エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

雪の花が咲いた・・・中央高速の風景

2011年03月08日 | ポエム
所用があって甲府に出かけたのである。
早朝に練馬を出て、中央高速道路を下った。

昨日の降雪の名残が木々の枝や山肌に残って美しかったのである。






        雪の花


      白い化粧が施された山並みが
      鮮やかに甦った
      季節は芽吹き時だというのに
      桜花の満開に似て
      一枝一枝が雪の花で装われた
      樹木が暖かく覆われて生き生きと活性した

      雪の花は
      やがて光で溶解される運命である
      としても
      刹那に生き
      短いスパンの吐息を洩らすのだ
      その吐息は空を翔け霧消した

      白い化粧で覆われた自然の在り様に
      落涙する獣がいて
      麓で咆哮するのだ
      麓から登攀して峠に至ると
      獣は峰を伝い次元の彼方へと旅立って行き
      雪の花に変身した

      のだ





石川PAで八王子ラーメンを食べた。



八王子ラーメンの特徴は、玉ねぎのみじん切りが入っているのである。
玉ねぎの甘さと、醤油の味が見事にコラボしてスープの美味さが際立つのである。



ぼくはここに、たっぷりのラー油を落とし込み食べるのが習いである。
玉ねぎの甘さ、醤油の塩味、それにラー油の辛さがマッチするのである。



雪に覆われた山中の道路は凍てついておらず、暖かかった。
みたらし団子のように、ポタポタと枝から落下する雪は悲しげに見えたのである。



上手く切り取れば、掛け軸のように見えるのである。



山水画のような景色が眼前に広がるのは心楽しいものである。





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                     荒野人

あわあわとしたきみのイマージュ

2011年03月08日 | ポエム
雪にたれこめられた一日、様々な欲望を捨象してぼくは瞑想した。



赤いシクラメンの花も雪に埋もれた。



黄色のビオラも雪に縮んだ。



竹林の側道を散策するかのようにぼくの瞑想は始まった。
あわあわとしたきみの肌に触れながら、暖かい瞑想に入ったのであった。





        あわあわとしたきみに


      触れると溶けてしまいそうなきみの肌に
      ぼくは埋もれてしまった
      だがしかしそれは殆ど無我の概念であって
      きみは実在するのではなく
      形而上の存在である

      きみはあわあわとしていながら
      ぼくの頭脳の中に焦点を結ぶ
      その焦点は像を結べるほど鮮明であって
      次々と焦点を結ぶのであるけれど
      捨象されてしまうのである

      形而上のきみは
      確かに触れると溶解してしまう
      溶けてしまい甘美な液体となる
      そこは水場となって
      蝶々を呼び集めるのだ

      ぼくの瞑想はあわあわとした肌触りである
      きみの肉体を包む肌は
      あわあわとして溶け始めている
      夢を紡ぐかのような触れあいの時間は
      弱々気に打ち震える末梢神経の優雅なしなりである






だがしかし、きみのイマージュはこの薔薇の花である。
ぼくにとってきみは中枢神経であって、脈打つ動脈のダイナミズムである。





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                     荒野人