カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

個人カウンセリング
グループカウンセリング
学習会
ひとりごと等
(見たいカテゴリーを、クリックしてください。)

第2回新三鷹しゃべりばによせて

2017年12月15日 06時29分00秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
 そこはまるで同窓会だった。
5年ぶりの方、3年半ぶりの方、どうしてもお互いの近況が気になって、
質問攻めの時間が長かった。
そして皆がお互いからの質問に対して、丁寧に自分の近況、“ 今 ”を語っていた。
私以外の方はすべて親となり、話題の多くが子どもの話としてそちらに流れる。
沈黙など皆無の時間だった。
どんなに子供に、生活にキュウキュウの今を語っても、流れ出るもの、彼らから伝わってくる感覚は幸せの文字そのものだった。
慣れ親しんだグループカウンセリングの場とはあきらかに違うけれど、
無理やり変える必要などあるのだろうか?
お一人おひとりの顔を見ていても、終始笑みがこぼれて時間切れとなった。

 翌日はたまたま、しゃべりばに参加できなかった方、3人で会った。
奇しくもこの3人は未だ独身で、かつ日本カウンセリングセンターに通っていた3人。
つくづく場は生き物と感じたのは、翌日にこの3人で会うという経験をしたから。
今のこと、昔のこと、昔を語りながらも今、自分が気づいていることを語る・・・、
何を誰が話しても、他の誰かが、ただついてくる。
誰かが人の話を妨げるなどということなど、まずない。
そして、自分の番にはありったけの“ 私 ”を語る。
そこには、慣れ親しんだ三鷹しゃべりばが生きていた。
自由そのものだった。

二日間、まったく違う場を満喫した私は、明日「横手しゃべりば」に参加します。
場は生き物、きっとこちらも参加する人たちのかもし出す空気と相まって、流れていくことでしょう。

楽しみや~(^^♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新三鷹しゃべりば(仮称)によせて

2014年05月15日 11時17分11秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
 が、4月29日(祝)の午後、三鷹市・市民協働センターにて行われました。それは、私が東京を去ってから1年半ぶりのことです。26日から28日までの3日間、前述の世界卓球ボランティアの過激さから精魂疲れ果て、私の思考回路はほぼストップ。それが、たぶん良かったのではないでしょうか?
スト―レートに、誰の言葉も心に響いてきました。誰の話を聴いていても、涙が流れて止まらなくて、こんなにもしっかりと彼らは自分を語れるんだと、感心しながら身を任せておりました。

 
 思い起こせば13年前、安心して自分を語れる場を提供したいという思いから「三鷹しゃべりば」を立ち上げました。長い道のりでした。立ち上げから1、2年こそ発起人が3人だったものの、すぐに私一人となって、この先やっていけるかどうか、不安ばかりの日々でした。やめるという選択肢は当時の私にはなかったもので。
5年目あたりまでは固定客はKさんのみ。それでも彼だけは来てくれるという、現実に助けられました。
“今だから言える”などと言う話をよく耳にしますが、確かに今だから言えることがあります。決まってしゃべりば前日になると、私は極度の不安状態に陥って、ほとんど眠りのないままに朝を迎えるのです。うとうとと、眠っているんだか眠っていないんだかのさなか、決まってみる夢は、しゃべりば当日、誰一人参加者がいない、そんな夢です。いなかったら、いなくってもいいんじゃない、には決してなれなかった。それほどまでに、当時の私は「三鷹しゃべりば」にかけていたんでしょうし?カウンセリングそのものに、真剣に取り組んでいたんだなあって、今になって思います。
何しろ、しゃべりばが終わった日は、今度は嬉しすぎて眠れなかったのですから。(結局、誰もいないということは、お陰さまで一度もありませんでしたが。)
今なら笑っちゃうようなことですが、ホント、今だから話せます。

