今から2年半前の5月15日付け・ブログにも書いていたし、学んだようなあとがあった、
『効果的なカウンセリングは、クライエントをして、自分の新しい方向をめざして積極的に歩みだすことができる程度にまで、自分というものについての理解を達成できるようにする、明確に構成された許容的な関係によって成立するものである。』
という、ロジャーズの基本的な仮説(友田不二男訳)。
その時の私の一番のひっかかりは、
「・・・・・・私自身の経験を通して、現在の私に決定的に言い得るのは、クライエントがそのような転換を達成する過程において、カウンセラーと話し合う経験があった、ということだけである。」
という箇所であった。
それは今でも肝に銘じているけれど(怪しい、笑)、今回の学習で引っかかったのは、
「・・・自分の新しい方向を目指して積極的に歩みだすことができる程度にまで・・・」
という箇所。
積極的に歩みだす、つまりは、使い古された言葉だけれど、行動のレベルまで、それはわかっている。
私得意の、わかっているつもりの方が正しいわ、笑。
何をもって行動のレベルというのか、その判断は人それぞれなのでしょうが、学習会が終った日の夜になって、
7、8年ほど前かな?目白で学んでいた頃に訊いた、
末武先生訳の方が、今の私にはしっくりくることを発~見
それは
『カウンセリングが効果的に成立するためには必要なのは、ある明確に形作られた許容的な関係であり、その関係のなかでクライアントは自分自身に気づくようになり、新たな方向をめざして、人生を前向きに進んでいけるようになる。』
『効果的なカウンセリングは、クライエントをして、自分の新しい方向をめざして積極的に歩みだすことができる程度にまで、自分というものについての理解を達成できるようにする、明確に構成された許容的な関係によって成立するものである。』
という、ロジャーズの基本的な仮説(友田不二男訳)。
その時の私の一番のひっかかりは、
「・・・・・・私自身の経験を通して、現在の私に決定的に言い得るのは、クライエントがそのような転換を達成する過程において、カウンセラーと話し合う経験があった、ということだけである。」
という箇所であった。
それは今でも肝に銘じているけれど(怪しい、笑)、今回の学習で引っかかったのは、
「・・・自分の新しい方向を目指して積極的に歩みだすことができる程度にまで・・・」
という箇所。
積極的に歩みだす、つまりは、使い古された言葉だけれど、行動のレベルまで、それはわかっている。
私得意の、わかっているつもりの方が正しいわ、笑。
何をもって行動のレベルというのか、その判断は人それぞれなのでしょうが、学習会が終った日の夜になって、
7、8年ほど前かな?目白で学んでいた頃に訊いた、
末武先生訳の方が、今の私にはしっくりくることを発~見
それは
『カウンセリングが効果的に成立するためには必要なのは、ある明確に形作られた許容的な関係であり、その関係のなかでクライアントは自分自身に気づくようになり、新たな方向をめざして、人生を前向きに進んでいけるようになる。』