カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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運動会は必要

2023年12月31日 16時44分17秒 | ひとりごと
 中学生 13歳(東京都武蔵村山市)
 順位をつけない運動会を経験したことがありますか。みんな平等という考え方から、運動会で順位をつけない競技を行う学校があると聞いて、私はとてもびっくりしました。それではただの発表会で、親などに見てもらうだけの会です。
いったいそれは楽しいのでしょうか。
 運動会の競技で見事に1位を取ることができたら、「頑張ってよかった」と思うことができます。
残念ながら最下位になると、とても悔しい気持ちになりますが「次は頑張ろう」と思えます。
それが運動会です。
 社会に出たら「順位なんて気にしないでいいんだよ」と言える世界ではありません。
運動を頑張るための動機にもなります。順位があるからこそ運動会を頑張れるのではないでしょうかと、私は思います。
             2023/12/19 読売新聞気流U25への投稿記事でした。


 私はこれを読んで救われた気持ちになりました。
出ては負けの私の卓球人生ですが、ほとんどのスポーツには勝ち・負けはついてきます。
どんなに負けが混んでいる私でさえ、勝ち負けのない卓球には興味を持てません。
次こそはあの人に勝負を挑んで勝つんだ!という思いがあってこそ初めて、練習にも身が入ります。
もちろんすべては自分との戦いではありますが、その先にはあの人にいつかは追いつきたい、追い越したい、一度くらいは勝って喜びを手にしたい!というささやかな願いがあります。
単純に来たボールを打って,相手コートに入れるだけなら面白くもなんともありません。
間違いなくそのうちつまらなくなって、続かなくなるのが目に見えています。

 わずか13歳の中学生、運動会をそのあとの人生に例えているのにも感心しました。
もちろんもちろん、勝負ごとを嫌いな人は将来社会に出たとして、違う道を選んでもOKと私は思います。
それでも小・中学生の若い人生の時間に勝ち・負けを経験することは、そのあとの人生にマイナスになるとは思えません。
マイナスどころか60代になった今でも私は、中学時代、共に汗した部活の仲間たちと交流しています。
大切な友人です。

 年内に何とかブログをアップしたいという思いが、やっとギリギリセーフとなってこんな話となりました。


電話でしたが。

2023年12月04日 16時00分15秒 | ひとりごと
「・・・あとは焼くだけ・・・」
御年83歳になる友が言い放った。
そして次に言ったのは、「死ぬことも喜びだから・・・ね。」
するりと言葉がこぼれた。
電話越しだったけど、いえ電話だからこそ言葉に嘘がないのが伝わる。
私は「ほ~!」と深いため息をつきながら、そのあっぱれぶりに感嘆した。

この人は、いったいいつからこんなに強くなったのだろうか?
出会った頃の彼女は周りの動きを気にしながら、言葉を発することをためらっていた。
(と、私には見えていた。)
なのに、今の彼女はどうだろう、怖いものは何もないと言う。 

電話を切ったあとしばらく、心に体に、まだまだたくさんの着ぐるみをまとっている私を感じて、急に動けなくなった。
そのあとしばらくして無理とは思いながらも、どうしても関わりたくないA子さんに自分から声をかけてみようかと思った。
 
実際できるかどうかは別として、そんな気持ちにしてくれた友とのわずか10分の語らい。

電話でしたが。

卓球とカウンセリング

2023年11月07日 06時11分19秒 | ひとりごと
試合に出る。
出ない方が楽、心は穏やかでいられる。
でも出る、何より出たい!
1球一球に集中すると、精神が研ぎ澄まされてくる。
この緊張感がいい。
よく負ける、とにかく負ける、ほとんど負ける。
だからといって、負け慣れしているわけではない。
今の私の技術では、勝ち越すことなどほぼない。
てか、勝ち越したことがない。
それでも出る。
己の未熟さをとことん突きつけられる。

こんな思いはもう、日常ではなくなってしまった。

悔しくて不甲斐なくて、未熟以外の何ものでもなくて、
眠れない夜が当たりまえだった日々・・・、
突然、蘇る。
かつてのワークショップ(エンカウンターグループ)、
私・40代のカウンセリング体験は、いつだってそうだった。
だから出た。
出ると、決まって気づきがあった。
己の未熟さと、とことん朝まで向き合った。
惨めだった、涙がとまらなかった・・・。