 5年目、あるいは6年目あたりからでしょうか、今回のしゃべりば発起人となって下さったHさん(男性)が、ネコさんが、Aさんが、はたまたHさん(女性)が・・・、(Kさんはもちろんのこと)固定客となって、少しずつ安定してきました。時々は、私の友達のIさんにOさん、最初の発起人だったOさんも沖縄からやってきたり、サプライズの方たちが遠くからやってきたりで、常時5、6人は参加され、やっと形が整っていったように思います。
一番の成功は、参加者の多くが、クライアント経験をしていたことではなかったでしょうか。この経験のある方とない方とではまったく違うと、私は断言できます。
個人カウンセリングを経験することつまりは、自分の気持ちを、人の目を気にすることなく、しっかりと表現できる場を経験したクライアントの多くは、自然に、自分の新しい道を見つけて歩んでいくようです。
29日は、皆様、こんなにも軸がぶれることなく自己表現できるもなんだと、ただ嬉しくて泣けました。
特にHさん(男性)は、いつだって何か話を用意している訳ではなくて、誰かの話を受けて、(その方の話をしっかり?聴いた後で)今度は自分のこととしてしゃべっているうちに、その流れの中で気づいていくという、グループカウンセリングとしては当たり前のことですが、その当たり前のことが妙に嬉しかったです。
そんな彼いわく、「しゃべりばがなくなって、こういう、自分を見つめる時間がなくなったんだよなあ」って。
だったら、自分で作ればいいじゃない!でこの日、急に話がまとまって、この先も彼が中心となり「新・三鷹しゃべりば」が開催されるようです。
私めも、できたら参加したいなあって思いますが、どんな形であれ、しゃべりばという場が続いていってくれたなら、私はそれだけで幸せです。万が一、続いていかなかったらそれは、それで(^^)。

 どうぞ、ご自由に!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第47回三鷹しゃべりばによせて

2012年02月12日 09時19分33秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
もらい乞食。
友田はこれを決して許さなかった。亡くなられたH先生も、もちろんS先生も。
私がどこでもない、日本カウンセリングセンターに行きたくなったのかが、16年たってようやくわかった。どこよりも、ここが私の性分にあっていたからだと思う。
仮にたとえばワークショップなどで、朝から晩まで丸1日、私が私のことを表現したとして先生に止められることはなかった。(現実にそんなことはありえないのだが。私でなくとも誰かが自己表現をしていると、必ずやそこにいる他の誰かが、自分自身の何かに触れて関わってくることがほとんどで、その関わりから流れが変わっていき、一人の方だけが1日中話すなどということは、まずありえない。)
私は今も、もちろんその当時は今以上に、自己表現をしたくてしたくて仕様がなった。危険がいっぱいなのは頭ではわかっていたけど、心の奥底から突き上がってくる表現せずにはいられない何かに、あがらえはしなかった。
私が自己表現をすると、何に感動するのか未だによくわからないけれど、目をうるうるさせながら、“私”のことを続いて語ってくれる人が必ずや現れることが嬉しかった。
それは私自身のことと、いったいどんな関わりがあるのかよくわからないこともあったけど、とにもかくにも彼らが“私”を語る場面にいられるだけで幸せだった。そういう時の彼らはとてもいきいきしていて、何度も会っているはずなのに私はハッとして、初めて彼に出会ったような感覚が生まれて、もう新鮮でドキドキしていた。
思えば、私はこんな幸せを感じたくて、この三鷹しゃべりばを始めたように思う。続けてきたように思う。
そして、その思いは今も変わってはいない。

もらい乞食。
友田が戒めたもらい乞食(友田が次に掲げるような意味で使っていたかは定かではなくて、今となっては私の解釈です。)、私は私自身が誰よりもそれが嫌いなことに気づいた。今回のしゃべりばで気づいたこと、私が怒りになる場面はここなんだろうなあって、思う。自分は安全な、何も自身のことは語らない場所に置いておき、ただ自分の興味から他人にネホリハホリ質問をする人たち、ここが私の怒りのホコ先になっていたんだろうなって思う。また同じように、自分のことは何ひとつ語らず、少し偉そうに?友田先生はこんなことを話していましたよで、話が終わってしまう人たち、私が聞きたかったのは、友田がそれを言ったことではなくて、友田の話からあなたはどう感じたのだけれど、それを彼に問わなかった分だけ、自分の怒りや哀しみになってしまったような気がする。
ここが私の怒りになるところとわかった今なら、もう少し違う関わりができるかもしれないけれど、いやそれはわからない? 
決して簡単なことではないもの。でもやってみたい!

