カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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第22回横手しゃべりによせて

2019年03月24日 11時17分39秒 | 横手しゃべりばによせて
しゃべりば前日には、イチローの引退劇があった。
そしてしゃべりが終った夜には、羽生選手の世界選手権・復帰戦があった。

その合間に開催された「しゃべりば」のひとコマ。
仙台から参加されたF子さんの一言が、私には色濃く残っている。
それは「うちの母が近頃、今が一番幸せだと言うようになった。」という私の言葉に対して、放ったことだった。
「どういう時に、お母さんは幸せだ!って、言うの?」と尋ねてきて、それに応えた私、
「だいたいが、美味しい夕飯を食べているときかな。」と。
さらに「特別、私は美味しいとかは思わないんだけど、彼女なら作ることのないマーボー豆腐とか、グラタンとか、イカ墨パスタだとか・・・、そういう物を(私が作って)食べているときに決まって、幸せだ!と言うようになったと思う。」と。
すると彼女はよくわからないんだけど、「お母さんはきっと、最初はおもわず幸せだ!って言葉を出したと思うけど、その後はもう、お決まりのように幸せだ!と言うようになったんじゃないのかな。それでますます、幸せが連鎖したというか・・・」
それを聞いていて、その時は気づかなかったけれど、私自身も夜布団に入るたびごとに、今日も幸せな1日だったあと言いながら、寝ていることに気づいた。

私にもきっと、幸せ連鎖が起きている。
何か特別なことはまったく起きはしないけれど、幸せだなあ!の毎日。
自分がこうと決めたことを、即座に行動に移せる日々、その良し悪しは別として、自分の責任と自由の元に動ける毎日。
気づくと、母もそういう人になっていた。
父が亡くなって指図する人がいなくなり、呆然とした日々を送っていた15年前とは打って変わり、母は自らの決断のもと、パッチワークをして、習い事にも行き、飲み屋に歌いに行くようになっていた。
好きなものを食べ、おばあさんだからと言いながらも、決して気に入った洋服しか着ることがない。
140cm、55kgのコロコロ体形をいかにスマートに見せられるか、そこが一番の彼女の洋服選びらしい。
そこまで太っているんだから、どう痩せてみせるかよりは、あまり食べない方が、まずは得策じゃないの!と私が言ったところで、その楽しみはゆずれないらしく、昨日もこっちの服の方が痩せてみえると、彼女の主張を譲らない。
年を取って、頑固になったといえばそれもあるかも知れないけれど、父が生きている頃の一見、他人に対して従順というか、依存的な彼女はもういない。
自分で決断して、できるだけ人様の力を借りずに行動することの自由と誇りのようなものを勝ち取ったように、娘には見える。
F子さんの言うように、この自由と誇りも連鎖するようで何かあると、「まず自分でやる」と言葉にする。そしてやってみてできない時だけ、私の力を借りるようである。
85歳の母、この年にして勝ち取った自由と誇り。そりゃ幸せでしょうよ、と私も思う。

話をイチローと羽生君に戻すと、二人は紛れもなく、自由と誇りの権化のような選手だと思わずにはいられない。二人のすべての行動は誰に委ねることなく、常に自分の責任の元で自由に舞っていた。
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横手(三鷹)しゃべりば(グループカウンセリング)

2019年03月22日 11時48分25秒 | ひとりごと
そこでしか、会えない人がいる。
久しぶりに会って、互いの “今” を語り合う。
急に距離が縮んでいく。
時間が蘇ってくる。
楽しくて仕方がない

15年間一人(敢えて一人を使うとして)でやってきて、
この会を続けていく意味を探す時がある。
すると決まって、この思いが私を勇気づける。


「誰かのお役にたちたい!」
確かにそれだって、ないわけではない。
年を重ねるたび、人並みに感じることもしょっちゅう、
けど、それは後付けだなあって思う。

私はけっして優しい人ではない。
誰よりも、自分がやりたいことに執着してきた。
それが結果となって、「しゃべりば」がある。
それだけは間違いない、
ので、「人様のために」が出すぎるようになったら、
いやらしい
ので、やめま~す。

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不安と不満

2019年03月15日 16時42分42秒 | ひとりごと
売れに売れた「嫌われる勇気」を、今さらながら読んでみた。

東京在の頃のアドラーはかじるころか、1日だけ、講習会みたいなものに参加したのみ。
横手に帰ってからは、アドラー学習会みたいなものに出るや否や、その気持ち悪さに1時間もしないうちに帰ってきた。
どこかで、私には合わないと決めていたんだ、と思う。

ところがこの本には違和感がなさすぎた。
無理やり探すなら、スルスル読めすぎたのが違和感といえば違和感なんだけど・・・(笑)

なかでも
・・・ライフスタイルを変えようとするとき、私たちは大きな勇気を試される。変わることで生まれる不安と変わらないことでつきまとう不満、多くの人は変わらないことを選んで、不満を云いながら暮らしている・・・

手帳にこんな風に書き写したほど、私の想いを代弁していた。
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人は他人の哀しみに惚れる? のかも。

2019年03月03日 17時06分44秒 | ひとりごと
もしかしたら人は他人の弱み、正確には哀しみに惚れる?のかもしれない。

知り合って10年になる78歳のHさん、今年の2月もお邪魔して、おかげで、卓球三昧の日々をおくることができた。
毎年、上京の度のお泊りが当たり前のようになって、話すことは、ほぼ同じことばかりと思いきや、

・・・私はお父さん(亡くなったご主人)とお見合いして、指がないのを見て、この人と結婚すると直感したの!
んで、3ケ月後にはもう結婚してた。
お父さんの指があったら、まず一緒になることはなかったと思う・・・

初めて聞くHさんとお父さんとのなれそめ、それが指のない手。

 ごちそうさま!と言いながら、
胸の奥がじ~んとして、しばらく言葉が出なかった。

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