カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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第35回三鷹しゃべりばによせて

2010年06月24日 08時56分06秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
 今回のしゃべりばは、私を入れて出席者が4人だった。
よく耳にすることに、出席者が多い少ないじゃない、要は内容、参加された方たちにとって有意義な時間だったとか、気づきの多い場だったとか、大事なことはそういうことでしょと友人たちは口にしていたが、私は単純に寂しかった。

 さてその内容、何を話したのかいつものように4日も経つとあまり覚えてはいないのだけど、今も私に残っていることを書くとしたら、どうしてそういう流れになったのかもわからないけれど、“からむ”という言葉から、自分たちがどういうときにこの言葉を使っているかを各々、語ったことだった。
私は確かこのとき、・・・たとえば友人たちとお酒を飲んでいて、中田選手(元サッカー日本代表)の悪口で盛り上がっていたときに、たまたま、隣で飲んでいた見ず知らずの人が、(大の中田ファンだったらしく)お酒の勢いもあってか、黙って聞いていられなくなったと見えて、急に私たちにからんできた・・・こんな内容の話をしたように思う。
そしたら、それを聴いていた他の3人が、そうかなあ、そういうときに“からむ”って自分は使わないなあ~とかなんとか言いながら、3人とも、まったく違う角度から、自分にとっての“からむ”という具体を口にし始めた。
僕はこうこう、こういうときに“からむ”という表現になるな・・・、いえ、私はこういうときだわ・・・、ああでもない、こうでもない、えっ~?!それは違うんじゃない・・、はあ、なるほど!・・・を何度か繰り返しているうちに、4人が4人とも納得したことがある。
それは4人の中の、ある一人の方が語ったこと、「自分は、イヤ~な気持ちになったときに、“からむ”とか“からまれた”ということを言葉を表現しているみたい・・・」ということだった。
どうもことがらが先にあったわけではなくて、彼は、自分がイヤな気持ちになったことを思い出して、“からむ”とか、”“からまれた”という状況を説明していたようである。
いろんな状況や、起こっている事柄はまったく違うのだけれど、“からむ”とか“からまれた”という表現になるときには、4人とも?なんだかわからないけれど、イヤ~な感情がまず湧いて、そんな感じたことを手がかりに説明をしていくと、人には伝わることに気付いたみたい?そこだけは、共通していたようだった。
としたら、カウンセリングとは、“カウンセリングとは”は大袈裟だけど、私たちが学んでいるカウンセリングでは、日頃からその人の気持ちを聴くだとか、気持に敏感になどという言葉を耳にしていたのだけれど、この日、私は改めて腑に落ちたことがある。
言葉は“からむ”ひとつでも、その人の受け取り方ひとつで、様々に事柄の説明はするでしょうが、そこに気持ちが加わると、なんとなく人には伝わるのだということを。そして私の具体は少々、気持が薄かったなということも

 この日、大勢の人がいたとしたら、それぞれ4人がここまで自分の“からむ”を曲げずに語ったかどうか・・・?それは、そうなってみないとわからないけれど、人は、つくづく気持ちの生き物なのだということを、改めて私に教えてくれました。

次回三鷹しゃべりばは、8月21日(土)を予定しております。
次回も、たくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。

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ゆる~い枠

2010年06月08日 16時20分51秒 | ひとりごと
 3月末で、勤めていた会社を退職した。
退職したら、どんなに自由になるかしらなどと思うことは微塵もなく、むしろ退職したら一人暮らしの私は、何を基盤に毎日の生活を送っていくのだろうかと、とても不安だった。
―――たとえば家の中に病人の母がいたとしても、そこには会話があり、彼女に対しての介護がある。少しばかりの会話だとしても、そこには日々、人との関わりがある。
あるいは介護を通じての、彼女の役にたっているという、自分に対しての肯定感?も多少は出てくると思う。実際には肯定感など、感じている暇もないほどの生活かもしれないけれど―――
がしかし、今はまったくの一人暮らし、いつも言っているように、旦那もいなければ子供もいない、東京という、隣近所の関わりのないこの大都会で、その上基盤となる勤める会社もない、そんな中で、私はどうやって日々暮らしていくのか不安だった。お金がいつまで持つのかだってわからない。そんな不安を抱えながら、それでも私は、この先この町でどう暮らしていくのか、そんな自分を見たかったのだと思う。
どうやって、また新しい枠を作っていくのだろうこの人(私)はという、興味の方が不安に勝っていた。