グループカウンセリングは本当に面白い。いつだって自分の発見の連続だ!自分を発見するためにはいつだって他人が存在している。発見した瞬間、気づきの瞬間は一人であっても、それに至る過程には必ずや他者の存在がある。

 今回、しゃべりばは最後ですと言ってしまったためか、多くの方たちのご出席がありました。多いから楽しい、少ないからつまらないはないのでしょうが、できたら本当にできたら、みんなでがやがや、ワイワイやる方が私は楽しいです。最後まで、たくさん話をさせて頂いてありがとうございます。
まだ何も決めてはおりませんが、今の私は、年内もう1回しゃべりばをやろうかなって思っています。もしやるようでしたら、皆様に連絡をさしあげます。
それではこの辺で。
皆様、長い間ありがとうございました。とてもとっても、幸せな時間を共に過ごすことができたことに心から感謝いたします。

橋悦子
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第44回三鷹しゃべりばによせて

2011年09月24日 07時01分32秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
生き方には二つある、世俗に生きるか、神に委ねるか”
これはついせんだって観た映画、ツリーオブ・ライフという映画の冒頭に流れていた言葉です。監督の伝えたいあたりがいまひとつよくわからないながら、私はしゃべりばが終わった後、つくづく自分は世俗に生きる人だなあという実感をしました。
なまじカウンセリングを学んだことで、私たちの仲間うちでは有名なあの言葉“自己をはこびて万法を修証するは迷いなり。万法きたりて自己を修証するは悟りなり”(by道元)
の特に後ろのほうの境地が、ここ数年の自分の感覚に似ているような気がしていて、もしかしたら、神に委ねるような自分になってきたのかもしれない?などと思い込んでいたら、それははっきり違うという私に気づきました。
気づかされたというのがもっと、正しいでしょう。
私は間違いなく世俗に生きる人間です。

私が一番いやだと感じることは、自分の尊厳をいとも簡単に踏みにじられたとき。
他人に正当な評価をしてもらいたいなどという望みはすでにあきらめたけれど、毎日職場で繰り広げられる、私が質問したときに叫ぶ上司の(いつも何を語っているのかよくわからない)「一度言いましたよね~。あなたはそんなこともわからないですか~?」というけたたましいくらい語尾の強い言葉。
これを聞くたび私は、質門した自分を悔いていました。私の中に疑問を持つ行為そのものをすぐ消さないことには、また刃が飛んできてしまう。
この人には私の話を聞こうとする気もなければ、自分の言った言葉がどう私に伝わったかなど知る由もない。この人の前で私は物にされる。私の存在など、みごとに切りとられている。この痛みが毎日少しずつ積もって、心がどんどん痛みに耐えられなくなっていった。
いつものようにしゃべりで何を語ったかほとんど忘れてしまったけれど、上司の悪口を延々と話していたという記憶だけはある。
悪口を思いのたけ言えるということは嬉しいこと。悪口に解釈などいらない、悪口に解決策もいらない、悪口を綺麗なものに置き換えなくていい、ただしゃべる。ただ聞いてもらえる。そういう場所があることがありがたい。
私は心から上司が大嫌いだ。私の方でこそ、無視という最大の武器を使って彼女の存在を消してしまいたいくらいだけれど、立場上、それはできなかった。

つい2、3日前の職場でのことです。積もり積もった私の心が爆発炎上しました。
「・・・あなたにそう言われるたびに、私の心は痛いのよ~!」と上司に向かって叫んでいました。
長い時間がかかったけど、やっと彼女と同じ土俵に立つことができました。
私は世俗に泥まみれになりながら、これからも時々人の悪口を言いながら生きていくに違いない、そう確信しました。

