カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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第27回横手しゃべりばによせて&次回学習会のお知らせ、をちょこっと

2021年09月24日 09時56分24秒 | 横手しゃべりばによせて
今回のグループカウンセリングは、Kさん持参の「21世紀に生きる君たちへ・・・司馬遼太郎著」を読んでの時間となりました。

一昨日のひとりごとではないのですが、“ 自分と向き合うことに忙しく生きていきたい ”私は、しゃべりにしゃべった(笑)、自分と向き合うと止まらなくなって、今、自分が感じていることを表現したくなるようです。
そんな中、お気に入りの箇所を紹介します。
その箇所だけを抜粋すると言いたいことが伝わらない気がして、長くはなりますが、その前後も掲載します。


・・・人間は助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしたいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会を作り、たがいに助け合いながら生きているのである。
 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
 このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。 
 他人の痛みを感じることと言ってもいい。
 やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともとはひとつの根から出ているのである。
根と言っても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである
 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうなあ、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、21世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。 (21世紀に生きる君たちへ・14P~17Pより抜粋)

とまあ、1987年頃、司馬遼が小学生に向けて書いた文章のようです。
私が注目したいのはその中の太文字、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。という箇所です。
言い換えれば、うまれつき優しい人、生まれつき他人の痛みを感じることのできる人、生まれつきいたわりを持っている人などいないらしい。なにせ本能ではないのだから、ということ。
私はこの司馬遼の言葉に、ほくそ笑んだなんてもんじゃなかった。周りに人がいなかったらきっと飛び上がって、万歳三唱をしていたに違いない。
それくらい、日頃から私が痛切に感じていたことを、大大大歴史作家の司馬遼太郎先生が、書いてくれていたのである。
 みなさん、訓練で優しさや他人の痛みを感じる心が身につくんですよ。なんてたって私ごときが言うのではなくて、かの司馬遼太郎大先生が、そう明言しているのですから。
簡単に見につくとは私は思わないけれど、それでも本能ではなく訓練しだいで・・・。

嬉しくて嬉しくて、この日の私は眠れなかったと言いたいところ、安心してぐっすり眠ることができました。
Kさん、この資料を持ってきて下さってありがとうございます。
心より感謝いたします。
今度ご参加する皆様も、ぜひこれという物があったら、お気軽にご持参くださいませ。
自分ひとりで読むよりは何倍広がりのあることか、まさに学習の時間となりました。
横手しゃべりばはこれからも、場に皆さんに問いかけて、いつものグループカウンセリングでもいいし、ご自分のやりたいことを提案して、実行できる自由な場でありたいです。

来月は老子を読んでの学習会の予定です。
10月30日(日)午後1時半から、場所は高橋悦子拙宅となります。
こちらもどうなるか、今から楽しみです♬。

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60代の少女たち

2019年09月24日 11時20分48秒 | 横手しゃべりばによせて
しゃべりば放課後、コーヒーとお酒のお店、いわゆるカフェバーに入った。
一度行った時いい感じで、二度目の来店。
お隣の若者たちの声が大きすぎて、時々、二人の声がかき消されはしたけど、
お料理は申し分なく美味しくて、でも、味は濃かったりしたけど、
マスターの、こちらに接する距離感が気に入った。
入ってくるわけでもなく、ほっとくわけでもない。
絶妙な距離感。
また来たい!そんな気持ちを抱かせるお店だった。

その後友人から頂いたタダ券で、近くのホテル・お風呂に浸かる。

帰りはタクシーの予定を、夜風に吹かれながら歩いた。
真っ暗な駅裏からの道のり、決して一人では歩くことのない道が二人なら楽しく、
スキップしたかどうかは覚えていないけど、静かに時が流れた
そこは50年以上もの大昔、“ 線路の山 ”と呼ばれていた、私の遊び場。
今では車でしか通ることのないその道は、とにもかくにも新しく
知らない建物で占められていた。
わずか15分の冒険に出かけた、
60代の少女たち。

また、一緒に行こうねえ~
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第22回横手しゃべりによせて

2019年03月24日 11時17分39秒 | 横手しゃべりばによせて
しゃべりば前日には、イチローの引退劇があった。
そしてしゃべりが終った夜には、羽生選手の世界選手権・復帰戦があった。

