カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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第2回新三鷹しゃべりばへのお誘い

2017年11月30日 16時58分23秒 | 各種ワークショップのご案内
 おおよそ3年半の月日が流れたことでしょうか?
またまた卓球がらみで上京し、新三鷹しゃべりばを開催いたします。
開催にあたっては、Hさんに大~変ご足労をおかけしました。
この場をお借りして、再度お礼を言わせてくださいね。
“ ありがとうございます “。
 また場所の確保ではHさんはもちろんのこと、三鷹市内に勤務している同級生や卓球仲間にも、
ご協力いただきましたこと、誠にありがとうございます。
お逢いできること、楽しみにしております。
さらに参加表明の方に関しましては、三鷹はおろか、遠く横浜の方からもいらっしゃるとのこと、
おひとりお一人に思いを巡らすだけで、厚くなる何かを感じております。
どんな場になるのかまったく想像もつきませんが、誰よりも私が楽しみで、この開催に関わって下さった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
 最後にもしよろしかったら、お近くにお住まいの方、こびっと覗いてみませんか?


日 時   平成29年12月10日(日)午後2時から午後5時まで

場 所    三鷹市・連雀コミュニティセンター地下1階「工芸室」
      世話人 髙橋悦子
電話等   携帯090-1551-0023 メールtakahashi4061@gmail.com

参加費   500円

世界卓球と三鷹しゃべりば(お知らせ)

2014年04月23日 09時43分22秒 | 各種ワークショップのご案内
 この25日(金)から5月6日まで、世界卓球のボランティア参加で、東京は代々木第一体育館につめています。40年ぶりの東京開催です。お時間の方ある方はこの機会に、ぜひ、世界一流の卓球をご堪能下さいませ。
観たい方はおそらくのレベルですが、当日券(自由席)があると思いますので、ネット等で調べてみて下さい。

 加えて1年半ぶりでしょうか、29日(火)午後2時からは三鷹しゃべりば?が開催されるとか、場所は三鷹市・市民協働センター、会費は1000円です。
ただし私が主催者ではありませんので、参加できるかどうかは確約できませんが、もしご興味を持たれた方がいらしたら、下記メルアドまでご連絡頂けたら幸いです。

それでは簡単ですが、お知らせにて。

メール:etutan.ta0215@docomo.ne.jp



山形カウンセリング研究会 11月例会のご案内

2010年11月12日 17時44分05秒 | 各種ワークショップのご案内
平成22年11月8日

会 員 各 位

                
山形カウンセリング研究会
事務局 井澤英悦


11月例会のご案内


 近くの山々が、白く初冠雪を見る季節になりました。会員皆様はこの秋から冬に向かう季節の移ろいを如何にお過ごしでしょうか。
さて、下記の日程で11月例会を開催します。ご参加下さいますようご案内申し上げます。



1.日時 : 平成22年11月20日(土)

2.場所 : 蝉鳴荘(阿相先生宅)

3.内容 : カウンセリングに関する諸問題

例年12月、1月、2月の例会は、冬期間のために休会にしています。

  事務局連絡先 井澤英悦
  自宅  TEL 0237-56-○○○○
  勤務先 TEL 023-641-○○○○(山形中央高校)



   
   ※私の大大好きな先生、阿相金弥先生が中心のワークショップです。
    今回初めて、こちらの学習会に参加することになりました。
    案内には載ってませんが、場所は山形県村山市での開催です。
    どなたかご興味のある方がいらしたら、ごいっしょしませんか?
    井澤さんか私宛、連絡頂けたら幸いです。
    路地裏の少年さん、見てるかな~、
    急ですが、ご都合どうでしょう

「第6回老子を読む会」自主学習会を終えて

2010年09月09日 20時25分08秒 | 各種ワークショップのご案内
けさは走るのにちょうどいい、そんな空気だった。
その空気に誘われて、久しぶりに上水まで足をのばした。上水を走ってゆくと、昨日までうるさいくらいに鳴いていたセミの声がぴたりと止んで、変わりにコオロギの声が、まだか細いけれど心地よく響いてきた。もしかしたら、もうとっくに鳴いていたのかもしれないが、今年はセミの声が大きすぎて私の耳まで届かなかったのかもしれない。
っと、「老子を読む会」の振り返りを書こうと思いながらも今日になってしまった。でも今日は、静かに振り返りを書こうって気持ちにさせてくれる、そんな日よりなのです。