そこに、私の成長を見た


ある日のカウンセリング日記より

2023年06月19日 09時38分37秒 | ひとりごと
・・・彼らの多くは言葉にするのが少し難しいだけで、実に細やかで優しい精神の持ち主であった。
えつ!そこまで他人を気遣っていたの!
と、よく驚かされた。
驚いた素振りは見せなかったけれど。
私は何度かそんな場面に出くわしては、ただただ敬服するしかなかった。
そして今日もそんな時間を持てたことに、自然に感謝の気持ちが溢れてきた

私は今も、カウンセラーでいることが嬉しい。

幸せ者

2023年01月29日 06時46分42秒 | ひとりごと
君は進化していた。
オリンピックあり、コロナありで4年も待った全日本。
君はスルリと30の壁を超え、33歳となって現れた。
髪を金色?に染め、いつもの通りのプレースタイルで…と思いきや、
変わっていた
サービスもストップも、バッグでさえも違うのだ。
年をとってから(失礼)プレースタイルを変えることが、どれほどまでに厳しいことか、
君の倍生きてきた私なら知っている。
(すみません、多少です。)
ましてや全日本レベル、いかほどのものか。
ド素人の私にわかるまで変えてきたプレーに、君の決意が滲む。

あの水谷が去り、12月には3つ年下の平野がやめ、
同期の御内君までも引退を発表する中、
君だけはなにひとつ、諦めてはいなかった。
ベスト32に残った、たった一人の30代は、
今日も唯一無二の卓球を私に見せてくれた。

お隣の台では、19歳の張本の躍動に
皆が吸い付けられ1点ごとに拍手~
私だけは、皆とずれて君に拍手~
すべてが誇らしかった💓。
追っかけ人生の、集大成のような一日。
あなたが引退しない限り、また来年も来ます。

“考える”ということ

2022年10月03日 16時13分21秒 | ひとりごと
 多くの人たちは、いろいろなことは考えればわかると思っているらしいのですが、 “考えたらわからなくなる”と私は思います。
そういうことは昔から書き残されているのですが、みなさんはおわかりにならないらしい。おわかりにならない、というよりは気づかないらしい。
気づかないから子どもたちをつかまえては“おまえもっと考えてごらん”ということを平気でおっしゃる。私などとてもそういうことは言えない。考えたらわからなくなることにきまっているのです。
 ニュートンは考えて万有引力を発見したという伝記はどこにもない。ぼーっとしていて、りんごが落ちるのをみて発見した、というふうに書いている。
ガリレオは悪戦苦闘してついに発見した、とは書いていないのです。シャンデリアの揺れるのを見て、ふっと気がついた、と書いている。
湯川さん(ノーベル物理学賞受賞者)は、考えに考えてついに公式を展開して、結論を出して、こうなって中間子ができて、とは書いてもいなければしゃべってもいない。夜寝ていたら、夢うつつの間をさまよっている時ふっと頭に浮かんだ、と書いている。
 このような証拠を拾い集めればいくらでもありますが、そういう肝心な証拠がちっとも気づかれないものだから、″考えればわかる″と思うらしい。
わからないのは ″考えないからだ″と思うらしい。私は今まで生きてきて、人間は考えればわからなくなる、ということをいやになるほど痛感させられています。だから、考えてわかるなどとは毛頭思わない。
と云うと、またそれを一生懸命にあっちこっちで考え出すらしい。まあ、人間は考えるな、といっても考えるのでしょうが、
例えば碁打ちがよく申します “下手な考え休むにしかず” とか、 “休むに似たり”とか。まあそれも休養のうち、身を保つうちなら役割を果たしているわけでしょうが、それはそれで意味があるのでしょうが、とにかく結論だけずばりと申し上げれば、 “考えれば人間はわからなくなるんだ”ということ“考えないからわかっているのだ“と申しあげたいのです。(カウンセリング序章 ■講演記録■ 友田不二男より抜粋)