その合間に開催された「しゃべりば」のひとコマ。
仙台から参加されたF子さんの一言が、私には色濃く残っている。
それは「うちの母が近頃、今が一番幸せだと言うようになった。」という私の言葉に対して、放ったことだった。
「どういう時に、お母さんは幸せだ!って、言うの?」と尋ねてきて、それに応えた私、
「だいたいが、美味しい夕飯を食べているときかな。」と。
さらに「特別、私は美味しいとかは思わないんだけど、彼女なら作ることのないマーボー豆腐とか、グラタンとか、イカ墨パスタだとか・・・、そういう物を(私が作って)食べているときに決まって、幸せだ!と言うようになったと思う。」と。
すると彼女はよくわからないんだけど、「お母さんはきっと、最初はおもわず幸せだ!って言葉を出したと思うけど、その後はもう、お決まりのように幸せだ!と言うようになったんじゃないのかな。それでますます、幸せが連鎖したというか・・・」
それを聞いていて、その時は気づかなかったけれど、私自身も夜布団に入るたびごとに、今日も幸せな1日だったあと言いながら、寝ていることに気づいた。

私にもきっと、幸せ連鎖が起きている。
何か特別なことはまったく起きはしないけれど、幸せだなあ!の毎日。
自分がこうと決めたことを、即座に行動に移せる日々、その良し悪しは別として、自分の責任と自由の元に動ける毎日。
気づくと、母もそういう人になっていた。
父が亡くなって指図する人がいなくなり、呆然とした日々を送っていた15年前とは打って変わり、母は自らの決断のもと、パッチワークをして、習い事にも行き、飲み屋に歌いに行くようになっていた。
好きなものを食べ、おばあさんだからと言いながらも、決して気に入った洋服しか着ることがない。
140cm、55kgのコロコロ体形をいかにスマートに見せられるか、そこが一番の彼女の洋服選びらしい。
そこまで太っているんだから、どう痩せてみせるかよりは、あまり食べない方が、まずは得策じゃないの!と私が言ったところで、その楽しみはゆずれないらしく、昨日もこっちの服の方が痩せてみえると、彼女の主張を譲らない。
年を取って、頑固になったといえばそれもあるかも知れないけれど、父が生きている頃の一見、他人に対して従順というか、依存的な彼女はもういない。
自分で決断して、できるだけ人様の力を借りずに行動することの自由と誇りのようなものを勝ち取ったように、娘には見える。
F子さんの言うように、この自由と誇りも連鎖するようで何かあると、「まず自分でやる」と言葉にする。そしてやってみてできない時だけ、私の力を借りるようである。
85歳の母、この年にして勝ち取った自由と誇り。そりゃ幸せでしょうよ、と私も思う。

話をイチローと羽生君に戻すと、二人は紛れもなく、自由と誇りの権化のような選手だと思わずにはいられない。二人のすべての行動は誰に委ねることなく、常に自分の責任の元で自由に舞っていた。
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第20回横手しゃべりばによせて

2018年09月30日 05時48分56秒 | 横手しゃべりばによせて
今回は、お二人の新人さんがいらした。
最初から最後まで、ほぼそのお二人を中心に場が動いた。

その中のお一人Mさん、3時間15分の「しゃべりば」の中、沈黙も少なく、おそらく3時間近くは、一人でしゃべったのではないでしょうか?
18年に及ぶ「しゃべりば」の歴史の中で、そんな方に会ったことは、まずない。
しかも初参加ときているから、たまげる。
たま~に周りを気にしてか、見わたりはしていたけど、すぐにまた話しだす。

もう一人の新人Sさんが時折、これ以上にないというほど絶妙なタイミングで、Mさんに向けて発する。
発した言葉が素直すぎて、本当にそう感じているんだろうなあ!としか、伝わってこない。
言葉にまじりっけがない!とは、こういうことをいうのだと思う。

この日は10名の参加者がいらしたので、それぞれの方が、何かしら発したとは思うけど、ごめんなさい!今となっては何も覚えていない。
Mさんを妨げる要因など何も見つからない中、時間が来たので終わりとなったけれど、
時間です、と私が言わなければ、まだまだ話していたんじゃないかな~?
それくらいのMさんのパワー、
圧倒されたし、感心もした。

MさんにSさん、また絶対参加してね。
他の方たちはもちろんですよ✊
みんなが作った場であればこそ・・・
のMさんにSさんの動き。

斬新で新鮮な時間でした。

それにしても、
ふう~~!!
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第19回横手しゃべりばへによせて

2018年06月11日 10時50分53秒 | 横手しゃべりばによせて
お母さんたちの愛を感じた、「しゃべりば」だった。
ある方は、息子の可愛がっていた生き物が亡くなったことで
ある方は、初めて恋した?娘のことで
そしてある方は息子のため、おしゃべりな自分を封印していた。
たまには話していたけどね、(笑)。

