今月最後の句会が終わった。
俳句結社「繪硝子」の、ふうの木句会である。
世話人は、俳誌の編集長である。
句会の指導は、和田主宰である。
主宰は、横浜にお住まいだけれどここ練馬まで足を運んで下さる。
助詞の使い方、仮名遣い、切れ字など丁寧にご指導頂ける。
文法、さらには旧仮名の用法など指導頂けるのは有り難い。
今月の句会では、主宰から一句選を頂いた。
少しだけれど、この結社の句風に馴染んできたのかもしれない。
五月号では、会員の繪硝子集で巻頭の次席を頂いた。
巻頭迄あと一息、である。
来月は、繪硝子の一泊吟行会がある。
中旬には、句友の行く句会に顔を出す事にしている。
そこは結社の句会ではなく、超結社の句会である。
これはこれで、楽しみである。
なんだか近況報告になっているけれど、今日「傾聴ボランティア講座」が修了した。
四月いっぱい、毎土曜日には勉強に通った。
修了書を頂いた。
5月・6月の二ヶ月間は、毎金曜日に認知症サポーターの勉強に行く事にしている。
学ぶ事で、社会貢献に足を掛ける。
その準備の学びである。
ベースとなる句会は、第四金曜日である。
5月・6月の句会は、欠席となる。
講義があるからである。

さて、昨日の句会で句座を共にする先輩のご逝去が正式に知らされた。
享年89歳というから、まだお若い。
けれど、繪硝子の同人であってぼくも尊崇の気持ちでお会いしていた方である。
たまさか、句会の前日に俳誌が届いてご逝去の報に触れていたのだけれど・・・。
句会にはご子息も出ておられ、そのご子息からの最後の様子が語られた。
黙祷を捧げ、句会を始めた訳である。

ぼくは、ご子息に前夜に認めた手紙を渡した。
句座を共にする句友への鎮魂の気持ちを、認めたものである。
そこに、追悼句を三句墨書して同封させていただいた。
お渡しする時に「御霊前に捧げて頂ければ嬉しい!」
と一言だけ、添えたのであった。

「すかんぽや従容として旅立てリ」
「結社誌の訃報の囲み春の果」
「三界に別れ告げたり鳥雲に」

酸いも甘いも噛み分けて、温かな俳句をものにされた先輩である。
結社の俳誌の囲み記事に、はっとしたのであった。
時、あたかも春の終わりである。
ただお亡くなりになった時には、花万朶。
通夜、告別式の時には花吹雪であったとご子息が仰った。
女三界に家なし、と云う。
そんな時代も俳句とともに生きてこられた、幸せな生涯であったのだと「三界」のぼくの万感の思いを込めさせて頂いたのであった。
ともに俳句を学んだ仲間が、彼岸にゆくのは寂しい。
なんだか、自分の事のように思えてくるのだ。
季節は、夏隣。
風立つ候、である。
風立ちぬ、いざ生きめやも!

句友に、静かに合掌。
荒 野人
因に、上の二枚の写真は「母子草」。
ご子息に敬意を現した。
下の三枚の写真は「白花蘇芳」である。
白の花蘇芳は、逝去された先輩への鎮魂である。
俳句結社「繪硝子」の、ふうの木句会である。
世話人は、俳誌の編集長である。
句会の指導は、和田主宰である。
主宰は、横浜にお住まいだけれどここ練馬まで足を運んで下さる。
助詞の使い方、仮名遣い、切れ字など丁寧にご指導頂ける。
文法、さらには旧仮名の用法など指導頂けるのは有り難い。
今月の句会では、主宰から一句選を頂いた。
少しだけれど、この結社の句風に馴染んできたのかもしれない。
五月号では、会員の繪硝子集で巻頭の次席を頂いた。
巻頭迄あと一息、である。
来月は、繪硝子の一泊吟行会がある。
中旬には、句友の行く句会に顔を出す事にしている。
そこは結社の句会ではなく、超結社の句会である。
これはこれで、楽しみである。
なんだか近況報告になっているけれど、今日「傾聴ボランティア講座」が修了した。
四月いっぱい、毎土曜日には勉強に通った。
修了書を頂いた。
5月・6月の二ヶ月間は、毎金曜日に認知症サポーターの勉強に行く事にしている。
学ぶ事で、社会貢献に足を掛ける。
その準備の学びである。
ベースとなる句会は、第四金曜日である。
5月・6月の句会は、欠席となる。
講義があるからである。

さて、昨日の句会で句座を共にする先輩のご逝去が正式に知らされた。
享年89歳というから、まだお若い。
けれど、繪硝子の同人であってぼくも尊崇の気持ちでお会いしていた方である。
たまさか、句会の前日に俳誌が届いてご逝去の報に触れていたのだけれど・・・。
句会にはご子息も出ておられ、そのご子息からの最後の様子が語られた。
黙祷を捧げ、句会を始めた訳である。

ぼくは、ご子息に前夜に認めた手紙を渡した。
句座を共にする句友への鎮魂の気持ちを、認めたものである。
そこに、追悼句を三句墨書して同封させていただいた。
お渡しする時に「御霊前に捧げて頂ければ嬉しい!」
と一言だけ、添えたのであった。

「すかんぽや従容として旅立てリ」
「結社誌の訃報の囲み春の果」
「三界に別れ告げたり鳥雲に」

酸いも甘いも噛み分けて、温かな俳句をものにされた先輩である。
結社の俳誌の囲み記事に、はっとしたのであった。
時、あたかも春の終わりである。
ただお亡くなりになった時には、花万朶。
通夜、告別式の時には花吹雪であったとご子息が仰った。
女三界に家なし、と云う。
そんな時代も俳句とともに生きてこられた、幸せな生涯であったのだと「三界」のぼくの万感の思いを込めさせて頂いたのであった。
ともに俳句を学んだ仲間が、彼岸にゆくのは寂しい。
なんだか、自分の事のように思えてくるのだ。
季節は、夏隣。
風立つ候、である。
風立ちぬ、いざ生きめやも!

句友に、静かに合掌。
荒 野人
因に、上の二枚の写真は「母子草」。
ご子息に敬意を現した。
下の三枚の写真は「白花蘇芳」である。
白の花蘇芳は、逝去された先輩への鎮魂である。