人は誰でも自分の居場所を持っている、いや、持っていてほしいと願う。
公園の片隅にある、古いだけがとりえのベンチに座って読む読書のひととき。とある集会場の中、いつものテーブルに座ってタッチし続けるスマホとの時間。たくさんの仲間と、ただ無心に走り続けるサッカーグランド。1日の終わり、お気に入りの香りを敷きつめたバスタブという名の部屋。毎朝、豆からひいて飲むコーヒーの香り、短いされど優雅な?時間。年増のおばちゃんが一人でやっている、飲み屋のカウンターの片隅。2時間あるいは3時間?時間を忘れて友との、なんの得にもならないおしゃべり。
誰にも邪魔されない、エアコンのばっちりきいた図書館でのこっくり。会社までの道のり、わざわざ遠回りして歩く木立の中の深呼吸。毎日、わずか15分の、お散歩と称した愛犬と戯れる時間・・・・・・。
人によって、居場所は様々。それでもきっと、居場所を選ぶ基準は似ていると思うのです。
何よりも安心できること、自分を出しても否定されないこと、ゆっくりと、ゆったりと呼吸ができること・・・ナドナド。
私が横手でもしゃべりをやろうとしたきっかけは、その居場所作りかもしれない。誰かの居場所になってほしいなどという大それた思いはなくて、まずは自分の居場所になることを願って始めたと思います。
居場所は作るものではなくて、自然になるものなんでしょうが、あえて作りたいと思いました。がまだまだ遠い存在です。
それでもいつの日にか、この生まれた町でしゃべりばが育っていってくれたなら、この上なく幸せなことでしょう。
今日も30℃を超える暑さの中、なんとか元気で卓球ができました。なんの変わり映えもしない、あくびがでそうなくらいの幸せと不幸せとが入り乱れた1日が、過ぎようとしています。
80になる母は今宵は留守で、またもカラオケらしい(笑)♪~♪
公園の片隅にある、古いだけがとりえのベンチに座って読む読書のひととき。とある集会場の中、いつものテーブルに座ってタッチし続けるスマホとの時間。たくさんの仲間と、ただ無心に走り続けるサッカーグランド。1日の終わり、お気に入りの香りを敷きつめたバスタブという名の部屋。毎朝、豆からひいて飲むコーヒーの香り、短いされど優雅な?時間。年増のおばちゃんが一人でやっている、飲み屋のカウンターの片隅。2時間あるいは3時間?時間を忘れて友との、なんの得にもならないおしゃべり。
誰にも邪魔されない、エアコンのばっちりきいた図書館でのこっくり。会社までの道のり、わざわざ遠回りして歩く木立の中の深呼吸。毎日、わずか15分の、お散歩と称した愛犬と戯れる時間・・・・・・。
人によって、居場所は様々。それでもきっと、居場所を選ぶ基準は似ていると思うのです。
何よりも安心できること、自分を出しても否定されないこと、ゆっくりと、ゆったりと呼吸ができること・・・ナドナド。
私が横手でもしゃべりをやろうとしたきっかけは、その居場所作りかもしれない。誰かの居場所になってほしいなどという大それた思いはなくて、まずは自分の居場所になることを願って始めたと思います。
居場所は作るものではなくて、自然になるものなんでしょうが、あえて作りたいと思いました。がまだまだ遠い存在です。
それでもいつの日にか、この生まれた町でしゃべりばが育っていってくれたなら、この上なく幸せなことでしょう。
今日も30℃を超える暑さの中、なんとか元気で卓球ができました。なんの変わり映えもしない、あくびがでそうなくらいの幸せと不幸せとが入り乱れた1日が、過ぎようとしています。
80になる母は今宵は留守で、またもカラオケらしい(笑)♪~♪