 前回掲載のBの会にて、 “癒しについて“や”無自覚の暴力について“を取り上げてくださったことに気を良くした私は、また友田先生の講演記録を載せたくなりました
先生、40代?ゆえの若気の至り的な強い口調での物言いや、ぶっつけ本番、手直しなしの講演記録ゆえの曖昧さも感じられなくもないのですが、こちらもそのまま載せることにしました。
同時に私ごとですが、㈶日本カウンセリングセンターに通い出して間もない頃のことで、思い出したことがあります。
それは、「考える」という言葉の仕様を禁止されていたことです。記憶違いを平気で言えば、確かセンターの机の上に貯金箱みたいなものが置いてあって、 “考える”と言葉にした人は10円玉を入れてたような気がします。
今、この講演記録を読み返してみて、あの時の10円玉はここから来ていたのかと気づいた次第で、一人ではしゃいでしまいました。
とはいえ、あくまで私の記憶違いでなければのお話ですが(笑)。
 さらにさらに私ごと、昨年から始めた川柳のことをば。
未だに駄作の連続で人様にお見せできるような代物などほとんどありませんが、それでもまれにこの句は我ながらよくできたなあ!などと思うのは、なぜか真夜中作。
目が覚めてしまいどうにも寝付けずにいるときに、ふと浮かんだ句がけっこうイケテルというか・・・。
なので、最近は枕元に紙と鉛筆を置いていま~す。📄

無自覚の罪について

2022年09月01日 16時09分07秒 | ひとりごと
無自覚の罪について

1年ぶりに友田先生の講演記録を読んでいた。
すると懐かしい文面に出会った。
それは「無自覚の罪」あるいは「無自覚の暴力」について書かれた文章。
全文を引用すると長くなるので、かいつまんで載せることにした。

とあるワークショップでのこと、友田世話人(今流に言うとファシリテーター)に向けてA子さんが話し始めた。恐る恐るというか、余程の決心をしてというか、とにかくやっと口を開いたという感じで話し始めた。するとものの数分もしないうちに、さっとA男さんがこの話を奪い取って、自分の話をし始めた。放っといたら、いつ果てるともつかないくらいに話し出した。
タイミングをみて友田が言った。「A男さん、あなた今、とんでもないことをしているのを知っていますか?」と。
「あなた今、一人突き飛ばしているんだ!突き飛ばされた方、痛かったかもしれないけど、突き飛ばされた方は、自覚しているのかな?もしA子さんが突き飛ばされたということ、知っているとしたら、やっぱり痛かったということです。
突き飛ばした方も、突き飛ばしていること、全然自覚しないで突き飛ばしているから平気なんです。これ自覚していたらちょっと困るんでしょうが、自覚してないんだからもうこれは平気です。
突き飛ばされた方にきいてみたら痛かったそうで、痛いと言えばいいのに、それがまた黙っているんですねえ。何の罪もないようで、そういう姿でいることで、増々、相手を無自覚にしてしまう、罪を犯しているわけです。
痛いといえば気づかなかった人も、あれ?何かやったんじゃないか俺って思い始め、思い始めれば、あ~そうか、そんなこと、うっかりやってしまったんだなと悟れるでしょうに。
そういうチャンスを提供しないで、無自覚のままに放置している。そんな惰性で行ったら、もう至るところで、この無自覚の暴力を振るう人になる可能性があるわけですよ。」と。
 そういう考え方をすると、痛いとも何とも云わないのは、礼儀に適っているようでいながら、実はとんでもないことをやっていることになるのです・・・。
まだ文章は続くのですが、引用はこれくらいにして。

このあたりの下りを体ですりこまれた私は、いつだっておばか(笑)のように、痛いという表現をしていたことに気づいた。
とかく秋田県人の多くは、なかなかこのあたりのくだりを表現できずに、痛いと気づいていてもいわゆる“ いい人 ”になってしまい黙りがちなのを知っている。
久しぶりに友田の文章に出会い、勇気をもらった私。
「無自覚の暴力」懐かしい言葉だけれど、それをしないと決めたのはこのあたりの経験からだったなあと、今一度、載せておきたい言葉であった。

菅さん

2022年07月28日 13時38分11秒 | ひとりごと
安倍政権で官房長官を務めた菅前首相。
私はこの同郷の前首相について、一度も語ったことはない。てか、ブログで語ったことは一度もなかった。
週に3回ほど卓球をしている仲間たちの中には、彼の高校(湯沢高校)の後輩たちもたくさんいて話題に事欠かなかったけれど、書きたいとは思わなかった。
がこの7月、安部元首相が亡くなられたことでどうしても言いたくなった。
それは7月13日放送の「BSフジLIVE プライムニュース」を見てしまったから。正確には2、3日前YouTubeで見たことで黙っていられなくなった。

