カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

個人カウンセリング
グループカウンセリング
学習会
ひとりごと等
(見たいカテゴリーを、クリックしてください。)

第41回三鷹しゃべりばへのお誘い

2011年04月29日 10時49分20秒 | グループカウンセリンク三鷹しゃべりば
昨日なんとなく昔の手帳をめくっていたら、リースマン(アメリカの社会学者さんらしい)という名前の下に、“日常生活をきちんとやることの方が・・・”という走り書きがあってニヤリとした。ちゃんと調べたわけではないのであやしいけれど、彼が言った言葉なんだろうか?
それは10年以上前から、私の中から出たり入ったりしている言葉(きちんと言葉になっていたかどうかはわからないけど)だったので、なあんだ!出どこはここだったのねと、まじまじと見てしまった。まっ、今となっては誰が書いたかに興味はないけれど。

・・・日常生活をきちんとやることの方が実は一番むずかしい。
真理を探究しているといって、本を読んでいることのほうがはるかにやさしい。
隣人を愛することよりも、人類を愛することのほうがはるかにやさしい。
ところが人は、やさしいことのほうをやっている人のことを偉大だとか、真理を追究
している人のほうを高級だとか、間違って思ってしまう・・・

こんなところで私が生きているわけではないけれど、ここ何年か自分の根っこにあった感覚、それがふと手帳を見たことから“表”に現れてきたのです。

今回もたくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。





日 時   平成23年5月21日(土)午後2時から午後5時まで
場 所   三鷹市下連雀4-22-17-303
       三鷹ガーデンハウス303号(橋宅)
       電話0422-43-1596 メールetutan.ta0215@docomo.ne.jp
世話人   高橋悦子
参加費   500円(集まった参加費は、毎月義援金として東北に送る予定です。)
締 切   5月20日(金)
       ご参加希望の方は、メールか電話で連絡下さい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第40回三鷹しゃべりばによせて

2011年04月20日 07時27分28秒 | 三鷹しゃべりばに参加して
“不安や恐れが起きるときは、愛が働いている”と、ある参加者の方が発言した。

私が東北出身であり、毎回々参加されている方のご両親の実家が気仙沼であることからも、どうしてもこの日は地震の話は避けられないような、そんな雰囲気だった。そしてやはりその話になったとき、なぜかはわからないけれど、自分の気持ちが地震の後、妙に安定していることを話しだした。東京にいても未だに余震は続いていたし、停電騒ぎや水騒ぎなど色々あったにもかかわらず、なぜだか安定している自分の気持ちを感じていた。なのに、彼女のこの言葉で思いだしたことがあった。
それは、あの大地震直後の私のザワザワ感だ。どうしても、どう静めようとあがいても、あがけばあがくほどずうっと気持ちはザワザワしっぱなしで、落ち着かなくなっていた感覚。4月に入ってからは妙に安定していたものだから、すっかりどこかに忘れ去っていたあの感覚、それを地震直後は持っていたことを彼女の言葉で思い出した。そして同時に、私がその時とった行動も思いだした。
それは地震からわずか1週間後、秋田の実家に帰ったこと。電車はおろか道も寸断され、ほとんど東北に行くルートなどないように見えていたけれど、何を思ったか私は、唯一の交通手段である飛行機が動いていることをとっさに見つけだし、30年ぶりに秋田空港に降り立ったのです。さすがの母も、こっち(秋田)は余震がまだ頻繁で危ないから来なくてもいいよと言われたにも関わらず、どうしても行く以外に選択がないというか、無性に行きたかった。たとえ余震がまだ続いていようが、飛行機代が高かろうが(どんな時でも、高い、安いが優先する私です)、飛行場に降りてから実家までの足があるかどうかもわからないのに、ネットで見つけた飛行機の往復チケットを予約していた。そして秋田で母の姿と近所のおばちゃんたち、なにひとつ変わらぬ故郷の山や川を見ただけで、とんぼ返りで東京に戻った。
人様に会うと、「一人暮らしの母が心配で帰ったのよ。」を必ずや口実にしたけれど、確かにそれも多少はあるけれど、それ以上に、私のザワザワ感に引っ張られるように秋田に帰ったのだと、やっと確信できた。私は、私の体のどこか深~いところで、秋田の地を求めていたのだと思う。いえ、思うとかの曖昧さではなく、確かにそうです。あの地震の後のザワザワ感は、秋田の地に降り立ったあと見事になくなっていたのだから。ただし、はっきりなくなっていたのに気づいたのは今だけれど。
私は昔から鈍い人だと思い込んでいたし、実際、その通りだと今も思うのだけれど、地震の後にとった私の行動は、鈍いとか鋭いとかを超えて、“不安や恐れがあるときは愛が働いている”と語った彼女の言葉通り、愛そのものの故郷に降り立ったようです。
このお話にはさらに続きがありまして、私の弟ですが、年に一度も秋田に帰ればいいかなの彼が、友人の結婚式とかの理由で私から遅れること1週間後、同じように秋田に帰ったそうです。どんなにせついても実家に帰ろうとしなかった弟が帰ったというのは、まぎれもない事実です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第40回三鷹しゃべりばへのお誘い

2011年04月02日 10時25分53秒 | グループカウンセリンク三鷹しゃべりば
東北地方を中心にあの大地震が起きた日、私は東京は三鷹にいた。
職場にいて、10人くらいの人たちといっしょだったことの幸いに感謝した。
家にいたら当然のように不安と恐怖の中で、一人だったのだから・・・
東北に生まれ東北で育ち、東京で暮らしている今でもたくさんの繋がりを持っている東北。
そんな私が東北のために何ができるのだろうか?どう行動したら、彼らの役に立つのだろうか?そんなことを思っていたけど、気がついたら、当たり前のように東京でカウンセリングをしていた。
直接、目に見えるような被害がない分だけ、東京に住んでいる心優しき人々は、憂いと不安の気持ちでいっぱいだった。
“東北の人たちに思いをよせたら、被害のない私たちが、卓球なんかしていていいのだろうか”あるいは、“お花が咲いてきたけど、お花見なんて贅沢だよね”とか、誰もやってはいけないと言わないのに、自然にブレーキをかけている、日々の会話。
さらには“地震で何もかもなくした人たちが、文句ひとつ言わずに暮らしているのに、私は未だうつうつとしているだけで、何のも役にも立っていない・・・”とか。
最近は少なくなったけど、“停電になると言ってならなかったり、かと思うと、いきなり停電になったり、どっちかにしてほしい。一人で家にいて、毎日振り回されるのがたまらなく不安になる”・・・
そんな諸々の不便さの中、一人暮らしをしながらも、黙々と日々の生活をしているたくましいおばあちゃんたちの声も聞いた。“戦争を体験している私は、これくらい物がないのなんて、へっちゃらへっちゃら。今までが贅沢だったのよ”とか、“家にいるときは節電のためにストーブを消して、ダウンベストを着て家事をしているのよ”とか・・・
そんな声を聞いているうちにわかったことがあります。今の私にできることは東北に出向くことではなくて、東京にいて、彼ら一人一人の声に、少しでも多く耳を傾けていくことです。

今回もたくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。



日 時   平成23年4月16日(土)午後2時から午後5時
場 所   三鷹市下連雀4-22-17-303
       三鷹ガーデンハウス303号(橋宅)
       電話0422-43-1596 メールetutan.ta0215@docomo.ne.jp
世話人   橋悦子
参加費   無料
締 切   4月15日(金) ご参加希望の方は、メールか電話で連絡下さい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする