平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

龍馬伝 第17回「怪物、容堂」

2010年04月26日 | 大河ドラマ・時代劇
★まずは山内容堂(近藤正臣)。
 勝麟太郎(武田鉄矢)の海軍操練所に理解を示す進取・開明の人物でありながら、下士を犬猫だ考える差別・保守的な面もあるといった二面性を持った人物として描かれている。
 吉田東洋を殺された恨みも忘れていない。
 なかなか深い人物造型だ。
 差別・保守的な面は当時の大名としては限界。いくら進取・開明であっても、上士・下士の身分を壊す、幕府を壊すという発想までは行けなかったのであろう。
 この辺は「篤姫」の島津斉彬とは違う。
 年齢の差か?
 そして新しい時代を作っていくのはやはり若い人達。既得権を守ろうとする老人はその妨げにしかならない。
 龍馬(福山雅治)、ジョン万次郎(トータス松本)のエネルギーに満ちた笑顔と容堂の暗い顔を比べてみればいい。

★物語としては、武市半平太(大森南朋)粛正の前フリ。
 それを龍馬視点の容堂の描写、武市の妻・お富の不安で描いた。
 武市が容堂を尊敬し、信じていたことも面白い。
 <上士>に格上げされ、涙する武市。
 最後の最後まで<土佐藩>にこだわったこと、抜け出せなかったことは武市の限界。
 武市は大会社にいて、そこで出世しようとするサラリーマンに似ている。
 一方、龍馬はひとり。やがて亀山社中を作るが、自分で会社を作る起業家。
 弥太郎(香川照之)もそう。藩(=会社)など信用せず、自分で商売をして会社を起そうとしている。
 武市、弥太郎、龍馬、この三人の生き方は比べてみると面白い。
 あくまで組織にこだわる武市。
 自分で起業しようとする弥太郎。
 何も持たず自分の感性のおもむくままに生きていこうとする龍馬。
 武市はいつ粛正・左遷されるかわからない不安、弥太郎は商売がうまくいかず借金を抱える不安、龍馬は何者にもなれず、ひとりのたれ死にするかもしれない不安があるが、どの生き方にも優劣はない。
 ただ組織や何かに縛られている武市のような生き方をしている大半の我々には、龍馬の生き方はうらやましく新鮮に見える。

★佐那(貫地谷しほり)と恋バナはこれで終わりか?
 「竜馬がいく」を読んでいるさな子(佐那)ファンとしては少しさびしい。
 佐那の心の中を分析してみる。
 <自分と龍馬を繋ぐものは剣術。だから剣術をしていればいつまでも龍馬と繋がっていられる>
 <千葉道場にある坂本龍馬の木札を見ることで、龍馬を思い出せる>
 <龍馬と過ごした剣術修行の日々を糧にして生きていく>
 <坂本龍馬という人格の剣術の部分は自分が作った。それだけで自分は満足である>
 これら佐那の思いはなかなかせつない。
 せりふにあったとおり、佐那は龍馬を思って一生独身を貫き通したそうだ。
 そのひたむきな純愛ゆえに、現在、佐那のお墓参りをしている人が数多くいるという。
 龍馬の今後の活躍を聞いて、佐那は何を思うのか?
 その描写はぜひ入れてほしい。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする