今回のしゃべりばは、開催日2日前まではやりたくなくて仕様がなかった。ここ1年ほどは少なかったが、それまでは始まる前日に決まったように起きる、今回はいったい何人の人が来てくれるんだろうなどという心配以上に、体調が絶不調だった。
急に痛めた腰のせいで歩くのがやっとなら、座っているのさえ苦痛だった。参加連絡してくれている方々に、今回は中止のメールを打とうかなって、イジイジしていた矢先、長年の友から連絡があった。
そして彼女と、何度かメールのやりとりをしているうちに、“そうだ!今回は誰かに頼もう”が出てきた。
こういう時は、何もかも自分でやるんじゃなくて、せめてお茶を出すとか、セッティングとか、そういうことなら誰かに頼むことができる。
私は人に頼むのがいやというよりは、できることはなるべく、自分でやるのが好きな人だと思う。人に甘えるのは、一番、最後でいい。
女の子は、甘え上手の方が徳よという言葉を、昔から何度も言ってくれる人はいたし、確かにそうかもと思ったりしたけど、私には縁遠いことだった。
できそうなことまで、上手に他人にやってもらう人を見るにつけ、なあんかなあって、あまりいい気がしなかった、私はそんな人だった。
でも、“今回は誰かに頼もう”ってわけで、これまた20年来の親友?に声をかけてみたら、OKの返事。心なしか、痛かった腰の痛みが薄れる感じがした。
そんなに都合よく薄れるのって思われるかもしれないけど、実際、急に痛みが和らいだから不思議だ。なにしろしゃべりば当日は、痛みのことは忘れていたくらいだから♪。
私にとっての彼女の存在は、お茶とかセッティングとかそんなことよりも、いてくれることの安心感、それ以外のなにものでもなかったと思う。
一人で当日を迎えなくてもいい、この安心感は大きい。
さて、しゃべりば当日。もうメチャクチャだった。
34回という、回を重ねて初めてのこと?2つのグループに分かれたり、さらには3つに分かれたり、いや4つになってもいたかも・・・。
めいめいが、好きなように、好きなことを話していた。かの親友?に、グループカウンセリングって何ってきかれて、いつもはこんなんでないのよって、私は盛んに言い訳をしていたはず(笑)。
あ~あ、始まる前はムダと知りつつ、参加してくれる方たちを想像して、今回はこんな場になるかなあって、いろいろ思いを巡らしていたのに、今度もまた、私のそんな想像なんぞ、たやすく打ち砕かれてしまった。
そこは高尚な学習の場?とは程遠い、どちらかというと、癒しの場だったと思う。私の心は癒されていた。まるで、温泉に入っているかのように。
かつて、T先生が言っていたように、“癒しで人は変わらない”、だろうし、“温泉カウンセリング”など、人の成長の助けにならないのも頭でならわかる。がこの日、私は誰よりも癒されたかったのだと思う。
2日前までは、あんなにいやがっていたしゃべりばだったのに、一日中、ワクワクだった。
横浜から、生まれて4ケ月のお子さんをつれて参加してくれたA子さん、そのお子さんのお世話をするためか?今回は自分のお子さんを家において参加してくれたB子さん、当日まで、まさかお二人に会えるなんて想像できなかった。嬉しかったあ!
しゃべりば前夜、半年ぶりに参加連絡してくれたA男さん、メールを見た瞬間の私の喜びを、あなたは想像がつかないでしょう。
しゃべりば二次会に、夜遅くまで私にお付き合い下さったB男さん、C男さん、D男さん、ありがとうございます。それから多忙な中、E男さん、メモリの件もありがとう。
一人では決してできないしゃべりばは、みなさんのおかげで、今回も有意義な時間に変わりました。
それまで4つに分かれていた場が、親友?C子さんのカップをまん中にを差し出して、「誰か、お湯入れて~!」のひと声が発せられるや否や、すぐさま“ひとつの輪”になった瞬間を、今も忘れることができません。
痛快!の一言でした。
みんな、お互いを気にしていたんだね。ひとつになる機会を見計らっていたのかも?
とはいうものの、やっぱし私が誰よりも楽しんでいたなあ。
ところでこの日、皆は何を感じて帰路に着いたのでしょうか?
