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20230822 今日も何もありません。

2023-08-22 17:50:00 | 映画
以下は20230514に書いた文章に今日少し加筆したものです。

先日、
何かの記事を読んでいたら、
「世界で放送禁止の日本アニメ10選」(11選?)
とかいう括りのアニメタイトルが並んでいた。

性的描写や暴力表現、
政治思想の違いなどにより、各国で禁止になったというのだ。

例えば「キン肉マン」にはナチが登場したので、
フランスでは禁止になった。

「進撃の巨人」は虐殺シーンのため中国で禁止になった。

「ポケモン」を「私はユダヤ人」という意味だと思ったらしく、
サウジアラビアで禁止になった。

そんな中で、
日本以外の全ての国で放映を禁止になった唯一の作品があるというのだ。
それは「地下幻燈劇画 少女椿」というタイトルであった。
確か記事では、世界においては完全に葬り去られた作品である、
というような説明がされていたように思う。

私はもうすっかり頭も身体も錆びついた老人なのでアニメなどほとんど見ないが、
その「葬り去られた作品」に興味が湧いた。
「時間をかけて探すほど興味はないが、
もしすぐに検索で出てくれば見てみようかな」
そんな心持で検索をしてみた。

葬り去られたのだから、まあ簡単にはないだろう。
しかし絵柄と概要だけでも見てみたい。
怖いもの見たさである。
キーワードを入れてenterキーを叩いた。

一瞬でDAYLYMOTIONに見つかった。
しかもフルである。
実写版もあるようだが、ここで話しているのはあくまでアニメ版のこと。

───戦後の解放感があふれる煌びやかな夜の街。
しかし一歩裏路へ入ると貧しさが闇に横たわり、
そんな場所で花を売る「少女椿」

安っぽい電子音が奏でる三拍子の幻惑。
少女の呟く七五調。

導入から嫌いじゃないなと思った。
?丸尾末広か?と思ったら、その通りだった。
作画の調子、音楽、セリフ、声、どれも嫌いではなかった。

私は丸尾末広を知ってはいるが、よくは知らない、
というような距離感で、
彼の作品も今まで二三読んだに過ぎなかった。

繁華街の喧騒とは裏腹に、
人さらいが闇で嗤っていそうなガード下で、
花を全部買い取ってくれた中年紳士は、
見世物小屋の経営者であった。

その日は花が全部売れて、
少しばかりは機嫌よく母のもとへ帰る少女。

ところが母は寝床で亡くなっていて、
その後、
生活に困った少女は見世物小屋の主を訪ねて行く。

その辺から子供には見せられない描写が続き、
大人でも正視に耐えられない場面もあり、
途中から有能な魔術師が現れ、話は展開し、
やがて少女は自立への道を歩むのだが、
最後に少女がどうなったかは忘れてしまった。

なにしろ終始エロとグロが満載なのである。
私にエロはあってもグロはない、と以前にも書いたように、
私はグロの物はまず見ない。
好んで見ない。
最初からわかっていれば絶対に見ない。

ではこの「少女椿」というアニメは何か。
何なのかというと、
エログロを突き抜けた先にある"メルヘン"
とでも書けば一番わかりやすいだろうか。
と書いてから、その動画を今少し見て確認したら全然違った。

この作品についてこれ以上書くのは大変なのでやめておく。
考えているうちにもっとおじいさんになってしまう。

ただ最後にひとつだけ書き足しておくと、エログロは嫌いな私ではあるが、このアニメは嫌いではない。
それはなぜだろう?
しかしそのなぜの正体を追い詰めていく時間もないわけで。

「地下幻燈劇画 少女椿」
世界中で放送禁止になったアニメ作品。
今日の時点でもすぐに見つかるが、
お薦めはしない。

E V O L U C I O


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20230609 映画「サラの鍵」

2023-06-09 18:17:31 | 映画
20230609

数日前、
夜になって、なぜかふと重いテーマの映画が観たくなり、
あれこれ選んだ結果、
「サラの鍵」という作品を観た。

見始めてから気がついたが、
この映画は、以前にも選んだことがあり、しかし冒頭の時点ですでに期待を超える重い内容だったため、その日、鑑賞から早々の撤退を余儀なくされた作品だった。

主演が私の好きな女優クリスティン・スコット・トーマスだったから、その時は彼女を目当てに軽い気持ちで手を出したところ、灼けた鉛のようなテーマに火傷をし、手をひっこめた、という次第であった。

