EVOLUCIO WORKS INFO

EVOLUCIO WORKS INFORMATION

20210516 映画「どうしようもない恋の唄」感想。

2021-05-16 19:08:59 | 映画
この画像を見ていて自分の間違いに気がついた。
立石はタツイシではなくてタテイシだった。
ずっとタツイシと読んでいた。
タツイシバーガーとかね。
食ったことないけど、前を通ったことはある。
あ、立石バーガーだっ、と声が出た。
ちなみに中野坂上にも坂上バーガーがあるが、
それも食べたことはない。食べる勇気が出ない。
ローカルな話でした。

20210516

Amazon Prime Videoで
「どうしようもない恋の唄」という映画を観たので少し感想。

40歳の男は事業に失敗し、家族にも捨てられ、借金の取り立ては厳しく、
死のうと思い見知らぬ駅に降り、しばらく歩き、踏切に立つが決心はつかず、
ふと目についた風俗店に入る。

男についた若いソープ嬢ヒナは自分は頭も器量も悪く
何も出来ないからここで働いていると思い込んでいる。

男はヒナとの情事の最中、さまざまな事に感極まって泣き出してしまう。

男は店を出て、近くの韓国料理屋で酒を飲む。
すると仕事が終わったヒナが店の常連らしく偶然そこに顔を出す。

相席しかなく、しかしヒナは嬉しそうに男の向かいに座る。
深酒になり、男は酔いにまかせ自分の差し迫った状況を打ち明ける。

店の営業も終わり、男はヒナを近所のアパートへ送る。
部屋に上がるつもりはなかったが、酔ったヒナに引きずり込まれてしまう。

どうせ行くところがなかった男はヒナの言葉通りに居候することになる。

ヒナは自分の心の隙間を埋める存在として、また母性の発露から
目の前の弱っている男を守り支えることを無意識に選択するのだが、
それは今まで何度も繰り返した同じ失敗に懲りていない証でもあった。

一方ヒナの安アパートの隣の部屋にも
風俗嬢レイコとやはりそのヒモの大倉くんの二人が住んでいて、
男と大倉くんはそれぞれの女が出勤の間に洗濯物を干している時、
窓と窓であいさつを交わし、男は銭湯に誘われ、
その湯舟で大倉くんは、ボクはこのままでは終わらない、
と熱く語るのだった。

ここまでで起承転結の起。

以下感想。
導入がありきたりで、展開もとくに目新しさはないが、
役者と演出にリアリティがあり、
なかなか悪くないと思いながら観ていたが、
途中からベタな感じの話になり、結末も普通。

同じような、
妻に逃げられた男がオツムの足りないソープ嬢に惚れ惚れられ、
彼女と義弟を代表とする周囲との関わりの中で自己を再生していく
「皆月」という花村萬月の小説があるが、各キャラクターの立ち方も、
物語の深さも広がりも、そして到達点も「皆月」が上である気がした。

とはいえ、「皆月」も映画化されていて、
映画の方はまるでダメ。
なんだこれ?レベルの出来だった記憶がある。
何が悪かったか今では憶えていないが、
私は小説を先に読んだからかもしれない。

映画の「皆月」と今回の「どうしようもない」を比べたら、
私の中では「どうしようもない」の勝ち。

「どうしようもない」の冒頭で、
行き詰まった男が死に場所として選んだ「場末の駅」として
描かれているのが京成立石駅で、
それじゃあ立石の人に悪いだろうと思ったが、
立石出身のまだ生きているらしいつげ義春は何を思うだろうか。
おわり。

E V O L U C I O
コメント

20210510 映画「シッピング・ニュース」ちょっと感想

2021-05-10 20:31:15 | 映画
20210510

CSで「シッピング・ニュース」という映画を放映していて、
見るつもりはなかったのに、ケビン・スペイシーと
ケイト・ブランシェットが出演しているというので、なんとなく見始めた。

映像の空気感も良く、
私の弱点である「娘」という存在もあり、結局最後まで観てしまった。

冴えない男が妻に逃げられ破産して、娘と叔母と一緒に
祖先のルーツであるニューファンドランド島に移住をする。

島の小さな新聞社に職を得て記事を書き始めるが、うまくはいかない。
しかしそのうち文章の切り口に個性が出てきて周囲に認められ始める。
ところが島のあちこちで取材をするうちに、
自分の祖先がこの島では「特別な家系」であることを知ってしまう。

