カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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第26回三鷹しゃべりばによせて

2008年12月23日 00時12分00秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
人は誰でも他人を意識していない時に、自由に自分を表現する(ようになる)。
裏返せば、人が自由に自分を表現している瞬間々は、他人の意識を感じていない時なのだといっても過言ではないと思う。
 
しゃべりばに出席するようになって丸二年になるA男さんが、この日初めて、自分の体験を語っていた。
それを一言で言うのは難しいのだが、生まれて初めて、人との関わりの中で涙したことを、彼特有の、淡々としたリズムで語ってくれた。
実は、私はこの話しを彼との面接場面で何度も聴いていたのだが、彼が私以外の人の前で話すのを初めて聞いた。
私はまず、彼が人前で語ったというそのことに、一瞬だけ驚いた。
そしたら、A男さんの話しを聴いていたB男さんが、長い沈黙の後(15分?)、あまりにも感動してしまってと涙ぐみながら、A男さんの体験から、かつての自分の体験の方にまで気持ちがいってしまったことを、ウルウルしながら話してくれた。

このとき突然予期しないこと(?)、スルーが起きた!

B男さんのこの表明に対して、A男さんが無視したわけではないのでしょうが、
まったくこれにはかかわらずに、また自分の体験談を話し出した。
私はこの時、(もしかしたらA男さんにとっては余計なお世話だったかもしれないけれど)
B男さんの表明を聞いて、どう感じたかをA男さんに質問した形で、場面を戻した。
スルーしちゃだめ~と叫んだような、叫ばなかったような・・・
今にして思えば、この戻したことがはたしてA男さんにとってよかったのかどうか、戻したことがあの場面で懸命な動きだったかどうかはわからない。
未熟な私が、つい事を急ぎすぎたということもあるし。
がしかし、彼A男さんが戻した後で口にしてくれた言葉は確か、
“驚いた”と“なんか、照れくさい”という言葉だったと記憶している。
これはあくまで、私のよけいなお世話以外の何物でもないとわかりつつも、A男さんが、
B男さんの気持ちの後を受けて、こんなような表現したという事実は残っている。

その後でB男さん自身が、彼の“驚いた”とか“照れくさい”を聞いて、何を感じていたかまではわからない。
あるいはA男さんが、私が場面を戻したことで、人の(この場合B男さん)感情に向き合って、その後に自分の感情を表現するという体験を初めて?したことが、家に帰って一人になった時、その体験に対して、どう思いを巡らしているかまではまったくわからない。
もしかしたら、そんなことはもう、すっかり忘れているかもしれない。
結局は、何ひとつわかりはしないし、後のことはすべて参加していた人たちの、お一人お一人の今に、お任せするだけだ。
そして今の私にあるのは、色々な初めてづくしのA男さんの場面に、私も居合わせたということ、彼の色々な初めてを、横にいて見守れたという喜び?だけが残っている。

A男さんがこの2年、しゃべりばに通って一度も自分の体験を語ることのなかった彼が、どうして急に自分を語りだしたのか?
あえて彼に尋ねなくとも、彼が口ぐせのように私に言っていたことがある。
長いこと、体の中に不安の塊が巣食っている。この不安がなくなって安心を感じなければ、何ひとつ動けないと。

話を、最初の、人は誰でも他人の意識のない時に、自由に自分を表現する(ようになる)に戻そう。これと、上のA男さんの安心とどう繋がるのかどうか?

次回しゃべりばは、来年2月21日を予定しております。
今年も一年間、大変お世話になりました。
三鷹しゃべりばに関わって下さった、たくさんの方々に感謝いたします。


 ※関連記事が、ブックマークの菊田氏ブログ『泉を聴く』に掲載されています。