さて、あまり詳細を気にせず概略を書くと、



────ナチスドイツ占領下のフランス。
1942年7月16日朝。突然ユダヤ人地区にフランス警察が大挙し、ユダヤ人たちを家族ごと連行した。連行理由はユダヤ人だから。その数は2日間で約13000人。そのうち子供は4000人。(ここで連行の結末を先に書いておくと、この内、終戦まで生き残ったのは100人程度とのことである)

胸にユダヤ人の象徴であるダビデの星をつけた家族たちは、何の準備もできないまま、まずは市内の競輪場に押し込められた。

過密状態の競輪場で水や食料をほとんど与えられず、そしてトイレを使うことも許されずに5日間を彼らはそこで過ごしたが、不安と恐慌により、屋根から飛び降りる者も少なくなかった。映画では競輪場の観客席のそこら中が糞尿まみれ。子供の見ている前に人がドスンドスンと落ちてくるといった状況。(私はここで前回、観るのを断念した)

そんな過酷な状況の中に震えながら身を寄せて座る一つの家族がいた。父と母と娘の3人。娘の名はサラ。金髪。まだ7歳くらいである。

本来は4人家族。サラには弟がいる。

実はサラは連行された朝、母親が警察の応対をしている時に、とっさの機転を利かせ、幼い弟を納戸に隠してきたのだった。
その納戸の鍵を手にずっと握りしめている。

やがて家族は阿鼻叫喚の中で引き離され、大人、子供、男、女、それぞれの収容所に連行されるわけだが、サラは自分のことよりとにかく弟が心配。

すぐに家に戻れると思い、まだ寝間着の弟を納戸に隠し、鍵をかけてきてしまったが、すでに1週間ほどが経ち、どうなっているのか、弟以外のことは考えられないくらいにサラは焦っていた。

ついにサラは知り合った年長の少女と鉄条網をくぐり抜け、収容所から脱走をする。

親切なフランス人老夫婦に助けられ、事情を話し、少年に変装し、夫婦とともに弟の待つパリの自宅アパートへ向かう。

走れない老夫婦を置いてアパートの3階に駆け上がるサラ。
自宅だった部屋にはすでに知らない家族が入居していた。
知らない子供が中からドアを開けて顔を出した。
サラはその子を押しのけて部屋に飛び込む。
勝手知ったる我が家であるから、迷うことなく一目散に納戸へと向かう。
そして納戸の鍵を回す。扉を開ける……。



この映画は、
二つの時間軸の話を交互に見せるように出来ている。

一つは上に書いた1942年からのサラと家族の話。

もう一つは、2009年のパリに暮らす女性ジャーナリストの話。

────女性ジャーナリストのジュリア(クリスティンSトーマス)は45歳。
ニューヨーク育ちで、フランス人と結婚をし、17歳くらいの娘が一人。

雑誌社に務めているが、いろいろなタイミングが重なって今回、1942年にパリで起こったユダヤ人の悲劇を社で特集することになり、ジュリアはその担当になった。

同時に私生活では、フランス人の夫が親から受け継いだパリのアパートに家族3人での引っ越しを計画している最中だった。

1942年の忌まわしい事件を調べていくうちに、その引っ越し先のアパートが、実はかつてのユダヤ人地区にあることをジュリアは知ってしまう。

ユダヤ人迫害の記録を管理保存するユダヤ人機関がパリにあり、その機関の膨大なデータベースによってその地区のことをジュリアは初めて知ったが、さらに機関の担当者に、これから引っ越しをするアパートについても詳細を調べてもらうように願い出る。

住所がわかっているから記録はすぐに出てきた。
かつて住んでいた家族の名前がわかった。
そして写真がプリントアウトされた。
そこには幼い金髪の少女とその弟であろう子供の姿があった。
ジュリアは混乱した。

67年前、
ある日、突然の連行で着の身着のままアパートを追い出されたユダヤ人家族がいた。
その後すぐに入居してきたフランス人家族がいた。
どういった経緯でそこへ入居したのか。
当時、何の力が働いたのか。
それは今においても正当といえるのか。
不動産の今に至る権利は誰のものか。
夫側の家族たちは、それについて暗黙の了解済みなのか。

