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『行  人』………夏目漱石著

2008年01月11日 12時48分22秒 | ひとりごと
若いとき、それもひどく若い10代の頃、文学少女ぶっていた私は、生意気にも新田次郎、
司馬遼、五木寛之、遠藤周作・・・などを読みふけっていました。
そして、そんな時の作家たちに雑じって読んだ古典作家の一人が、かの漱石でした。
感想はといえば、今どんなに思い起こそうとしても読んだときの印象などおぼろげで、
しいて言えば、特別におもしろくもなんともなかったわ!それだけしか言葉になりません。
10代の私には少し早すぎたのでしょうか?それとも、単純に読解力がなかったせいでしょうか?
有名すぎる『坊ちゃん』はもちろん、『門』、『それから』、『こころ』なども読んだという、記憶だけが残っています。実際に『坊ちゃん』のあと何冊かは読んだのだから、もしかしたら少しはおもしろかったのではという気持ちにもなりますが、やはり未だよくわかりません。もっと正確に言うなら、当時古典は漱石というよりは、何がなくとも私には実篤でした。あの頃は、毎日が実篤づけの日々でした。

そんな私が30年以上たった今日、どうして漱石なのか?
それは友田不二男という3年前に亡くなられた、この方の存在につきます。
先生が亡くなられて3年、先生の残された書物を読めば読むほど、(と書けるほどには読んでいないのが現状ですが)私には“漱石”の2文字が頭から離れなくなりました。
いつかは『行人』を読もう、あるいはいつかは『それから』を読みかえそうと思いながら、月日は流れていきました。
手元にあるのにかかわらず、なぜか思いとは逆に、読むまでには至りませんでした。

なのになのに、きっかけなんていつだってたわいもないところから、突然のようにやって来ます。
私はひょんなことから、漱石の講演記録『私の個人主義』を読む機会に恵まれたのです。
私はこれに、強く打たれました。
ぐうの音も出ないとはこのことを言うのだと思うほどに、打たれました。どうして、友田があれほどまでに“漱石”を口にしたのか、このわずか40ページにも満たない講演集は、最初から最後まで圧倒的な力を持って、私に語りかけてきました。読み終えたあと、いてもたってもいられなくなった私は、ある一人の友人にメールを打ちました。彼ならきっとこの“漱石”をわかってもらえる、私のこの切なる思いをわかってもらえると思えたからです。

いい気持ちでした。心地よい風が吹いていました。それからすぐさま手元にあった『行人』を、読まずにはいられなくなりました。
そして実際に読んだところ、読んでも読んでもつまらなさが充満する中、仕方なく読み続け最後の章の「塵労」に入りました。
さらには、Hさんから二郎への手紙となりました。
それこそが私の打たれた“漱石”でした。“友田”でした。“老子”でした。
もしかしたら、いいえたぶんその前にだって、懸命なる人たちがちゃんと目を見開いて読んだのなら、端々に漱石であり友田に違いないのでしょうが、私にはHさんの手紙でした。
そこには私の大好きな友田が生きており、漱石が語っていました。
2500年の時を越えて、かの老子までが遊んでいるかのようでした。
今ふうに言うなら、そこには三人が仲良くコラボしていたのです。
友田が実践してきたカウンセリングの真髄が、そこには静かに息づいていました。
コメント
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