20200929
目が覚めて、もう木曜日か、と思った自分に驚いた。
今日は火曜日ですよ。間違えないでくださいね。
本日も、おつかれさまでした。
E V O L U C I O
とくにございません。
なにもありません。
意味もないんです。
夢も萎みました。
雨も止みません。
ネコも逃げるんです。
E V O L U C I O
題「横浜でお茶を買うのを忘れた」
20200925
9/20のつづき。
横浜の放送ライブラリーへ行ったことを書いている。
鑑賞したのは1993年製作(テレビ東京)ドラマ「にごりえ」
「にごりえ」は樋口一葉の短篇小説で、舞台は今の後楽園の近く。時代は明治。
主人公<お力>は店が並ぶ一帯全体の看板のような器量と人気の酌婦である。
<お力>にはつい最近まで付き合いの深い<源七>という馴染み客がいた。
源七はかつては羽振りの良い布団屋を商っていたが、お力の元へ借金を重ねてまで通った挙げ句に店は手放し、今では妻と子供と八百屋の奥の長屋でかたつむりのように暮らしている。妻は内職、自分は力仕事の一家その日暮らし。
しかし源七はお力を忘れられず、だが金もないため、菊の井の裏口から一目だけでも会いたいとお力を呼ぶが、願いは叶わず追い出されること度々。そんな落ちぶれてすっかり覇気も失った夫の姿を見てその原因をよく知っている妻のお初はしかしまだ望みを捨てずに夫を励まし家事内職に勤しむ。
菊の井では、結城朝之助(ゆうきとものすけ)という仕事は何をやっているかわからないが裕福そうで遊び慣れた男がお力の馴染みとなり、お力も結城には心を許し、他の客とは違う態度を見せる。
ある日、お力は結城と外を歩いている時に、源七の子の太吉郎を見かけ、結城にカステラを買ってもらい子に持たせる。太吉郎は普段はお力を見ると「鬼」と呼び捨てるが、菓子には勝てず素直にもらって帰る。
しかし母のお初はそれを見咎めて、悔しさと情けなさのあまり太吉郎から奪い取り投げ捨ててしまう。それをそばで見ていた源七は怒り、お初に離縁を突きつける。お初は太吉郎を連れて出て行く。
ここから先、ドラマでは源七がお力を明確に殺めるシーンを映すが、原作ではそこは曖昧で、ある日突然に源七とお力について「棺二つが町から出た」と書き、死因はお力は斬られ、源七は見事に切腹とある。人の噂話をいくつか連ね、そして人魂のような光が山を飛んでいたとして短い物語は終わる。つづく。
20200924
「黒埃虫の話」
夢の中で小さなカエルを見つけた。緑が鮮やかで目立ったのだ。じっと見ているとカエルは何かに纏わり付かれているようだった。何か。黒い埃の塊ような、いや塊というほどの密度ではなく薄煙くらいにぼんやりして大きさはタラコくらいの纏まりがカエルの足から覆い被さろうとしているのだった。
私はカエルの味方をして脇の棒を拾いその煙をカエルから払おうとした。よく見ると煙の正体は虫だった。この場合、蟲と書いたほうがイメージし易いか。5ミリほどの細く黒い糸のような、いや糸よりずっとずっと細い虫が数万匹?蠢いて密集しているのだ。それがまるで呪いの煙のようにカエルを襲っているのだった。
棒の先を揺らしながら煙に差し込んだ。すると虫は散って、まるで埃をはたいた時のように広がり私の呼吸にも進入してきた。私は途端に激しく咳をした。咳が止まらない。散った瞬間、咄嗟に顔を伏せたのだが虫が僅かにでも肺に入ったようだ。猛烈に咳が出る。しかしカエルは逃げた。よかった。私は咳をしながら虫を触った気色悪い棒を階下に捨てた。棒は下に置かれた誰かの自転車のハンドルに当たり跳ねてから落ちた。
それから目が覚めた。まだ咳が止まらない。夢の虫が入ったのだから当然か。ゲホゲホ。終り。E V O L U C I O
20200923
私としては久しぶりのアイヌ展。よい物が揃っていました。
目黒といっても駒場はいわば北目黒だから私の自宅から近く、歩いても行ける。
日本民藝館は駒場の東大の北門の通りから少し住宅街に入ったところにあるが、この通りは山手通りから東北沢への抜け道で、今は笹塚のR20まで道なりに簡単に抜けられるようになった。
だいぶ前の話だが、この通りにフレッシュネスバーガーがいつの間にか出来て、最初は個人経営のような店だったからあれはたぶん1号店なのだと思うが、昨日まだあった。やはり佇まいというか雰囲気が他の店舗とは今でも違うね。
私は奥に入った日本民藝館に行くのは初めてだが、タレントの可愛かずみが飛び降りた場所がその抜け道沿いにあって、私は当時よくそこを通ったから、いつまでも憶えているのだが、昨日通ったらその場所の前になぜか人がたくさん並んでいて何事かと思ったら、ラーメン屋さんに並んでいるのだった。これはいつも賑やかでいいなと思った。