自主学習の気楽さからか、今回は“自発協同学習”風で「老子読本」を読んでみませんか?という私の呼びかけに、皆はおもしろそう!っていいながら賛同してくれた。
が、かの信川先生自作の“自発協同学習”なるものを私がリードできるはずもなく、何度も何度も繰り返し、このやり方が本来の“自発協同学習”とは思わないで下さいと言い訳しながら進めていった。亀山の学習会などに参加して、あくまで私が体験し、それらを思い出しながらのルールだったので、どうなることやらという不安がありました。
さてその学習会、初めはかなりぎこちなかった。エンカウンター風のワークショップや学習会に慣れている方たちにとって、このルールには自由さがないとか、窮屈だとか、そんな声も聞こえていた。
やり方としては、言いだしっぺの私自身が課題を出せないのもあって、終始、5行から10行くらいまでで段落を区切って、それを読んでの感想や疑問点などを発表してもらうことにした。参加者全員が、必ず発表すること。他人が発表している間は口をはさまずに、どうしても云いたくなった人は、“バズ”といって了解を得てから口にすること。それからこれはとてもステキな約束事ですが、(なるべく他人の邪魔にならないようにとの配慮からか?)自信のない方から先に発表するということ。おおよそのルールは、こんなところでしょうか。

初参加の方もいらしたので、「老子読本」その2(第3章)の初めから読んだのですが、前回皆で読んだにも関わらず、こんなにも私はわかっていなかったのねとあきれるほどに、気付きがあった。今でも覚えているのは、“賢ヲ尚バザレバ、民ヲシテ争ワザラシム・・・”の中にある“賢”の字。これがどうしても腑に落ちなかった。
友田先生の訳は、“もしも上にたつ人が、利口な人・頭の働く人・いろいろのことをよく知っている人、というような類の人々に目をつけてそのような人々を登用するようなことをしないならば、人間の世界に争いを引き起こすようなことはなくなるのだ”
この訳そのものには異論はなかったのだけれど、賢の字が利口者のような訳になっていることが私には目ざわりだった。私の“賢”のイメージだと、謙虚とか、一歩下がった賢さとか、いわゆる利口者というよりは、日本的な控え目な賢さとか、邪念のない気持ちなんかが、この字からは伝わってきてしまう。このあたりでハタと困ってしまい、しかも固まってしまった私は、あきらめて、次回の学習会へこの“賢”の字を持ち越そうとしていた。がその矢先、次の段落を読んだ瞬間、持ち越さずともよくなってしまったのである。
それはこんな論語の一説である。
“子(シ)日(ノタ)ワク、賢ナルカナ回(カイ)ヤ。一簞(タン)ノ食(シ)、一瓢(ピョウ)ノ飲(イン)、陋巷(ロウコウ)ニ在り。人(ヒト)憂(ウレ)イニ堪エズ。回ヤ其ノ楽シミヲ改メズ。賢ナルカナ回ヤ。(雍也(ヨウヤ)第六 11)
友田訳は、“顔回という男はほんとうに賢明な人物だなあ!ろくな食べ物や飲み物もなしに裏小屋で暮らしていて、人間だったら誰でも生活のことが心配で心配でとても我慢できないに決まっているのに、顔回は学問するのが楽しくて楽しくて生活のことなど眼中にないのだ。ほんとうにエライ男だよ。と孔子が云われました。”
この訳に使われている、“賢明”と“エライ”男だけをとっても、老子の“賢”の字との対比から、先生がここに論語を持ってきた心意がわかった!と一気になってしまいました。いつも云うように、あくまで私のわかったという段階ですが。
前回は、すんなりとここが読めて先に進んだのですが、(いえ読めたというよりは、ひとつひとつの箇所に、さほど疑問を持つ姿勢になっていなかった私でしたので)今回は細かく区切って読んでみたり、全員の感想や疑問点などを聞いていくうちに、自分自身の疑問や気づきも生まれ、さらには深まってゆくことが楽しくって仕様がなかった。次から次へと疑問が生まれて、なかなか進まないことさえ、楽しくて仕様がなかったが正しい表現でしょうか。一人では決してできないことで、また皆でやったからというよりは、自発協同学習でやったからといっても、いいのではないでしょうか?
次の文章、“得(エ)難(ガタ)キノ貨ヲ貴(トオト)バザレバ、民ヲシテ盗ミヲ為サザラシム・・・"に至っては、(長くなりますので友田訳は省略します。ご興味のあるかたは、“老子読本その2”のP6を参照下さい。)25年ほど前の友田が訳した時代なら、確かにこの訳で納得がいくなあと思うのだけど、2010年に生きている私には、この訳はムリがある。今の私ならこういう風に訳にしたほうがすっきりする、という言葉を吐いていました。
そうしたら誰かが、友田先生は何も自分の訳を、ただ理解してもらいたいとか、鵜呑みにしてほしかったわけではなくて、むしろ自分が書いたものを叩き台にして、今の私ならこう読むだとか、この訳は少しおかしくないだろうかとか、私たちにそんなふうに学習してほしかったんじゃない。自(ミズカ)ら思うことや感じたことを、言葉に発してほしかったんじゃない。先生はたぶん、そういう学習を私たちに望んでいたんじゃないかなと云いました。
私もそれを聞きながら、その言葉通りだと思いました。心からそう思うなんて言葉は安っぽく聞こえそうですが、今回の学習では心からそう思えました。