プロローグはそんなところだが、

厳寒の島。
漁師ばかりの島民たち。
生きるだけでも厳しい環境。
辺境の閉鎖的かつ排他的な村社会と歴史。
人々の心に残る忌まわしい記憶や言い伝え。

などといった少し重苦しい雰囲気の中で話は進んでゆく。
がしかし物語全体はけっして闇に染まることなく陽を迎える。

私の好きな女優ケイト・ブランシェットがまたとんでもない悪妻を演じ、
まだ少し若いケビン・スペイシーは適役だった。

ただし、あまり面白くはなかった。
消化不良。
原作がピューリッツアー賞受賞作らしいが、
この作品の最大の良いところを堪能するには、
たぶん英語という言語を十分に理解した上で、
原作を英語で読まないと、まったく手が届かないことだと思った。

本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O
コメント

20210430 1966年制作版ドラマ「氷点」あらすじ(その3結末直前まで記述あり)

2021-04-30 16:28:42 | 映画
1966年制作版ドラマ「氷点」あらすじ(その3結末直前まで記述あり)

https://www.youtube.com/watch?v=YSy6pQflRXg

〈開業医の妻〉は夫が隠していた手紙を見つけ真実を知ってしまう。
錯乱し帰宅した小学一年生の陽子〈犯人の娘〉の首に手をかけてしまう。
しかし殺すまでには至らず、
〈開業医の妻〉は数年前に殺された実の娘に詫びながら泣き崩れる。

それからの日々は陽子にとってつらい毎日となった。
父〈開業医の男〉はもともと陽子を可愛がらなかったし、
息子よりも陽子をより可愛がってきたような
母〈開業医の妻〉(継母であることを陽子は知らない)が、
あの忌まわしい日から急に冷たくなってしまい、
またことあるごとに意地悪をするのだった。

裕福であるのに陽子にだけ給食費を与えず、
先生に叱られた陽子は新聞配達をすることになるが、
その店の夫婦の会話から自分が継子であることを知ってしまう。

物心がついてからずっと世界は暖かかったが、
急に冷たく色のない世界になってしまった。
しかしそんな中で
〈開業医の息子〉(陽子の実の兄ということなっている)だけは
以前とまったく変わらずに、いやそれにも増して誰よりも優しくしてくれた。
ところが〈開業医の息子〉はある日の父母の言い争いから陽子が継子で、
しかも〈犯人の娘〉であることを知ってしまう。

幼い頃から好きで誰よりも大事に思ってきた妹の陽子が
自分と血の繋がりがないと知り、思いは激しい愛に変わった。
しかし世間体をいえば戸籍上兄妹であり、結婚はできない。
結婚を望めばそれは陽子の出生がいずれ明らかになってしまう。
愛するがゆえの苦悩に苛まれる。
悩んだすえに〈北原〉という自分の親友を陽子に紹介する。

〈北原〉と陽子は初めて会った時から愛を感じ合う。
文通をするが、母〈開業医の妻〉に度々邪魔をされる。
何度もの危機を乗り越えて二人の心は固く結ばれようとするが、
とうとう取り乱した母〈開業医の妻〉が二人に陽子の真実を告げてしまう。

陽子は自分が継子であることは知っていたが、
この家の娘を殺した〈犯人の娘〉であることはまったく知らなかった。

その真実を知った時、心が氷点に達した。

今までは、どんな苦難があろうと、
負けず曲がらず明るく乗り越えて生きてゆくことを胸に秘めていたが、
とうとう心が凍ってしまった。
陽子は薬を持って自分の本当の父に殺された〈ルリ子〉が
死んだ場所であるまだ雪の残る川へと向かうのだった。
驚愕の結末は本編もしくは原作にてどうぞ。おわり。

E V O L U C I O
コメント

20210429 1966年制作版ドラマ「氷点」あらすじ(その2)

2021-04-29 21:41:32 | 映画
1966年制作版ドラマ「氷点」あらすじ(その2)

https://www.youtube.com/watch?v=YSy6pQflRXg


事件後ようやくおちついた〈開業医の妻〉は女の子が欲しいと言い出す。
しかし夫〈開業医の男〉は実は娘〈ルリ子〉が死んだ日に
妻が〈眼科医〉と密会をしていて事件の原因を作ったことを知っていた。
〈開業医の男〉は妻に復讐するつもりで友人〈乳児院の院長〉に頼み込み、
まだ生後間もない〈犯人の娘〉を引き取ってしまう。

