3月のとある日、とある大学名誉教授のセミナー、「なぜ増える若者のひきこもりと自殺」に出席してきました。
その中で、とても気になった箇所がありました。
それは「攻撃性」ということ。
・・・攻撃性は自分にとって、居心地の良い状態を模索し、生きていくためのエネルギー源となるものであり、否定すべきものだけではない。(勉強、仕事、恋愛・・・・・)
勉強なり仕事なりスポーツなりに向かえればいいのだけれど、攻撃する対象がみつからないため身近なところで、妻だったり、子供だったり、親への暴力になったりする。それゆえ、人には攻撃する対象が必要なのだと。
また傷つくことを恐れてか、恋人はいらないという若者が増えている。
歪んだ攻撃性が外に向けられた結果として、他者へのいじめや、見知らぬ人を傷つけるという行為になったりする。そして内に向けられたときには、引きこもりや自殺などになったりする・・・。
この話を聞いていて感じたことは、(若者の引きこもりは置いといて)私は攻撃性の強い人間らしいということです。
(まっ、なにがしかのプロになるような人は皆、そうなるでしょうが?)
スポーツでも仕事でも恋愛でも勉強でも、とことんやらないと気がすまないというか、気づくとやっていました。手を抜くことができないのです。
特にスポーツに関しては、普通そこまでやらないでしょ、ってところまでいかないと落ち着かない。それでいて上手くなるかというと、もともと運動神経が鈍いためにまずならない。そうすると、ますますのめり込んで努力?してしまう。この繰り返しだったような気がします。
実はこないだのしゃべりばでのこと(ここからが本題です)、かなり内容は違っている感がなきにしも非ずなのですが、
上に書いたようなことをお話したところ、
ある参加者が突然、「私には、それは本音の言い合いです。」
と口にされたことに驚きました。
彼女はこの日、初参加、しかも私が知っている限りは、決して自分から積極的に話すような人ではなかった。
にもかかわらず、思わず口にから出てしまった言葉、それこそ本音そのものなのでしょう。
他者との本音でのぶつかり合いこそが、彼女にとっては攻撃そのものだったと話してくれました。
それを聴いていた私は、自分の話などどこかに飛んでしまい、彼女の話に聞き惚れていました。
その中で、とても気になった箇所がありました。
それは「攻撃性」ということ。
・・・攻撃性は自分にとって、居心地の良い状態を模索し、生きていくためのエネルギー源となるものであり、否定すべきものだけではない。(勉強、仕事、恋愛・・・・・)
勉強なり仕事なりスポーツなりに向かえればいいのだけれど、攻撃する対象がみつからないため身近なところで、妻だったり、子供だったり、親への暴力になったりする。それゆえ、人には攻撃する対象が必要なのだと。
また傷つくことを恐れてか、恋人はいらないという若者が増えている。
歪んだ攻撃性が外に向けられた結果として、他者へのいじめや、見知らぬ人を傷つけるという行為になったりする。そして内に向けられたときには、引きこもりや自殺などになったりする・・・。
この話を聞いていて感じたことは、(若者の引きこもりは置いといて)私は攻撃性の強い人間らしいということです。
(まっ、なにがしかのプロになるような人は皆、そうなるでしょうが?)
スポーツでも仕事でも恋愛でも勉強でも、とことんやらないと気がすまないというか、気づくとやっていました。手を抜くことができないのです。
特にスポーツに関しては、普通そこまでやらないでしょ、ってところまでいかないと落ち着かない。それでいて上手くなるかというと、もともと運動神経が鈍いためにまずならない。そうすると、ますますのめり込んで努力?してしまう。この繰り返しだったような気がします。
実はこないだのしゃべりばでのこと(ここからが本題です)、かなり内容は違っている感がなきにしも非ずなのですが、
上に書いたようなことをお話したところ、
ある参加者が突然、「私には、それは本音の言い合いです。」
と口にされたことに驚きました。
彼女はこの日、初参加、しかも私が知っている限りは、決して自分から積極的に話すような人ではなかった。
にもかかわらず、思わず口にから出てしまった言葉、それこそ本音そのものなのでしょう。
他者との本音でのぶつかり合いこそが、彼女にとっては攻撃そのものだったと話してくれました。
それを聴いていた私は、自分の話などどこかに飛んでしまい、彼女の話に聞き惚れていました。