せめぎ合い
「・・・世の中には、いろいろなせめぎ合いがあります。例えば、朝の通勤ラッシュの中でのせめぎ合いであったり。お昼のメニューをAランチにするべきか、Bランチにするべきかという葛藤の中にあるせめぎ合いであったり。地域振興にいきり立つお役所と、地域を守ろうとする住民の間にせめぎ合いがあったり・・・」
ネットで“せめぎ合い”を引いていたらこんな箇所に行きあたった。読んでいて感じたことは、ああ、そういうときにもせめぎ合いって使うよねえと思いながらも、私たちが問題にしていた“せめぎ合い”は少なくとももっと個人的な、自分のうちから出ていることだったなと思えた。
例えば仕事のこと、私自身が常にそうしてきたからわかるのですが、一番やりたいことは仕事とは別にあって、それが生活の糧(お金)になることはほとんどなかった。それさえやっていたら幸せで、どんなにお金や時間をつぎ込もうと平気で、生活のために稼いでいるのか、それをやるために稼いでいるのか、今でもよくわからないけど、寝ても覚めても、何か夢中なものが傍らにあった。
20代なら和・洋問わずの音楽だったり、30代だったらテニスやスキーだったり、そして40代になりカウンセリング一色といってもいい日々の連続となり、明日々50代になろうとしていた頃、もしかしたらこれを中心にして、仕事にできたら私は幸せかもしれないなどという甘さを秘めながら、20年近く勤めていた会社を辞めた。
もちろん、カウンセリングだけで食べていこうなどという甘さはなかったけど、偶然にも勤めていた会社を穏便に辞める機会に恵まれて、それならと挑戦したくなって、カウンセリング(面接)を中心にできる環境の会社へと、運よく転職した。
やってみたからわかったけど、これが本当に甘かった。カウンセリング業を中心にしながらも、しかも50代で新しく勤めた会社で生活することがどんなに厳しく孤独なことだったことか。会社が終わるや否や、飛んで帰っては面接の日々。土日ももちろん、面接や学習会がほとんど。
私のような自分にも他人にも甘い人間が、それでもなんとか「これが私の一番やりたいこと。自分が生かされ、その上、人様のお役にもたっている・・・」と言いきかせながら、いやホントにそう思っていたかどうかは今でも怪しいけど、この言葉が私をささえてくれたことだけは事実で、とにかくそう自分に言いきかせながらの4年間。
朝起きて一番に思っていたことは、今日こそは、こんなにも人間関係のない会社を辞めてやる~と心で叫びながら(現実に、社員のほとんどは海外で仕事をしていて、会社にいっても人がいなかったのです)、いや待てよ、ここで辞めたら固定収入はなくなるし、そうしたらカウンセリングそのものも危ういし、何より、この年でおいそれと次の仕事が見つかるとは思えないから、もう少しがんばってみようの“せめぎ合い”の日々。
そんなことを繰り返しながら、よく、この甘ちゃんが4年も持ちこたえたものと感心する。1日たりとも楽だな~と感じた日などなかったし(チト大げさ)、月に100万円もらっても、もう二度とあの生活はしたくはないけど、いや100万なら後、1年ぐらいならはやってもいいかな~(笑)。
自分のやりたいことだけを純粋に見つめ、そのまま仕事にすることがどんなに自分を厳しく、律していかなければいけないかを、お金を頂きながら教えてもらえたことはありがたいことでした。
そんな中にあって、しゃべりばや、面接の時間はかけひきなく幸せな時でした。
最近好きな言葉に、S世話人がよく口にされる、“トライアンド、エラー”があります。
なにをやったところで、まずはエラーがついてくる。とりあえず動いて、エラーのなかから学んでいくしかないのかもしれない、すべてのことは。
世の中には、もしかしたら案外私と違って好きなことを職業にしても、それなりにうまくいってる人だっているかもしれない。私にはとても大変だったけど、挑戦しての手応えだけは今も残っている。
会社での上司や部下の間に入ってのせめぎ合い、やりたいこととやるべきこととのせめぎ合い、お金をとるか好きなことをとるかのせめぎ合い、若者ならいえ若者でなくとも好きな人と結婚するか、それとも・・・etc。
生きている限り、いつもせめぎ合いがついて回る。私ならさしずめ、このままずうっと東京で暮らしていくか、それとも一人暮らしの母のもとに帰って生活するか、未だに答えが出なくてせめぎ合いの毎日です。
次回の三鷹しゃべりばは、12月18日(土)を予定しております。
次回もたくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。