ジャーナリストとしての使命感が強いジュリアは
消えた少女サラの行方を追うとともに、
触れてはいけない家族の暗部に手探りで降りてゆくのだった……。



この事件の問題点は、

ユダヤ人迫害者としてナチス・ドイツだけが指摘されてきたが、実はフランス人もその時ナチス・ドイツによる占領下とはいえ、それを行ったという事実。

いざとなったら法律も人権も通用せず、人間が家畜以下の扱いを受けたこと。

政府の行いに対して、フランス国民からは意見が発せられず、戦後何十年も経って、ユダヤ人の訴えによってようやく事件が注目されたこと。

などだろうか。


以上、概略の説明をしたが、間違い箇所があれば失礼。
私の感想はまたそのうち追記などにて。

この作品は、サラとジュリアだけでなく、他の様々な人の心の機微が丁寧に描かれていて、重いテーマと衝撃のある映像ではあるが、鑑賞は無駄にならないだろう。


E V O L U C I O


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20230412 寅さんとマドンナ

2023-04-12 20:57:00 | 映画


画像は、
去年の9月だったか。
帝釈天にて。

明日は黄砂がひどいらしいから、
寅さんでも観ようかな。

マドンナ役。
映画版第一作目の光本幸子さんだけ
名も顔も知らなかったが

あとは名前が出てこない人が2,3人で、
顔だけなら光本さん以外は全員知っていた。

寅さんと、
浅丘ルリ子と、
船越英二が一緒に旅に出る回がよかったね。

※昨日、この船越英二のところを間違えて高島忠夫と書いたが、大間違い。
後で読み返して自分で驚いた。失礼。
ちなみに、上でよかったと書いたのは、
15作目の「寅次郎相合傘」でした。
三人で旅に出るのか、旅先で会うのか、
そのへんのことは忘れました。

evolucio


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20220908 帝釈天 柴又アレジ 前田吟

2022-09-08 18:27:00 | 映画

20220908

先週、生まれて初めて柴又の帝釈天へ行った。

最初から柴又へ行こうとしたわけではなかったが、コーヒーの豆を買いに出て、しかしなんとなく東の方角へ新宿、秋葉原、新小岩などを横目にずっと進んでゆくと、とうとうその先はもう千葉県という辺りまで来てしまった。

すると交差点に柴又の文字を見つけ、これはさすがに素通りとはいかず、しかし人混みは嫌だなと参道入口をのぞいたらやけに空いていたから、これならいいぞと初のお参りを果たした次第。

それほど長くはないが、まるで映画のセットのような雰囲気がとても良い参道商店街があり、そして帝釈天は木彫が素晴らしいと初めて知った。もちろん葛飾柴又といえばあの人だろう。

数年前のことだが、ラジオでニュースを聴いていたら、そのうち番組が変わり、俳優の前田吟さん(映画「男はつらいよ、ひろし役)が登場し、映画の裏話などを披露してくれて面白かった。

その話の中で、後藤久美子とジャン・アレジの話があり、1995年くらいの出来事なのか、オフシーズンで暇なジャン・アレジが映画の撮影の度に後藤久美子にくっついてきたという話。

しかし後藤は撮影だからアレジの相手はできず、アレジも独りで柴又界隈をどこに行くわけでもなく、仕方がないからその当時、俳優たちや撮影隊が待機場所として使わせてもらっていた「高木屋」という今でも営業している店の確か二階でアレジは時間をつぶした。

前田吟の話では、その時その部屋には前田とアレジと佐藤蛾次郎さんがいたらしい。当時アレジはもちろんF1パイロット。しかもフェラーリに乗って初優勝をした年ではなかったか。ところがなにしろ言葉がまったく通じない。団子屋の二階の畳の部屋のコタツか何かに三人男が座って、前田としても何かその場をもたせようとしたが、同席モジャモジャ頭の蛾次郎はニコニコしているだけでまったくあてにならず、ずいぶんと気まずい時間を過ごしましたと笑いながら語っていた。前田さんも出番待ちなのに大変なことでした。

その場所が「高木屋」かどうか私はラジオをよく憶えていないが、その高木屋さんに今でもアレジの写真が飾ってあるらしいから、おそらく間違いないだろう。

話が逸れるが、私はF1史上で、運転の上手さだけならアレジがトップ3に入ると常々思っている。ただし上手すぎて、どんな車でもある程度乗りこなしてしまうから逆に車の状態の微妙な差がわからず、つまりセッティングが絞れず、当たれば速いが、外れることも多かった、というドライバーではなかったか。異論は認める。

デビューしたばかりのアレジがティレルに乗ってマクラーレンのセナとトップ争いのサイドバイサイドを演じたアメリカGPをまだよく憶えている。あの頃はF1をよく観た。それから頭角を一気に現わしてきたシューマッハが速すぎて強すぎて私はF1を観なくなったのだろうか。

