平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「怪物の木こり」「死刑にいたる病」~映画でサイコパスについて考える

2024年08月01日 | 邦画
「怪物の木こり」「死刑にいたる病」──サイコパスを扱った映画を観た。

 サイコパスの属性は次のようなものである。
1.口が達者で表面的な魅力がある。
2.誇大的な自己価値観。
3.刺激を求めやすい。
4.病的に虚言を繰り返す。
5.人を操作するために偽り騙す傾向がある。
6.良心や罪悪感が欠如している。
7.浅い感情。
8.冷淡で共感性がない。
9.かなり衝動的。
10.性行動が奔放。

「怪物の木こり」は特殊な脳チップを埋め込まれて
 倫理や共感能力がなくなってしまった主人公たちの物語だ。
 彼らはサイコパス的な行動をする。
 煩わしい人間は平気で殺害する。
 倫理や共感能力がないから殺害しても「痛み」を感じない。
 彼らは自由で不安がなく、サイコパスである自分を肯定している。

 ところが何かの衝撃で脳チップが壊れてしまった時──主人公は共感能力を取り戻す。
 他者の痛みや感情を共有して戸惑い、驚き、
 他者と触れ合うことに込み上げてくる喜びを感じる。
 他者が煩わしいだけのものでないとわかる。

 サイコパスである自分。
 サイコパスでない自分。
 主人公にとって、どちらが幸せであったのだろう?
 現代社会は前者の傾向が多いかな?
 殺人まではいかないが、他者と共感することを苦手な人、拒む人が多い気がする。
 たとえば都知事選で話題になった、あの人とか。
 ……………………………………………………………………

「死刑にいたる病」は完全なサイコパスの物語だ。
 榛村大和(阿部サダヲ)は快楽殺人をおこなう。そこに何のためらいもない。
 泰村は人を操る。
 他者が求めていることを感じ取り、そこにつけ込み信用させて殺害に及ぶ。
 サイコパス的な資質をもった人間を見つけることにも長けていて、
 それを引き出しサイコパスにする。

 物語は、自分の中のサイコパス資質に悩む筧井雅也(岡田健史)の視点で描かれるが、
 もうひとつ注目すべきは──
 サイコパス殺人鬼・泰村がなぜ警察に簡単に捕まってしまったかだ。

 今まで泰村は完璧に殺人をおこなって来た。
 しかし、ある時から犯行が杜撰になり、捕まえて来た少女を逃がし、証拠を残して、
 結局、逮捕されてしまう。

 おそらく泰村はサイコパスである自分に疲れてしまったのだろう。
 はやく死刑になって死んでしまいたかったのだろう。
 人間の心って、そんなに強固じゃないだろうし。
 あるいは泰村はサイコパス殺人すらも、つまらなくなってしまったのかもしれない。
 ただ自分の因子は残したかったので、筧井雅也をサイコパスにしようとした。

 現代社会──人の心はどんどん壊れていっている。
 人は多かれ少なかれ、上に書いたようなサイコパス要素を持っているような気がする。


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