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今、ワークショップを終えて感じていることなど

2013年12月08日 10時24分31秒 | 八戸ワークショップ
 八戸カウンセリング・ワークショップの場に、はたして私のような世話人が、この先必要なのかどうか、自宅に帰ってから何度も自分に問うたワークでした。座っているだけでいい、いてくれるだけでいいからと言って下さる方もいらして、それはそれでとてもありがたかったのですが、私自身はとてもそれだけでは落ち着かず、動いてしまうようです。
よくはわかりませんが、何かしら切実に悩みがあってとか、初めてのワークショップでいったい何をやるのかしらとドキドキしながら座っていらっしゃる新人さんがいるわけでもない、そういった緊張感みなぎる場というよりは、ほとんどの方が顔見知りでゆったりしていて、特別、自分の内の状態をさらけ出さなくても大丈夫というような空気?がみなぎる中、何を基本において学習していったなら、皆様のお役に立てるのかどうか、とても考えさせられたワークでした。
 私自身の腹を探りますと、一生、一人の学習者でいたいという切なる願いがありますし、出来たら師と仰ぐような方がいらして、とことんその方にぶつかっていきたい!さらにできたら、ぶつかってぶちのめされたいというぐらいの願望は今でもあるのですが、悲しいかな、その師なる方たちの多くはご高齢にて、こちらがぶつかったら骨折しそうなくらいのお年になってしまったのです。
だったら逆に私にぶつかってきてもらえたら、それはそれで嬉しいのですが、昨今の日本における“癒しブーム”が浸透しているせいかどうかまではわかりませんが、表面的にはみんな仲良しで、真逆の“温泉カウンセリング的なもの”の方が楽なのか、なかなか最近は、ぶつかってきて下さるような方にも巡り合わずにいます。
(ここまで書いて気づいたこと、私、決して、ぶつかることを良しとしているわけではないので、どうぞ誤解のないようにお願いします。できたら、思わず言ってしまったとか、話すはずではなかったのに、気がついたら我慢できずに話してしまったとか、に見られるような、あとさき省みない、計算のない、こちらがワクワクしてしまうような発言に出会いたかったのです。そういった発言の後には、あとさき省みない分、ぶつかることも多くて・・・。もちろんもちろん、ちゃんと筋道の立てた話も大歓迎ですよ~)
 確かに温泉は私にだって必要ですし、大好きなのですが、私や私の仲間がやってきたカウンセリングに温泉はいりません。これだけは言い切る覚悟があります。う~ん、言い切った瞬間、自分自身の甘さに気づかされました。誰よりも、私が温泉的な甘さを作っていたのかもしれない!って。

 私のこういった右往左往の中、上記を読み返しながらたどり着いたことがあります。八戸ワーク3日間を振り返った時に、一貫してゆらがなかったテーマのようなものを思い出しました。それは、理事長が書かれたという八戸ワーク案内文の中の、「生命感覚を頼りに己の分をしっかり見定め」という、友田先生の言葉です。たくさんの方たちは、最後までこの文章に関わっていたのを思い出しました。これを基準に、私ならこう思うとか、この書かれた意味がわからないとか・・・、それこそ右往左往していたように思えます。
これを思い出したときに、図らずも私が今、言いたいことが見えてきました。たとえ、慣れ親しんだ方たちが中心のワークショップだとしても、初めての方がいらしたとしても、基盤になるもの、どう話が流れたとしても戻れるものがあっての学習ならいいのかも、それが今は必要なのかも、そういう時期にきているのかもしれないと、感じ初めている私に気づきました。何を話してもOK!寝ていようとも食べていてもOK!は変わらずなんだけど、そこに戻れるものがあることが、今の八戸ワークには必要なことなのかなと、勝手ですが、思えています。
来年はまったくどうなるかはわかりませんが、あくまで“今”の私の意見として、書かせて頂きました。
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