2011年3月11日2時46分
そのときの日付であり時刻である。
その日、月は下弦の三日月であった。
伏し目がちに地球を見下ろしていた。
悲しみに耐え難く伏し目がちになったのであろう。
2011年3月11日午後2時46分
2011年3月11日2時46分
日本が巨大な災厄に襲われた日時だ
足元が大きく揺らぎ
二本足のぼくたちは立って平衡を保てなかった
アスファルトの道路が波打ち
頭上の電線が大きく振れた
高層ビルはくねくねと揺れ続けた
車はその道路上でサーフィンをやっているかのように
左右に揺れ上下に突き上げられた
2011年3月11日2時46分
ぼくは
この日を忘れない
家族と連絡が取れなかった時間は
恐怖と不安
悲しみと予感
家族の空白の時間であって
悪寒のような時間であったのだ
2011年3月11日2時46分
これから毎年来るであろう3月11日2時46分という
災厄の記憶は
決して消えることのない刻印だ
あれから一週間が過ぎて
誰もがその時刻哀悼の誠を捧げた
昨日までの涙の時間は
雄々しくもしめやかな決意の一歩となる
しかし
どれほどの悲劇を積み重ねていけば
癒されるのだろう
どれほどの悲劇を積み重ねていけば
止まった時間が動き出すというのだろうか
2011年3月11日2時46分
ぼくはこの日の月を撮った
ぼくは今日の月も撮った
2011年3月11日2時46分の月は伏し目がちな下弦の三日月
2011年3月18日19時20分の月は満月に向かっている
月が確実に満ちる時間
ぼくたちは悲しみ嘆き深く慟哭した
2011年3月11日2時46分
ぼくはこの日付を忘れない
ぼくたちはこの日付を記憶に刻んだのである
あれから1週間、月はここまで満ちた。
満月だと完成となってしまう。
被災地のこれからの前進のために、これで良しとするのが正解なのかもしれない。
黙祷を捧げた被災者も、そしてぼくたちも明日へ向かって進みたい。
にほんブログ村
荒野人
そのときの日付であり時刻である。
その日、月は下弦の三日月であった。
伏し目がちに地球を見下ろしていた。
悲しみに耐え難く伏し目がちになったのであろう。
2011年3月11日午後2時46分
2011年3月11日2時46分
日本が巨大な災厄に襲われた日時だ
足元が大きく揺らぎ
二本足のぼくたちは立って平衡を保てなかった
アスファルトの道路が波打ち
頭上の電線が大きく振れた
高層ビルはくねくねと揺れ続けた
車はその道路上でサーフィンをやっているかのように
左右に揺れ上下に突き上げられた
2011年3月11日2時46分
ぼくは
この日を忘れない
家族と連絡が取れなかった時間は
恐怖と不安
悲しみと予感
家族の空白の時間であって
悪寒のような時間であったのだ
2011年3月11日2時46分
これから毎年来るであろう3月11日2時46分という
災厄の記憶は
決して消えることのない刻印だ
あれから一週間が過ぎて
誰もがその時刻哀悼の誠を捧げた
昨日までの涙の時間は
雄々しくもしめやかな決意の一歩となる
しかし
どれほどの悲劇を積み重ねていけば
癒されるのだろう
どれほどの悲劇を積み重ねていけば
止まった時間が動き出すというのだろうか
2011年3月11日2時46分
ぼくはこの日の月を撮った
ぼくは今日の月も撮った
2011年3月11日2時46分の月は伏し目がちな下弦の三日月
2011年3月18日19時20分の月は満月に向かっている
月が確実に満ちる時間
ぼくたちは悲しみ嘆き深く慟哭した
2011年3月11日2時46分
ぼくはこの日付を忘れない
ぼくたちはこの日付を記憶に刻んだのである
あれから1週間、月はここまで満ちた。
満月だと完成となってしまう。
被災地のこれからの前進のために、これで良しとするのが正解なのかもしれない。
黙祷を捧げた被災者も、そしてぼくたちも明日へ向かって進みたい。
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