私は10年ほど前に、映画「男はつらいよ」をコンプリートしようと思い立ち順番に観始めたが、やはりシリーズ後半になると寅さんの顔色や動作が弱々しく見え、それが辛くてたしか40作までは見ていないと思う。

数日前に第一作をあらためて観たが、御前様の娘役、光本幸子がよかった。品と色気のバランスが絶妙で、柴又の参道を着物姿でほろ酔いのまま妙な歌を歌いながら歩く姿はとてもよかった。その後を普段の自分の悪行は棚に上げて「お嬢さん!」などと咎めつつ心配そうにへっぴり腰でくっつき歩く渥美清もまた絶品。

私は短い柴又滞在のあと近くの葛西神社へ寄り、東京都の東の外れまで来たぞとなんとなく満足し、本来の目的のコーヒー豆を買いに道を北西に戻った。ところが途中他に目立つものは何もない殺風景な場所にあまりにレトロな店の暖簾を見つけてしまい、2秒躊躇い、そして私はUターンをしたのでした。

本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O

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20220603 ロバート・デ・ニーロの劇的変化

2022-06-03 16:41:51 | 映画
20220603

昨日までに映画「グッドフェローズ」などのことを書いていて、あれこれWikipediaを参照していたら、ロバート・デ・ニーロの出演歴で少し首を傾げた。

ロバート・デ・ニーロが一番かっこよかった役はどの作品かと問われたら、かなり悩むが、私はやっぱり「HEAT」のニール役と答えるだろうか。ニールの常に冷静かつ明晰でしかも上質な存在感が他の共演者たちを圧倒しているのだ。もちろん異論はあるだろう。「エンジェル・ハート」のルシファー役を挙げられたなら、私はまた考え込んでしまうだろう。あの尖った爪ね。

作品歴によるとそのかっこいい「HEAT」の翌年に「The Fun」が公開されていて、実は私は「The Fun」が大嫌い。結論を書くと、私が大嫌いになるほどロバート・デ・ニーロの演技が上手いということになるのだが、あの野球帽の男が大嫌い。ぞっとする。ちなみに「Cape Fear」も嫌い。あの入れ墨男ぞっとする。さらに言えば「タクシー・ドライバー」も好きじゃない。3人に共通するのは「思い込みが激しい男」ではないか。どれもぞっとするからあまり内容をよく憶えていない。重ねて書くと、ぞっとする原因はデニーロの演技力の高さである。でもぞっとする。

それで何に首を傾げたかを書くと、「HEAT」のニールと「The Fun」の野球帽男では見た目や人物像が違い過ぎるから、作品歴を見るまで公開の年がもっと離れているような気がしていたのに、実際は連続していたこと、にである。

だからその影響が私のロバート・デ・ニーロ離れに如実に表れていて、「The Fun」以前は彼の作品をほとんど観ているのに、以降はあまり観ていないことに今回あらためて気がついた。

話を「かっこいい」に戻すと、たぶん映画の中では使われなかったような気がするが、「ゴッドファーザー2」での若きドン・コルリオーネの家族写真はかっこいい。ロバート・デ・ニーロが椅子に座って、周りに奥さんと子供たちの写真である。「ああそうそう、あれね」と知っている人はいるだろう。あの白いブーツがまたかっこいいのだ。もちろん野球帽は被っていない。

本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O

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20220602 Jerry Vale/Pretend you don't see her

2022-06-02 17:03:24 | 映画
20220602

昨日ここにレイ・リオッタのことを書いたら、映画「グッドフェローズ」を観たくなってきた。

あの映画は結局レイ・リオッタが主役という理解でよかったのだろうか。すっかり忘れてしまった。脇のデニーロとジョーペシが光りすぎたから。

劇中で私の好きなシーンは、ナイトクラブでジェリー・ベールが「Pretend you don't see her」を歌うシーンだ。
※実際にジェリー・ベールが出演しているかは知らない。

レイ・リオッタならびに他の強面たち、そしてお喋り狂人役のジョー・ペシまでが、あまりの歌の上手さに言葉を失って魂の抜けたような顔をしているシーンがとてもいい。ああいったシーンは他のギャング・マフィア映画にはなかったと思う。何度見ても笑ってしまうくらい皆ポカーンとしているのだ。