行列から少し入った閑静な住宅街の見本のような場所に日本民藝館はあって、連休最終日ということもありけっこうな来館者がいた。アイヌ以外にも台湾などの陳列もあるからかアジア系の外国人も目立った。
アイヌの民芸というと、とくにあの衣装と木彫なのだが、木彫はあまり深く彫らない。たとえばニュージーランドのマオリ族の木彫と比べると彫りが浅く、しかし逆にその奥ゆかしい感じがとてもよい。もちろんマオリはマオリでいいに決まっているが。
北と南の木の硬さの違いなのか、しかしそれぞれの文化の底にある思想が似ているような気がするのは私だけではなく、台湾原住民そしてアイヌとマオリには実は浅くない繋がりがあるという考えがあり、私もだいぶ以前だがその考えを元に「WAVELINE」という「海洋民族」の象徴的デザインでペンダントなどを作ったことがあるが、あれよかったな。忘れていたわけではないが、あれはよかった。自分でも好きだったし。
そんなことを思い出した今回の駒場行きであったが、また行列の道まで出てきて、そういえばこの新しいラーメンではなく、東北沢寄りにもっと昔ながらの、たしか銭湯の近くにあったラーメン屋さんはまだあるのか、あれば食うか、と見に行ったら、なかった。そりゃそうだよな。若き弘兼憲史が近くに住んでいてよく通ったというラーメンというか食堂だが、なかった。銭湯もなかった。ボーッとしてる間になんでもどんどんなくなるね。オレが気がつかないうちにオレもなくなりそう。時間の亡霊かな。おわり。おつかれさまでした。今外で子供がウソ泣きしている。雨も降っている。
E V O L U C I O
(WAVELINEの過去制作品 現在はありません)
題「用事も行く気もないところへフラフラと行ってみた」
なんというか、
TOKYOという迷路の中のひとつの「行き止まり」みたいな場所だった。
佃煮は買わなかった。佃煮なら浅草橋の鮒佐と決めています。
E V O L U C I O
題「後で泣くぞ」(文章に関係ありません)
20200920
つづき。
横浜の「放送ライブラリー」に着いた。
受付を済ませ、席に案内され、ディスプレイの前に私は座ると一息ついてから、まずは検索窓に「に」と文字を入れた。
私から少し離れたところで年寄りが河合奈保子の歌う姿を視ている。
フロアは薄暗く、5,60席の視聴席があるだろうか。各席がなるべく視界に入らないように互い違いに並んでいるが、何人かの背中が目に入ってしまう。河合奈保子おじさんの向こうでは中年の男が野球を視ていた。あれは近鉄バッファローズのユニフォームではないか。そんな古い試合を視にきたのか。皆、昭和に何か忘れ物をしてきたのだな。後ろ向きに生きるのはお薦めできないぞ。などと思いながら次に「ご」と入れた。そして「り」である。最後に「え」と入れた。
「にごりえ」昭和どころか私の忘れ物は明治であった。
「にごりえ」は樋口一葉が1895年に発表した短篇小説で、身を売る女と買う男それぞれの事情と心情と感情の果てに、追いつめられた男と、この世から消え入りたい女がとうとう同時に死んでしまうという短い物語である。原作とドラマの結末は少しだけ違う。
舞台は樋口一葉が当時住んでいたという今の後楽園の近くにあった新開地と呼ばれたつまり私娼街とでもいうのか、銘酒屋という表向きの実は売春宿が立ち並ぶ通りで、その中の一軒「菊乃井」にはこの通り中の看板になっている<お力>と呼ばれる酌婦がいた。
器量もさることながら、頭もよく話も上手で、客に媚びることもなく、嫌な客には嫌と言い、返ってそれが面白いと評判であった。つづく。
題「真剣に生きろと心が泣く」
20200919
数日前、横浜に行った。
何をしに行ったかというと、古いテレビ番組を視聴しに行った。どこで?そんなものを見るのかというと、「放送ライブラリー」という公共の施設で、である。
何年も前からどうしても見たい番組があった。しかし探してもビデオもなし、ウェブ上に動画もなしでお手上げだった。やっと2年ほど前に「放送ライブラリー」という施設が横浜あり、私の観たい番組も収蔵されているとわかった。が、混雑していたり待たされたりすることが苦手な私はなかなか行く気になれなかった。
しかし一昨日の午前中にふと「行こう」という気になって、その気になれば早いので、2時頃には着いた。着いたら驚いた。なんだここか。以前、10年くらい前だが、横浜に毎週のように行く用事があり、その時によく利用していた駐車場の建物に今回の目的地「放送ライブラリー」はあったのだった。
