カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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あなたのために!

2011年08月27日 07時15分56秒 | ひとりごと
私はこの言葉がとても嫌いだ。ぞっとする。人がこの言葉を口にしたときは身構えてしまう。その言葉を放った人の悪意、悪意が強すぎるとしたら心意を確かめずにはいられなくなる。
私をどう操作したくてこれを口にしたんだろうと、ついその人の目を見てしまう。
幼い日にはその言葉を放った相手が母のこともあったけど、今、よく耳にするのは職場の上司からがほとんどだ。
“あなたが安全に車の運転ができるように、毎日、送迎の練習があるんですよ。言ってみればあなたのためを思って、私の忙しい時間を削ってまで、あなたの練習にお付き合いをしているのですよ”と彼は言う。
こう言ったとき、その日もPM6時はとうに回っていた。私のためをほんのわずかでも思うのなら、送迎練習は仕事の時間内にしてもらいたいし、“あなたには会社のため、1日でも早く使える運転をしてほしいからです”と言われたら納得したのだけれど、世の中にそんな言葉を吐くような上司はほとんどいないでしょう。
“私のためにですか?”と聞き返すと、“そうですよ、あなたのためにです。”と平然と彼は言い放つ。

あなたのために!
この言葉を聞くと、同時に私の細胞のどこかで、私のためではないことを感じとるセンサーが反応してしまう。人はおそらく、真にその人のことを思ったときにはそんな言葉を吐いたりはしない。
言い放ったあなた、あなた自身の「損得」のために私は動かされているのだということを、どこかで意地悪く感じてしまう。
やれやれ・・・
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第44回三鷹しゃべりばへのお誘い

2011年08月26日 06時23分07秒 | グループカウンセリンク三鷹しゃべりば
この大学にさえ入れたら人生は思い通りになるかもとか、この人と結婚できたら幸せになれるんじゃないかとか、この資格さえとったら食べていけるかもとか、とりあえず、マイホームさえ手に入れたなら後はなんとかなるかもしれないとか・・・
若いころの私はなんの根拠もないのに、自分が幸せになれるだろうと信じて?目標に向かって努力をしていた。でもそれらをやっとの思いでクリアしたところで幸せは一瞬だったし、たとえ一瞬でないにしろそう長くは続かなかった。

ところが今の私が幸せと感じる瞬間は、毎日の生活にちりばめられている。
例えば仲間といっしょに卓球の練習をした後に飲む、一杯のビールの至福のおいしさだとか、突然上京した友と時間も忘れて語り合った、穏やかでまろやかに流れた時間だとか、意地悪ばかりされていると思い込んでいた上司の、ふとした優しい言葉使いだったりだとか、つい最近なら、これ以上暑かったらもう人間日干しになる~と叫んだ翌日の涼しい風に、またもや嬉しい~まるで夏の軽井沢にいるみたいと叫んだことだとか・・・(実際には、夏の軽井沢に行ったことはないのですが)
何かを目指して幸せを探すよりも、日々の生活の中で、ふと幸せを感じている今日この頃です。

今回もたくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。





日 時   平成23年9月17日(土)午後2時から午後5時まで
場 所   三鷹市下連雀4-22-17-303
       三鷹ガーデンハウス303号(橋宅)
       電話0422-43-1596 メールetutan.ta0215@docomo.ne.jp
世話人   橋悦子
参加費   500円(集まった参加費は、毎月義援金として東北に送る予定です。)
締 切   9月16日(金)午後8時
       ご参加希望の方は、メールか電話で連絡下さい
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第43回三鷹しゃべりばによせて

2011年08月07日 17時12分12秒 | グループカウンセリンク三鷹しゃべりば
 今日でこの会、つまりは“三鷹しゃべりば”が終わったとしても私には少しの後悔もない、そう思い続けて今年はここまでやってきたように思う。
そう思い続けたとしても、結局は来月で早10年目を迎えるらしい、第1回目から参加している方がそう教えてくれた。そういえば、いつからかそんな年月を数えることさえ私は忘れていることに気づいた。かつて、あんなに10年にこだわっていたのに面白いものだ。
そんな中、今回参加された方が「私はここにくると呼吸ができる」とポツリと言った言葉に、はあ~!となった。おそらく正確な言葉使いは、少し違ってはいるかもしれないけど、ニュアンスはこんな感じだったと思う。ここ以外では?とある人が尋ねたら、「息をしていない」と言う。
こんなにも力を抜いていて、いつやめても悔いはない、参加者がいなかったらすぐさま卓球に行こうなんて言っている私なのに、ただ続けているだけで、少しは人様のお役に立っていることが単純に嬉しかった。
ちなみに彼のいう呼吸とは、どうも魂の呼吸?ということらしい?
その後、会の終わりの方になって彼が語ってくれたことを、私はみんなに教えたくて仕様がないんだけど、それは書かないというか、書けないというか・・・

語ってくれたことは書けないけれど、私に伝わった感じを表現するなら、自分の弱みを見せられるほどに強くなったというか、いやそんな理屈よりも落ち着いた彼を感じていました。声そのものは、昔に比べたらか細くてひ弱で聞きとりにくいんだけど、ひ弱なまんま、茶化しもしないで情けない自分を表現している彼が、凄い人だなあって思えていました。言葉とはうらはらに、ちゃんとそこに座っている彼を感じていました。聴いていて、妙に心地よかったです。
ストレートに“今”の、目の前にいる“彼”が伝わってきました。

こういう経験をすると、しゃべりばを続けていて、ホント良かったなって思います。
後、何回できるかはわからないけれど、参加者がいらしたらまだやります。
次回の三鷹しゃべりばは、9月17日(土)の予定です。
次回もたくさんの皆様のご参加をお待ちしております。
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