「今の安倍さんのあいさつを聞いて涙があふれる思いですよね。あれだけ元気でリーダーシップを発揮した人が一瞬にして消えてしまうわけですから、現実とは思えないような感じですよね」
と語りさらには、
「まさに一心同体。官房長の時はそうだったと思います」7年8カ月、毎日顔を合わせていたといい、
「安倍元総理はいろんなことに配慮してくれて。毎日1回は何もなくても10分くらいお茶を飲むとかですね。そういうことをやっていただきましたね。政治というよりも、あえて政治じゃなくていろんな話ですよね。それを7年8カ月やってきたんですから、やっぱりそうなりますよね」
 8日、奈良市内で参院選の応援演説中に銃撃されたとの一報は、「そんなに時間が経たないうちに聞きました」。
羽田空港へ向かう車の中で情報が入ってきたとし、「確認をして。たまたま私は沖縄に遊説で行く予定だったものですから。車の中で自民党として選挙運動は中止・停止すると、そういう話が入ってきまして。それだったら会いに行きたいと思って、奈良に向かったということです」と振り返った。
 「奈良にまず行こうというのはじっとしていられないという気持ち?」と尋ねられ、
「それと胸だと(胸を撃たれたと)聞いたものですから、万が一のことを考えて…。同じ空気を吸いたいという感じでした」と率直にコメントした。
数秒間の沈黙の後
「(安倍氏は)寂しがり屋でもありましたので。そばにいてやりたい、そんな感じでとにかく行ってみようという」と、言葉を続けた。


 菅前首相の言葉が長くなってしまったけど、私はしみじみとこの方の言葉に聞き惚れていた。長く首相をやらないで良かったなと思うと同時に、官房長官という安部元首相の補佐役こそがこの方を生かしたと、思わずにはいられなかった。
政治家としては稀有な存在の方だと改めて感じたひとコマであり、充分すぎるほどに“ 菅 ″さんその人を感じた言葉の数々であった。

ちょくちょく人に助けられて生きている。

2022年03月10日 09時58分28秒 | ひとりごと
私は今、人に助けを求めて生きている。
少しだけ違うかな、それもあるけど、
ちょくちょく人に助けられて生きている。
こっちですかね・・・。
たぶんSOSを出すことに、自分を卑下しなくなったんだと思う。

人のお願いに応じることこそ、わが生きがい!
人に求められてこそなんぼだ!って、カウンセリングに関わってからは思っていた、
と思う。
もっともその前の私はよせばいいのに、
‟ なにがあっても最後まで自分の力でやりぬく “
正に武士のごとくの精神であったが、(笑)。

・・・・・・・・沈黙3分

う~ん、ここまで書いてわかったことがある。
なにがあっても貫きたい精神や、人に求められてなんぼ精神が亡くなったわけではなくて、
それらは今も存在しながら、
でも今はちょいちょい、
ひと様に助けられて生きている私を感じている。
これが一番近い感覚ですね。

時々、人に頭を下げる自分が愛おしい、今日この頃です。


雪搔きと世間話

2022年02月09日 14時33分39秒 | ひとりごと
今年一番(おそらく)の横手市・積雪量は、2月7日の199cm、
昨年一番の積雪量は2月5日の203cm。その差4cm。
しかし昨年の報道はテレビも新聞も何度も取り上げ、東京はおろか九州の友人からもお見舞いメールが届いた。
けど、今年はわずか1件のみ。
私はお見舞いメールが欲しくて、パソコンに向かったわけではない。
やっとやっと、文字を打てる環境を与えられたのが嬉しいのだ。
このひと月近くというもの、朝から晩まで搔くだけ掻いて、掻く間にご飯を食べてお風呂に入って寝る・・・、
ただそれだけの生活をしていたような気がする。
実際には買物にも行ったし、外でランチだって食べたこともあるし、時々はカウンセリングもしたし、全日本(卓球)だって観ていた。
けど、けど。
かなり古い例え話で云うなら、安部公房の「砂の女」を思い出してもいた。
掻いても掻いても砂は無くならならず、ついには、、、のくだりをば。

お話は変わって、その雪搔きの中で、ちょいと良きことがあったのも思い出した。
いつもだったら一人黙々の私ですが、その日は珍しく隣のおば様(80歳?)が出てきて雪搔きを始めたので、二人で世間話をしながら掻いた。
するとおば様曰く、
「今日はもう途中で止めようと思ったのに、悦子ちゃんと話し話しやったものだから、ついつい、いつもの2倍も掻いてしまった。
あ~や、はかどって、えがったごと~♬」
その悦子ちゃんである私めも、
いつの間にやら普段の3倍?もの時間、掻いているではないですか~
体が痛いだの、手が冷たいだの泣き言など忘れて、世間話をして。。。

終~しまい。