今回の“三鷹しゃべりば”は、ほとんどの方は気づいてはいないと思うのですが、私が意識して世話人の欄に自分の名前を入れて案内を出した、初めてのワークでした。
それは、この会が生まれて7年目にして、まったく初めてのことです。
内容は何ひとつ変わってはいないけれど、自分の軸が、どこかでそれを意識しながら座っていたとは今振り返っても、思います。
それはカッコよく言うなら、私がやりたいワークではなく、参加した人たちがやりたいように動けたらいいなぁのワークでした。
とはいえ、長い間私(たち)がやりたくて作ったワークのために、当たり前だけど、私の“我”は随所に出てはいました。どうしても、私はいつだって、自己表現がしたい人なのです。
人の話を聴いてのレスだけでは物足りなくなって(人の話しを聴いてのレスも、確かに、自己表現のひとつといえばそうなのでしょうが)真新しいところでの自分の経験としての自己表現を、話さずにはいられなくなるのが私なのだと、今回も認識してしまいました。
そして、そのこと自体は別段、よくも悪くもないんでしょうが、私の経験を話すことで、それが参加者にとっての叩き台?みたいになってしまうことをなにかおかしく感じていました。
今回はなんとかこれを抑えるように?などという意識から、本当のことうを言うなら、世話人という名前も、あえて自分に付けた気もします。
世話人などという名前を付けたら、自分から発しないないとでも思ったのでしょう。
そのときは。
私が私の経験を話したところで、それは橋さんという人の経験であって、そういう経験をして「楽しかったでしょうね」とか、「嬉しかったでしょうね」とか、「シンドかったのでは」とか、あるいは「ばかみたいな経験でしたね」でもなんでも・・・、そんなことが話されるようなら、こちらは安心して先に進んでいけるのですが。。。
私は高橋さんのそんな経験談よりも、もっとすごい経験をしましたよという(言葉ではそうは言っていないけれど)意識の元に誰かが話されると、今までは、ついつい引いてしまっていたのです。
いいえ、引くくらいならまだいいんでしょうが、引いたあとで、私はそんな方たちについついストップをかけてもいたようです。
自分もかつてはおそらくそんな聞き方をしていたので、気になったんだとは思いますが。
そんなやりとりが、知らず知らずのうちに、前回までの私の動きのひとつになっていたような気がしています。
今回そのあたりが変わったかというと、ほとんど変わってなどいなかったでしょう、相変わらず凝りもせず、自分で世話人と名づけたところで、私は私の経験を語り、その後に何かを話し出す人の、対抗して(勝つため?)の話としか私には聴こえてこない方の話に、初めのうちは抵抗していましたが、気がつくと、どなたかの話にひきつけられて、真剣に聴いていたのです。
そこには、受容も共感も自己一致もよくはわからないけど、というかそんなことは忘れて、聴いている私がいました。
まったく、不思議としかいいようのないことですが、心は穏やかでした。
なんのことはない、私の聴き方が、どういう偶然からか聴き方の枠がとれたというか、どこかにいってしまっていました。
今までの私の動きは、参加者を“私の正しいと思っていた”、それまで私がカウンセリングの学習としてやってきて“正しいものと信じ込んでいた聴き方”に、どうも、引っ張り込もうとしていたみたいです。
私がやりたいワークではなくて、参加されたみんなが(私も含めて)がやりたいようにやっちゃっているワーク。
そんな簡単なことを忘れていました。
気がつけば、最後には参加されたお一人お一人が、けっこう自由に自分を語っていました。その話の内容がうそでもホントでも、そんなことはどっちでもいいのです。
大切なことは、彼らがその場で、気持ちよく自由に自分を表現できたかどうか。
今回初参加のA男さん、最後に少しだけ言わせて下さいね。
何があってもこれだけは一生守って、死ぬまで手放せない。あるいはこれを手放したら、私はもう死んでしまうかもしれない。それ位その人にとっては大切な、重要な人や何かを手放したとき、(違う言葉でいうならアキラメタとき)その後で、初めて、心のどこかに“すき間”が生まれてくるのではないでしょうか。
そしてそのすき間が生まれたことで、人を受け入れたりも、できるのではないでしょうか。
しつこいのが得意の私がさらにしつこく言うなら、手放した後でなら、その人や物までも、今度は新しい形となって自分のそばで見守っていてくれているような気がする。
まっ、勝手きままな私の連想でしたが。
次回の「三鷹しゃべりば」は、12月20日(土)の予定です。