“自発協同学習”で友田の書物を読んで、各々が自(オノ)ずから発して、皆で検討してひとつの答えを導き出す。今回もこれを目指したわけでもなく、なんとなくそうだ!このスタイルでやってみようと思い立っただけなのにこんなところに落ちつけて、私の心は安らいでいました。



「第6回老子を読む会」自主学習会のご案内

2010年07月09日 08時36分55秒 | 各種ワークショップのご案内
 日本中を熱狂の渦に巻き込んだサッカーワールドカップも終わり、季節は7月、梅雨の候を迎えましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
試合が始まる前までは、ほとんど国民の誰もがとまでは言い過ぎでしょうが、現に期待していなかっただけに、彼らが一丸となって戦う姿には、多くの人々が勇気と感動、さらには感謝の気持ちまでも湧いたようでした。一試合、一試合ごとに成長してゆく姿は、まさに“今ここで”を、身をもって実践してくれているようで、真夜中とはいえ、画面にくぎ付けになった方々も多かったのではないでしょうか。
 さて「老子を読む会」、 世話人のご都合により今回は自主学習とはなりますが、私たち参加者のひとりひとりが、“今ここで”を十分に味わえる場になれるよう、共に学んでいけたら幸いです。





会   期   平成22年9月4日(土)14:00~9月5日(日)正午まで。
会場&宿泊  パシフィックホテル白石(JR東北本線白石駅から歩いて1分)
          宮城県白石市堂場前45-7  Tel 0224-25-3000
会   費   12,000円 宿泊代、食事代(4日の夕食、5日の朝食、)含む
定    員   15名
テ キ ス ト    (財)日本カウンセリングセンター発行「カウンセリング研究vol.5&6」内、友田不二男著 『老子読本』
申込締切り   平成22年8月31日(火)

事 務 局 
高橋 悦子   Tel 0422-43-1596   メール etutan.ta0215@docomo.ne.jp
川村 朗子   Tel 0224-26-1707



★ 会への参加希望者は、事務局まで、電話かメールでお知らせください。
老子読本をお持ちの方は、ご持参ください。お持ちでない方はこちらで準備いたしますので、
参加連絡の際、申し出下さい。

★ 世話人の体調いかんでは、直前になって出席されることもありますので、出欠を知りたい方は、
9月1日以降、事務局まで電話かメールをいれて下さい。
万が一先生が出席された場合でも、今回に限って会費は同額です。