次回三鷹しゃべりばは、10月15日(土)を予定しております。
たくさんの皆様のご出席をお待ちしております。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第42回三鷹しゃべりばが終わってから気づいたこと

2011年06月24日 21時07分12秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
“今が一番幸せです・・・”
私はいつのまにかそういう言葉をはいていました。
1月から新しい仕事に就いて分刻みの忙しさと、やったことのない職種の大変さと、女性ばかりの超々人間関係のわずらわしさと、給料の異常なくらいの安さと、数えだしたらきりがないくらいの悪条件の中、いつ辞めても仕様がないなと思いながらそろそろ半年、私はしゃべりばでそんな言葉をはいていたのです。
毎日が三鷹市内での生活、職場もカウンセリングも卓球も、生活のほとんどが気がついたら三鷹村で行われていました。
どこに行くのにも歩くか、せいぜい自転車での移動、ひと月に1、2回くらいは、電車に乗って都心と呼ばれるところに行くでしょうか?それ以外はすべて、三鷹村で営まれています。
町を歩いていて、2、3年前に比べると知り合いに会うことが増えました。それからこれは田舎だけのことと思っていた物々交換が、私の回りでは盛んです。秋田から出てきて何十年もの間、東京は孤独なところと思い込んでいた概念がゆっくり崩れていきます。
人間関係が煩わしいなあとは感じながらもそこは一人暮らしの私、どうしてどうしてけっこうメリハリがあります。
それからつい最近気づいたこと、“年とった犬に新しい芸はおぼえられない”だったかな?それを信じ切っていた私でしたが、他に社員で雇ってくれそうなところも見つからず仕方なく飛び込んでしまったこの会社、その過酷さが骨身にしみて、そろそろ選んだことを後悔してもよさそうなものなのになぜか、自分に対しての(絶大なるという言葉を使っていいほど)信頼が置けるようになったのです。
時間は多少かかったものの、仕事はなんとか覚えていったし、車の運転でさえも東京で運転することなど一生ないと決めつけていたのに、今ではスイスイとまではいかないまでも、ソコソコノ安全運転で毎日のように三鷹村を走りまわっています。
体力勝負の仕事ゆえ、ちゃんとわが身をいたわって休みもとるようになりました。あんなに休むことに抵抗のあった私が、今ではしっかり休んでおります。いえ、休まないと体が持たないという現実に、素直に従うようにもなりました(笑)。その分、会社や他人にとってのいい人ではなくなったけど、私自身にとってはナイスなわたくしです。

そしてくどくど言ってきてこれが私の一番言いたいこと、新しいことを覚えるのは楽しいです。とにかく楽しい♪~♪。
昨日までは何度やってもできなかったことが今日になってできたときの喜び、ひとり静かにガッツポーズをしたりして、、、同時に未知の世界の扉が開いたワクワク感がこみ上げてくる。このワクワク感だけは、年齢には関係なくついてくるはず。60になっても、70になってもきっときっと・・・。
正確に言うなら、なんとかお願いだからついてきてほしいよ~!!

次回三鷹しゃべりばは、都合により8月6日(土)を予定しております。
次回も、たくさんの皆様のご参加を心よりお待ちしております。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第41回三鷹しゃべりばによせて

