“決まるということ”を書いてから4、5日たって、どうもザワザワと落ち着かなくなって、何かを付け加えたい気持ちが出てきました。それが何かは、それこそ、まだ決まっているわけでないのですが、書いているうちに出てくるような気がして。
ともかく、書いてみることにします。
もう少し丁寧に、自分の経験としての“決まる”あるいは“決める”について書きたくなったというのが本音でしょうか?
前回書いたものがあれでは、私の中ではちっとも終わりになっていなくて、後をひいていたものですから。
何かが決まった後、例えば私ごとで言うなら、数年前、父が亡くなるという、私にとっては非常に大きな経験をした後2、3ケ月たって、会社に辞表を出しました。
もうすでに何年も前から、年の初めの手帳に、「平成○○年3月までは退職する」などと書いては翌年、日付を変更し、それらを繰り返しては、決して辞めることができずにいました。が、父が亡くなると、急にその会社にいる意味をみいだせなくなってしまい、もちろん、父が亡くなったということだけが理由で辞めたわけではなかったとは思いますが・・・・、辞めることを上司に伝えました。
辞めると決めてからでも、一人でこの先、しかも50も近いというのにどうやって食べていくのだろうという、現実の生活からの揺れはありましたが、決して、その決断がひるがえるということはありませんでした。
大きな決断は、それを自分が決めるということは、どうも大きな経験のあと、つまりは大きな何かが決まってからでないとできないのではという、ひとつの仮説が、この時ぼんやりとですが、生まれていたような気がします。
そして今なら、その仮説よりも大切なこと、人が動くときは、物事を決断しようなどという気持ちになるのではなくて、もう瞬時に決断して、無意識のうちに動いてしまっているというのが現実だということが出てきました。どうも、そちらの方が私が付け加えたかったこと、いえ付け加えるというよりは、今の私が言いたいことにより近い感じがしています。
そして動いた後になって、仮に振り返ってみたときに、ああ!確かにそうだったなあ~という、実感の言葉が出てくるだけというか。
この言いたかったことのあとになって、今度は、かつて29歳の時の離婚の記憶がよみがえりました。
私の離婚が決まったのは、相手、つまりはかつての夫の駆落ちによるものでした。彼がいなくなるその日まで、私は自分が離婚するなどということは、夢にも思わなかった。
いや、仮に思ったことがあったとしても、現実には、それが起きるだろうという、予想をしたことはなかったです。がしかし、かつての夫は、離婚届けにちゃんとハンコを押して、私の前からいなくなっていました。
気がつくと、この日から2ケ月たった頃、私は4人家族(彼の両親と同居していた)の秋田を後に、かなりの量の離婚による諸々の手続きをほとんど一人で済ませ、引越しもし、東京での生活を始めていました。
このときの決断といったら、父が亡くなった時など問題にならないほどの速さでした。言葉ではとうてい言い表すことのできない、怒りとか哀しみだとか、それ以上に新しい生活への大きな不安があったのではと客観的にも想像できるし、実際、今振り返っても思い出したくないほどですが、私のこの時の行動力は、電光石火の勢いなどという言葉以上で、おそらく鬼の形相をしながら、何もかもすぐ決断しては実行に移していたようです。
上の二つの決断が、はたして吉と出たか凶と出たかまでは、今となってもよくわかりませんし、もしかしたら、他人から見たら、何もそこまでしなくともと言われるようなことかもしれません。が、私にとっては、ああする以外に道はなかったというぐらいの正確さで動いたのだと、今でも思います。
起きた事の大きさと自分のそれからの行動とは、見事なまでに、バランスを保っていたともいえるでしょう。
さて、“決まるということ”からの付け加えとして書き出したこの文章でしたが、どうもそれ以上に、(人生を左右するような大きな事が起きたときの)“人が動くということ”にお題を変えてもいいのではという運びとなりました。
もちろん、あくまでも私の経験からのことですが。
ともかく、書いてみることにします。
もう少し丁寧に、自分の経験としての“決まる”あるいは“決める”について書きたくなったというのが本音でしょうか?
前回書いたものがあれでは、私の中ではちっとも終わりになっていなくて、後をひいていたものですから。
何かが決まった後、例えば私ごとで言うなら、数年前、父が亡くなるという、私にとっては非常に大きな経験をした後2、3ケ月たって、会社に辞表を出しました。
もうすでに何年も前から、年の初めの手帳に、「平成○○年3月までは退職する」などと書いては翌年、日付を変更し、それらを繰り返しては、決して辞めることができずにいました。が、父が亡くなると、急にその会社にいる意味をみいだせなくなってしまい、もちろん、父が亡くなったということだけが理由で辞めたわけではなかったとは思いますが・・・・、辞めることを上司に伝えました。
辞めると決めてからでも、一人でこの先、しかも50も近いというのにどうやって食べていくのだろうという、現実の生活からの揺れはありましたが、決して、その決断がひるがえるということはありませんでした。
大きな決断は、それを自分が決めるということは、どうも大きな経験のあと、つまりは大きな何かが決まってからでないとできないのではという、ひとつの仮説が、この時ぼんやりとですが、生まれていたような気がします。
そして今なら、その仮説よりも大切なこと、人が動くときは、物事を決断しようなどという気持ちになるのではなくて、もう瞬時に決断して、無意識のうちに動いてしまっているというのが現実だということが出てきました。どうも、そちらの方が私が付け加えたかったこと、いえ付け加えるというよりは、今の私が言いたいことにより近い感じがしています。
そして動いた後になって、仮に振り返ってみたときに、ああ!確かにそうだったなあ~という、実感の言葉が出てくるだけというか。
この言いたかったことのあとになって、今度は、かつて29歳の時の離婚の記憶がよみがえりました。
私の離婚が決まったのは、相手、つまりはかつての夫の駆落ちによるものでした。彼がいなくなるその日まで、私は自分が離婚するなどということは、夢にも思わなかった。
いや、仮に思ったことがあったとしても、現実には、それが起きるだろうという、予想をしたことはなかったです。がしかし、かつての夫は、離婚届けにちゃんとハンコを押して、私の前からいなくなっていました。
気がつくと、この日から2ケ月たった頃、私は4人家族(彼の両親と同居していた)の秋田を後に、かなりの量の離婚による諸々の手続きをほとんど一人で済ませ、引越しもし、東京での生活を始めていました。
このときの決断といったら、父が亡くなった時など問題にならないほどの速さでした。言葉ではとうてい言い表すことのできない、怒りとか哀しみだとか、それ以上に新しい生活への大きな不安があったのではと客観的にも想像できるし、実際、今振り返っても思い出したくないほどですが、私のこの時の行動力は、電光石火の勢いなどという言葉以上で、おそらく鬼の形相をしながら、何もかもすぐ決断しては実行に移していたようです。
上の二つの決断が、はたして吉と出たか凶と出たかまでは、今となってもよくわかりませんし、もしかしたら、他人から見たら、何もそこまでしなくともと言われるようなことかもしれません。が、私にとっては、ああする以外に道はなかったというぐらいの正確さで動いたのだと、今でも思います。
起きた事の大きさと自分のそれからの行動とは、見事なまでに、バランスを保っていたともいえるでしょう。
さて、“決まるということ”からの付け加えとして書き出したこの文章でしたが、どうもそれ以上に、(人生を左右するような大きな事が起きたときの)“人が動くということ”にお題を変えてもいいのではという運びとなりました。
もちろん、あくまでも私の経験からのことですが。