「第5回老子を読む会」を終えて

2010年03月20日 18時31分51秒 | 各種ワークショップのご案内
 老子を読む会が終わってすぐ、私の中に長い間君臨していて、これこそが私の性格でしょうと自分自身が信じて疑わなかった「ちゃんとやらなくっちゃ~」という意識が、解けて広がっていくのを感じていた。
振り返ると、二日間のみんながいるワークの中でさえそれができていたのだ。とてもありがたいことに。(いや、皆が受け入れてくれたから?)
とはいうものの、きっとこれから先の私もそれなりにちゃんとやっていくとは思うんだ。
たとえば、人との約束はできるだけ守るとか、時間はなるべく遅れないとか、口にしたことはできるだけ実行するとか・・・その方が慣れ親しんだ分、自分の居心地がいい♪。
だけど時に、「ふう~ん、今日はとても疲れているから適当な言い訳をして休んじゃえ~とか、まっ、今からだと10分は会社に遅れちゃうけど、ショウガナイよね。」ぐらいはするでしょうし、ウン・・書いている今、もうそうなっていることにも気づいた。
私の中に、嬉しいことに、確実に柔らかい何かが育ってきたのを感じる。
そういえば『老子』って、とどのつまりが“柔よく剛を制す”って、友田先生も言ってたような・・・?
いや、他の訳者だったかな・・・?

 さて今回は、私の振り返りはこの辺にして、N美さんの力作の振り返りを掲載することにしました。N美さん、こんな大作を書いて下さって本当にありがとうございます。何度お礼をしても足りないくらいですが、この場を借りてもう一度、お礼申し上げます。
(ここまで橋記)

「第5回老子を読む会」荒武者修行を終えて
 皆さん、ハジメマシテ。私は宮城県白石市在住のN美と申します。第3回目の自主学習会に初めて参加して、世話人さんのつく正式な会には初参加です。
 第3回というと、1年前になりますね。案内をいただいた時は、「休みの日にコムズカシイ漢文なんて勉強すんの、やんだナー。」と思ってたけど、世話人さんが急に欠席になり、料金が日帰りだと3分の1に。全国版なのに会場が自宅から徒歩2分というゼータクさもあって、それじゃあ出てみようかなって感じになりました。
 そしたら、参加者のほとんどの人がカウンセラーで、そのまたほとんどの人が日本カウンセリングセンターの何かに所属しているみたいだったので、ビビりました。私はカウンセラーじゃないし、本格的に勉強しているわけでもないし。終わった時は精魂尽き果てて、また出たいという気にはなりませんでしたネ。でも1年たって、会場が仙台から白石に戻り、世話人さんもついて日帰り料金もあるということで、今回また申し込んでみた次第です。因みに、宿泊・3食付きでも2日間で15,000円、事務局の方の真心もふんだんについてこの激安価格にはビックリです。
 参加者は他都道府県から来ている方が多く、私としては、地元から参加している者として、「良い2日間だった。」と思ってもらえるように本気で参加しなきゃと思ってました。今回もやっぱり、「カウンセリングを学びこんでるな~。」って方ばっかりでした。さて、どんな展開になることやら・・・。

 今回は、「老子読本(その2)」から入ることになったんです。「1.はじめに」によると、著者の友田氏は第20章を書こうとしていたが瞬時に方針が一変して、今回は第3章を書くことにしたそうです。そんな第3章には、一体何が書かれているのか?と進んでいくのが普通の流れかと思ったんですが、ところが皆さんは、それよりも友田氏が自分の行動について表現している箇所に、長い長い時間をかけて議論しているんです!!なかなか終わらないので、悪いけど途中から寝てしまいましたzzz 14時に始まって、一段落したのが15時35分。1セッションが終了するのは16時30分ですから、おおよそ友田氏の話で残り1時間を切ってしまったと思った私はつい、「私は『老子を読む会』の案内をいただいたので老子を読みに来たんです。友田不二男について語りに来たわけじゃないんです。友田氏の文章をテキストにしているので筆者と切り離すことはできないから、文章の気になるところに触れるのは構いませんが、あまりに友田氏のことに時間をかけ過ぎると思います。」という主旨のことを言ってしまいました。言いたいことが伝わった人と伝わらない人がいたようですが、それでも皆さん申し訳ないくらい私に気を使って下さって、本当に悪いなと思いました。
 しかし第3章になってからもまた『老子』のことより友田氏についての話が長く続き、ある人の「友田論になってますよね。」と言われたのをきっかけにまた、「『老子読本』を使っての友田のことを論じるのが主な目的なら次回は『友田不二男を語る会』という案内にしてほしい。」とまで言ってしまいました。
 そんな私でしたが、1日目を終えて、「ここは友田不二男が好きな人たちがその人のテキストを元に友田氏のことを語りたいのだから、私が来る所ではなかったのかなあ。」と思いました。家に帰ったらものすごい疲れで動けなくなっていました。