2011年05月28日 10時30分13秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
今回の三鷹しゃべりばは、中止となりました。
中止が決まったのは、しゃべりば前日の午後10時半頃だったでしょうか?
午後10時にはお一人の参加もみなかったので、それなら明日は卓球をしようと中止を決めた矢先、お一人の方から出席したいとのメールが届きました。
私と二人でのしゃべりってどうかなあって思って断ろうとしたというよりは、もう明日は卓球と決めて早々に床につこうとしたとところだったので、残念ながら気持がもうしゃべりばには戻りませでした。彼の出席したいとのメールはとても嬉しかったけど、私の思いはすでに卓球に移っていたようです。
そうしたら面白いことに、この後もお二人の方から出席したいとのメールやお電話を頂いて、としたら参加者は私を含めて4名だったのかな・・・、私は苦笑してしまいました。
この日の経験から生まれたことがあります。
昨今のメール等のモバイル時代、締め切りを曖昧にしないで、例えば5月20日(金)午後8時までとした方が私自身も気が楽だし、申し込む方たちもわかりやすいのではと思いました。
私はいつだって自分が優先の人間で、誰かのために何かをやってあげたいというよりは、自分がたまたまやりたいことが何よりもカウンセリングだったので、しゃべりばをやってきただけの人です。
何もそこまできちんと決めることはないのではと思い今まではやってきましたが、今回の経験をふまえて少し細かいようですが、お互いの私生活が振り回されないためにも、締め切り時間を決めることに致しました。
ということで、次回しゃべりばからは締め切りを前日の午後8時にさせて頂きます。
ご理解のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

なお次回三鷹しゃべりは、6月18日(土)の予定です。
たくさんの皆様のご参加を心よりお待ちしております。
どうぞ、お気軽にね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第40回三鷹しゃべりばによせて

2011年04月20日 07時27分28秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
“不安や恐れが起きるときは、愛が働いている”と、ある参加者の方が発言した。

私が東北出身であり、毎回々参加されている方のご両親の実家が気仙沼であることからも、どうしてもこの日は地震の話は避けられないような、そんな雰囲気だった。そしてやはりその話になったとき、なぜかはわからないけれど、自分の気持ちが地震の後、妙に安定していることを話しだした。東京にいても未だに余震は続いていたし、停電騒ぎや水騒ぎなど色々あったにもかかわらず、なぜだか安定している自分の気持ちを感じていた。なのに、彼女のこの言葉で思いだしたことがあった。
それは、あの大地震直後の私のザワザワ感だ。どうしても、どう静めようとあがいても、あがけばあがくほどずうっと気持ちはザワザワしっぱなしで、落ち着かなくなっていた感覚。4月に入ってからは妙に安定していたものだから、すっかりどこかに忘れ去っていたあの感覚、それを地震直後は持っていたことを彼女の言葉で思い出した。そして同時に、私がその時とった行動も思いだした。
それは地震からわずか1週間後、秋田の実家に帰ったこと。電車はおろか道も寸断され、ほとんど東北に行くルートなどないように見えていたけれど、何を思ったか私は、唯一の交通手段である飛行機が動いていることをとっさに見つけだし、30年ぶりに秋田空港に降り立ったのです。さすがの母も、こっち(秋田)は余震がまだ頻繁で危ないから来なくてもいいよと言われたにも関わらず、どうしても行く以外に選択がないというか、無性に行きたかった。たとえ余震がまだ続いていようが、飛行機代が高かろうが(どんな時でも、高い、安いが優先する私です)、飛行場に降りてから実家までの足があるかどうかもわからないのに、ネットで見つけた飛行機の往復チケットを予約していた。そして秋田で母の姿と近所のおばちゃんたち、なにひとつ変わらぬ故郷の山や川を見ただけで、とんぼ返りで東京に戻った。
人様に会うと、「一人暮らしの母が心配で帰ったのよ。」を必ずや口実にしたけれど、確かにそれも多少はあるけれど、それ以上に、私のザワザワ感に引っ張られるように秋田に帰ったのだと、やっと確信できた。私は、私の体のどこか深~いところで、秋田の地を求めていたのだと思う。いえ、思うとかの曖昧さではなく、確かにそうです。あの地震の後のザワザワ感は、秋田の地に降り立ったあと見事になくなっていたのだから。ただし、はっきりなくなっていたのに気づいたのは今だけれど。
私は昔から鈍い人だと思い込んでいたし、実際、その通りだと今も思うのだけれど、地震の後にとった私の行動は、鈍いとか鋭いとかを超えて、“不安や恐れがあるときは愛が働いている”と語った彼女の言葉通り、愛そのものの故郷に降り立ったようです。
このお話にはさらに続きがありまして、私の弟ですが、年に一度も秋田に帰ればいいかなの彼が、友人の結婚式とかの理由で私から遅れること1週間後、同じように秋田に帰ったそうです。どんなにせついても実家に帰ろうとしなかった弟が帰ったというのは、まぎれもない事実です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第39回三鷹しゃべりばによせて

