今回のしゃべりばは、私を入れて出席者が4人だった。
よく耳にすることに、出席者が多い少ないじゃない、要は内容、参加された方たちにとって有意義な時間だったとか、気づきの多い場だったとか、大事なことはそういうことでしょと友人たちは口にしていたが、私は単純に寂しかった。
さてその内容、何を話したのかいつものように4日も経つとあまり覚えてはいないのだけど、今も私に残っていることを書くとしたら、どうしてそういう流れになったのかもわからないけれど、“からむ”という言葉から、自分たちがどういうときにこの言葉を使っているかを各々、語ったことだった。
私は確かこのとき、・・・たとえば友人たちとお酒を飲んでいて、中田選手(元サッカー日本代表)の悪口で盛り上がっていたときに、たまたま、隣で飲んでいた見ず知らずの人が、(大の中田ファンだったらしく)お酒の勢いもあってか、黙って聞いていられなくなったと見えて、急に私たちにからんできた・・・こんな内容の話をしたように思う。
そしたら、それを聴いていた他の3人が、そうかなあ、そういうときに“からむ”って自分は使わないなあ~とかなんとか言いながら、3人とも、まったく違う角度から、自分にとっての“からむ”という具体を口にし始めた。
僕はこうこう、こういうときに“からむ”という表現になるな・・・、いえ、私はこういうときだわ・・・、ああでもない、こうでもない、えっ~?!それは違うんじゃない・・、はあ、なるほど!・・・を何度か繰り返しているうちに、4人が4人とも納得したことがある。
それは4人の中の、ある一人の方が語ったこと、「自分は、イヤ~な気持ちになったときに、“からむ”とか“からまれた”ということを言葉を表現しているみたい・・・」ということだった。
どうもことがらが先にあったわけではなくて、彼は、自分がイヤな気持ちになったことを思い出して、“からむ”とか、”“からまれた”という状況を説明していたようである。
いろんな状況や、起こっている事柄はまったく違うのだけれど、“からむ”とか“からまれた”という表現になるときには、4人とも?なんだかわからないけれど、イヤ~な感情がまず湧いて、そんな感じたことを手がかりに説明をしていくと、人には伝わることに気付いたみたい?そこだけは、共通していたようだった。
としたら、カウンセリングとは、“カウンセリングとは”は大袈裟だけど、私たちが学んでいるカウンセリングでは、日頃からその人の気持ちを聴くだとか、気持に敏感になどという言葉を耳にしていたのだけれど、この日、私は改めて腑に落ちたことがある。
言葉は“からむ”ひとつでも、その人の受け取り方ひとつで、様々に事柄の説明はするでしょうが、そこに気持ちが加わると、なんとなく人には伝わるのだということを。そして私の具体は少々、気持が薄かったなということも。
この日、大勢の人がいたとしたら、それぞれ4人がここまで自分の“からむ”を曲げずに語ったかどうか・・・?それは、そうなってみないとわからないけれど、人は、つくづく気持ちの生き物なのだということを、改めて私に教えてくれました。
次回三鷹しゃべりばは、8月21日(土)を予定しております。
次回も、たくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。
よく耳にすることに、出席者が多い少ないじゃない、要は内容、参加された方たちにとって有意義な時間だったとか、気づきの多い場だったとか、大事なことはそういうことでしょと友人たちは口にしていたが、私は単純に寂しかった。
さてその内容、何を話したのかいつものように4日も経つとあまり覚えてはいないのだけど、今も私に残っていることを書くとしたら、どうしてそういう流れになったのかもわからないけれど、“からむ”という言葉から、自分たちがどういうときにこの言葉を使っているかを各々、語ったことだった。
私は確かこのとき、・・・たとえば友人たちとお酒を飲んでいて、中田選手(元サッカー日本代表)の悪口で盛り上がっていたときに、たまたま、隣で飲んでいた見ず知らずの人が、(大の中田ファンだったらしく)お酒の勢いもあってか、黙って聞いていられなくなったと見えて、急に私たちにからんできた・・・こんな内容の話をしたように思う。
そしたら、それを聴いていた他の3人が、そうかなあ、そういうときに“からむ”って自分は使わないなあ~とかなんとか言いながら、3人とも、まったく違う角度から、自分にとっての“からむ”という具体を口にし始めた。
僕はこうこう、こういうときに“からむ”という表現になるな・・・、いえ、私はこういうときだわ・・・、ああでもない、こうでもない、えっ~?!それは違うんじゃない・・、はあ、なるほど!・・・を何度か繰り返しているうちに、4人が4人とも納得したことがある。
それは4人の中の、ある一人の方が語ったこと、「自分は、イヤ~な気持ちになったときに、“からむ”とか“からまれた”ということを言葉を表現しているみたい・・・」ということだった。
どうもことがらが先にあったわけではなくて、彼は、自分がイヤな気持ちになったことを思い出して、“からむ”とか、”“からまれた”という状況を説明していたようである。
いろんな状況や、起こっている事柄はまったく違うのだけれど、“からむ”とか“からまれた”という表現になるときには、4人とも?なんだかわからないけれど、イヤ~な感情がまず湧いて、そんな感じたことを手がかりに説明をしていくと、人には伝わることに気付いたみたい?そこだけは、共通していたようだった。
としたら、カウンセリングとは、“カウンセリングとは”は大袈裟だけど、私たちが学んでいるカウンセリングでは、日頃からその人の気持ちを聴くだとか、気持に敏感になどという言葉を耳にしていたのだけれど、この日、私は改めて腑に落ちたことがある。
言葉は“からむ”ひとつでも、その人の受け取り方ひとつで、様々に事柄の説明はするでしょうが、そこに気持ちが加わると、なんとなく人には伝わるのだということを。そして私の具体は少々、気持が薄かったなということも。
この日、大勢の人がいたとしたら、それぞれ4人がここまで自分の“からむ”を曲げずに語ったかどうか・・・?それは、そうなってみないとわからないけれど、人は、つくづく気持ちの生き物なのだということを、改めて私に教えてくれました。
次回三鷹しゃべりばは、8月21日(土)を予定しております。
次回も、たくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。