──現在の感覚であればそんな簡単に子供をやり取りすることは考えられないが、まだ戦後の混乱と貧しさが残り、孤児もたくさんいた。そして両方が医者であったことも手続き上、有利であっただろう。ここで重要なのが〈開業医の男〉がそんな無茶なことを頼んだ理由と言い訳である。それは聖書にある「汝の敵を愛せよ」という言葉で、これは〈開業医の男〉が学生時代から持つ自分への命題であった。そのことを友人〈乳児院の院長〉もよく知っていた。ついにその試練を自分に課す時が来た、というのである。しかし実際は妻への復讐であった。───

そのような夫と友人の秘密のやり取りを知らない〈開業医の妻〉は
あくまでも自分が産んだ子供ということにしたく、
引き取る前に布を腹に巻いたり、引き取り後の数か月は家にも帰らなかった。
やっと家に戻ると〈犯人の娘〉とは知らないまま溺愛した。
〈開業医の男〉と〈乳児院の院長〉だけが真実を知っている中で
すくすくと育つ〈犯人の娘〉陽子は容姿も才も非常に優れていた。

ところが〈開業医の妻〉がある時、夫が隠していた〈乳児院の院長〉への
苦悩を告白する手紙を偶然に見つけ読んでしまい、ついに真実を知ってしまった。
〈犯人の娘〉陽子はまだ小学一年生であった。
〈開業医の妻〉は仏壇の死んだ〈ルリ子〉に泣いて詫びた。
帰宅した〈犯人の娘〉陽子の首に手をかけてしまう。
つづく。
コメント

20210423 ドラマ「氷点」1966年版 あらすじ(その1)

2021-04-23 19:15:42 | 映画
1966年制作版ドラマ「氷点」あらすじ(その1)

https://www.youtube.com/watch?v=YSy6pQflRXg

───1946年(終戦の翌年)
北海道の旭川に一人の〈開業医の男〉がいた。
美しい〈開業医の妻〉は夫の留守中に若い〈眼科医〉に迫られる。
まんざらでもなかった〈開業医の妻〉は
部屋に入ってきた幼い娘〈ルリ子〉に外で遊ぶように言ってしまう。

ところが運が悪く〈ルリ子〉はちょうど通りかかった男にさらわれてしまう。
〈犯人の男〉は妻が子供を産んですぐに死んでしまったばかりであった。
もともと貧しく妻も死に世話する方法もわからず、赤ん坊は泣き止まず、
男は気が狂いそうになり家を飛び出してきたのだった。

あてどもなく歩いていた時に〈ルリ子〉が独りで遊んでいるのを見つけた。
誰も遊んでくれず淋しかった〈ルリ子〉は男についていった。
一緒に人気のない川まで来ると〈ルリ子〉が泣き出した。
慌てた男は〈ルリ子〉の首を押さえているうちに絞め殺してしまう。
夜になって大騒ぎになり〈ルリ子〉は雪の中に死体で見つかる。
男は捕まり獄中で首を吊る。
遺された〈犯人の娘〉は乳児院(産院と孤児院の複合施設)に引き取られる。

事件後しばらくして少しおちついた〈開業医の妻〉は
息子はいたが、やはり女の子供が欲しくなり夫に相談する。
〈乳児院の院長〉は夫〈開業医の男〉の古くからの友人であり、
だから妻は乳児院から女の子を引き取りたいと言うのだった。
つづく。

コメント

20210420 俺たちの氷

2021-04-20 18:31:12 | 映画
20210420

先週、Youtubeでドラマ「俺たちの旅」を見つけたが、
4回放送分だけ見て残りは見ないことにした。
見ない理由は、そんなことしている場合じゃないから。
それに「俺たちの旅」はある意味で毒(もしくは薬)になる場合がある。
これはカフェインのように効く人と効かない人があって、
ある人にとって「俺たちの旅」はひと時の娯楽であっても、
またある人にとっては、
うっかりと会社を辞めてしまうきっかけになるかもしれない。

私には、これが効くような初心さは微塵もないが、
現実逃避の丁度いいオカズにはなり得るから、だから見ないと決めた。
そう決めた自分に満足しながらまだ未練がましくYoutubeを探っていたら、
1966年のドラマ「氷点」を見つけてしまった。
白黒である。新珠三千代、内藤洋子である。
もちろん原作は三浦綾子である。
全13回。13時間。さてどうするか。
その時間をどう捻出するか。
いやどうするもこうするもないのだ。
実はもう見てしまったのだから。
コンプリート。
13時間ぶっ通しで。
昼過ぎから朝方まで。
だから怖いと言ったのだ。自分を。
今日もいい天気。
明日もいい天気。
おつかれさまでした。
E V O L U C I O