平日だからか人気のない横浜情報文化センターの8階に上がるとまた一段と静かなフロアーがあり、受付で名前を書いた。私はてっきりそこで希望する番組をリクエストしてビデオか何かを渡されるのかとなんとなく思っていたのだが、何も訊かれず席に案内された。全てはデジタルアーカイブスでした。座った目の前のディスプレイからサーバー直結で、そこで何でも検索をし、120分間見放題というシステムでした。もちろん無料。ビデオテープというイメージを持っていた私は少し恥ずかしい気持ちを感じた。離れた席が視線に入り、そこではけっこうなお年寄りが河合奈保子の歌っている姿をじっと視ていた。あれはきっとスマイルフォーミーである。
いやいや私は歌番組を見にきたわけではない。検索窓にまずは「に」と入れた。つづく。
題「真面目に生きろとオレが言う」
20200918
結局、今日、渋谷公園通りギャラリーの「アール・ブリュット特別展」へ行ってきました。副都心線を使うと自宅のドアを閉めて渋谷に着くまで30分かからないくらいで、どの方法で行くよりこれが早いなと気がつきました。元町中華街にも1時間で行けるらしい。そう考えるとヨコハマ近いな。一昨日か、高速使って、高いパーキング代も払ってヨコハマ行ったのに、その後に気がつきました。
さて渋谷のギャラリー。混雑していると集中して見ることが出来ないから開館時間頃に行ったら観覧者はなんと私だけで、貸し切り状態は30分くらい続いただろうか、おかげでしっかりと鑑賞出来ました。
なぜか無料のイベントで、だからか展示数はそれほど多くはないのだが、しかしどれもレプリカや写真ではなく本物なので、とてもよかった。以前からよく催される中野駅周辺なんかでの展示の時は写真が多くしっくりこないのだが、今回は本物ばかり。とくに澤田真一のあのトゲトゲオブジェの本物を見ることが出来てとてもよかった。
澤田真一検索結果リンク
私の大好きな作家、舛次崇(しゅうじ たかし)の作品があればうれしかったのだが、なかった。残念。彼の作品の本物を見てみたい。いつだったか数年前か、中野区野方の商店街を歩いていた時に、壁に貼られた彼の作品のA4サイズほどの写真に目が止まった瞬間に動けなくなってしまい、しばらくそこに立ち尽くしていたことをよく憶えている。あの公共トイレのとこね。
舛次崇検索結果リンク
それから今回の展示では日本で出版されたアール・ブリュット関連の書籍がほとんど置いてあり閲覧できたので、私は1時間くらい座って全部に目を通してきた。字なんかほとんど読まず、作品にだけに集中した。
アートには関係ないが昨日、白バイに停められて、隊員になぜかピーポくんの絆創膏をもらった私でした。
私はこれでもセーフティなので、もちろん切符は切られませんでした。
「警視庁」と文字の入った絆創膏だから、ちょっとレアかな。
おつかれさま。おやすみなさい。E V O L U C I O
画像は窓に張り付いたうちの子。かわいい。
20200917
つい先日、上野の芸大で「アール・ブリュット展」が開催されていたのだが、それを知ったのが最終日の前日で、しかも観覧には予約が必要の上、しかし その予約はもう満席で、最後の望みは当日のキャンセル待ちだというのだが、それを行う気力が私にはなかった。残念賞。
ところが今、少し調べてみたら、「渋谷公園通りギャラリー」 で開催されている模様。渋谷なら近いからそれほど気力は必要ないだろう。しかし明日は急にまた暑いらしいからな。雨でもいいから涼しい日に行きたい。
おやすみなさい。E V O L U C I O
20200916
横浜中華街へ行ったが人がいない。平日だからか。
しかし何も食べず、どうしても視たかったドラマのビデオを鑑賞してきた。
それで今はとても眠いので、また明日。おやすみなさい。E V O L U C I O
20200913
近所の店で亀を飼っていて、
亀はいつも店先の青いタライの真ん中の石の上で独りボーっとしている。
水がきれいな時もあれば、エサの乾燥エビなんかが水に散っている時もある。
頭から尻尾まで長さ25cmくらいのミドリ亀である。
私はそれくらいの大きさのミドリ亀が飼われている家をあと3つ知っていて、
線香屋の亀なんかは飼い主のお婆さんの後について散歩をしていたりする。
もちろん家の前の見える範囲でだが。
しかしあれはミドリ亀だったかな。
私、亀に詳しくはないので。
とはいえ亀は本当に長生きだな。
そういえばやはり近所の公園の池にもたくさん亀が泳いでいたのを見たことがある。
冬の北朝鮮の田舎ならきっと全部食べられてしまうんだろうな。
ミドリ亀が食用になるのかは知らない。
まだ早いですが、おやすみなさい。
でも私は先ほど起きました。
これからコーヒーを飲みます。
evolucio