2011年02月24日 20時09分38秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
“みんな違ってみんないい” by金子みすず

しゃべりばの最中も終わってからも、しばらくこの言葉がこだましていた。
ある人が「・・・どうしてパソコンができないからといって、採用されないのか・・・、パソコンができないからといって私は私なのに」と言った?と思う。またある人が「私は中途半端で、SEといってはそこまでの技術はないし、だからといって事務がちゃんとできるかというと、その辺も曖昧だし・・・」と言う。またある人は「俺はその曖昧さで、今の仕事に採用された。SEだけでは無理だったと思う。建築士としての知識もそこそこあって、そのどっちつかずの曖昧さが俺を救った・・・」と言う。
私が今の会社に採用されたのはおそらく、毎朝走っていたことや週に3日は卓球をやっていたこと、その上に会社が自宅から徒歩圏内の距離にあり、交通費がいらなかったからだと思う。なにしろ何がなくとも体力が一番、そんな職場なのだから。
入社してひと月も経ったころだろうか、あるお局(つぼね)さんから、「あなたの声はかすれ声で、ちっとも通らないわね。その上、車の運転もろくにできないんじゃ、この会社には向いていないんじゃないの!」と、鬼のような形相で言われたときはびっくりした。と同時にこの世の中は凄いもんだ、面と向かって、こんな言葉を浴びせられる人がいるなんて、ドラマの中でしかありえないセリフと信じ込んでいた私は、心が痛いとかいうよりも感心してしまった。だけどその裏に、“自分は運転は上手だし、声だってよく通る素敵な声だわ”が隠されている感じが伝わってきて、この人の言葉の使い方が、すべてそうなっていることに気づいた。どんな時でも彼女は、自分が勝つことで言葉を終える。それを向けられた私は、私の魂はどんどん消耗してゆく。
確かに私は運転も下手だし、生まれ持っての声は変えることはできないので、「○○さんのおっしゃる通りかもしれないですねえ!」と言ってその場を離れた。
そんなやりとりから1週間が経った頃、○○さんがまったくパソコンを使えないことがわかった。私はといえば、パソコンは決して得意ではないけれど、ワードやエクセルは、長年の事務経験からどうにか使いこなすことはできる。なんとなくだけど、○○さんの気持ちも少しは理解することができた。

本当に単純なことだ。誰でも知っていること、すべてが完璧な人などこの世にはいない。パソコンが不得意でも運転は上手な人。パソコンも運転も下手だけど、彼女がうちの職場にいるだけでほっとするよねと言われるような人。あるいはナイーブな文章は下手でも、彼に会社用の文章を書かせたら誤字脱字ひとつなく、見事に箇条書きの文章の書ける人。または、文章はまったく苦手でも数字ならお任せの経理屋さん・・・
言い始めたらきりがないくらい、誰でも何かが得意で何かは不得意なはず。あのイチローだって、上手にカレーが作れるかどうかは怪しい。電球だってもしかしたら変えられないかもしれない。もちろんイチローに尋ねたことはないので、あくまで私の想像の世界のことだけど。
9ケ月ぶりに勤めを再開したところ、すべての仕事はマニュアルのもと15分ごとに管理され、責任をとらないかわりに自由が剥奪されたシステムで(確かに効率はいい)、それができないときは、サーカスのトラやライオンの様に仕事を教える度に、ムチ(おばちゃんたち言葉のムチ)がとんできた。そんな姿勢に、私がついつい漏らしたグチ。そんな私のグチに皆が反応して、各々が自分のことを語り始めた。今度は皆の話を聞いているうちに私に浮かんできた言葉、それが、かの金子みすずの名作“みんな違ってみんないい”
「昔は、もっとのんびりしていたよねえ。・・・こんないやな時代を誰も望んでいたわけではないだろうし、誰だって、みんなと和気あいあいと仕事をする方が楽しいはずなのに、どうしてこんな世の中になっちゃたんだろうねえ・・・」とある人がいった?と思う。私自身、心からそう思う。
私の職場が特別なわけでもなく、多かれ少なかれ、今の日本のいたるところでこれに近い状況になってはいないだろうか?
近い未来、今のこの殺伐としたシステムが崩壊して、誰もが望んでいること“みんな違ってみんないい”の世界が訪れることを何よりも切望する。