コメント

20210417 俺たちの旅は途中下車。そして北へ。

2021-04-17 19:59:55 | 映画
20210417

二日ほど前に、
Youtubeで「俺たちの旅」を見るか見ないかを書いていたが、
以下はそのつづき。

それで私は見ないと決めた。
なぜ見ないかというと、
ドラマに出てくるこういった若者たちが
大人へと変わりつつある青春のモラトリアムにおいて、
すべった転んだをする物語を私が今見てどうするの?と思ったからだ。
だいたいやる気を出して見始めたら
きっと全45話?コンプリートしてしまうであろう自分の怖さもある。
「今が楽しければいいじゃないか」と勘違いをするほど若くはないが、
物語を自分への言い訳にする狡猾さは十分に持っていることが怖いのだ。
だから私はもう見ないと決めた。
これを全部見るほど私には人生の余裕がありはしないのだ。
この決断に私は満足した。
私も大人の判断が出来るじゃないか。

青春期において仲間と過ごす楽しさは格別だ。
楽しさの中にも必然のスパイスのような衝突や焦りがあり、そして挫折、
責任や義務の出現、組織に属することの苦労と安定。
「社会的」になるほど遠ざかってゆくような「自由というもの」

そこでまだもがく、抵抗する、しかし人は「もう大人になれよ」と笑う。
その笑う顔を見ればあきらめの色と確かに大人の匂いがする。

旅人を辞め、やがて人の善意や祝福に囲まれて、
愛というものさえも手にし暖かな毎日が続く。
ところがある日ふと見た鏡に映るのはあきらめ色の自分の顔。
そんな時に思い出す。
「自由」とはなんだったか。
手にした幸せと引きかえに「自由」を手放したのではないか。
いや俺が手放したのではなく「自由」が俺を手放したのではないか。
どこにあるのか。
今でもあるのか。
どこまで行けばそれはあるのか。
自由とは、きっと夢の坂道の果てにあるのだ。
その坂道は、
たどり着けない山の中へ、続いているものなのです♪ (小椋佳)

すみませんね。すっかり言葉の遊びでした。

まあそんなことを今さら私が追体験しても気持ち悪いだけであるしね。
などと考えながらガチャガチャしていたら、
ふとYoutubeでドラマ「氷点」を見つけた。つづく。

E V O L U C I O

コメント

20210413  最近見たドラマ 加筆4/14 加筆4/15

2021-04-15 16:15:46 | 映画
20210413

最近、Youtubeで何か見ようとしていたら、
サムネールに八千草薫を見つけて、それを開いたら「俺たちの旅」だった。
私はこの有名なドラマをそれほど熱心に見た記憶はないが、
しかし70年代当時に放映された時にはほとんど見たと思う。
今と違って他に見るものなかったからね。

20210414
それでYoutubeで最初の4話を視た。観た。見た。
八千草薫が初回から出てきて、あのおっとり感に癒されるのだが、
1975年?に見た時に私はこのオメダのお母さんが八千草薫だと認識していなかった。
というより当時私は八千草薫を知らなかった、というのが正解だろう。
それからグズろくの婚約者のノリコサン、これがまたかわいい。
一生懸命に演技をしている感じがとても好ましく愛らしく、
これは私の好きな今や通販女優、熊谷真実の魅力に通じるかもしれない。

20210415
それでその「俺たちの旅」を最初の4回分だけ見て思ったことは、
これは今見るべきじゃないな、ということ。
極論で書けば「今が楽しければいいじゃないか」
というような勘違いを少なからず感じさせるドラマを私は今見てはいけない。
もちろんドラマの主題がそんなに単純なことではなく、
70年代放映当時の日本がバブルに向かって離陸しようとしている姿および
庶民までもが浮つき始めている様子に対してのアンチテーゼで
あるだろうことは私の小さくてかわいい脳みそでも理解している。
しかも今でもまあまあ面白い。
出演者も文句をつけようのない顔ぶれである。
それにロケーションのほとんどが私の長年の生活エリアであり、
70年代の懐かしい風景を再確認することは大変に興味深いことでもある。
しかしこれ以上は見ないと決めた。
つづく。


E V O L U C I O
コメント

20210409 映画「ジョーブラックをよろしく」

2021-04-09 18:34:44 | 映画
最近ふと思い立って「ジョーブラックをよろしく」という映画を観た。
原題は「Meet Joe Black」だったかな。ブラッド・ピット主演である。