次回三鷹しゃべりばは、6月19日(土)を予定しております。
できたら、本当にできたらでよいのですが、参加の決まっている方は、早めの連絡を頂けたら幸いです^^。
それからもうひとつ、こちらもできる限りでいいのですが、時間に遅れるようでしたら、参加連絡の際に伝えて頂けたら、ありがたいです。しつこいくらい何度もいいますが、どちらもできる限りでけっこうです。
では次回も、たくさんの皆様のご参加を心よりお待ちしております。
急に痛めた腰のせいで歩くのがやっとなら、座っているのさえ苦痛だった。参加連絡してくれている方々に、今回は中止のメールを打とうかなって、イジイジしていた矢先、長年の友から連絡があった。
そして彼女と、何度かメールのやりとりをしているうちに、“そうだ!今回は誰かに頼もう”が出てきた。
こういう時は、何もかも自分でやるんじゃなくて、せめてお茶を出すとか、セッティングとか、そういうことなら誰かに頼むことができる。
私は人に頼むのがいやというよりは、できることはなるべく、自分でやるのが好きな人だと思う。人に甘えるのは、一番、最後でいい。
女の子は、甘え上手の方が徳よという言葉を、昔から何度も言ってくれる人はいたし、確かにそうかもと思ったりしたけど、私には縁遠いことだった。
できそうなことまで、上手に他人にやってもらう人を見るにつけ、なあんかなあって、あまりいい気がしなかった、私はそんな人だった。
でも、“今回は誰かに頼もう”ってわけで、これまた20年来の親友?に声をかけてみたら、OKの返事。心なしか、痛かった腰の痛みが薄れる感じがした。
そんなに都合よく薄れるのって思われるかもしれないけど、実際、急に痛みが和らいだから不思議だ。なにしろしゃべりば当日は、痛みのことは忘れていたくらいだから♪。
私にとっての彼女の存在は、お茶とかセッティングとかそんなことよりも、いてくれることの安心感、それ以外のなにものでもなかったと思う。
一人で当日を迎えなくてもいい、この安心感は大きい。
さて、しゃべりば当日。もうメチャクチャだった。
34回という、回を重ねて初めてのこと?2つのグループに分かれたり、さらには3つに分かれたり、いや4つになってもいたかも・・・。
めいめいが、好きなように、好きなことを話していた。かの親友?に、グループカウンセリングって何ってきかれて、いつもはこんなんでないのよって、私は盛んに言い訳をしていたはず(笑)。
あ~あ、始まる前はムダと知りつつ、参加してくれる方たちを想像して、今回はこんな場になるかなあって、いろいろ思いを巡らしていたのに、今度もまた、私のそんな想像なんぞ、たやすく打ち砕かれてしまった。
そこは高尚な学習の場?とは程遠い、どちらかというと、癒しの場だったと思う。私の心は癒されていた。まるで、温泉に入っているかのように。
かつて、T先生が言っていたように、“癒しで人は変わらない”、だろうし、“温泉カウンセリング”など、人の成長の助けにならないのも頭でならわかる。がこの日、私は誰よりも癒されたかったのだと思う。
2日前までは、あんなにいやがっていたしゃべりばだったのに、一日中、ワクワクだった。
横浜から、生まれて4ケ月のお子さんをつれて参加してくれたA子さん、そのお子さんのお世話をするためか?今回は自分のお子さんを家において参加してくれたB子さん、当日まで、まさかお二人に会えるなんて想像できなかった。嬉しかったあ!
しゃべりば前夜、半年ぶりに参加連絡してくれたA男さん、メールを見た瞬間の私の喜びを、あなたは想像がつかないでしょう。
しゃべりば二次会に、夜遅くまで私にお付き合い下さったB男さん、C男さん、D男さん、ありがとうございます。それから多忙な中、E男さん、メモリの件もありがとう。
一人では決してできないしゃべりばは、みなさんのおかげで、今回も有意義な時間に変わりました。
それまで4つに分かれていた場が、親友?C子さんのカップをまん中にを差し出して、「誰か、お湯入れて~!」のひと声が発せられるや否や、すぐさま“ひとつの輪”になった瞬間を、今も忘れることができません。
痛快!の一言でした。
みんな、お互いを気にしていたんだね。ひとつになる機会を見計らっていたのかも?
とはいうものの、やっぱし私が誰よりも楽しんでいたなあ。
ところでこの日、皆は何を感じて帰路に着いたのでしょうか?
次回三鷹しゃべりばは、6月19日(土)を予定しております。
できたら、本当にできたらでよいのですが、参加の決まっている方は、早めの連絡を頂けたら幸いです^^。
それからもうひとつ、こちらもできる限りでいいのですが、時間に遅れるようでしたら、参加連絡の際に伝えて頂けたら、ありがたいです。しつこいくらい何度もいいますが、どちらもできる限りでけっこうです。
では次回も、たくさんの皆様のご参加を心よりお待ちしております。