ルールって、規則って制限って、いったいなんでしょう?
今回のテーマ(決めたことはないけれど)の中心は、これだったと思う。
何つながりで京都の話になったのかはわからないけれど、京都が話題になったとき、確か私が、「京都って、ぱっと見、私の田舎の風景とさほど変わらないような町並みでも、どこか洗練されていて、決して、やぼったくないよね。田舎っぽい風景であっても、どこかが、単に田舎だけの私の実家の風景とは、ぜんぜん違う・・・」こんな話をしたと思う。
そしたらA男くん(かつての建築設計士)が間髪いれずに、「京都の町やには、すべて決められた制限があって、それに則って家が建ち、町並みが作られているからだよ。中国の長安に習った碁盤の目に揃えられた町並みは、かつては、家一軒の幅や、高さまでも制限がかけられていたから、一連性を持っている。現在ではその制限も、例えば、隣家がいなくなった後買い取られて、家2軒分の幅で一軒が建てられたりと、少しずつ変わってきてはいるけど、それでも根底にそんな基準があって、その上で、時代の流れと共に、住む人たちの多様性を含みながらの変化だから、洗練されているんだよ・・・」とまあ、多少の聞き違いはご勘弁頂くとして、このようなことを語ったと思う。
そんな話に、なるほどなあって耳を傾けていたら、カウンセリングばかの私は、大好きな?時間の制限(ロジャーズ、4つの制限のひとつ)に話を飛ばしてしまいました。
かつて友田先生が、時間の制限がなくて何がカウンセリングだ!そもそも、この制限がなかったら、人間の成長など起こるはずがない!とか、この制限がないところで、私は面接などやる気がない!とか言っていたのを思い出しました。
私が直に、先生からこの話を聞いたことはなくて、ロジャーズ全集18巻に掲載されている4人の先生たちの座談会の席で、友田先生が堀先生に向けて、言い放っていたような記憶からですが。
あまりいい加減なことも書けないので、この後さっそく調べてみたら、1968年発行ロジャーズ全集18巻“第19章カウンセリングをめぐって(座談会)”の中で、4人の先生たち(友田、伊東、佐治、堀先生という、当時のロジャーズ派?カウンセリング界の第一人者たち)の対談の中に、似たようなものが載っていました(特にP420あたり?)。
興味のある方はぜひ一度、読んでみてください。読んだ後で、それって、高橋さんの勝手な解釈じゃないなどのご指摘等頂けたら、ありがたいです。このあたりはとても重要な箇所で、今、実際に読み返してみると、先生ご自身は、時間の制限ウンヌの話をするというよりは、どちらかというと、次に話しだしたバキューム(真空)につながることとしての言葉だったようにもとれるのですが、当時の私には、時間の制限のウンヌの箇所として、記憶に残っていたようです。
私自身、この制限に関してはそれなりに思い入れがありまして、かつては、クライアントさんがまだ話したがっているのに、どうしてそこで時間が来たからといって、ブツリと切らなければならないんだろう、少しくらいなら、時間が延びたとしてもクライアント・センタードのカウンセリングだとしたら(こんなことは、クライアント・センタードは言わないでしょうが、)延ばしたところで、影響はないのではと考えていました。
実際、面接業を始めてしばらくは、そうしてもいました。
がしかしその後、何度も何度も、私自身が自分の甘さを見たことで変わってきたように思います。時間の制限(2008年2月ブログ掲載の記事に、題名のものあり)があってこそのカウンセリングでしょうというように、だんだん思えてきたようです。極端に言うと、制限のないところに、人の成長などあるものかとまで思うようになりました。そして、特にそれが顕著になったのはつい最近のこと、実は私がこの8月になってから始めたことがありまして、カウンセリングとは関係のないことなのですが、実感しました。
今日で24日経ったのですが、それは毎朝の、20分前後のランニングです。
それは、とある病院での検査結果、コレステロール値が300とわかった次の日からのことです。20分走ろうと決めたわけではありませんでしたが、同じ場所を毎日走っていたら、この時間に、だいたい落ち着いてきました。距離にしたらわずか1.5kmくらいなので、そこに20分もかけるということは、早足くらいのランニングになりますが、これが、目からうろこほどの気づきを与えてくれました。
とにもかくにも、私がこのランニングに課したことはとても単純なこと、毎日走り続けること。それも同じ場所(同じ距離)を、どんなに遅くともいいから、最後まで休まず走ること、これだけです。ところが、これが初日2、3分走るやいなや、それもかなりゆっくり走ったのに、きつくてきつくって、どうしようもなかった。もうなんて言ったらいいか、こんな易しいことも困難と感じる自分の体力を、初日から感じてがっくりしていました。いい訳以外の何ものでもないのですが、やっぱし年かなあって思いました。
初日10分走ったころ、息切れはおろか、両モモの後ろがパンパンになってきて、腰は痛いし、歩きたくてたまらなかった。私は40歳を過ぎた頃から今日まで、結構歩くことは気にしてやってきていたので、多少の自信はあったのですが、まったく、歩くことと走ることでは、体の揺れが違うのです。それと、走ることはずうっと中腰のまんま。きつかったぁ!3日坊主とは言いますが、1日おばさんになるかもと思えるくらいに、きつかった!
