が、4月29日(祝)の午後、三鷹市・市民協働センターにて行われました。それは、私が東京を去ってから1年半ぶりのことです。26日から28日までの3日間、前述の世界卓球ボランティアの過激さから精魂疲れ果て、私の思考回路はほぼストップ。それが、たぶん良かったのではないでしょうか?
スト―レートに、誰の言葉も心に響いてきました。誰の話を聴いていても、涙が流れて止まらなくて、こんなにもしっかりと彼らは自分を語れるんだと、感心しながら身を任せておりました。
思い起こせば13年前、安心して自分を語れる場を提供したいという思いから「三鷹しゃべりば」を立ち上げました。長い道のりでした。立ち上げから1、2年こそ発起人が3人だったものの、すぐに私一人となって、この先やっていけるかどうか、不安ばかりの日々でした。やめるという選択肢は当時の私にはなかったもので。
5年目あたりまでは固定客はKさんのみ。それでも彼だけは来てくれるという、現実に助けられました。
“今だから言える”などと言う話をよく耳にしますが、確かに今だから言えることがあります。決まってしゃべりば前日になると、私は極度の不安状態に陥って、ほとんど眠りのないままに朝を迎えるのです。うとうとと、眠っているんだか眠っていないんだかのさなか、決まってみる夢は、しゃべりば当日、誰一人参加者がいない、そんな夢です。いなかったら、いなくってもいいんじゃない、には決してなれなかった。それほどまでに、当時の私は「三鷹しゃべりば」にかけていたんでしょうし?カウンセリングそのものに、真剣に取り組んでいたんだなあって、今になって思います。
何しろ、しゃべりばが終わった日は、今度は嬉しすぎて眠れなかったのですから。(結局、誰もいないということは、お陰さまで一度もありませんでしたが。)
今なら笑っちゃうようなことですが、ホント、今だから話せます。
5年目、あるいは6年目あたりからでしょうか、今回のしゃべりば発起人となって下さったHさん(男性)が、ネコさんが、Aさんが、はたまたHさん(女性)が・・・、(Kさんはもちろんのこと)固定客となって、少しずつ安定してきました。時々は、私の友達のIさんにOさん、最初の発起人だったOさんも沖縄からやってきたり、サプライズの方たちが遠くからやってきたりで、常時5、6人は参加され、やっと形が整っていったように思います。
一番の成功は、参加者の多くが、クライアント経験をしていたことではなかったでしょうか。この経験のある方とない方とではまったく違うと、私は断言できます。
個人カウンセリングを経験することつまりは、自分の気持ちを、人の目を気にすることなく、しっかりと表現できる場を経験したクライアントの多くは、自然に、自分の新しい道を見つけて歩んでいくようです。
29日は、皆様、こんなにも軸がぶれることなく自己表現できるもなんだと、ただ嬉しくて泣けました。
特にHさん(男性)は、いつだって何か話を用意している訳ではなくて、誰かの話を受けて、(その方の話をしっかり?聴いた後で)今度は自分のこととしてしゃべっているうちに、その流れの中で気づいていくという、グループカウンセリングとしては当たり前のことですが、その当たり前のことが妙に嬉しかったです。
そんな彼いわく、「しゃべりばがなくなって、こういう、自分を見つめる時間がなくなったんだよなあ」って。
だったら、自分で作ればいいじゃない!でこの日、急に話がまとまって、この先も彼が中心となり「新・三鷹しゃべりば」が開催されるようです。
私めも、できたら参加したいなあって思いますが、どんな形であれ、しゃべりばという場が続いていってくれたなら、私はそれだけで幸せです。万が一、続いていかなかったらそれは、それで(^^)。
どうぞ、ご自由に!
スト―レートに、誰の言葉も心に響いてきました。誰の話を聴いていても、涙が流れて止まらなくて、こんなにもしっかりと彼らは自分を語れるんだと、感心しながら身を任せておりました。
思い起こせば13年前、安心して自分を語れる場を提供したいという思いから「三鷹しゃべりば」を立ち上げました。長い道のりでした。立ち上げから1、2年こそ発起人が3人だったものの、すぐに私一人となって、この先やっていけるかどうか、不安ばかりの日々でした。やめるという選択肢は当時の私にはなかったもので。
5年目あたりまでは固定客はKさんのみ。それでも彼だけは来てくれるという、現実に助けられました。
“今だから言える”などと言う話をよく耳にしますが、確かに今だから言えることがあります。決まってしゃべりば前日になると、私は極度の不安状態に陥って、ほとんど眠りのないままに朝を迎えるのです。うとうとと、眠っているんだか眠っていないんだかのさなか、決まってみる夢は、しゃべりば当日、誰一人参加者がいない、そんな夢です。いなかったら、いなくってもいいんじゃない、には決してなれなかった。それほどまでに、当時の私は「三鷹しゃべりば」にかけていたんでしょうし?カウンセリングそのものに、真剣に取り組んでいたんだなあって、今になって思います。
何しろ、しゃべりばが終わった日は、今度は嬉しすぎて眠れなかったのですから。(結局、誰もいないということは、お陰さまで一度もありませんでしたが。)
今なら笑っちゃうようなことですが、ホント、今だから話せます。
5年目、あるいは6年目あたりからでしょうか、今回のしゃべりば発起人となって下さったHさん(男性)が、ネコさんが、Aさんが、はたまたHさん(女性)が・・・、(Kさんはもちろんのこと)固定客となって、少しずつ安定してきました。時々は、私の友達のIさんにOさん、最初の発起人だったOさんも沖縄からやってきたり、サプライズの方たちが遠くからやってきたりで、常時5、6人は参加され、やっと形が整っていったように思います。
一番の成功は、参加者の多くが、クライアント経験をしていたことではなかったでしょうか。この経験のある方とない方とではまったく違うと、私は断言できます。
個人カウンセリングを経験することつまりは、自分の気持ちを、人の目を気にすることなく、しっかりと表現できる場を経験したクライアントの多くは、自然に、自分の新しい道を見つけて歩んでいくようです。
29日は、皆様、こんなにも軸がぶれることなく自己表現できるもなんだと、ただ嬉しくて泣けました。
特にHさん(男性)は、いつだって何か話を用意している訳ではなくて、誰かの話を受けて、(その方の話をしっかり?聴いた後で)今度は自分のこととしてしゃべっているうちに、その流れの中で気づいていくという、グループカウンセリングとしては当たり前のことですが、その当たり前のことが妙に嬉しかったです。
そんな彼いわく、「しゃべりばがなくなって、こういう、自分を見つめる時間がなくなったんだよなあ」って。
だったら、自分で作ればいいじゃない!でこの日、急に話がまとまって、この先も彼が中心となり「新・三鷹しゃべりば」が開催されるようです。
私めも、できたら参加したいなあって思いますが、どんな形であれ、しゃべりばという場が続いていってくれたなら、私はそれだけで幸せです。万が一、続いていかなかったらそれは、それで(^^)。
どうぞ、ご自由に!