“ 癒しでは、人は変わらない。”
それは友田が、生前よく口にしていた言葉だった。

A子さんは、息子さん(小4?)がとても可愛がっていたハムスターが亡くなって、泣いている姿を見た。
「・・・それまでも息子は、自分の思い通りにならないときなど、悔しがって泣いていることはあった。
けど、今回はハムスターが亡くなったことで、悲しいというか寂しいというか・・・そんな息子の涙を見るのは初めてだった。
さっきまでは生きていて、ぬくもりのあったハムスター🐹が、自分の手の中で冷たくなっていった経験。泣きじゃくって、その後彼はハムスターの墓まで作った。
どんなに小さくとも、生きているものの命が消えた瞬間に、立ち会った息子。
生きていた頃、共に遊んで、とても楽しかった思い出がある分、息子は余計に悲しかったのだと思う。そして、4、5日たった今では、思いの外ケロッとして、元気で飛び回っている。
息子はなんか、この経験で成長したように感じる。そして私はそんな息子を見て、とても安心した・・・」

生きているものは、決して楽しい時間ばかりを与えるわけではない。生きている限り必ず死が訪れ、生命体としての完結を迎える。
現在の生活環境では、家の中に祖父母がいる家庭はとても少ない。
自分が愛情を注いだ存在、もしくは自分を可愛がってくれた存在の死を見ずして、大人になる子供がほとんどだ。
A子さんの息子さんの経験が、これからの彼の人生にどう影響を与えるか、もしかしたら、ほとんど影響を与えることなどないのかもしれない、先のことはなんとも・・・わからない。
けど・・・

私はといえば、息子さんの経験に安心したという、彼女の中の『お母さん』というたくましく温かな存在を意識した。
そしてなんとなくだけど、今度は私がそんなA子さんに安堵した。


最後にK男君、しゃべりばが終わるころ、あなたが放った言動が今も私のなかに色濃く残ってはいるけれど、それはおいおいとして、
今日はお母さんたちのことだけで締めさせて頂きました。
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「アイス食って寝でれえ~」

2017年10月02日 06時15分03秒 | 横手しゃべりばによせて
けさ目覚めたら、急にしかも鮮明にこの言葉がよみがえった。。
しゃべりばが終わってからは、すっかり忘れていたのに不思議な感じ。

それはかつて、ある母親が学校に行けなくなった娘に対して放った言葉だった。
多くの母親は、なんとかして娘を学校に行かせたいと四苦八苦することだろう。
あれもこれもと躍起になって、何とかこの子のためにと奔走するに違いない。
自分のこと以上に大事な娘。
ところが彼女は、
“ 行けないのに、無理して学校になど行かなくていい!おまえの大好きアイスを食べて寝てなさい。 ”
っと、毎日?声をかけたらしい。
まっ、実際には横手弁で
「アイス、食って寝でれえ~」のみ(笑)。

結果、どうであったかは想像にお任せだけれど、
私は、ここにクライアントセンタードを見つけた
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教える、褒める、質問する・・・

2017年09月27日 18時45分50秒 | 横手しゃべりばによせて
教える、褒める、質問する・・・
私が通ったカウンセリングの場では、ご法度として育った。

質問するに関してはその後、開かれた質問とか、閉じられた質問などという言葉が出回り、
今では、心理学用語として定着した感さえある。
が、とある学習会で、(そんな言葉を知らなかった昔のこと)師に尋ねたことがある。
教える、褒めるがご法度なのはなんとなくわかるけど、どうして、質問したらいけないのでしょうか?と。
師、応えて曰く
「質問すると、クライエントを固定する。クライアントが、質問した(この場合はカウンセラー)に応えてあげる人になってしまう。 その場合、自由がせばめられる・・・」と。
逆の場合、つまりはクライアントが質問したときも同じ。学習の中では確か、貰い乞食などという言葉を使っていた記憶がある。


教えることがご法度の、私の理解はこうだ。
同じようにその人から自由を奪うと同時に、教えた人はその人の上になってしまう、つまりは五分五分の関係を保てなくなる。さらに、その人自身が己の責任の中で成長していく機会を奪ってしまう。

褒めるは依存そのもの。褒められると誰だって嬉しい。嬉しいから、また次も褒めてもらおうと、褒めてくれた人に気に入られるように振る舞ってしまう。
褒められるための努力までしてしまう。