 2日目になっても、朝から疲れが残っていて、皆さんの言ってることのスピードに理解がついて行けなくなることもしばしばでしたね。終わる頃には文章がただの形にしか見えなくなり、読もうとしても読めなくなってしまいました。脳ミソがまっ白になり、頭痛もしてきました。帰りに突然、「ふりかえり」の原稿を頼まれても、書きたいことが何も浮かんで来ませんでした・・・・・・。

 そんな中で引っ掛かっていたのが、1日目に私の発言を受けて「第3回に出た時はどう感じたのですか?」と聞かれたことでした。それに対しては「あまり感じませんでした。みんな友田氏を好きなんだなあとは思いました。」と答えましたけど、なんかまだスッキリしなかったんですね。確かに本当の初参加だったので、皆さんと文章をじっくり見ていくことだけに夢中だったということもあります。ただ、それ以外に、私の発言内容そのものとは別に、1年間で、自分に何か変化があったのかどうか、調べてみたくなったんです。
 基本的に参加の動機はその場を楽しむことだったんですけど、1年前はどちらかというと『老子』を「学ぶ」という気構えで参加していたように思います。その時から、友田氏の訳が絶対とは思っていなかったんで、「この訳は私はこう思う」なんて発言していました。誰にも受けつけられませんでしたけどネ。
 今回は、『老子』を「学ぶ」というより、『老子』に「刺激を受けたい」という気持ちの方が大きかったように思います。友田氏の書いたテキストを使用していますが、私は時として友田氏より別な人の訳の方が自分にしっくり来たり、あるいは誰かのフィルターを通した訳よりも、自分で直接訳した稚拙なものの方がしっくり来る場合もありました。そんなことを感じているうちに、『老子』自体も、ある大きな何かに対して老子という人のフィルターを通して書かれたものだと考えるようになったんです。そして私たちは誰もが既に老子的境地に至っているものと考えました。普段はそれが眠っていることが多いので、『老子』に触れることで刺激され、引き出されていくのが面白いと考えています。引き出されたものは、大体は老子的でも人間が違うので生きていく中でその表現方法は違ってくるかと思います。
 変化といえばそんなことを考えるようになったくらいでしょうか。

 今回、第3章は濃厚な議論につき途中で終わってしまいました。肝心の全体的な意味がさっぱり分からずじまいだったので、家に帰って最後まで読みました。更に図書館から漢文と訳だけのシンプルなものを借りて読んだら、ものすごい感動が来ました!これは「老子を読む会」で途中まででもみんなで読みあ合ったベースがあるからこそだと思います。一方で『老子』は体で読まないと分からないこともあるんですけどね。数日後に会議に出たら、前よりもメンバーの心理状態、全体の流れがつかみやすくなっていたのも、会のおかげかなと思います。

 そうそう、お昼に配給された「ミルトン」のお弁当の味はサイコウでした!無農薬野菜を使用しているとのことで、全体的に優しい味で体に溶け込むような感じがしました。
 近くの人に、友田氏の「真空」という考え方について話を持ちかけてみたら、「『真空』って、~なんですよね。」と言われて、それが私の思っていた分析と一緒だったのですごく嬉しくなっていまいました!!