ただ、意地だけは誰にも負けないくらい強いのが幸いして、初日なんとか走り終えることだけはできました。
そこから続けて1週間、ちっとも楽になるどころか、ますますきつくなって、腰から下はすべて、そこらじゅう筋肉痛で、たまらなかった。毎日、毎日、同じ体調なんてありえなかった。そんな中、やっぱりと言われそうですが、いつのまにか道端に咲いている可愛らしい花に目がいくようになり、走るコースの途中に神社があって、ここに手を合わせることが日課になりました。それは20分の走りの中、15、6秒ほどの休息です♪。
なんだかんだで、走り始めて2週間になろうとしていたころでしょうか?体が慣れてきたのか、きつさをあまり感ぜずに走っている、私に気づきました。
最初の1週間を振り返ると、今日は太ももの後ろが痛いとか、両方の腰の横が痛いとか、今日は背中がつっぱるとか、体にばかりにいっていた意識が、2週間目あたりからは少しずつ、周りの風景に目がいき、あるときなど、8月なのに桜の咲いてる光景に出会ったりして、びっくりするやら、でも次の日から、そこを走るのが楽しみになりました♪。
何日か寝不足が続いたりすると、さすがに走るのがいやで、かつて散歩している時なら必ずや休んでいたはずなのに、なんとか続けることだけが目標のため、仕様がなく走りました。私の場合、寝不足が一番走るという気持ちにブレーキがかかるのですが、いつのまにか気がつくと、寝不足でも、少々お酒を飲んだ翌日でも、昔だったら、こんなときは絶対走らなかったわなどという私のいい訳におかまいなく、いつも通りに走れるようになっていました。逆に、ばっちり8時間は寝たような朝なのにもかかわらず、足が重くてごまかしごまかし、走ったこともありました。なんども言うようですが、体は一日たりとも、決して同じと感じる日はなかったです。
そして、今日、確かにわかったことは、時計を見なくとも20分で走れること、これは、走りに一定のリズムが出てきたからでしょう。わずか3週間ちょっと、一定の条件の中、早足ほどのスピードで走っただけなのに、体が変わってきたのを感じます。歩いているだけでは決してわからなかった、体の痛い箇所(悪い部分といいましょうか)が感じられてきて、普段の生活の中で、そこを大切に扱うようになりました。
自分の気持ちにおかまいなく、体を同じような?条件下でお任せしていると、体は勝手に調整しリズムを刻んでいくようです。いつまで続くのかはわかりませんが、今のところは走り続ける以外に目標がないので、なんであれ体にお任せしておけば、おおよそのことは決まっていくような気がします。もうここに載せてしまったのだから、なんとかまだ走り続けたい(笑)
今回は、第30回三鷹しゃべりばの振り返りというよりも、私個人の体験談の方に話が流れてしまいました。このランニングに関しては、日を改めて、1ケ月以上続いたら少しは自慢できるかもしれない?そうしたら、何かしら文章になるかもなどと、もくろんでいたことでした(笑)。なんだかんだで、思ってもいなかったのに、今回載せてしまいましたが。
いつも当たり前のように参加してくれる皆様、初参加のHさん、こんな振り返りで失礼いたします。
第31回三鷹しゃべりばは、10月17日(土)を予定しております。次回もたくさんの皆様のご参加をお待ちしております。
今回のテーマ(決めたことはないけれど)の中心は、これだったと思う。
何つながりで京都の話になったのかはわからないけれど、京都が話題になったとき、確か私が、「京都って、ぱっと見、私の田舎の風景とさほど変わらないような町並みでも、どこか洗練されていて、決して、やぼったくないよね。田舎っぽい風景であっても、どこかが、単に田舎だけの私の実家の風景とは、ぜんぜん違う・・・」こんな話をしたと思う。
そしたらA男くん(かつての建築設計士)が間髪いれずに、「京都の町やには、すべて決められた制限があって、それに則って家が建ち、町並みが作られているからだよ。中国の長安に習った碁盤の目に揃えられた町並みは、かつては、家一軒の幅や、高さまでも制限がかけられていたから、一連性を持っている。現在ではその制限も、例えば、隣家がいなくなった後買い取られて、家2軒分の幅で一軒が建てられたりと、少しずつ変わってきてはいるけど、それでも根底にそんな基準があって、その上で、時代の流れと共に、住む人たちの多様性を含みながらの変化だから、洗練されているんだよ・・・」とまあ、多少の聞き違いはご勘弁頂くとして、このようなことを語ったと思う。
そんな話に、なるほどなあって耳を傾けていたら、カウンセリングばかの私は、大好きな?時間の制限(ロジャーズ、4つの制限のひとつ)に話を飛ばしてしまいました。
かつて友田先生が、時間の制限がなくて何がカウンセリングだ!そもそも、この制限がなかったら、人間の成長など起こるはずがない!とか、この制限がないところで、私は面接などやる気がない!とか言っていたのを思い出しました。
私が直に、先生からこの話を聞いたことはなくて、ロジャーズ全集18巻に掲載されている4人の先生たちの座談会の席で、友田先生が堀先生に向けて、言い放っていたような記憶からですが。
あまりいい加減なことも書けないので、この後さっそく調べてみたら、1968年発行ロジャーズ全集18巻“第19章カウンセリングをめぐって(座談会)”の中で、4人の先生たち(友田、伊東、佐治、堀先生という、当時のロジャーズ派?カウンセリング界の第一人者たち)の対談の中に、似たようなものが載っていました(特にP420あたり?)。
興味のある方はぜひ一度、読んでみてください。読んだ後で、それって、高橋さんの勝手な解釈じゃないなどのご指摘等頂けたら、ありがたいです。このあたりはとても重要な箇所で、今、実際に読み返してみると、先生ご自身は、時間の制限ウンヌの話をするというよりは、どちらかというと、次に話しだしたバキューム(真空)につながることとしての言葉だったようにもとれるのですが、当時の私には、時間の制限のウンヌの箇所として、記憶に残っていたようです。
私自身、この制限に関してはそれなりに思い入れがありまして、かつては、クライアントさんがまだ話したがっているのに、どうしてそこで時間が来たからといって、ブツリと切らなければならないんだろう、少しくらいなら、時間が延びたとしてもクライアント・センタードのカウンセリングだとしたら(こんなことは、クライアント・センタードは言わないでしょうが、)延ばしたところで、影響はないのではと考えていました。
実際、面接業を始めてしばらくは、そうしてもいました。
がしかしその後、何度も何度も、私自身が自分の甘さを見たことで変わってきたように思います。時間の制限(2008年2月ブログ掲載の記事に、題名のものあり)があってこそのカウンセリングでしょうというように、だんだん思えてきたようです。極端に言うと、制限のないところに、人の成長などあるものかとまで思うようになりました。そして、特にそれが顕著になったのはつい最近のこと、実は私がこの8月になってから始めたことがありまして、カウンセリングとは関係のないことなのですが、実感しました。
今日で24日経ったのですが、それは毎朝の、20分前後のランニングです。
それは、とある病院での検査結果、コレステロール値が300とわかった次の日からのことです。20分走ろうと決めたわけではありませんでしたが、同じ場所を毎日走っていたら、この時間に、だいたい落ち着いてきました。距離にしたらわずか1.5kmくらいなので、そこに20分もかけるということは、早足くらいのランニングになりますが、これが、目からうろこほどの気づきを与えてくれました。
とにもかくにも、私がこのランニングに課したことはとても単純なこと、毎日走り続けること。それも同じ場所(同じ距離)を、どんなに遅くともいいから、最後まで休まず走ること、これだけです。ところが、これが初日2、3分走るやいなや、それもかなりゆっくり走ったのに、きつくてきつくって、どうしようもなかった。もうなんて言ったらいいか、こんな易しいことも困難と感じる自分の体力を、初日から感じてがっくりしていました。いい訳以外の何ものでもないのですが、やっぱし年かなあって思いました。
初日10分走ったころ、息切れはおろか、両モモの後ろがパンパンになってきて、腰は痛いし、歩きたくてたまらなかった。私は40歳を過ぎた頃から今日まで、結構歩くことは気にしてやってきていたので、多少の自信はあったのですが、まったく、歩くことと走ることでは、体の揺れが違うのです。それと、走ることはずうっと中腰のまんま。きつかったぁ!3日坊主とは言いますが、1日おばさんになるかもと思えるくらいに、きつかった!
