カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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第11回横手しゃべりばによせて

2016年06月29日 06時44分55秒 | 横手しゃべりばによせて
 待てなくなった!気がつけば、つい教えてしまう私。人の問いに応えるのではなくて、答えてしまう。
元々、慣れ親しんでいる“髙橋悦子”はそんな人だけど、カウンセリング場面に身を置くときの私は、待つこと、応えることに律している、つもりだった。
ところが昨日のしゃべりばでは、いえ、おそらく横手に帰ってからの私は、自分がイラつくほどに教え、答えていた、と思う。たとえ3時間沈黙が続いてもいいから、参加者自らの気づきに寄り添おうとする覚悟がないのだ、きっと。
場は和やかで、口論などはほとんどきかない。自分をしっかり出せば口論にもなるし、あるいは、他者は深く静かに自分に向かい、自然に気づきも起きる、起きることが多い。しかし、そういうこととはほぼ無縁の時間だった。
 また最近は、N子さんに頼っていたのかもしれないという思いが沸いてくる。
ここまで書いて、“三鷹しゃべりば”のような場にしたくて、私がイラついているのかもしれないと思えてきた。
横手は横手、参加者が違えば、場はおのずと変わってゆく。それは知っているけど、どうしてももどかしさが先にきてしまうのだ。40代、50代と違い、先が短くなってきたのもあるのかな?横手で立ち上げてまだ3年しか経っていないのに、この焦り。
一人一人が個人カウンセリングを受ける、つまりはクライアント経験したことからか、彼らは素晴らしき表現者たちだった。自分を見据え、自己を語り、同時に他者に寄り添った。そんな仲間が集まった場でできていた時間だった、三鷹はなどと・・・。
お気楽は確かに居場所にはなる。安心して羽を休め、次に歩み出すまでの居場所は絶対に必要。
私はどうしたいのだろうか?この横手で。

 そんな揺れながらの曖昧さの中にいたら、会が終わりに近づいた頃、F子さんがある人の声を聞きたいと話した。それに応えてある人・K男君が携帯を見ながら、開催中のプロ野球、自分の贔屓チームの点数、つまりは何対何かをボソボソっと口にする。私があいだに入ってF子さんに向かい、「K男君から、そんな話を聞きたかったのかな?」と尋ねた。
すると彼女「そうではないかもしれないけれど、K男君が応じてくれたのがいい、だから私はそれでいいの。」と答えた、と思う。
それを受けての、K男君が凄かった。
彼がこの“横手しゃべりば”に参加するようになって初めて、多いに『自分』を語っていた。お付き合いの長い私も、彼があそこまで『自分』を語る姿を初めて見た。5時になろうとしていたので、あえなく話は終わったけれど、K男君本人も言う。「人前でこんなふうに話したことがない・・・」と。
話終わったあと、なんと晴れ晴れしい彼の姿だったことか。
自然に皆もほほ笑んでいた。
 
三鷹しゃべりば、横手しゃべりばの違いって何?
私はどっちもいるし、いつだってやりたいことは決っている。そう決まっているのです。それは参加者ひとりひとりが、自由に動けること。それは3時間、一言も発しないという自由も含めて。

次回“横手しゃべりば”は、9月24日(土)の予定です。私のもどかしい思惑なんぞ軽く超えて、たくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。
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行ってきます。

2016年06月01日 05時37分29秒 | ひとりごと
 元気な人だった。とにかく明るい人だった。誰にでも気軽に声をかけてくれる人だった。気さくな人だった。好奇心のかたまりのような人だった・・・。
皆それぞれのおばちゃんのイメージがあって、私はどれもよくわかるのだが、私にとっての彼女は「道をふさがない人」という形容詞がピッタリくる。
兄である私の父ともそのあたりよく似ていて、私が決めて、あるいは好きでやることには決して口を出さない人だった。
 昭和ヒトケタ世代なのに、または横手で生まれ、この町から一歩も出たことのない人だったのに、世間がどうだとか、女だからこうしなきゃなどという言葉を一度も聞いたことがない。
いつだって私の一番の応援団!
真冬の豪雪の最中、新幹線が止まってもおかしくない1月、かの卓球選手の応援に行くことを当たり前のように送ってくれた。
「私はほら!あのゴマ味噌ドレッシング、あれだけでいいから。あとは何も買ってこなくていいから・・・」と、餞別をくれた。卓球なんてまったく興味がないと言いながら、愛ちゃんも石川も水谷も知っていたし、BSで私が映るかもしれないからと、こっそりテレビを見ていた、らしい。
さすがにK選手は知らなかったけれど・・・。
 
明日、私たち5人(同級生)は、還暦旅行と称して京都に出かける。
4年ほど前から月に二千円ずつ貯めたお金が、九万円となった。私が幹事で、その話をおばちゃんにしたところ、それはいい!楽しんでおいで!と我が事のように喜んでくれた。
ところが先週その彼女が入院し、おそらく京都行きはあきらめるしかないなと腹をくくった翌朝、とっとと逝ってしまった。ホントに“とっとと”いう言葉通り、入院からわずか三日目の出来事だった。
そのあまりの速さに心が追い付かないのだが、ここでもやはり「道をふさがない人」というおばちゃんの形容詞が出てきた。
 
明日から、あなたの写真と供に京都に行ってきます。
土産話ができない代わり、私といっしょに京都の街並みを堪能してください。食いしん坊だったあなたに、千枚漬けを食べさせてやれないことが心残りです。
それでは、行ってきます。
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