カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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新三鷹しゃべりば(仮称)によせて

2014年05月15日 11時17分11秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
 が、4月29日(祝)の午後、三鷹市・市民協働センターにて行われました。それは、私が東京を去ってから1年半ぶりのことです。26日から28日までの3日間、前述の世界卓球ボランティアの過激さから精魂疲れ果て、私の思考回路はほぼストップ。それが、たぶん良かったのではないでしょうか?
スト―レートに、誰の言葉も心に響いてきました。誰の話を聴いていても、涙が流れて止まらなくて、こんなにもしっかりと彼らは自分を語れるんだと、感心しながら身を任せておりました。

 
 思い起こせば13年前、安心して自分を語れる場を提供したいという思いから「三鷹しゃべりば」を立ち上げました。長い道のりでした。立ち上げから1、2年こそ発起人が3人だったものの、すぐに私一人となって、この先やっていけるかどうか、不安ばかりの日々でした。やめるという選択肢は当時の私にはなかったもので。
5年目あたりまでは固定客はKさんのみ。それでも彼だけは来てくれるという、現実に助けられました。
“今だから言える”などと言う話をよく耳にしますが、確かに今だから言えることがあります。決まってしゃべりば前日になると、私は極度の不安状態に陥って、ほとんど眠りのないままに朝を迎えるのです。うとうとと、眠っているんだか眠っていないんだかのさなか、決まってみる夢は、しゃべりば当日、誰一人参加者がいない、そんな夢です。いなかったら、いなくってもいいんじゃない、には決してなれなかった。それほどまでに、当時の私は「三鷹しゃべりば」にかけていたんでしょうし?カウンセリングそのものに、真剣に取り組んでいたんだなあって、今になって思います。
何しろ、しゃべりばが終わった日は、今度は嬉しすぎて眠れなかったのですから。(結局、誰もいないということは、お陰さまで一度もありませんでしたが。)
今なら笑っちゃうようなことですが、ホント、今だから話せます。

 5年目、あるいは6年目あたりからでしょうか、今回のしゃべりば発起人となって下さったHさん(男性)が、ネコさんが、Aさんが、はたまたHさん(女性)が・・・、(Kさんはもちろんのこと)固定客となって、少しずつ安定してきました。時々は、私の友達のIさんにOさん、最初の発起人だったOさんも沖縄からやってきたり、サプライズの方たちが遠くからやってきたりで、常時5、6人は参加され、やっと形が整っていったように思います。
一番の成功は、参加者の多くが、クライアント経験をしていたことではなかったでしょうか。この経験のある方とない方とではまったく違うと、私は断言できます。
個人カウンセリングを経験することつまりは、自分の気持ちを、人の目を気にすることなく、しっかりと表現できる場を経験したクライアントの多くは、自然に、自分の新しい道を見つけて歩んでいくようです。
29日は、皆様、こんなにも軸がぶれることなく自己表現できるもなんだと、ただ嬉しくて泣けました。
特にHさん(男性)は、いつだって何か話を用意している訳ではなくて、誰かの話を受けて、(その方の話をしっかり?聴いた後で)今度は自分のこととしてしゃべっているうちに、その流れの中で気づいていくという、グループカウンセリングとしては当たり前のことですが、その当たり前のことが妙に嬉しかったです。
そんな彼いわく、「しゃべりばがなくなって、こういう、自分を見つめる時間がなくなったんだよなあ」って。
だったら、自分で作ればいいじゃない!でこの日、急に話がまとまって、この先も彼が中心となり「新・三鷹しゃべりば」が開催されるようです。
私めも、できたら参加したいなあって思いますが、どんな形であれ、しゃべりばという場が続いていってくれたなら、私はそれだけで幸せです。万が一、続いていかなかったらそれは、それで(^^)。

 どうぞ、ご自由に!

世界卓球・追記

2014年05月11日 09時31分54秒 | ひとりごと
1日経って、残しておきたいことが出てきました。後手になってしまいましたが、世界卓球に参加するまでの出来事を簡単にまとめました。

 今から2年ほど前、日本開催それも東京開催を知ったときに、どこにいようとこの大会を観ようと決めたこと。
 そして今年1月、全日本選手権・観戦の際、一枚のビラを頂いた時のこと、いつも私の隣にいた73歳のHさんが、このビラには年齢制限が書かれていないので、私も世界卓球のボランティアをやってみたいと、目を輝かせながらつぶやくように言ったこと。
 そして2月、ボランティア申し込みの段階になって、ネットはおろかメールさえできない、または一人では電車に乗れないHさんの参加はかなり難しく(参加申込は、一般にはネット以外に受付しないとのこと)、息子さん初め周りの方々から、Hさんには無理だから、あきらめた方がいいといわれたこと。
さらに2月、私がまだ実家にいないときから今日まで、一切合切、母の面倒を見てくれていた叔父が、術後の経過が悪く、長い入院生活におちいったこと、
 そして3月、私がHさん分のネット入力、メール連絡・その他も引き受けるという約束で、ボランティアOKの通達をもらえたこと♪。それを電話でお知らせしたときの彼女の喜びの声は、未だに忘れることができません。
 そして4月25日、わが母も12日間ぐらいなら、まだ一人暮らしができるみたいだし、東京・宿泊先予定のHさんもやる気満々で元気そうだったし、叔父の容態も安定してきて、めでたくこの日を迎えることができました。

 初めは自分の胸にだけ収めておこうと思いましたが、参加までの道のりを、書くことでもう一度自分に認識させたかったこと、関わってくれた、ここには書けなかったけど、たくさんの方たちの支えがあっての参加だったこと、どれひとつ欠けても、この日を迎えることはできなかったのではという思いから、やはり書いておくことにしました。
ここまで来れた“はからい”に感謝します。私が頂いた12日間の宝物は、勝敗には関わりなかったけど、金色に輝いております(言葉にしたら、あ~恥ずかしい(;一_一....)。

 んで最後にはやはりこの方、Hさん、彼女の「私も世界卓球のボランティアをやってみたい。30年卓球をやってきて、それを冥土の土産にしたい。。。」とつぶやくように言った一言です。
もしこの一言が叶うなら、彼女はこの先なんでもできるって、私は勇気を頂きました。
そしてもちろん、やり遂げました。
でもねHさん、冥土の土産にはまだ早いからねえ~(笑)




世界卓球奮闘記

2014年05月10日 19時07分01秒 | ひとりごと
 12日間に渡る東京在、世界卓球から帰って、今日で4日が経ちました。やっと、やあっと体調が戻ってきました。連日連夜のフィバーは、体がすっかり田舎使用になっていた私には慣れなくて、慣れてきたかな~の頃には幕が下りました。
 朝は毎日5時すぎには起きて、お腹の意志とは関係なく無理やり満腹にさせておき、6時45分にはもう満員電車に揺られ8時前には代々木体育館へ。その後すぐにお務め開始で、夕方4時には終了、その後はひたすら応援。ほぼ、この繰り返しの日々。もちろん休日はあったのですが・・・。
 お務め初日はインフォメーション係り。三人でこちらを担当したのですが、お一人は英語がペラペラ、もうお一人は台湾出身の方で中国語担当、私は秋田弁担当、それはないので体で稼ぐことに(笑)。お二人が持ち場を離れると、英語や中国語に不慣れな私が一番困るため、お客様に訊かれる度に、私がお連れすることになったような、ならないような・・・。
ただしそんな私にも特技はありまして、1日に何十試合もある男女・国別の組み合わせカード、それらを熟知していたことです。初日は何一つ整っていないインフォメーション、参加国数149別の対戦カードなんて、誰もわかる人などいなかったのです。
午後になってやっと対戦用紙が届いても、対応に追われるお二人は用紙を見る暇もなく、私はちょっぴり自慢げに対応していました。時に、いきなり早口の英語で尋ねられたときには、すかさず英語ボーイにお任せ~♪~♪。
声は出しっぱなし、おまけに立ちっぱなしで夕方4時を迎えたものの、後半のボランティアの姿は見えず、どんどん時間だけが過ぎてゆきます。4時半は、我らが日本男子、初戦開始の時刻。わが心は階下の競技場へ、ソワソワと落ち着かない私。5時をかなり回った頃でしょうか、やっとお一人の交代要員が見えたので、英語ボーイ(今思い出しても、彼は心優しき紳士でした。結局、彼の交代要員は来なかったようで、夜の10時すぎ、最終ゲームまで、インフォメーションをしていたそうな・・・)にすべてを託し、観戦命の私だけは、ニコニコ顔で応援席へ。
 ところが、どすこい。この応援席が、なんとなんと、ボランティア以上に過酷だったのです。休む暇、まったなしの応援三昧に加えて、一日中声を出した後の応援で、私の喉は悲鳴をあげてしまいました。にもかかわらず、男子は3時間の激闘の末、2-3での初戦負け。一気に疲労感に襲われました。女子は勝ったものの、試合時間が長過ぎて終電バスには乗り遅れ、タクシーで一路、宿泊先へ。
こうしてエキサイティングで幸せ全開の、長~い1日が終わりました。
 そして翌日は、入口での、楽しい、楽しい切符切りのお務め。夕方4時半からは同じように観戦&応援、でも今度は誰に言われてもどんなに「さあ~みなさん、しっかり声を出して日本選手を盛り上げていきましょう」とナイスガイの応援団長?に言われたとて、拍手のみの参加。体がもう、もちましぇ~ん。

 こんな毎日を繰り返しながらも、人は少しずつ学習するようで。初日、何一つ整っていないセクションが、日を増すごとにひとつの形となり、団結してはランダムに形を変えていく姿を見て、卓球という競技(こちらは、もちろん文句なしで素晴らしい!!の一言)だけではない、何かができあがってゆくときの、言葉にならない感動も同時に味わいました。本当にこのプロジェクトに参加できたことを、今は一人の卓球人として誇りに思います。
まだまだ、書きたいエピソードはたくさんありすぎるほど持ってはいるのですが、世界卓球のさ中、「三鷹しゃべりば」が行われたので、次回はこちらの話題をば。