 今回、世話人さんがいる「老子を読む会」に初めて参加しましたが、世話人の工藤先生は実に流れを見てさり気なく舵をとって下さって、良いタイミングで意見を入れて下さったり、すごいなあと思いました。
 参加している方々は、自分も他人も大切にするということ(そのまんまでいいと意味ではない)が基本的にできている大きな方たちばかりでした。それに比べて私はまだまだガキンチョだと思いましたね。
 宝クジ・・・買いましたヨ・・・会の中で出た発言の刺激を受けて・・・ハズれました。当たったら、会に一部寄付しようと思っていましたのにね。
 最後になりますが、事務局の方々の長期に渡る準備に感謝いたします。
                                                                          アデュー。





「第5回老子を読む会」のご案内

2010年01月14日 16時02分22秒 | 各種ワークショップのご案内
平成22年1月吉日
各 位
老子を読む会事務局


皆様、新しい年が明けましたがいかがお過ごしでしょうか。
21世紀もついに10年目を迎え、2010年というふた桁の数字に突入致しました。2年先の2012年には、地球規模での変革が起きるとか起きないとか・・・、わけのわからないザワザワを感じているのは私だけでありましょうか?
さてさて、そんな話を仲間うちでしている中、ふと目にしたというよりも、心を照らした文がありましたので、こちらに引用させて頂き「老子を読む会」の案内と致します。
「いかなる道もひとつの道にすぎない。心に従うかぎり、道を中断してもさげすむ必要はない・・・
あらゆる道を慎重によく見ることだ。必要とあらば何回でもやってみるがいい。そして、自分に、
ただ自分ひとりに、つぎのように尋ねてみるのだ。この道に心はあるかと。心があればいい道だし、なければ、その道をいく必要はない。」     ― カルロス・カスタネーダ『ドンファンの教えより』―





会    期  平成22年3月6日(土)14:00~3月7日(日)14:45
会場&宿泊  パシフィックホテル白石(JR東北本線白石駅から歩いて一分)
          宮城県白石市堂場前45-7 Tel 0224-25-3000
会    費   15,000円 宿泊代、食事代(6日の夕食、7日の朝食、昼食)含む
定    員   15名(先着順)
世  話  人  工藤和仁氏
テ  キ ス ト  (財)日本カウンセリングセンター発行「カウンセリング研究vol.5&6」内、
          友田不二男著  『老子読本』
申込締切り   平成22年2月27日(土)
キャンセル料  申し込み受付から2日前まで1000円  前日・当日2000円
事  務  局   高橋悦子 Tel 0422-43-1596   メール etutan.ta0215@docomo.ne.jp
          川村朗子 Tel 0224-26-1707


★ 会への参加希望者は、事務局まで、電話かメールでお知らせください。
老子読本をお持ちの方は、ご持参ください。お持ちでない方はこちらで準備いたしますので、参加連絡の際、申し出下さい。
★やむを得ず自主学習になる可能性もありますので、あらかじめご了承ください。

★ 時間割り
6日  1セッション   14時~16時半
    休憩     16時半~17時
     2セッション  17時~19時
    夕食     19時~20時
    放課後    20時から

7日  朝食    7時半~
     3セッション  9時~11時45分
     昼食    11時45分~12時45分
     4セッション  12時45分~14時45分

★最後になりましたが、今回も白石うーめん企画があります。
白石う~めんを召し上がりたい方は、白石駅に、6日(土)の12時前後着でいらしてください。
ご希望の方は、申し込み時に事務局までお知らせ下さいね。





第4回老子を読む会の後で

2009年09月27日 09時38分37秒 | 各種ワークショップのご案内
“たとえじたばたしたとしても、じたばたしている自分に気がつけば、その状態が自然に変わってゆく、あるいは、自分でも変えられる。”
私に今、残っているのはこの感覚です。

今回の「老子を読む会」は、かなり珍しいことだけど、特別、書きとめておくほどのことはなかったなあなんて思っていたら、(なので、今回は振返りもパスしようなどと、お気楽にしていたのですが)そう思った瞬間に、これが出てきました。
「何年たっても、何を学んだところで、やはり、じたばたするときはじたばたするもんだ、少しだけかっこつけるとしたら、昔に比べたら、本当に比べたらの話だけど、そんな状態が、以前ほど長くは続かなくなった。そして、その続かないあたりを見たときに、これに思い当たりました」
とまあ、こんなところでしょうか。
もう少し丁寧に書きますと、“ ”の中の、“自分でも変えられる”だけの気づきだった私でしたが、ある方が「俺はどちらかと言うと、自然に変わってゆくの方かなあ!」の言葉から、そうっかあ!どちらかと言ったら、私には両方の場合があるわに、落ち着きました。
こんなふうに言葉に出してみて、それを他人が聞いてくれることで、さらには関わってもらえることで、自分の気づきに、幅が生まれるようです。
やはり、一人で本を読んで学習するよりも、みんなと学習する方がいいですね。

