機場所として使わせてもらっていた「高木屋」という今でも営業している店の確か二階でアレジは時間をつぶした。

前田吟の話では、その時その部屋には前田とアレジと佐藤蛾次郎さんがいたらしい。当時アレジはもちろんF1パイロット。しかもフェラーリに乗って初優勝をした年ではなかったか。ところがなにしろ言葉がまったく通じない。団子屋の二階の畳の部屋のコタツか何かに三人男が座って、前田としても何かその場をもたせようとしたが、同席モジャモジャ頭の蛾次郎はニコニコしているだけでまったくあてにならず、ずいぶんと気まずい時間を過ごしましたと笑いながら語っていた。前田さんも出番待ちなのに大変なことでした。

その場所が「高木屋」かどうか私はラジオをよく憶えていないが、その高木屋さんに今でもアレジの写真が飾ってあるらしいから、おそらく間違いないだろう。

話が逸れるが、私はF1史上で、運転の上手さだけならアレジがトップ3に入ると常々思っている。ただし上手すぎて、どんな車でもある程度乗りこなしてしまうから逆に車の状態の微妙な差がわからず、つまりセッティングが絞れず、当たれば速いが、外れることも多かった、というドライバーではなかったか。異論は認める。

デビューしたばかりのアレジがティレルに乗ってマクラーレンのセナとトップ争いのサイドバイサイドを演じたアメリカGPをまだよく憶えている。あの頃はF1をよく観た。それから頭角を一気に現わしてきたシューマッハが速すぎて強すぎて私はF1を観なくなったのだろうか。

私は10年ほど前に、映画「男はつらいよ」をコンプリートしようと思い立ち順番に観始めたが、やはりシリーズ後半になると寅さんの顔色や動作が弱々しく見え、それが辛くてたしか40作までは見ていないと思う。

数日前に第一作をあらためて観たが、御前様の娘役、光本幸子がよかった。品と色気のバランスが絶妙で、柴又の参道を着物姿でほろ酔いのまま妙な歌を歌いながら歩く姿はとてもよかった。その後を普段の自分の悪行は棚に上げて「お嬢さん!」などと咎めつつ心配そうにへっぴり腰でくっつき歩く渥美清もまた絶品。

私は短い柴又滞在のあと近くの葛西神社へ寄り、東京都の東の外れまで来たぞとなんとなく満足し、本来の目的のコーヒー豆を買いに道を北西に戻った。ところが途中他に目立つものは何もない殺風景な場所にあまりにレトロな店の暖簾を見つけてしまい、2秒躊躇い、そして私はUターンをしたのでした。

本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O

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20220603 ロバート・デ・ニーロの劇的変化

2022-06-03 16:41:51 | 映画
20220603

昨日までに映画「グッドフェローズ」などのことを書いていて、あれこれWikipediaを参照していたら、ロバート・デ・ニーロの出演歴で少し首を傾げた。

ロバート・デ・ニーロが一番かっこよかった役はどの作品かと問われたら、かなり悩むが、私はやっぱり「HEAT」のニール役と答えるだろうか。ニールの常に冷静かつ明晰でしかも上質な存在感が他の共演者たちを圧倒しているのだ。もちろん異論はあるだろう。「エンジェル・ハート」のルシファー役を挙げられたなら、私はまた考え込んでしまうだろう。あの尖った爪ね。

作品歴によるとそのかっこいい「HEAT」の翌年に「The Fun」が公開されていて、実は私は「The Fun」が大嫌い。結論を書くと、私が大嫌いになるほどロバート・デ・ニーロの演技が上手いということになるのだが、あの野球帽の男が大嫌い。ぞっとする。ちなみに「Cape Fear」も嫌い。あの入れ墨男ぞっとする。さらに言えば「タクシー・ドライバー」も好きじゃない。3人に共通するのは「思い込みが激しい男」ではないか。どれもぞっとするからあまり内容をよく憶えていない。重ねて書くと、ぞっとする原因はデニーロの演技力の高さである。でもぞっとする。

それで何に首を傾げたかを書くと、「HEAT」のニールと「The Fun」の野球帽男では見た目や人物像が違い過ぎるから、作品歴を見るまで公開の年がもっと離れているような気がしていたのに、実際は連続していたこと、にである。

だからその影響が私のロバート・デ・ニーロ離れに如実に表れていて、「The Fun」以前は彼の作品をほとんど観ているのに、以降はあまり観ていないことに今回あらためて気がついた。

話を「かっこいい」に戻すと、たぶん映画の中では使われなかったような気がするが、「ゴッドファーザー2」での若きドン・コルリオーネの家族写真はかっこいい。ロバート・デ・ニーロが椅子に座って、周りに奥さんと子供たちの写真である。「ああそうそう、あれね」と知っている人はいるだろう。あの白いブーツがまたかっこいいのだ。もちろん野球帽は被っていない。

本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O

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20220602 Jerry Vale/Pretend you don't see her

2022-06-02 17:03:24 | 映画
20220602

昨日ここにレイ・リオッタのことを書いたら、映画「グッドフェローズ」を観たくなってきた。

あの映画は結局レイ・リオッタが主役という理解でよかったのだろうか。すっかり忘れてしまった。脇のデニーロとジョーペシが光りすぎたから。

劇中で私の好きなシーンは、ナイトクラブでジェリー・ベールが「Pretend you don't see her」を歌うシーンだ。
※実際にジェリー・ベールが出演しているかは知らない。

レイ・リオッタならびに他の強面たち、そしてお喋り狂人役のジョー・ペシまでが、あまりの歌の上手さに言葉を失って魂の抜けたような顔をしているシーンがとてもいい。ああいったシーンは他のギャング・マフィア映画にはなかったと思う。何度見ても笑ってしまうくらい皆ポカーンとしているのだ。

ジェリー・ベールはフランク・シナトラにして「最高の声」と言わしめた歌手で、私も初めて観たときにはこの三拍子の歌に魂を抜かれた。映画に名曲はたくさんあるが、こんなに純然と「うっとり」したのはこの曲と、もうひとつ、デビッド・リンチの映画「マルホランド・ドライブ」での「Sixteen Reasons/Connie Stevens」である。「ああわかる」という人はきっといるだろう。

蛇足だが、ジョー・ペシは歌が上手い。

本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O

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20220601 訃報レイ・リオッタ

2022-06-01 15:47:38 | 映画
20220601

月の始めから人が死んだ話になるが、アメリカの俳優レイ・リオッタが亡くなったとのこと。67歳。先月の26日に撮影先のドミニカ共和国での突然の訃報だった。

そんなに映画に詳しくない私はこの人の名前をつい忘れてしまうくらいにしか知らないが、やはりニュースなどに書かれているように映画「Goodfellas グッドフェローズ」での演技は記憶によく残っていて、たとえば、

若いギャングを演じたレイ・リオッタは共演のロバート・デ・ニーロやジョー・ペシに比べるとだいぶ腰の引けた、まだ青い役だったが、結婚をしようと考えている女が向かいの家の若いチャラチャラした男から酷いことをされた時にはすぐさま単身乗り込んで、ピストルのグリップで死ぬほど殴りつけ、プロと一般人との差を見せつけた。血だらけのピストルを隠しとけと渡された女は怖がるどころか妙に興奮した。

そしてある夜、その女(後の奥さん)を連れてレイ・リオッタはナイトクラブへ行く。コパカバーナ。店の前は長蛇の列である。しかしレイは並ばず女とニコニコ裏口から入っていく。各要所にいる男たちにチップを渡す仕草も慣れている。雑然とし薄暗い廊下を歩く。少し不安げな女。たくさんの料理人が働くキッチンを通り抜け、混雑した店内に二人は現れる。驚いている女。支配人が目ざとくレイ・リオッタを見つけ、すぐさま最前列に二人の特別席を作る。周囲から声がかかり、挨拶を返すレイ・リオッタ。隣の強面たちから酒のボトルが贈られてくる。皆ギャングである。席について女が訊く。「何の仕事をしてるの?」「何?あ建設関係だよ」女はレイの手を触りながら「そんな仕事の手じゃないわ」と言う。この瞬間がある意味で彼のギャングとしての絶頂期であった。その自信と余裕に浮かれた顔の演技がとてもよかった。その後の狂気と裏切りの連続といったら。

おつかれさまでした。
おやすみなさい。
E V O L U C I O

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20220207 がんばりましたが、何もありません。オメ

2022-02-07 18:13:00 | 映画

北京五輪のバーテンダーだそうです。

20220207

昨夜CSで
「仁義なき戦い・完結編」を途中まで観て寝た。

途中までというのは、
会長の武田明(小林旭)がこれから出所してくるぞ、
というところまで。

もう少しその箇所を詳しく書くと、

会長代行の松村保(北大路欣也)は、
武田会長が出所してきたら会長に全てを返す、
と幹部の皆に宣言したが、

分裂しかけた天政会をまとめた自負もあり、
しかも、
妻のかおる(野川由美子30才・山守に葬式で視姦された杉田の娘)に、
「あなたはそんなヤワな男じゃなかったはず」
という意味を遠回しに揶揄され、
深く考え込むのだが、
私はそこでiPadをオフにし、寝た。
眠かったから。

昨夜ここに書いた件の葬式シーンは
ほとんど冒頭なのでそれはしっかりと観た。

「完結編」を昨日より前に観たのも昔のことで、
昨夜書いたことは私の記憶違いだった。

金子信雄と周りは本当に笑ってはいなかった。

あれは芝居が80パーセント。本心20パーセント。
そんな具合に昨夜は感じた。

それに「ええど、ええど」ではなく、
「ええよ、ええよ」だった。

宍戸錠の大友役にはどうしても違和感を覚えたが、
しかし兄弟市岡(松方弘樹)を殺されての弔い合戦に
単身二丁拳銃でふらふらと出ていく姿は悪くなかった。

このシリーズでは劇中、オメコオメコと今では禁句が随所に飛び出し、
しかもそのセリフが重要なのでカットできず、だから、
とても地上波では放送できないらしい。

オメコがなぜいけないのか私はわからない。

差別ではないしね。

前近代的だから?

オメコはまあどうでもいいが
昨今の過剰な除菌殺菌は
いずれ反作用により私たちは自縄自縛に陥るのではないか。

結果的に自己免疫力が下がり、
なんでもないものを恐れ、
さらに無菌を目指し過激になってゆく。

その矛先は菌やウイルスにだけでなく、
言葉や人間関係、社会環境、食べ物にも向かって行く。

そうすると推測されることは、
社会が萎縮・縮小していくだろう、
ということ。

それを望んでいる勢力がいる。

本日も、おつかれさまでした。
evolucio

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20211119 画像 サビネコ

2021-11-19 19:08:00 | 映画


20211119

はい、ちょっとごめんなさいよ。

おつかれさまでした。
evolucio

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20211117 画像 007ごっつぁんです。

2021-11-17 14:58:00 | 映画

20211117

最近とくに主張したいことも、
表現したいことも思いつきません。

ダニエルクレイグの007を
5作全部観ておりました。
どれも同じような内容なので、
もう頭の中がごっちゃごちゃです。
モニカベルッチが結局どうなったのか
憶えていないという。

本日もおつかれさまでした。
evolucio

画像はたしか錦糸町。
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