ジェリー・ベールはフランク・シナトラにして「最高の声」と言わしめた歌手で、私も初めて観たときにはこの三拍子の歌に魂を抜かれた。映画に名曲はたくさんあるが、こんなに純然と「うっとり」したのはこの曲と、もうひとつ、デビッド・リンチの映画「マルホランド・ドライブ」での「Sixteen Reasons/Connie Stevens」である。「ああわかる」という人はきっといるだろう。

蛇足だが、ジョー・ペシは歌が上手い。

本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O

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20220601 訃報レイ・リオッタ

2022-06-01 15:47:38 | 映画
20220601

月の始めから人が死んだ話になるが、アメリカの俳優レイ・リオッタが亡くなったとのこと。67歳。先月の26日に撮影先のドミニカ共和国での突然の訃報だった。

そんなに映画に詳しくない私はこの人の名前をつい忘れてしまうくらいにしか知らないが、やはりニュースなどに書かれているように映画「Goodfellas グッドフェローズ」での演技は記憶によく残っていて、たとえば、

若いギャングを演じたレイ・リオッタは共演のロバート・デ・ニーロやジョー・ペシに比べるとだいぶ腰の引けた、まだ青い役だったが、結婚をしようと考えている女が向かいの家の若いチャラチャラした男から酷いことをされた時にはすぐさま単身乗り込んで、ピストルのグリップで死ぬほど殴りつけ、プロと一般人との差を見せつけた。血だらけのピストルを隠しとけと渡された女は怖がるどころか妙に興奮した。

そしてある夜、その女(後の奥さん)を連れてレイ・リオッタはナイトクラブへ行く。コパカバーナ。店の前は長蛇の列である。しかしレイは並ばず女とニコニコ裏口から入っていく。各要所にいる男たちにチップを渡す仕草も慣れている。雑然とし薄暗い廊下を歩く。少し不安げな女。たくさんの料理人が働くキッチンを通り抜け、混雑した店内に二人は現れる。驚いている女。支配人が目ざとくレイ・リオッタを見つけ、すぐさま最前列に二人の特別席を作る。周囲から声がかかり、挨拶を返すレイ・リオッタ。隣の強面たちから酒のボトルが贈られてくる。皆ギャングである。席について女が訊く。「何の仕事をしてるの?」「何?あ建設関係だよ」女はレイの手を触りながら「そんな仕事の手じゃないわ」と言う。この瞬間がある意味で彼のギャングとしての絶頂期であった。その自信と余裕に浮かれた顔の演技がとてもよかった。その後の狂気と裏切りの連続といったら。

おつかれさまでした。
おやすみなさい。
E V O L U C I O

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20220207 がんばりましたが、何もありません。オメ

2022-02-07 18:13:00 | 映画

北京五輪のバーテンダーだそうです。

20220207

昨夜CSで
「仁義なき戦い・完結編」を途中まで観て寝た。

途中までというのは、
会長の武田明(小林旭)がこれから出所してくるぞ、
というところまで。

もう少しその箇所を詳しく書くと、

会長代行の松村保(北大路欣也)は、
武田会長が出所してきたら会長に全てを返す、
と幹部の皆に宣言したが、

分裂しかけた天政会をまとめた自負もあり、
しかも、
妻のかおる(野川由美子30才・山守に葬式で視姦された杉田の娘)に、
「あなたはそんなヤワな男じゃなかったはず」
という意味を遠回しに揶揄され、
深く考え込むのだが、
私はそこでiPadをオフにし、寝た。
眠かったから。

昨夜ここに書いた件の葬式シーンは
ほとんど冒頭なのでそれはしっかりと観た。

「完結編」を昨日より前に観たのも昔のことで、
昨夜書いたことは私の記憶違いだった。

金子信雄と周りは本当に笑ってはいなかった。

あれは芝居が80パーセント。本心20パーセント。
そんな具合に昨夜は感じた。

それに「ええど、ええど」ではなく、
「ええよ、ええよ」だった。

宍戸錠の大友役にはどうしても違和感を覚えたが、
しかし兄弟市岡(松方弘樹)を殺されての弔い合戦に
単身二丁拳銃でふらふらと出ていく姿は悪くなかった。

このシリーズでは劇中、オメコオメコと今では禁句が随所に飛び出し、
しかもそのセリフが重要なのでカットできず、だから、
とても地上波では放送できないらしい。

オメコがなぜいけないのか私はわからない。

差別ではないしね。

前近代的だから?