若い時のブラッド・ピットを私はあまり好きではないのだが、ヒロイン役のクレア・フォーラニを観たかったのと、だいぶ以前に一度観た記憶があるのに話をほとんど思い出せなかったから、それも確かめたかった。

前回に観たのは10年くらい前か。今回観てやはり何も憶えていなかった。
主役が死神の話だったことも忘れていて、ほんの冒頭の事故の場面とか、ピーナッツバターのくだり、それくらいが頭に残っているだけだった。

話を簡単に説明すると、
メディア系の大会社を経営しているがそろそろ老いを感じ始めた男(アンソニーホプキンス)がある独りの夜、死神の声を聞く。

翌朝、その老年の男が自分の娘に「ときめくような恋を知らずに過ごす人生は意味がないぞ」というような言葉を伝えるがそれを死神も聞いていて、死神は男の寿命が終わり次第ただ単に仕事上のスケジュールとして男を連れていこうと予定していたが、この言葉によって人間が短い命の中で経験することや感じることに興味が湧き、若い男の身体を借りてこの富豪の一家の中に現れてしまう。
死神の声を聞いていた富豪の男は自分を迎えに来たであろう若い男の正体を知るが、死神は誰にも正体を明かすなと厳命する。

しかし富豪はまさか死神が人間の経験をするために生身の姿で現れたとは知らなかった。

正体不明のまま富豪の大邸宅にしばし住むことになった若い男の姿(ブラッド・ピット)の死神は人間としての日常にいくつかの面白い発見をしながら富豪の言葉による人生の深みというものを探す。

富豪の家族はふいに現れた若者──富豪によれば彼はパートナーであるという紹介だけでなぜか会社の取締役会にまで出席をする──に違和感を覚えながらも、富豪の絶大な力にそれ以上の詮索はできず、なんとなく受け入れて日々は過ぎていく。

しかし富豪の次女(クレア・フォーラニ)の婚約者だけはもともと野心があり、この降って湧いたような、しかも常に富豪のそばにいて何か重要な決定権さえ持っているような若者が気に食わなかった。本来なら自分がその役であったはずの席に突如涼しい顔で座っている若者に敵意を隠すことなく抱き始めた。

ところが次女はその降って湧いた若者の不思議な魅力にすっかり心を奪われてしまい、富豪の言葉である「ときめき」を今まで婚約者には感じたことがなかったのに、実は死神である若者にはまるで稲妻に撃たれたがごとくそれを感じ恋に落ちてしまうのだった。

一方、富豪の会社はひとつの大きな岐路に差し掛かっていた。他社と合併をせずには生き残れないかもしれないという経営判断に迫られていたのだ。

その案件を主導するのが次女の婚約者で、彼はある会社からの提案を富豪に取り次ぐが、富豪は経験による判断でそれを独断で斬り捨てるように拒否してしまう。

顔をつぶされたもののしかし野心のある婚約者は能力の高い男でもあり、取締役会をまとめ上げ、緊急動議を発動させ、自分の父親になるはずであった富豪を社長から降ろしてしまう。

そんな緊張感のある日々の中、死神と次女との距離が近づき、互いが思いを深くしていくのだった。

そしてとうとう以前から計画されていた富豪の誕生日の大パーティーの日が近づく。しかしそれは同時に富豪の寿命の終わりを意味し、死神は富豪にパーティが終わったら共に旅立つことを告げる。

富豪の憂いはすでに自分のことでも会社のことでもなく、死神との恋に落ちた次女のことであった。つまり自分が連れて行かれる時に死神は今や彼が愛する次女も連れていくのか、であった。死神に問うと、そのつもりだと死神は答えた。

会社は婚約者の手に渡ってしまうのか。次女は冥界に連れてゆかれてしまうのか。続きは本編にて。ただしゴールデンラズベリー賞「最低リメイク部門」受賞作品です。

今週もおつかれさまでした。
E V O L U C I O
コメント

20210401 魔人コール2

2021-04-01 18:11:58 | 映画
20210401

昨日のつづきで、
韓国系アメリカ人ビル・フアンの運営するファンド、アルケゴスによるアメリカ野村証券の巨額損失事件、まだその全貌は明らかではないが、ゴールドマンサックスとJPモルガンも同じようにアルケゴスに信用枠を与えていたという。しかし彼らは野村と違い少し前にアルケゴスから手を引いて今回の損失からはほぼ逃げ切ったらしい。さすがとしかいいようがない。ゴールドマンサックスはあの未曾有の証券大事故リーマンショックの時も大量の空売りで逃げ切ったはずである。

