何年ぶりかで「老子読本」を読み返している。どこから読み始めてもどの個所を読んでも、先生の想いに充ち溢れていた。言葉は決して一人歩きするわけではなくて、それを発した人の想いや意志とかが息づいて言葉となって出てくる、先生の文章を読むことで改めて気づく。。。そうこうしている間、この人の文章に包まれていたいという、強い“私の思い”が湧いてくる。
かつて目白で学習していた頃に味わっていたあの感覚、〇も×も与えられなかったところ、0ポイント地点。ここからなら、どこへでも羽ばたいていけるというスタート地点、何物にもとらわれない自由と責任の場所、その主さ(重さ)と震えるようなワクワク感・・・
どれほどの覚悟?で友田が土を耕し種を蒔き育て、続いてS先生が、H先生が、K先生が、Y先生が、A先生が・・・精魂傾け人を育ててくれてたか、今ならわかる、わかる気がするのです。
当時の私は、当たり前のように目白に通っていた。
生活のほとんどがカウンセリングの日々だったと言い切れる。最初の10年ほどの勢いはなかったにしろ、それは東京を立ち去るまで、一度も途切れることなく続いた。
目白を主に、青森、八戸、山形、仙台、白石・・・と駈けまわり、広い東北が狭かった。どこへでも飛んでいき、どこでも自分を持ち出した。
それは地元東京でも同じこと、カウンセリングという名のもとに行われている、ワークショップや学習会等、片っぱしから出席した。そしてついには、自分たちで「三鷹しゃべりば」を作り「老子を読む会」を立ち上げた。暴言を吐き悪態を並べ、これほどまでと思うほどのみじめな自分をさらけだし、時には涙しながら、がむしゃらに学習した。
自分だけの気づきと信じその賜物に浸りながら、興奮のあまり、朝まで目覚めていたことが幾度あったことか・・・、またそれ以上に、人を傷つけてしまったのではないかという自責の念に駆られ、眠れなかった日々・・・。
今ならわかるのです。私のそんな気づきに特別触れることなく、ただ見守り下さった先生たちがいらしたこと。
無理やり老子をだすなら、“何もしない”ということをする・無為自然、そんな土壌の中で育ったこと、今ならわかるのです。最後の最後まで何ひとつ自分の手柄にすることなく、私の気づきと見守り下さったS先生。いつだって「高橋さんの自由に、おおいにやってけっこうです。」の言葉通りの方でした。
今こうしてもう一度「老子読本」を読みながら、友田先生の言葉が生き物のように私を包みこみます。そして、包まれている幸せを今になって噛みしめています。さらには私に関わり下さった先生たちや仲間たちも、多かれ少なかれ、友田の言葉を生きているのを感じます。
できるかどうかはわからないけれど、この地で、与えられた恩恵を今度は私が返します。
共に学習する仲間を募ります。
3年うだうだして、やっと言葉にできました。
かつて目白で学習していた頃に味わっていたあの感覚、〇も×も与えられなかったところ、0ポイント地点。ここからなら、どこへでも羽ばたいていけるというスタート地点、何物にもとらわれない自由と責任の場所、その主さ(重さ)と震えるようなワクワク感・・・
どれほどの覚悟?で友田が土を耕し種を蒔き育て、続いてS先生が、H先生が、K先生が、Y先生が、A先生が・・・精魂傾け人を育ててくれてたか、今ならわかる、わかる気がするのです。
当時の私は、当たり前のように目白に通っていた。
生活のほとんどがカウンセリングの日々だったと言い切れる。最初の10年ほどの勢いはなかったにしろ、それは東京を立ち去るまで、一度も途切れることなく続いた。
目白を主に、青森、八戸、山形、仙台、白石・・・と駈けまわり、広い東北が狭かった。どこへでも飛んでいき、どこでも自分を持ち出した。
それは地元東京でも同じこと、カウンセリングという名のもとに行われている、ワークショップや学習会等、片っぱしから出席した。そしてついには、自分たちで「三鷹しゃべりば」を作り「老子を読む会」を立ち上げた。暴言を吐き悪態を並べ、これほどまでと思うほどのみじめな自分をさらけだし、時には涙しながら、がむしゃらに学習した。
自分だけの気づきと信じその賜物に浸りながら、興奮のあまり、朝まで目覚めていたことが幾度あったことか・・・、またそれ以上に、人を傷つけてしまったのではないかという自責の念に駆られ、眠れなかった日々・・・。
今ならわかるのです。私のそんな気づきに特別触れることなく、ただ見守り下さった先生たちがいらしたこと。
無理やり老子をだすなら、“何もしない”ということをする・無為自然、そんな土壌の中で育ったこと、今ならわかるのです。最後の最後まで何ひとつ自分の手柄にすることなく、私の気づきと見守り下さったS先生。いつだって「高橋さんの自由に、おおいにやってけっこうです。」の言葉通りの方でした。
今こうしてもう一度「老子読本」を読みながら、友田先生の言葉が生き物のように私を包みこみます。そして、包まれている幸せを今になって噛みしめています。さらには私に関わり下さった先生たちや仲間たちも、多かれ少なかれ、友田の言葉を生きているのを感じます。
できるかどうかはわからないけれど、この地で、与えられた恩恵を今度は私が返します。
共に学習する仲間を募ります。
3年うだうだして、やっと言葉にできました。