ネコとヘンジン
驚きました。でも、次の瞬間には「ああ、そうか」と納得して、私の中に入っていました。それが他者ということなのでしょうか。
それが受容ということなのでしょうか。
ある人が、はにかみながら、うれしそうに、ぼそっと言い出しました。
「ボク、ネコなんです」
ある人が、さらさらっと、ごく当たり前のように言い放ちました。
「ワタシ、ヘンジンなんです」
ありのままと簡単に言えますが、実際にそうなれることは滅多にありません。自分なのに、自分でない時間が、なんて多いことでしょう。そのとき二人は、見事に、ありのままその人になっていた。その人に出会えたことが、やっぱりうれしい。
なぜしゃべりばに参加し続けるのか、正直わかりません。ただ、体が覚えてしまった。そこに行けばなにかが得られることを。だから昨夜は、わくわくして寝つきが悪かったし、疲れがあっても朝ぱっと目覚めてしまった。
ネコと出会えてよかった。ヘンジンと出会えてよかった。慌しい日常では会えない、でも同じ世界に今生きている。実感としてわかる。それが私の安心につながる。私たちの信頼になっていく。いつの間にか、生きる力に変わっている。
その人の本体が感じられないと、なかなか信頼できないものです。「しゃべりば」は「つながりば」。たとえ実は自分がネコであってもヘンジンであっても、それがもとで他者と自分とつながってしまう。
主催者の「大好き」が、自由な豊かな土壌を作っている。
数え切れないほど出て、やっと私は男になりました。男でもある菊田和弘に。
高橋さんにどきどきもしないし、決してかっこよくもなれないけど、私の核が求めるなりたいものに、少しずつだけどなってゆける。誰がどうというわけでもないけれど、参加したみんなが、目に見えない大切な、必要なものを持って帰っている。それがわかるから、私は何度でも出ている。
とにかく、今日はほんとに楽しかった。ありがとう。
また明日。がんばるぞー。
菊田 和弘
驚きました。でも、次の瞬間には「ああ、そうか」と納得して、私の中に入っていました。それが他者ということなのでしょうか。
それが受容ということなのでしょうか。
ある人が、はにかみながら、うれしそうに、ぼそっと言い出しました。
「ボク、ネコなんです」
ある人が、さらさらっと、ごく当たり前のように言い放ちました。
「ワタシ、ヘンジンなんです」
ありのままと簡単に言えますが、実際にそうなれることは滅多にありません。自分なのに、自分でない時間が、なんて多いことでしょう。そのとき二人は、見事に、ありのままその人になっていた。その人に出会えたことが、やっぱりうれしい。
なぜしゃべりばに参加し続けるのか、正直わかりません。ただ、体が覚えてしまった。そこに行けばなにかが得られることを。だから昨夜は、わくわくして寝つきが悪かったし、疲れがあっても朝ぱっと目覚めてしまった。
ネコと出会えてよかった。ヘンジンと出会えてよかった。慌しい日常では会えない、でも同じ世界に今生きている。実感としてわかる。それが私の安心につながる。私たちの信頼になっていく。いつの間にか、生きる力に変わっている。
その人の本体が感じられないと、なかなか信頼できないものです。「しゃべりば」は「つながりば」。たとえ実は自分がネコであってもヘンジンであっても、それがもとで他者と自分とつながってしまう。
主催者の「大好き」が、自由な豊かな土壌を作っている。
数え切れないほど出て、やっと私は男になりました。男でもある菊田和弘に。
高橋さんにどきどきもしないし、決してかっこよくもなれないけど、私の核が求めるなりたいものに、少しずつだけどなってゆける。誰がどうというわけでもないけれど、参加したみんなが、目に見えない大切な、必要なものを持って帰っている。それがわかるから、私は何度でも出ている。
とにかく、今日はほんとに楽しかった。ありがとう。
また明日。がんばるぞー。
菊田 和弘