映画「マージンコール」でも、ある投資銀行が翌日に破綻することを若い数学者の社員が夜遅くに突き止めてから話が動き出す。

バーで飲んでいる上司に報告をし、そのまた上司が帰る途中でオフィスに引き返し、その後、上司の上司の上司くらいのまだ若いパリッとした奴が現れて、そして最後に一番偉いオーナーがヘリコプターで降りてくる。

オーナーの頭には自社もしくは自分の保身しかなく、市場の混乱などは二の次で、出した結論は、まだ誰も知らないうちに何が何でも自社保有の紙屑(サブプライムローン)を全部売ってしまえ、ということだった。信用がなくなることも今後のことも考えるな。相手は誰でもいい。自分の母親にでも売れ! と檄を飛ばし、数十人のディーラーにボーナスをチラつかせ売り飛ばすことを迫る。しかしそれが終わり次第、業界での信用を失った全員が首になる予定。

厳しい世界。今日もおつかれさまでした。
E V O L U C I O





コメント

20210323 胃酸

2021-03-23 19:13:17 | 映画


20210323

二三日前、CSで「日輪の遺産」という映画を放映していて、見る気はなかったのに八千草薫が出てきたからそのままにしていたら最後まで観てしまった。
まさかユースケ・サンタマリアに涙腺が切れそうになるとは思わなかった。
まあどうしたって泣かせにくる作品だから仕方がない。
本日もおつかれさまでした。evolucio
コメント

20210303 Diary マグのリア

2021-03-03 21:52:22 | 映画

20210303

ついさっきまでCS放送で「マグノリア」という映画を観ていた。
しかしもう眠くて眠くて映画どころではなかったのだが、何か特別な予感を覚え、がんばって最後まで観た。
トム・クルーズが主演ではないが出演する。他にジュリアン・ムーアやフィリップ・シーモア・ホフマンなどが出てくる。

10人を超える登場人物にそれぞれ焦点を当てながら話は進み、最初は何がテーマなのかわからなかったが、だんだんと心の傷のようなことについて描かれていることはわかってきた。

トム・クルーズの演技のいいところで私は5分ほど寝落ちしてしまったのだが、ちょうど同じ頃に別の場所で、ある非番の警官がデートを彼女に中断されてしまい呆然と家に帰る途中、知っている顔が暗闇で何かをしているのを発見し、やれやれと思いながらもUターンをするのだが、その瞬間、目が覚めて再び観ていた私もまったく予期しなかったことが起きる。起きる。起きる。

予想も予期も予測も推測もできない。どんなに考えてもあの展開は読めない。
ポカーンと私は観ながら、あれは臭いだろうな、と考えていた。
シーモアがまだ若い。

おつかれさまでした。
E V O L U C I O

コメント

20210112 映画「砂の器(1974)」(時系列メモ) 簡単な年表

2021-01-12 20:45:00 | 映画

20210112

時系列を箇条書きにしますが、映画を観た人の確認用に書いているので、観ていない人にはわかり難いでしょう。

昭和16年12月(1941) 戦争始まり

昭和17年夏(1942) 親子、家(石川県)を捨て流浪の旅に出る。父36才くらい。子は5才。

2年間の親子流浪。

昭和19年夏(1944) 親子、三木さんに保護される。
         親子の別れ。
         父は療養所へ。
         子は三木さんに引き取られるがすぐに家出する。

昭和19年暮(1944)     家出をした子、大阪の自転車屋の住み込み店員になる。7才。

昭和20年3月(1945)   大阪大空襲で店が焼け、店員の子だけ助かる。8才。

昭和20年8月(1945) 戦争終わり

昭和23年      三木さん退職、岡山に帰り雑貨屋を始める。

昭和46年6月(1971) 東京都大田区蒲田にて事件起こる。


以上、たぶんこれで合っていると思います。あくまでも1974年映画版での設定です。

E V O L U C I O

 

コメント

20210110 映画「砂の器」感想少し 1/12加筆訂正アリ 加筆3回目アリ

2021-01-12 01:34:25 | 映画

20210110

昨日は予定通りコーヒーを買いに行き、5種類計1キロの豆を手に入れて、少し寄り道をして戻る頃には暗くなり始め、空気もすっかり冷たく感じられた。

いつもは決まって1.4キロを買うのだが、最近コーヒーを飲み過ぎているような気がしていて、少し減らすつもりで今回は少なめにしておいた。

スペインのバルセロナでは50年ぶりの大雪とのこと。大雪は地球規模の気象なのか、我が国の日本海側でもほとんどの地域が大雪らしく、各地で皆さん難儀している模様。連休中がせめてもの幸いなのか、またその逆なのか私にはわからないが、あれだけ積もると屋根からの雪崩でも命の危険があるだろう。