オメコはまあどうでもいいが
昨今の過剰な除菌殺菌は
いずれ反作用により私たちは自縄自縛に陥るのではないか。

結果的に自己免疫力が下がり、
なんでもないものを恐れ、
さらに無菌を目指し過激になってゆく。

その矛先は菌やウイルスにだけでなく、
言葉や人間関係、社会環境、食べ物にも向かって行く。

そうすると推測されることは、
社会が萎縮・縮小していくだろう、
ということ。

それを望んでいる勢力がいる。

本日も、おつかれさまでした。
evolucio

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20211119 画像 サビネコ

2021-11-19 19:08:00 | 映画


20211119

はい、ちょっとごめんなさいよ。

おつかれさまでした。
evolucio

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20211117 画像 007ごっつぁんです。

2021-11-17 14:58:00 | 映画

20211117

最近とくに主張したいことも、
表現したいことも思いつきません。

ダニエルクレイグの007を
5作全部観ておりました。
どれも同じような内容なので、
もう頭の中がごっちゃごちゃです。
モニカベルッチが結局どうなったのか
憶えていないという。

本日もおつかれさまでした。
evolucio

画像はたしか錦糸町。
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20210829 津山事件について。「丑三つの村」

2021-08-29 17:43:00 | 映画


20201221記述



  もはや夜明けも近づいた、死にましょう。



先日、CS放送で「津山事件」を題材にした映画「丑三つの村」を観た。
津山事件とは小説や映画の「八つ墓村」の題材にもなったあの大量殺人事件である。

しかし「八つ墓村」はあくまで横溝正史の創作である。山深い村が負った業や言い伝え、忌まわしい血の蘇りと復讐などを描いたのだが、その冒頭に「津山事件」の凄惨な光景を横溝は借用した。だから殺人の動機は現実の事件とはまったく違うわけである。

一方、映画「丑三つ村」の方は事実に基づいて作られていて、大量殺人に至る動機が明らかになっていく。

山間の村に若い男が祖母と二人で暮らしていた。
男は肺を病んでいて、徴兵検査に通らなかった。
男の父も母も祖父も肺病で亡くなっていた。そのことで親類からも酷い仕打ちを受けた。

噂は村中に広まり、男は除け者笑い者にされた。
兵隊になれないこと。胸を患っていること。当時においてこれは若い男として落第であった。

今まで夜這いに通っていた家の女たちもこの男を拒絶するようになった。
男は次第に追い詰められ、心も病み、猟銃などを買い集め、山で練習を始めた。

1938年5月21日午前2時前後、男はまず自分の部屋の隣で寝ていた祖母を鉈で殺した。
その後、朧月夜の外に出ると近隣の顔見知りの家を次々に襲った。

1時間半ほどの内に28人を殺害し、重軽傷者は5人、内2人は後に死亡、女子供も容赦せず、老婆であっても凶行に及んだ。

犯行が終わると山の上まで歩き自殺をした。その時に山で書かれた遺書の一行がこの文章の冒頭の言葉である。

私の感想はというと、
社会は不平等であり、そして、
私も社会に対してけっして公平ではない、
というところでしょうか。

おつかれさまでした。
E V O L U C I O

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20210516 映画「どうしようもない恋の唄」感想。

2021-05-16 19:08:59 | 映画
この画像を見ていて自分の間違いに気がついた。
立石はタツイシではなくてタテイシだった。
ずっとタツイシと読んでいた。
タツイシバーガーとかね。
食ったことないけど、前を通ったことはある。
あ、立石バーガーだっ、と声が出た。
ちなみに中野坂上にも坂上バーガーがあるが、
それも食べたことはない。食べる勇気が出ない。
ローカルな話でした。

20210516

Amazon Prime Videoで
「どうしようもない恋の唄」という映画を観たので少し感想。

40歳の男は事業に失敗し、家族にも捨てられ、借金の取り立ては厳しく、
死のうと思い見知らぬ駅に降り、しばらく歩き、踏切に立つが決心はつかず、
ふと目についた風俗店に入る。

男についた若いソープ嬢ヒナは自分は頭も器量も悪く
何も出来ないからここで働いていると思い込んでいる。

男はヒナとの情事の最中、さまざまな事に感極まって泣き出してしまう。

男は店を出て、近くの韓国料理屋で酒を飲む。
すると仕事が終わったヒナが店の常連らしく偶然そこに顔を出す。

相席しかなく、しかしヒナは嬉しそうに男の向かいに座る。
深酒になり、男は酔いにまかせ自分の差し迫った状況を打ち明ける。

店の営業も終わり、男はヒナを近所のアパートへ送る。
部屋に上がるつもりはなかったが、酔ったヒナに引きずり込まれてしまう。

どうせ行くところがなかった男はヒナの言葉通りに居候することになる。

ヒナは自分の心の隙間を埋める存在として、また母性の発露から
目の前の弱っている男を守り支えることを無意識に選択するのだが、
それは今まで何度も繰り返した同じ失敗に懲りていない証でもあった。

