いつものように井の頭公園を歩いていた。
公園の中、葉っぱひとつない木々を眺めていると、木本来の美しさだけが目につく。
木肌がでこぼこだったりはするけど、飾りをすべて捨てて、色がほとんどなくなった世界にどっしりと立っていた。
それを眺めながら、思い出したことがあった。
3年前の火葬場でのこと、96歳で大往生した祖父の骨を見ていたら、ある人から、
「このおじいさんは、生前どんなことをしていた方なのですか」と母が尋ねられたという。
どうしてそんなことを聞くんだろうと思い、彼女が聞き返すと、
「あまりに骨がりっぱなものだから。96歳というお年にしては、なんとまあ、残った骨の多いこと。」そう告げられたのよと、自慢げに私に語った。
亡くなった祖父がどんな人だったのか、一度もいっしょに暮らしたことのない外孫の私には、語れるような出来事はあまり思いつかないのだけれど、亡くなる一年前まで畑仕事をしていて、私が帰省すると決まって自転車に乗ってきては、実家の玄関先に野菜を置いていったのを思い出す。
夏の日の朝、元々早起きの私が玄関の戸を開けると、もうすでに野菜たちは、そこに座っていた。赤だの黄色だの、もちろん緑も・・・。
生まれる前からのお百姓さんのような祖父は、一番の自慢がにんじんとトマトだった。それからたくさんの種類の花たち。それらの多くは、祖父より先に亡くなった父の仏壇に添えられることが多く、時々買ってくる花屋のどんな花よりもりっぱで、すべてがとにかく太かった。野菜たちもずっしり重くて、肥えていた。
生きていたときの祖父の姿は、どちらかと言うと、痩せているおじいちゃんというイメージしか私にはなかったけれど、亡くなったときの骨の話を母から聞いて、なるほどなと思えた。
木も人間も、すべてとっぱらった後に本来の姿が見えるのだろうか?
そんなことにまで、ふと思いが飛んでしまった。
公園の中、葉っぱひとつない木々を眺めていると、木本来の美しさだけが目につく。
木肌がでこぼこだったりはするけど、飾りをすべて捨てて、色がほとんどなくなった世界にどっしりと立っていた。
それを眺めながら、思い出したことがあった。
3年前の火葬場でのこと、96歳で大往生した祖父の骨を見ていたら、ある人から、
「このおじいさんは、生前どんなことをしていた方なのですか」と母が尋ねられたという。
どうしてそんなことを聞くんだろうと思い、彼女が聞き返すと、
「あまりに骨がりっぱなものだから。96歳というお年にしては、なんとまあ、残った骨の多いこと。」そう告げられたのよと、自慢げに私に語った。
亡くなった祖父がどんな人だったのか、一度もいっしょに暮らしたことのない外孫の私には、語れるような出来事はあまり思いつかないのだけれど、亡くなる一年前まで畑仕事をしていて、私が帰省すると決まって自転車に乗ってきては、実家の玄関先に野菜を置いていったのを思い出す。
夏の日の朝、元々早起きの私が玄関の戸を開けると、もうすでに野菜たちは、そこに座っていた。赤だの黄色だの、もちろん緑も・・・。
生まれる前からのお百姓さんのような祖父は、一番の自慢がにんじんとトマトだった。それからたくさんの種類の花たち。それらの多くは、祖父より先に亡くなった父の仏壇に添えられることが多く、時々買ってくる花屋のどんな花よりもりっぱで、すべてがとにかく太かった。野菜たちもずっしり重くて、肥えていた。
生きていたときの祖父の姿は、どちらかと言うと、痩せているおじいちゃんというイメージしか私にはなかったけれど、亡くなったときの骨の話を母から聞いて、なるほどなと思えた。
木も人間も、すべてとっぱらった後に本来の姿が見えるのだろうか?
そんなことにまで、ふと思いが飛んでしまった。