私はというと、昨夜はCS放送で映画「雲霧仁左衛門」からの「砂の器」とどちらも70年代の邦画の名作を続けて鑑賞し、とくに雲霧仁左衛門はよかった。すっかりと満足した。久しぶりに仲代達矢に酔った。一方砂の器はもちろん泣かせにくる映画だからほろっとはきたが、今ひとつの気持ちが残った。

私は今まで松本清張原作のドラマや映画で完全に満足したためしがなく、この有名な砂の器も何度も観る機会があったのに観ずにきて、昨夜はとうとう決心をして観たわけだが、ごく僅かに抽出量を間違えたコーヒーを飲んだような感覚を覚えた。何かが足りないような、もしくは少し多いような、そんな気持ちである。

十分にまだ戦後であり、我が国の発展途上において豊かさ以前の「最低限」や「基本的人権」などが行き渡らず、掬った指先から溢れた砂のような貧しく被差別の父子に焦点を当て、その親子を日本の四季の花や雪や風の中に流浪させ、彼らを追う刑事ですら涙を流す境遇と別れをドラマチックな音楽でより一層に感傷を高め、私に泣け泣けと迫るが、さすがに加藤嘉の渾身の演技には降参しかけたものの、ほろっとはしただけで私は崩壊はしなかった。

とはいえ役者も音楽も映像も最高である。しかしこれで満足しないということはつまり私が擦れて捻くれてしまったということではないか。

それにしても名優を揃えた作品であることは確かで、それぞれの存在感を楽しむだけでも見る価値は十二分にある。中でも私が好きなのは野村昭子。大好き。今回はチョイ役。なんでこんなに好きなのかわからないが、とにかく好き。前世か何かで繋がっているのかもしれない。






──以下加筆20210112その2──
深夜に書いた下の加筆部分を再読したが、これで他人が読んで理解できる?といった文章なので笑ってしまった。

しかし明確に説明すると物語の核を明らかにしてしまうので、その加減がけっこう難しく、しかも眠かったこともあり、わかり難いことになった。ご理解いただきたい。

なにしろ、もう一度観ないと答えは出ませんね。2回観たが、どちらも片手間に観ていた。だいたい犯人の現在設定の年齢が何歳だったか憶えていない。そこが一番重要なのに。

それからもうひとつ。刑事丹波哲郎が事件を説明しながら一瞬涙する場面、この涙は親子の境遇に対してのものだと最初は私は思っていたが、あれは三木さんに対しての涙だったかもしれない。そこの部分も私はぼーっとしていたので、やはりもう一度観ないと結論は出ない。

といったところです。寒いですね。雪は降らない様子。しかしいろいろご注意ください。20210112昼




──以下加筆訂正20210112その1──
上の下線の部分、戦後と書いたが、今夜もう一度映画を放映していて観たら、そうではなく、時代設定は戦前もしくは戦中だった。私の理解不足でした。訂正したい。

観た人はわかると思うが、話は現在と過去との因果を描いていて、作品中の現在とは事件が起こり、それを刑事たちが調べている1960年か61年くらいのことを指す。原作の小説が1960年から新聞に連載されたとのことで、小説の中の設定もその頃を指しているらしい。そしてそこから約20年ほど前の「あの親子」が乞食姿で彷徨った2年くらいの期間が作品中の過去である。(私はこの現在と過去の部分をどちらも15年くらい後にズレて誤認していた)

だから過去とは1940年か、もう少し前か、くらいの時代で、真珠湾攻撃が1941年の年末だから、そこから考えると親子が彷徨ったのは戦争突入前夜であるといえるかもしれない。

しかしこの映画は戦争の色や匂いが皆無といっていいほどで、だから今夜も私は時代設定に疑問を持たずにぼんやりと観ていたのだが、家出をした少年が大阪で住み込みで働いていた店が空襲で焼けたという事実を刑事が突き止めるシーンで首を傾げた。