ここで少し気をよくして、やはり老子の話をするとして、第1章の中、一番最後にある「玄乃又玄、衆妙之門」に関して言いますと、気づいたから変わってゆくだとか、自分でも変えられるだとか、何かそんなものとは、どうも次元が違うようなのです。
なんとか言葉にすると、・・・絶望しても絶望しても絶望しきれないで遂に根源的肯定に辿り着いた証・・・と友田先生は書いているのですが、私の表現ですと、
・・・落ち込んで、落ちこんで、ずうっと落ち込んだまま、何をやったところで、もうどうする術もない、どう見ても道は八方ふさがり、先にはなんの希望も見えない、もうこうなったら覚悟は決まった!後は煮ろうが焼こうが、なんとでもしてくれ~と、のたうち回ったあと、ふっと、急に何か軽いものが降りてきて、そこから一気に視界が開ける・・・
こんな感じになりましょうか。
そして、この視界が開けたあたりを衆妙の門と呼んでもいいし、出口と呼んでもかまわない。そんなところに、行き着きました。

4回かかったけど、やっと第1章を最後まで読めて、ほっとしているところです。
振り返りもなんとか書けたし。はあ~
次回「老子を読む会」は平成22年3月6日、7日を予定しております。
たくさんの皆様のご参加をお待ちしております。



「第4回老子を読む会」のご案内

2009年06月11日 15時23分06秒 | 各種ワークショップのご案内
平成21年6月吉日
各 位
老子を読む会事務局


「第4回老子を読む会」のご案内

 
皆様、前回は確か、梅がどうの桜がどうのとか言ったような気がしますが、季節は早いものでもう6月、梅雨の候となりました。その後、お変わりありませんでしょうか。
ああでもない、こうでもないとやりながらも、やっと4回目を迎えることとなりました「老子を読む会」、気持ちを新たにというよりは、気持ちに即しての方がより近い表現となりましょうか、開催場所を、第一回開催地であります、仙台・掌風荘に移すことに致しました。
相も変わらず、道の道とすべきは常の道にあらず・・・をそのまま行ってるようなドタバタではありますが、今回も、お一人でも多くの方々とごいっしょに『老子読本』を読み深めていけたらと、願っております。





会   期   平成21年9月12日(土)14:00~9月13日(日)正午まで。
会場&宿泊   仙台掌風荘
          宮城県仙台市青葉区上杉3丁目4-3  Tel 022-222-2884
会    費   15,000円 宿泊代、食事代(12日の夕食、13日の朝食、)含む
定    員   15名(先着順)
世 話 人    工藤和仁氏
テ キ ス ト    (財)日本カウンセリングセンター発行「カウンセリング研究vol.5&6」内、友田不二男著  『老子読本』
申込締切り     平成21年9月6日(日)
キャンセル料   申し込み受付から前日まで1000円、当日2000円
事 務 局     高橋悦子 Tel 0422-43-1596
          mail etutan.ta0215@docomo.ne.jp
          川村朗子 Tel 0224-26-1707



★ 会への参加希望者は、事務局まで、電話かメールでお知らせください。
老子読本をお持ちの方は、ご持参ください。お持ちでない方はこちらで準備いたしますので、
参加連絡の際、申し出下さい。
★やむを得ず自主学習になる可能性もありますので、あらかじめご了承ください。

★時間割
12日   1セッション  午後2時~5時
      夕   食 午後5時半~
      2セッション 午後7時~9時
      放 課 後 どうぞご自由に!