「・・・世の中には、いろいろなせめぎ合いがあります。例えば、朝の通勤ラッシュの中でのせめぎ合いであったり。お昼のメニューをAランチにするべきか、Bランチにするべきかという葛藤の中にあるせめぎ合いであったり。地域振興にいきり立つお役所と、地域を守ろうとする住民の間にせめぎ合いがあったり・・・」
ネットで“せめぎ合い”を引いていたらこんな箇所に行きあたった。読んでいて感じたことは、ああ、そういうときにもせめぎ合いって使うよねえと思いながらも、私たちが問題にしていた“せめぎ合い”は少なくとももっと個人的な、自分のうちから出ていることだったなと思えた。
例えば仕事のこと、私自身が常にそうしてきたからわかるのですが、一番やりたいことは仕事とは別にあって、それが生活の糧(お金)になることはほとんどなかった。それさえやっていたら幸せで、どんなにお金や時間をつぎ込もうと平気で、生活のために稼いでいるのか、それをやるために稼いでいるのか、今でもよくわからないけど、寝ても覚めても、何か夢中なものが傍らにあった。
20代なら和・洋問わずの音楽だったり、30代だったらテニスやスキーだったり、そして40代になりカウンセリング一色といってもいい日々の連続となり、明日々50代になろうとしていた頃、もしかしたらこれを中心にして、仕事にできたら私は幸せかもしれないなどという甘さを秘めながら、20年近く勤めていた会社を辞めた。
もちろん、カウンセリングだけで食べていこうなどという甘さはなかったけど、偶然にも勤めていた会社を穏便に辞める機会に恵まれて、それならと挑戦したくなって、カウンセリング(面接)を中心にできる環境の会社へと、運よく転職した。
やってみたからわかったけど、これが本当に甘かった。カウンセリング業を中心にしながらも、しかも50代で新しく勤めた会社で生活することがどんなに厳しく孤独なことだったことか。会社が終わるや否や、飛んで帰っては面接の日々。土日ももちろん、面接や学習会がほとんど。
私のような自分にも他人にも甘い人間が、それでもなんとか「これが私の一番やりたいこと。自分が生かされ、その上、人様のお役にもたっている・・・」と言いきかせながら、いやホントにそう思っていたかどうかは今でも怪しいけど、この言葉が私をささえてくれたことだけは事実で、とにかくそう自分に言いきかせながらの4年間。
朝起きて一番に思っていたことは、今日こそは、こんなにも人間関係のない会社を辞めてやる~と心で叫びながら(現実に、社員のほとんどは海外で仕事をしていて、会社にいっても人がいなかったのです)、いや待てよ、ここで辞めたら固定収入はなくなるし、そうしたらカウンセリングそのものも危ういし、何より、この年でおいそれと次の仕事が見つかるとは思えないから、もう少しがんばってみようの“せめぎ合い”の日々。
そんなことを繰り返しながら、よく、この甘ちゃんが4年も持ちこたえたものと感心する。1日たりとも楽だな~と感じた日などなかったし(チト大げさ)、月に100万円もらっても、もう二度とあの生活はしたくはないけど、いや100万なら後、1年ぐらいならはやってもいいかな~(笑)。
自分のやりたいことだけを純粋に見つめ、そのまま仕事にすることがどんなに自分を厳しく、律していかなければいけないかを、お金を頂きながら教えてもらえたことはありがたいことでした。
そんな中にあって、しゃべりばや、面接の時間はかけひきなく幸せな時でした。
最近好きな言葉に、S世話人がよく口にされる、“トライアンド、エラー”があります。
なにをやったところで、まずはエラーがついてくる。とりあえず動いて、エラーのなかから学んでいくしかないのかもしれない、すべてのことは。
世の中には、もしかしたら案外私と違って好きなことを職業にしても、それなりにうまくいってる人だっているかもしれない。私にはとても大変だったけど、挑戦しての手応えだけは今も残っている。
会社での上司や部下の間に入ってのせめぎ合い、やりたいこととやるべきこととのせめぎ合い、お金をとるか好きなことをとるかのせめぎ合い、若者ならいえ若者でなくとも好きな人と結婚するか、それとも・・・etc。
生きている限り、いつもせめぎ合いがついて回る。私ならさしずめ、このままずうっと東京で暮らしていくか、それとも一人暮らしの母のもとに帰って生活するか、未だに答えが出なくてせめぎ合いの毎日です。
次回の三鷹しゃべりばは、12月18日(土)を予定しております。
次回もたくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。