※次回三鷹しゃべりばは、4月16日(土)を予定しております。
前回もお話しましたが、4月以降は毎月第3土曜日、時間は午後2時から5時の予定です。
どうぞ、お間違いのないように!
それでは、次回もたくさんの皆様のご参加をお待ちしております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第38回三鷹しゃべりばによせて

2010年12月22日 13時00分42秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
 「・・・かわいそう」、「かわいそうだった!」私は耳をうたぐった。そんな状況でかわいそうって言葉にはならないでしょ、かわいそうというよりはむしろ、“いとおしい”。私は、このいとおしいにはけっこう自信があった。彼の今の思いを言葉にするなら、私にはいとおしい以外には伝わってこなかったから。
にもかかわらず、彼はもう一度言った。「自分はかわいそうだった」と。
これを聴いていたある人が、やはりこの“かわいそう”に疑問をもったのか「かわいそうって?」ときき直したときに、彼が言った言葉だ。そうしたら、このやりとりを聞いていたA子さんが、私もこの“かわいそう”がわかると言った。自分もそうだったから・・・と。
このときやっと私は、彼の“かわいそう”が落ちた。まさにあの言葉、“スト~ン”と腑に落ちたのだ。
かわいそう、いえ、かつてかわいそうだった自分を、彼は自分で認めることができたのだ。そして思わず出た言葉「かわいそう」、まさに黄金の言葉だ!!
これを言い放った今の彼は、ちっともかわいそうではない。むしろ誇りに?充ちていた。そして私、「もしかしたら“いとおしい”が生まれたのはその後ですか?」と尋ねたところ、彼はそうだと言う。
私は少し先の彼の方に、気持ちが行っていたことに気づいた。あんなにもしっかりと伝わってきたと思っていた“いとおしい”の前に、“かわいそう”があったなんて。目からうろこだった。
さらに後になって彼が教えてくれたこと、自分がかわいそうって言葉にしたなんて、これにはとても驚いたと。思わず出てしまった言葉だという。
彼とA子さん、それから「私はまだ?自分をかわいそうとは言えない・・・」と言ってくれたA男さん、そしてここに関わってくれたすべての皆様に感謝です。皆様の本気?の表明があればこそ^^。
私の自信なんてこれくらいのもの、本当にすぐ崩れるくらいのもの。でもまたここから歩んでいけばいい。そんな発見をした今回のしゃべりばでした。

 次回の三鷹しゃべりばは、来年は2月19日(土)を予定しております。
次回まではこれまで通りですが、次回以降は少し変更があります。おいおいブログで紹介していく予定ですが、興味のあるかたは、次回しゃべりばに出席頂けたらありがたいです。
それからもうひとつ、ここに登場した“彼”からは、掲載の了解を頂いております。誰かの役に立つのなら喜んでということでした。ありがとうございます。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第37回三鷹しゃべりばによせて

2010年10月21日 07時26分48秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
せめぎ合い

「・・・世の中には、いろいろなせめぎ合いがあります。例えば、朝の通勤ラッシュの中でのせめぎ合いであったり。お昼のメニューをAランチにするべきか、Bランチにするべきかという葛藤の中にあるせめぎ合いであったり。地域振興にいきり立つお役所と、地域を守ろうとする住民の間にせめぎ合いがあったり・・・」
ネットで“せめぎ合い”を引いていたらこんな箇所に行きあたった。読んでいて感じたことは、ああ、そういうときにもせめぎ合いって使うよねえと思いながらも、私たちが問題にしていた“せめぎ合い”は少なくとももっと個人的な、自分のうちから出ていることだったなと思えた。