13日   朝   食   午前7時半~
      3セッション  午前9時~12時



人間が語れようと語れまいと道は・・・

2009年04月11日 10時39分44秒 | 各種ワークショップのご案内
大不況、大不況と騒がれる日本にも、この東京にも春はやって来た。憎たらしいほどに咲き誇る桜の下にいると、誰もいなくともなぁんにもなくとも、しみじみと幸せを感じる。
何をあがいたところで、所詮、桜にはかなわないのだ。この桜の国に生まれて本当によかった。
2、3日前から散り始めた花吹雪に、けさは朝日が反射する姿を見て、思わず言葉を失った。
4月4日、新幹線の白石蔵王駅に降り立つと、そこでは、真っ白な残雪を抱いた蔵王が迎えてくれた。何度もこの町を訪れているのだが、ここまでくっきり蔵王の勇姿を見るのは珍しい。

さて「第3回老子を読む会」、最後になったら、(いきなり最後でもないんだけど)、一人一人の顔がイキイキとしていた。みんなの目が輝いて、眩しかった。7人の参加者の輪が自然にできあがっていた。次回はいつやるの?と聞かれて、まだ決まってもいないのに、9月にやりますよと、即答してしまった。
よく耳にする歌の文句じゃないけれど、何度もくじけそうになりながらここまで来れてよかった!ばかみたいに、やるよ~と言い続けてよかった!大変だったでしょと問われて、すぐさま、「はい、大変でした」と私。

2日間、みんな、ちっとも“仲良しこよし”ではなかった。しっかり自分を主張して、みんながみんな自分のところにいた。友田風に言うなら、“自分の責任を他人に引き渡してしまうことがない人”になっていた。お互いの主張がたとえ平行線になったとしても、決して相手に合わせることもなく、ひるむこともなく、黙って自分のところにいた。こんな学習会って、できるんだなと思えた。今までこんな学習会になればいいなあと、何かを目指してやったことは一度もなかったけれど、終ってみて、この学習会がいいと、心底、思う。

学習会初日、かつて風掌荘主催のワークに参加したときに、いやな思いをして、一番上に立っているであろう友田に対しては、とてもネガティブな気持ちを持ち続けていたと、伝えてくれた人がいた。(友田はそのとき参加してはいなかったらしいが)ところが私は、それを聞いても、友田大好きを全身で表していたらしく、となりに座っている方から、ある場面で、高橋さんは、本当に友田先生大好きなんですねと言われたので、「はい」と答えた。
自由だった。めちゃくちゃ、自由だった♪。
上で登場した友田嫌い(と言ってもいいのかな)の方がある人の話を受けて、「だったら、気がついたら電話すればいいんじゃない」と言った。
この言葉が、学習会に火を点けた。痛く痛く、この言葉が気に入った人がいて、「そうだよなあ!気がついたら電話すればいいんだよなあ」って、嬉しそうに何度も言った。
そうなのです。たとえその時は気がつかなかったとしても、後になって、気がついたそのときに、言えばいいのです。少し勇気がいるかもしれないけど、けっして遅いということはないのです。
“気がついたら電話”最後の最後まで、この言葉が私たち全員の合言葉となって、会が終了した。

道の道とすべきは常の道にあらず・・・
「これこそ人間の踏み行うべき正しい道であると、人間が主張し力説し行動しているような道は、永遠に変わることのない正しい道なんかではありゃしない。」
(老子読本、友田不二男著)

に対して友田は、老子読本以外でも、幾度となくこの老子第1章冒頭を語っていて、そのひとつを抜粋する。
「----しかし、この“道”という言葉で呼んでいる“何か”が厳然としてあるんだということ------あるけれどそれは語れない、それはただこの生身をもって体験し肉迫する行動を展開することができるだけなんだ、というところに、自分を位置づけるならば、これは、まったく違った意味を持ってこの言葉が伝わってくるかと思います。ニヒルどころではない、しいて言葉で言うならば、ものすごく肯定的な、もうこれ以上肯定しようがないところの肯定を、とことんまでやりとげるような、そんな思想を基盤にしておる、ということさえいえるわけです。」
(老荘思想とカウンセリングーー友田不二男著かりのやど)

私は友田嫌い?と語ってくれた一参加者の動きに、さらにはこの場の流れに、何かを強く感じてこの文章までも載せたくなりました。