年齢、男女の区別なく、誰でも自由に参加できる場です。
たくさんの皆様のご参加をお待ちしております。
それは、この会が生まれて7年目にして、まったく初めてのことです。
内容は何ひとつ変わってはいないけれど、自分の軸が、どこかでそれを意識しながら座っていたとは今振り返っても、思います。
それはカッコよく言うなら、私がやりたいワークではなく、参加した人たちがやりたいように動けたらいいなぁのワークでした。
とはいえ、長い間私(たち)がやりたくて作ったワークのために、当たり前だけど、私の“我”は随所に出てはいました。どうしても、私はいつだって、自己表現がしたい人なのです。
人の話を聴いてのレスだけでは物足りなくなって(人の話しを聴いてのレスも、確かに、自己表現のひとつといえばそうなのでしょうが)真新しいところでの自分の経験としての自己表現を、話さずにはいられなくなるのが私なのだと、今回も認識してしまいました。
そして、そのこと自体は別段、よくも悪くもないんでしょうが、私の経験を話すことで、それが参加者にとっての叩き台?みたいになってしまうことをなにかおかしく感じていました。
今回はなんとかこれを抑えるように?などという意識から、本当のことうを言うなら、世話人という名前も、あえて自分に付けた気もします。
世話人などという名前を付けたら、自分から発しないないとでも思ったのでしょう。
そのときは。
私が私の経験を話したところで、それは橋さんという人の経験であって、そういう経験をして「楽しかったでしょうね」とか、「嬉しかったでしょうね」とか、「シンドかったのでは」とか、あるいは「ばかみたいな経験でしたね」でもなんでも・・・、そんなことが話されるようなら、こちらは安心して先に進んでいけるのですが。。。
私は高橋さんのそんな経験談よりも、もっとすごい経験をしましたよという(言葉ではそうは言っていないけれど)意識の元に誰かが話されると、今までは、ついつい引いてしまっていたのです。
いいえ、引くくらいならまだいいんでしょうが、引いたあとで、私はそんな方たちについついストップをかけてもいたようです。
自分もかつてはおそらくそんな聞き方をしていたので、気になったんだとは思いますが。
そんなやりとりが、知らず知らずのうちに、前回までの私の動きのひとつになっていたような気がしています。
今回そのあたりが変わったかというと、ほとんど変わってなどいなかったでしょう、相変わらず凝りもせず、自分で世話人と名づけたところで、私は私の経験を語り、その後に何かを話し出す人の、対抗して(勝つため?)の話としか私には聴こえてこない方の話に、初めのうちは抵抗していましたが、気がつくと、どなたかの話にひきつけられて、真剣に聴いていたのです。
そこには、受容も共感も自己一致もよくはわからないけど、というかそんなことは忘れて、聴いている私がいました。
まったく、不思議としかいいようのないことですが、心は穏やかでした。
なんのことはない、私の聴き方が、どういう偶然からか聴き方の枠がとれたというか、どこかにいってしまっていました。
今までの私の動きは、参加者を“私の正しいと思っていた”、それまで私がカウンセリングの学習としてやってきて“正しいものと信じ込んでいた聴き方”に、どうも、引っ張り込もうとしていたみたいです。
私がやりたいワークではなくて、参加されたみんなが(私も含めて)がやりたいようにやっちゃっているワーク。
そんな簡単なことを忘れていました。
気がつけば、最後には参加されたお一人お一人が、けっこう自由に自分を語っていました。その話の内容がうそでもホントでも、そんなことはどっちでもいいのです。
大切なことは、彼らがその場で、気持ちよく自由に自分を表現できたかどうか。
今回初参加のA男さん、最後に少しだけ言わせて下さいね。
何があってもこれだけは一生守って、死ぬまで手放せない。あるいはこれを手放したら、私はもう死んでしまうかもしれない。それ位その人にとっては大切な、重要な人や何かを手放したとき、(違う言葉でいうならアキラメタとき)その後で、初めて、心のどこかに“すき間”が生まれてくるのではないでしょうか。
そしてそのすき間が生まれたことで、人を受け入れたりも、できるのではないでしょうか。
しつこいのが得意の私がさらにしつこく言うなら、手放した後でなら、その人や物までも、今度は新しい形となって自分のそばで見守っていてくれているような気がする。
まっ、勝手きままな私の連想でしたが。
次回の「三鷹しゃべりば」は、12月20日(土)の予定です。
年齢、男女の区別なく、誰でも自由に参加できる場です。
たくさんの皆様のご参加をお待ちしております。