ただ、意地だけは誰にも負けないくらい強いのが幸いして、初日なんとか走り終えることだけはできました。
そこから続けて1週間、ちっとも楽になるどころか、ますますきつくなって、腰から下はすべて、そこらじゅう筋肉痛で、たまらなかった。毎日、毎日、同じ体調なんてありえなかった。そんな中、やっぱりと言われそうですが、いつのまにか道端に咲いている可愛らしい花に目がいくようになり、走るコースの途中に神社があって、ここに手を合わせることが日課になりました。それは20分の走りの中、15、6秒ほどの休息です♪。
なんだかんだで、走り始めて2週間になろうとしていたころでしょうか?体が慣れてきたのか、きつさをあまり感ぜずに走っている、私に気づきました。
最初の1週間を振り返ると、今日は太ももの後ろが痛いとか、両方の腰の横が痛いとか、今日は背中がつっぱるとか、体にばかりにいっていた意識が、2週間目あたりからは少しずつ、周りの風景に目がいき、あるときなど、8月なのに桜の咲いてる光景に出会ったりして、びっくりするやら、でも次の日から、そこを走るのが楽しみになりました♪。
何日か寝不足が続いたりすると、さすがに走るのがいやで、かつて散歩している時なら必ずや休んでいたはずなのに、なんとか続けることだけが目標のため、仕様がなく走りました。私の場合、寝不足が一番走るという気持ちにブレーキがかかるのですが、いつのまにか気がつくと、寝不足でも、少々お酒を飲んだ翌日でも、昔だったら、こんなときは絶対走らなかったわなどという私のいい訳におかまいなく、いつも通りに走れるようになっていました。逆に、ばっちり8時間は寝たような朝なのにもかかわらず、足が重くてごまかしごまかし、走ったこともありました。なんども言うようですが、体は一日たりとも、決して同じと感じる日はなかったです。
そして、今日、確かにわかったことは、時計を見なくとも20分で走れること、これは、走りに一定のリズムが出てきたからでしょう。わずか3週間ちょっと、一定の条件の中、早足ほどのスピードで走っただけなのに、体が変わってきたのを感じます。歩いているだけでは決してわからなかった、体の痛い箇所(悪い部分といいましょうか)が感じられてきて、普段の生活の中で、そこを大切に扱うようになりました。
自分の気持ちにおかまいなく、体を同じような?条件下でお任せしていると、体は勝手に調整しリズムを刻んでいくようです。いつまで続くのかはわかりませんが、今のところは走り続ける以外に目標がないので、なんであれ体にお任せしておけば、おおよそのことは決まっていくような気がします。もうここに載せてしまったのだから、なんとかまだ走り続けたい(笑)
今回は、第30回三鷹しゃべりばの振り返りというよりも、私個人の体験談の方に話が流れてしまいました。このランニングに関しては、日を改めて、1ケ月以上続いたら少しは自慢できるかもしれない?そうしたら、何かしら文章になるかもなどと、もくろんでいたことでした(笑)。なんだかんだで、思ってもいなかったのに、今回載せてしまいましたが。
いつも当たり前のように参加してくれる皆様、初参加のHさん、こんな振り返りで失礼いたします。
第31回三鷹しゃべりばは、10月17日(土)を予定しております。次回もたくさんの皆様のご参加をお待ちしております。