例えば仕事のこと、私自身が常にそうしてきたからわかるのですが、一番やりたいことは仕事とは別にあって、それが生活の糧(お金)になることはほとんどなかった。それさえやっていたら幸せで、どんなにお金や時間をつぎ込もうと平気で、生活のために稼いでいるのか、それをやるために稼いでいるのか、今でもよくわからないけど、寝ても覚めても、何か夢中なものが傍らにあった。
20代なら和・洋問わずの音楽だったり、30代だったらテニスやスキーだったり、そして40代になりカウンセリング一色といってもいい日々の連続となり、明日々50代になろうとしていた頃、もしかしたらこれを中心にして、仕事にできたら私は幸せかもしれないなどという甘さを秘めながら、20年近く勤めていた会社を辞めた。
もちろん、カウンセリングだけで食べていこうなどという甘さはなかったけど、偶然にも勤めていた会社を穏便に辞める機会に恵まれて、それならと挑戦したくなって、カウンセリング(面接)を中心にできる環境の会社へと、運よく転職した。
やってみたからわかったけど、これが本当に甘かった。カウンセリング業を中心にしながらも、しかも50代で新しく勤めた会社で生活することがどんなに厳しく孤独なことだったことか。会社が終わるや否や、飛んで帰っては面接の日々。土日ももちろん、面接や学習会がほとんど。
私のような自分にも他人にも甘い人間が、それでもなんとか「これが私の一番やりたいこと。自分が生かされ、その上、人様のお役にもたっている・・・」と言いきかせながら、いやホントにそう思っていたかどうかは今でも怪しいけど、この言葉が私をささえてくれたことだけは事実で、とにかくそう自分に言いきかせながらの4年間。
朝起きて一番に思っていたことは、今日こそは、こんなにも人間関係のない会社を辞めてやる~と心で叫びながら(現実に、社員のほとんどは海外で仕事をしていて、会社にいっても人がいなかったのです)、いや待てよ、ここで辞めたら固定収入はなくなるし、そうしたらカウンセリングそのものも危ういし、何より、この年でおいそれと次の仕事が見つかるとは思えないから、もう少しがんばってみようの“せめぎ合い”の日々。
そんなことを繰り返しながら、よく、この甘ちゃんが4年も持ちこたえたものと感心する。1日たりとも楽だな~と感じた日などなかったし(チト大げさ)、月に100万円もらっても、もう二度とあの生活はしたくはないけど、いや100万なら後、1年ぐらいならはやってもいいかな~(笑)。
自分のやりたいことだけを純粋に見つめ、そのまま仕事にすることがどんなに自分を厳しく、律していかなければいけないかを、お金を頂きながら教えてもらえたことはありがたいことでした。
そんな中にあって、しゃべりばや、面接の時間はかけひきなく幸せな時でした。

最近好きな言葉に、S世話人がよく口にされる、“トライアンド、エラー”があります。
なにをやったところで、まずはエラーがついてくる。とりあえず動いて、エラーのなかから学んでいくしかないのかもしれない、すべてのことは。
世の中には、もしかしたら案外私と違って好きなことを職業にしても、それなりにうまくいってる人だっているかもしれない。私にはとても大変だったけど、挑戦しての手応えだけは今も残っている。
会社での上司や部下の間に入ってのせめぎ合い、やりたいこととやるべきこととのせめぎ合い、お金をとるか好きなことをとるかのせめぎ合い、若者ならいえ若者でなくとも好きな人と結婚するか、それとも・・・etc。
生きている限り、いつもせめぎ合いがついて回る。私ならさしずめ、このままずうっと東京で暮らしていくか、それとも一人暮らしの母のもとに帰って生活するか、未だに答えが出なくてせめぎ合いの毎日です。

次回の三鷹しゃべりばは、12月18日(土)を予定しております。
次回もたくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする