カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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第23回三鷹しゃべりばによせて

2008年06月30日 11時03分21秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
彼はあきらかにとばしていた。彼というのはA男さん、今回初参加の方だ。
かなり “カウンセリング” を勉強している方らしく、理路整然とした非の打ちどころがない話し方が、少し気になった。私が10年以上かけて経験だけで(少しは本でも学習はしたつもりだけれど、それでも)習得した何かを、見事に理論としてしっかり理解していることに、感動を覚えた。すごい人もいるものだと思えたら、なんだか急にワクワクしてきた。

今までに会ったことのないような人に出会うと、私は単純に喜ぶくせがある。未知なるものの怖さより先に、いつだってワクワク感が走ってしまう。
思い起こせば、私はこのワクワク感だけを頼りに、カウンセリングを続けてきたような気がする。
そういえばこれだってA男さんの言葉で思い出したことだけど、13年前初めて参加した蔵王でのワークショップは、『ベーシックエンカウンターグループ』という名前で呼ぶらしいのだが、当時の私には知るよしもなく、このワークショップの名前が『ベーシックエンカウンターグループ』と理解できたのはわりと最近だったように思う。

初めの何年間かは、ありったけの自由の中で、少しも思いどおりに動けない自分にイライラしながら、それでも次第に、次のワークショップでは、どんな人と出会えるだろう?どんな場面が待っているだろうか?どんなことが起きて、それゆえ深まってゆくだろう?昨年出会ったあの方は、今年も元気で参加するだろうか・・・・・
こんな気持ちが生まれていき、それをを頼りに参加し続けていたら、いつのまにか、13年の月日がたっていた。同じように、個人カウンセリングを始めたのでさえも、このワークショップの体験があればこそ、三鷹しゃべりばに至っては、気付いたときにはもうやっていた。


今回のしゃべりばは、今までとは、まったく違う空気が流れていた。
ほとんどの人は、他人が自分の居場所に土足で入ることを嫌う。
そして今度は、自分が他人の居場所に初めて入るときに、多少の恐怖や戸惑いを覚える。
そこでなんとか負けじと、お互いがお互いを主張することで争いが起きる。いざこざが起きる。しかし争いばかりでもなく、なんとか折り合いをつけてやってゆこうという気持ちも生まれてくる。色々な葛藤からドラマが生まれ、最後には和解も生まれ、さらには、互いへの信頼が生まれたりもする。
もちろん、そうならないことだってある。どうなるかまったくわからないからこそ、面白い。私にとってのワークショップ体験は、筋書きのないドラマそのものだ。いいえ、それ以上だ。展開が読めないからこそ、いつだってワクワクする。

私は人が人とかかわることで生まれる、決して優しいだけでもない、しかし厳しいだけでもない、ましてや楽しいだけでもない、たくさんの感情を味わいながら、何十回、いえ百回をゆうに超えるほどのワークショップに参加してきた。
何度も何度も涙する人、信じがたいほどに怒る人、それ以上に自分の何かに触れて、喜びを全身で表す人、人…..いびきをたてて、寝ている人だっていた。
友田が始めた “カウンセリング” の醍醐味を、いつだって肌で感じてきた。
誰よりも楽しんできた。

だからこそ、今度は私以外のみんなにも味わってもらいたくて、『三鷹しゃべりば』を始めたと思う。仲良しこよしもいい。ある人にとっては、そこが自分の居場所となって、そこからいつかは巣立っていけるそんな場所になればいい。
そしてある人にとっては、普段は決して出すことのできなかった感情を思いっきり出せる場であったなら。
そしてある人にとっては、少し狭いけど、いびきをたてて眠れる場所であったなら・・・・・
私が、私たちが『三鷹しゃべりば』を始めた原点に、今まで具体的に想いを巡らしたことはなかったけど、A男さんの初参加のお陰でしっかり思い出しました。A男さんが臆することなく、自分を語ってくれたお陰です。今回はほとんど書けなかったけど、もう一人の初参加のA子さんにも感謝です。これからもあなたのままで。
今回参加された方も、たまたま参加できなかった方も、いつも応援ありがとう!

次回の『三鷹しゃべりば』は、お盆休みのために第4土曜日の8月23日(土)となります。
たくさんの皆様のご参加をお待ちしております。


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父の日に

2008年06月12日 15時52分02秒 | ひとりごと
また今年も父の日がやってくる。
私にはこの日の思い出がない。どんなに思いだそうとしても記憶などまったくない。
でも父の思い出なら、思い出さなくともたくさん持っている。
彼は一口でいえば、不器用な人だった。

これは私の想像で、ホントの年月はよくわからないけれど、おそらく16歳くらいから75歳で亡くなるまでのおおよそ60年間、父は大工さん、いわゆる職人だった。
普通にいえば、長くひとつのことをやり続けた人だから、“口はわるいが腕のいい職人”だとか、あるいは“頑固一徹な職人”だとか、そんなイメージがわくのが当たり前なのだと思う。
がしかし、うちの父に限っていえば、腕がいいという話は誰からも聞いたことがなかったし、(彼の名誉のために書くが、悪いという話も聞いたことはない)頑固者というよりは、世間の情報とか知識に、敏感な人だった。
人の気持ちなどま~ったくおかまいなしの、言いたい放題の人で、よく母が陰で誰かれとなく、「口は悪いけど、裏表のない正直な人なんですよ。」と謝っていた姿ばかりを思い出す。
口の悪いのだけは、どうやら当たり前に職人だったと、今になって納得する。

そんな父が亡くなった4年前の葬式の日、お寺のご住職が生前の父を語ってくれた。
「高吉さん(父の屋号)は今のこんな時代にあって、親から受け継ぐような家業など何もない時代にあって、お父上(私の祖父で、大工の棟梁だった)の商売を受け継いで、亡くなる最後まで誇りを持って仕事をしていらした。誠にうらやましい限りです。」と。
4年も経つので、多少の言葉の違いはあるんでしょうが、単純だけど、これぐらい生前の父を表した言葉を私は知らない。この言葉が示すどおり、父はいつも仕事をしていた。

父がいたことになど気づきもしないで、遊んでばかりいた幼い日々、父の存在にやっと気がついた二十歳の頃、一人でマンションを買えるお金がなく、初めて父に甘えた39歳の春.....
ガンの手術が無事に終わって退院した後でも、父はいつでも働いていた。
私はどんなに思いだそうとしても、働いていた父の姿以外、思い出すことができない。
働く以外になんの趣味も持たず、働くことが何よりも好きな人だった。
丁寧に言うなら、働く以外に何もできない人だった。
自分で選んだ仕事では決してなく、長男ゆえ、祖父の後を継いだ大工さん。
父は大工さん以外に、何かやりたいことがあったのだろうか…?
そういえば、私は尋ねたことがない。

こちらがきこうと思わないほどに、気がつくと父は、いつも嬉しそうに仕事をしていた。
そういう父を見ながら、私は育った。


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