教える、褒める、質問する
これらは、クライアントセンタードのカウンセリングからは、どうも遠くかけ離れているようだ。彼らの成長の妨げとなるらしい。

今の私にできるカウンセリング、それは決して上の3つはやりませんよ、のところにはいない。
師のような、そこまでの律し方はできない。
時々、教えてしまうことがある。
それは、彼らの成長を待つよりも私自身が楽だから?と思う。
年とったらきっと、もっと待てなくなる・・・

それでも、このご法度を与えてくれたカウンセリングの場で育ったことを誇りに思う。

  ※上のご法度はあくまでカウンセリング内でのことです。念のため。
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第15回横手しゃべりばによせて

2017年06月21日 18時50分01秒 | 横手しゃべりばによせて
 ドアを開けた瞬間、お二人の姿が目の前に現れた。
松葉杖をついた奥様をエスコートするかのように、横にはAさんの姿。
一瞬、えっ!えっ!と、あまりの想定外に驚きながらも自分を整理すると、お二人で「しゃべりば」にやってきたことがわかった。
Aさんはとうに80歳は超えているはず・・・としたら、奥様も・・・。
電車を乗り継ぎ 山形からいらしたという、その行為にただただ、頭が下がった。

 そんなお二人や初参加のEちゃんやMさん、Kさんも含めて、今回は11人の参加者、会始まって以来の満員御礼である。
少しの沈黙の後、E子さんがご自分のことを語り始める。
今回は、このE子さんがメインで場は流れた。彼女にとっては大事な、大切な、どこを切り取っても、彼女の切なる思いのこもった話であった。
がしかしそれは後日、またどこかで内容は多少違うにしろ、彼女が語るであろうことを信じて?今日はAさんの奥様Tさんに、話を戻す。

TさんがE子さんを遮りながらも、突然、怒涛のように話し出した。
黙っているのは、もう我慢できないという勢いがあった。
最後には、のろけ話でもなんでもない、ご主人に対する真摯な言葉を述べられた。
50年、60年?連れ添ったであろうTさんが、何度も口にした言葉、山形ではどこにも本音を言う場がないので、こちらまでやってきました、から始まり・・・・・・。
10人の参加者がいる中、ご主人を目の前にしながら、これほどまでの感謝の言葉を私はきいたことがない。
何百回、何千回?人の話を聴いてきて、夫への愚痴なら当たり前だったけど、夫をほめたたえる人にお会いしたことはなかった。
それをきいていたAさんは、
「もう、お前は人の話を遮って置いて・・・!」と、言いながら、照れくさそうな、それ以上に嬉しそうな様子。

一言ではとても言えないけれど、妻とか夫とかの垣根を越えて、それは戦士Tさんが
これまでの壮絶な人生を共に歩んでくれた、戦ってくれた戦友Aさんに向けたありがとうであった
と勝手に解釈しながら、私はその場に遭遇したことに感謝した。
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第14回横手しゃべりばによせて

2017年03月20日 16時54分59秒 | 横手しゃべりばによせて
 久しぶりに味わった人が持っている力、きいている私たちが余計なことさえしなかったら、ちゃんと話したその方は自分の向かうべき場所に行き着くということ。
 
最初のうち横にいる私は、彼女が何を言いたいのかよくわからなかった。
仕事での人間関係の話なのかな・・・、それくらいで、耳を傾けていた。
「・・・確かに自分が発した言葉、それを他人(ひと)は自分が意図したようにとってはくれない。決してそういうつもりで言ってないんだけど、誤解されている・・・そんな時、私は面倒で面倒くさくて、弁解などしたくない・・・」
それこそ、私の聞き方がかなり違っているかもしれないのを承知でここに言葉にしてみた。むしろ今言葉にしたかった!
 その後の彼女の話はこうだ。いつのまにか昨年亡くなった父親の話になり、「・・・今思い出すと、どうも父もそんな感じの人間だった。・・・言い訳はしない人、だからなのか、私たち姉妹が父の機嫌を取るなどということは、まずなかった。母親にはいつだって右往左往され、彼女の機嫌の良し悪しが自分たちに降りかかってきた。でも父はご機嫌伺いなどいらない人だった。決して口数は多くなく、やさしげでもなく、いつも黙っていた父・・・」その後、息子さんの話となる。
「どうも、息子もそんなところがある。口数が少なくて損してるような・・・」
そこまで話してから彼女は言った。「私、父親のことを話すつもりなんて全然なかった!
でも、あっ!あっ!つながった!・・・話して良かったあ!」と彼女。
この先職場で彼女がどう動くのかはわからないけど、腑に落ちたようだった。
 