大阪大空襲は1945年のことなので、そこを基準とするなら自分が考えていた設定とはかなり違ってくるのだ。

一度目に観た時、私は親子が彷徨ったのは戦後のだいたい1950年代くらいだとなんとなく思い込んでいた。それは「現代」がこの映画の制作された1970年代だとやはり思い込んでいたからだ。とここまで書いて、いやでも現代が1960年だというのもおかしいなと思い始めた。今ふと映像を想い返したが、映画の現在に出てくる車が60年代の車ではなかったような気がするのだ。あれはやはり70年代の車ではないか。しかし空襲は間違いなく戦中だから、親子が彷徨ったのは戦中かその前のことであるのは確定である。するといろいろおかしくなってくるのだが、ちょっとよくわからなくなってきた。私の足し算引き算がおかしいのか。もしくは車種の見間違いか。また調べて、はっきりしたら別のページに書きたい。とにかく親子が彷徨ったのは戦後ではないということは間違いない。それが言いたかった。20210112 02:00深夜



──加筆その3  20210112夜──

20210112

アマゾンにあったから、観直しました。
何かがおかしいと思っていたことが解決しました。私の頭がおかしかった。
ちゃんと見ればちゃんと書いてあった。悩むことはなかった。
以下時系列を箇条書きにするが、観ていない人にはわかり難く書いてある。


昭和17年夏(1942) 親子、家(石川県)を捨て流浪の旅に出る。父36才くらい。子は5才。

昭和19年夏(1944) 親子、三木さんに保護される。
         親子の別れ。
         父は療養所へ。
         子は三木さんに引き取られるがすぐに家出する。

昭和19年暮(1944)     家出をした子、大阪の自転車屋の住み込み店員になる。7才。

昭和20年3月(1945)   大阪大空襲で店が焼け、店員の子だけ助かる。8才。

昭和23年      三木さん退職、岡山に帰り雑貨屋を始める。

昭和46年6月(1971) 東京都大田区蒲田にて事件起こる。

以上、たぶんこれで合っていると思います。あくまでも1974年映画版での設定です。

E V O L U C I O

 


おつかれさまでした。

E V O L U C I O

コメント

20201223 映画「真珠の耳飾りの少女」の感想少し

2020-12-23 18:03:39 | 映画

20201223

一昨日くらいだったか、CSで映画の「真珠の耳飾りの少女」をうっかりと観始めた。
しかし一度観たことがあるし他にやることもあったから、すぐに消そうとお茶を飲む間だけ観ていた。するとフェルメール役がコリン・ファースではないか。以前ここに書いた「濃い顔のファレル」ではなくファースの方。以前観たのにまったく憶えていなかった。

もちろんこの映画はオランダの画家フェルメールを描いている。彼の有名な絵「真珠の耳飾りの少女」を描き上げる期間にフェルメール家で起こったかもしれない出来事を想像で脚本にしている。まず話が面白いし、映像をフェルメールの絵の雰囲気に限りなく寄せている場面が度々あり、それには思わず見入ってしまう。

ところがコリン・ファースである。真面目な顔して演技をしているが、この人はこの作品の後に「ブリジット・ジョーンズ」にマーク役で出演しさらに有名になったのだ。それ以前では「イングリッシュ・ペイシェント」にクリスティン・スコット・トーマスの夫役で出演しているが、その時は顔が丸くて印象も薄い。最近まであれがコリン・ファースだと私はわからなかった。

それで何をここで言いたいかというと、そのコリン・ファースが気難しい芸術家フェルメールをシリアスに演じているのだが、私にはどうしても「ブリジット」におけるマーク・ダーシーにしか見えず、ブリジット役のレネイ・ゼルウィガーの大きなお尻と、マーク・ダーシーがクリスマスのパーティーに着てくる「トナカイのセーター」が脳裏にチラつき、真面目な映画を真面目に観ることができなかった、ということ。

とはいってもスカーレット・ヨハンソンの一番いい時の作品だから、彼女の魅力は十分に伝わり、あの青いターバンを巻いて真珠をつけてモデルになった場面もとてもよかった。しかしやっぱりどうしても比べると「絵」の方がいいね。スカーレット・ヨハンソンには申し訳ないが、それがよくわかる映画だった。

画像などのリンク

もう一度書くが、スカーレット・ヨハンソンは素晴らしかった。少女と大人の間にしか出せない透明感のある色気を見事に演じている。しかしやっぱり目が女優のそれで、口元も併せてどうしても強いのだ。絵ではなによりも柔らかさがある。そして絵からは振り向いた一瞬の微かな思いがけなさを感じるのに、スカーレット・ヨハンソンからは見据えられているような気がする。まあ私の個人的な感想です。

映画に描かれた街並みや、家具も調度品も、服も装飾品も、どれも皆完成度の高い仕上がりである。そしてやはり光の魔術師を描いただけあって、映像とは光のことだと再認識させてくれる。

E V O L U C I O

コメント