一方ヒナの安アパートの隣の部屋にも
風俗嬢レイコとやはりそのヒモの大倉くんの二人が住んでいて、
男と大倉くんはそれぞれの女が出勤の間に洗濯物を干している時、
窓と窓であいさつを交わし、男は銭湯に誘われ、
その湯舟で大倉くんは、ボクはこのままでは終わらない、
と熱く語るのだった。

ここまでで起承転結の起。

以下感想。
導入がありきたりで、展開もとくに目新しさはないが、
役者と演出にリアリティがあり、
なかなか悪くないと思いながら観ていたが、
途中からベタな感じの話になり、結末も普通。

同じような、
妻に逃げられた男がオツムの足りないソープ嬢に惚れ惚れられ、
彼女と義弟を代表とする周囲との関わりの中で自己を再生していく
「皆月」という花村萬月の小説があるが、各キャラクターの立ち方も、
物語の深さも広がりも、そして到達点も「皆月」が上である気がした。

とはいえ、「皆月」も映画化されていて、
映画の方はまるでダメ。
なんだこれ?レベルの出来だった記憶がある。
何が悪かったか今では憶えていないが、
私は小説を先に読んだからかもしれない。

映画の「皆月」と今回の「どうしようもない」を比べたら、
私の中では「どうしようもない」の勝ち。

「どうしようもない」の冒頭で、
行き詰まった男が死に場所として選んだ「場末の駅」として
描かれているのが京成立石駅で、
それじゃあ立石の人に悪いだろうと思ったが、
立石出身のまだ生きているらしいつげ義春は何を思うだろうか。
おわり。

E V O L U C I O
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20210510 映画「シッピング・ニュース」ちょっと感想

2021-05-10 20:31:15 | 映画
20210510

CSで「シッピング・ニュース」という映画を放映していて、
見るつもりはなかったのに、ケビン・スペイシーと
ケイト・ブランシェットが出演しているというので、なんとなく見始めた。

映像の空気感も良く、
私の弱点である「娘」という存在もあり、結局最後まで観てしまった。

冴えない男が妻に逃げられ破産して、娘と叔母と一緒に
祖先のルーツであるニューファンドランド島に移住をする。

島の小さな新聞社に職を得て記事を書き始めるが、うまくはいかない。
しかしそのうち文章の切り口に個性が出てきて周囲に認められ始める。
ところが島のあちこちで取材をするうちに、
自分の祖先がこの島では「特別な家系」であることを知ってしまう。

プロローグはそんなところだが、

厳寒の島。
漁師ばかりの島民たち。
生きるだけでも厳しい環境。
辺境の閉鎖的かつ排他的な村社会と歴史。
人々の心に残る忌まわしい記憶や言い伝え。

などといった少し重苦しい雰囲気の中で話は進んでゆく。
がしかし物語全体はけっして闇に染まることなく陽を迎える。

私の好きな女優ケイト・ブランシェットがまたとんでもない悪妻を演じ、
まだ少し若いケビン・スペイシーは適役だった。

ただし、あまり面白くはなかった。
消化不良。
原作がピューリッツアー賞受賞作らしいが、
この作品の最大の良いところを堪能するには、
たぶん英語という言語を十分に理解した上で、
原作を英語で読まないと、まったく手が届かないことだと思った。

本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O
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20210430 1966年制作版ドラマ「氷点」あらすじ(その3結末直前まで記述あり)

2021-04-30 16:28:42 | 映画
1966年制作版ドラマ「氷点」あらすじ(その3結末直前まで記述あり)

https://www.youtube.com/watch?v=YSy6pQflRXg

〈開業医の妻〉は夫が隠していた手紙を見つけ真実を知ってしまう。
錯乱し帰宅した小学一年生の陽子〈犯人の娘〉の首に手をかけてしまう。
しかし殺すまでには至らず、
〈開業医の妻〉は数年前に殺された実の娘に詫びながら泣き崩れる。

それからの日々は陽子にとってつらい毎日となった。
父〈開業医の男〉はもともと陽子を可愛がらなかったし、
息子よりも陽子をより可愛がってきたような
母〈開業医の妻〉(継母であることを陽子は知らない)が、
あの忌まわしい日から急に冷たくなってしまい、
またことあるごとに意地悪をするのだった。

裕福であるのに陽子にだけ給食費を与えず、
先生に叱られた陽子は新聞配達をすることになるが、
その店の夫婦の会話から自分が継子であることを知ってしまう。

物心がついてからずっと世界は暖かかったが、
急に冷たく色のない世界になってしまった。
しかしそんな中で
〈開業医の息子〉(陽子の実の兄ということなっている)だけは
以前とまったく変わらずに、いやそれにも増して誰よりも優しくしてくれた。
ところが〈開業医の息子〉はある日の父母の言い争いから陽子が継子で、
しかも〈犯人の娘〉であることを知ってしまう。

幼い頃から好きで誰よりも大事に思ってきた妹の陽子が
自分と血の繋がりがないと知り、思いは激しい愛に変わった。
しかし世間体をいえば戸籍上兄妹であり、結婚はできない。
結婚を望めばそれは陽子の出生がいずれ明らかになってしまう。
愛するがゆえの苦悩に苛まれる。
悩んだすえに〈北原〉という自分の親友を陽子に紹介する。

〈北原〉と陽子は初めて会った時から愛を感じ合う。
文通をするが、母〈開業医の妻〉に度々邪魔をされる。
何度もの危機を乗り越えて二人の心は固く結ばれようとするが、
とうとう取り乱した母〈開業医の妻〉が二人に陽子の真実を告げてしまう。

陽子は自分が継子であることは知っていたが、
この家の娘を殺した〈犯人の娘〉であることはまったく知らなかった。

その真実を知った時、心が氷点に達した。

今までは、どんな苦難があろうと、
負けず曲がらず明るく乗り越えて生きてゆくことを胸に秘めていたが、
とうとう心が凍ってしまった。
陽子は薬を持って自分の本当の父に殺された〈ルリ子〉が
死んだ場所であるまだ雪の残る川へと向かうのだった。
驚愕の結末は本編もしくは原作にてどうぞ。おわり。

E V O L U C I O
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20210429 1966年制作版ドラマ「氷点」あらすじ(その2)

2021-04-29 21:41:32 | 映画
1966年制作版ドラマ「氷点」あらすじ(その2)

https://www.youtube.com/watch?v=YSy6pQflRXg


事件後ようやくおちついた〈開業医の妻〉は女の子が欲しいと言い出す。
しかし夫〈開業医の男〉は実は娘〈ルリ子〉が死んだ日に
妻が〈眼科医〉と密会をしていて事件の原因を作ったことを知っていた。
〈開業医の男〉は妻に復讐するつもりで友人〈乳児院の院長〉に頼み込み、
まだ生後間もない〈犯人の娘〉を引き取ってしまう。

──現在の感覚であればそんな簡単に子供をやり取りすることは考えられないが、まだ戦後の混乱と貧しさが残り、孤児もたくさんいた。そして両方が医者であったことも手続き上、有利であっただろう。ここで重要なのが〈開業医の男〉がそんな無茶なことを頼んだ理由と言い訳である。それは聖書にある「汝の敵を愛せよ」という言葉で、これは〈開業医の男〉が学生時代から持つ自分への命題であった。そのことを友人〈乳児院の院長〉もよく知っていた。ついにその試練を自分に課す時が来た、というのである。しかし実際は妻への復讐であった。───

そのような夫と友人の秘密のやり取りを知らない〈開業医の妻〉は
あくまでも自分が産んだ子供ということにしたく、
引き取る前に布を腹に巻いたり、引き取り後の数か月は家にも帰らなかった。
やっと家に戻ると〈犯人の娘〉とは知らないまま溺愛した。
〈開業医の男〉と〈乳児院の院長〉だけが真実を知っている中で
すくすくと育つ〈犯人の娘〉陽子は容姿も才も非常に優れていた。

ところが〈開業医の妻〉がある時、夫が隠していた〈乳児院の院長〉への
苦悩を告白する手紙を偶然に見つけ読んでしまい、ついに真実を知ってしまった。
〈犯人の娘〉陽子はまだ小学一年生であった。
〈開業医の妻〉は仏壇の死んだ〈ルリ子〉に泣いて詫びた。
帰宅した〈犯人の娘〉陽子の首に手をかけてしまう。
つづく。
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