カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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第44回三鷹しゃべりばによせて

2011年09月24日 07時01分32秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
生き方には二つある、世俗に生きるか、神に委ねるか”
これはついせんだって観た映画、ツリーオブ・ライフという映画の冒頭に流れていた言葉です。監督の伝えたいあたりがいまひとつよくわからないながら、私はしゃべりばが終わった後、つくづく自分は世俗に生きる人だなあという実感をしました。
なまじカウンセリングを学んだことで、私たちの仲間うちでは有名なあの言葉“自己をはこびて万法を修証するは迷いなり。万法きたりて自己を修証するは悟りなり”(by道元)
の特に後ろのほうの境地が、ここ数年の自分の感覚に似ているような気がしていて、もしかしたら、神に委ねるような自分になってきたのかもしれない?などと思い込んでいたら、それははっきり違うという私に気づきました。
気づかされたというのがもっと、正しいでしょう。
私は間違いなく世俗に生きる人間です。

私が一番いやだと感じることは、自分の尊厳をいとも簡単に踏みにじられたとき。
他人に正当な評価をしてもらいたいなどという望みはすでにあきらめたけれど、毎日職場で繰り広げられる、私が質問したときに叫ぶ上司の(いつも何を語っているのかよくわからない)「一度言いましたよね~。あなたはそんなこともわからないですか~?」というけたたましいくらい語尾の強い言葉。
これを聞くたび私は、質門した自分を悔いていました。私の中に疑問を持つ行為そのものをすぐ消さないことには、また刃が飛んできてしまう。
この人には私の話を聞こうとする気もなければ、自分の言った言葉がどう私に伝わったかなど知る由もない。この人の前で私は物にされる。私の存在など、みごとに切りとられている。この痛みが毎日少しずつ積もって、心がどんどん痛みに耐えられなくなっていった。
いつものようにしゃべりで何を語ったかほとんど忘れてしまったけれど、上司の悪口を延々と話していたという記憶だけはある。
悪口を思いのたけ言えるということは嬉しいこと。悪口に解釈などいらない、悪口に解決策もいらない、悪口を綺麗なものに置き換えなくていい、ただしゃべる。ただ聞いてもらえる。そういう場所があることがありがたい。
私は心から上司が大嫌いだ。私の方でこそ、無視という最大の武器を使って彼女の存在を消してしまいたいくらいだけれど、立場上、それはできなかった。

つい2、3日前の職場でのことです。積もり積もった私の心が爆発炎上しました。
「・・・あなたにそう言われるたびに、私の心は痛いのよ~!」と上司に向かって叫んでいました。
長い時間がかかったけど、やっと彼女と同じ土俵に立つことができました。
私は世俗に泥まみれになりながら、これからも時々人の悪口を言いながら生きていくに違いない、そう確信しました。

次回三鷹しゃべりばは、10月15日(土)を予定しております。
たくさんの皆様のご出席をお待ちしております。