 会社という、月曜日から金曜日まで、しかもおおよそ、8時半から5時半までという決まった枠の中で生きることが、どんなに私には楽だったことか、
生活費も、たとえ少なくとも、貰った給料の中でやりくりすればそれですむ。
ものすごく重要な仕事を任せられている人は知らないが、私が長年やってきた経理中心の仕事は、たとえやり方はそこの会社によって違ったとしても、経理システムさえだいたいわかっていれば、1年が過ぎるころには慣れてくる。人とのかかわりも、1年が経つころには、なんとか馴染んでくる。どうひいき目にみても、こちらがイヤだとしか感じえない人も現れてくれば、気の合う人も、何人かはできてくる。もちろん、ほとんどの人はその他大勢で存在しているのだが・・・
3月までの私の生活は、朝のだいたい決まった時間に起きて、とりあえずは20分ほど走って、ご飯を食べて会社に行く。夕方になったら会社から帰ってきて、カウンセリングの入っていないときは、自分で夕食の支度をする。
土日もまたカウンセリングが中心、面接は何をおいても最優先、入ってないときは散歩をしたり、掃除をしたり、友人たちと食事をしたり、そんなことが中心で1週間が回っていた。
さあ~今日は何をしようかとか、明日は~とか、来週はとか、いちいち考える時間もないほどに、毎日がなんとか回っていた。それでもときどきは考えたとしても、後は流れに任せていればそれですんだ。思えば、楽ちんだった。
おおよそのことが決まっている、私がなんでも決めるわけではない、会社というお金をくれる枠があって、あまりはみ出さない程度に働いていれば、1日は、1週間はそこそこに流れた。1年、5年、10年だって、あっという間だった。
土日、お盆、お正月、GWなどの長いお休みの時は、多少は頭を使って計画をたてることが、私には楽しい時間だった。

 ところがわかってはいたが、4月からはこのシステムが崩れた。
毎日、好きに、あなたの自由にどうぞ!と言われたところで、枠のない毎日に対して、どう動いたらいいのか見当がつかなかった。何もしないで寝ていても、誰にも文句を言われない生活が怖かった。それ以上に、寝ていられる人でもなかった。
こうなることは、あらかじめ予想はしていたので、3月以前、週2回ほどは予定があるようにと枠づくりをしていたのに、うまくはいかなかった。それは当時の、月から金の会社勤めをしていた、私の頭が考えたことだったから?
3月末で会社は辞めたけど、生活のためにはまた勤めを再開しなければならず、いつまた会社勤めをしてもいいようにと、それを気にしながらの生活だったので、カウンセリングでさえ、基盤にはならなかった。もちろん、いつだって多くの時間はカウンセリングが占めてはいたが。
4月はそんな曖昧な中で、毎日がもやもやしながら、地に足つかずで流れていった。
人生はいつだって、思うようにはいかない。前もって決めたことなど、なんの役にも立ちはしない。
GWの後、せっかくのチャンスかもしれないと開き直って、とにかく自分がやりたいことで、しかも大袈裟なことではなくて、1回限りの参加で義理を欠くことになるかもしれないけれどナンテ思いながらも、できるだけ(お金をあまりかけずにできることなら)興味が湧いたところには、出かけて行った。
そして6月になって今、気付いたことがある。
かつて、好きにしていいよといわれてもなあ~と言っていた私は、やっぱり好きなことをしていたということです。
火曜日、金曜日、日曜日はほぼ卓球、
月曜日はほとんど予定がないので、掃除が中心かな。
水、木曜日は、友人たちのカウンセリングの学習会に出席することが多く、それがない時は、一人で東京探索か、1000円の映画、
そして土曜日はほとんどカウンセリング(面接)。
もちろんどんな曜日であっても、カウンセリング(面接)があったら、そちらが優先。
そして朝も昼も夜も、人と会わないときは、ほとんど自分で食事を作っていた。
決めたわけではないけど、好きなことを中心に動いていたら、自然と“新しい枠”が決まっていました。
今んところ、カウンセリング(面接)以外なら、すべて当日に変更しても差し障りないのが嬉しいです。
そんな“ゆる~い枠”が出来ていました。

そしてこの“ゆる~い枠”は、いつだってすぐにでも“新しい枠”に変更可能なのです

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