この間、私や私の仲間たちは彼女の話に聞き惚れて(?)、口を挟む人はいなかった。彼女にしてみると、みんなが聴いてくれてる感じが伝わってきて話せたと教えてくれたけど、むしろ皆が聞き惚れての方が近いのではと、その場にいた私は思う。
まっ、どちらでもかまわないけど、どっちもなんでしょうきっと♬。
 
 話し終わった彼女は、晴れやかだったのです。

 この日、周りにいらした仲間たちをほんのちょっぴり紹介します。
いつも当たり前のように参加しているMさん、近所に住んでいて準備を手伝ってくれるAさん、お子さんにまだ手がかかるのにもかかわらず、時間を割いて来てくれるEさん、唯一20代の若者Kさん、はるばる宮城県からホテルを取って参加してくれたIさんご夫婦、
ついでに私、さらに今回は欠席の、Nちゃんも入れとこ。
みなさんの作った場で起こったことですよ。この場をかりて感謝いたします。
“ありがとう、皆様、ありがとう、Fさん” 

 ※Fさんの了解を得て掲載いたしました。
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第11回横手しゃべりばによせて

2016年06月29日 06時44分55秒 | 横手しゃべりばによせて
 待てなくなった!気がつけば、つい教えてしまう私。人の問いに応えるのではなくて、答えてしまう。
元々、慣れ親しんでいる“髙橋悦子”はそんな人だけど、カウンセリング場面に身を置くときの私は、待つこと、応えることに律している、つもりだった。
ところが昨日のしゃべりばでは、いえ、おそらく横手に帰ってからの私は、自分がイラつくほどに教え、答えていた、と思う。たとえ3時間沈黙が続いてもいいから、参加者自らの気づきに寄り添おうとする覚悟がないのだ、きっと。
場は和やかで、口論などはほとんどきかない。自分をしっかり出せば口論にもなるし、あるいは、他者は深く静かに自分に向かい、自然に気づきも起きる、起きることが多い。しかし、そういうこととはほぼ無縁の時間だった。
 また最近は、N子さんに頼っていたのかもしれないという思いが沸いてくる。
ここまで書いて、“三鷹しゃべりば”のような場にしたくて、私がイラついているのかもしれないと思えてきた。
横手は横手、参加者が違えば、場はおのずと変わってゆく。それは知っているけど、どうしてももどかしさが先にきてしまうのだ。40代、50代と違い、先が短くなってきたのもあるのかな?横手で立ち上げてまだ3年しか経っていないのに、この焦り。
一人一人が個人カウンセリングを受ける、つまりはクライアント経験したことからか、彼らは素晴らしき表現者たちだった。自分を見据え、自己を語り、同時に他者に寄り添った。そんな仲間が集まった場でできていた時間だった、三鷹はなどと・・・。
お気楽は確かに居場所にはなる。安心して羽を休め、次に歩み出すまでの居場所は絶対に必要。
私はどうしたいのだろうか?この横手で。

 そんな揺れながらの曖昧さの中にいたら、会が終わりに近づいた頃、F子さんがある人の声を聞きたいと話した。それに応えてある人・K男君が携帯を見ながら、開催中のプロ野球、自分の贔屓チームの点数、つまりは何対何かをボソボソっと口にする。私があいだに入ってF子さんに向かい、「K男君から、そんな話を聞きたかったのかな?」と尋ねた。
すると彼女「そうではないかもしれないけれど、K男君が応じてくれたのがいい、だから私はそれでいいの。」と答えた、と思う。
それを受けての、K男君が凄かった。
彼がこの“横手しゃべりば”に参加するようになって初めて、多いに『自分』を語っていた。お付き合いの長い私も、彼があそこまで『自分』を語る姿を初めて見た。5時になろうとしていたので、あえなく話は終わったけれど、K男君本人も言う。「人前でこんなふうに話したことがない・・・」と。
話終わったあと、なんと晴れ晴れしい彼の姿だったことか。
自然に皆もほほ笑んでいた。
 
三鷹しゃべりば、横手しゃべりばの違いって何?
私はどっちもいるし、いつだってやりたいことは決っている。そう決まっているのです。それは参加者ひとりひとりが、自由に動けること。それは3時間、一言も発しないという自由も含めて。

次回“横手しゃべりば”は、9月24日(土)の予定です。私のもどかしい思惑なんぞ軽く超えて、たくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。
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