「私、嫁に行ったんだ」
みね(三根梓)がこう言った時、母親のうら(長谷川京子)の顔が一気に変わる。
今までの他人を拒絶するこわばった顔から、喜びと涙の顔へ。
そして
「よがった、よがった。みね、きれいになって……。幸せに暮らしているのか?」
山本家から離れて別の人生を歩んでいても、うらは、常に「みねの成長と幸せ」を考えていたんですね。
親にとっては子供の幸せが何より大切なこと。
不覚にも涙を流してしまいました。
そこに至るまでの盛り上げ方は以下のような感じ。
・会津に戻ってくる八重(綾瀬はるか)→ここで気持ちが高まる。
・すっかり変わり果てた城下だが、角場の名残を見つけて、喜びも哀しみもあった昔を思い出す→さらに気持ちが高まる。
・お吉たちとの再会→風景や事物から人間との出会いへ。
・うらとの再会→お吉などより深い関係の人間との出会い。
出会う事物のレベルを少しずつ上げていき、最後にうらを登場させてピークに持っていく。
手法としては、ベタで定石どおりなんですけど、上手く乗せられた。
そして最後は、「余計なことをしたのではないか」と悩む八重に語った襄(オダギリジョー)の言葉に拠るまとめ。
「(うらさんは)重荷を下ろしたのではないですか? みねさんの幸せを見届けて」
そうですね、人はそれぞれ何らかの重荷を背負って生きている。
忘れて記憶の外に置いてしまえば楽になれるのでしょうが、なかなか捨てることが出来ない重荷。
襄の言うとおり、今回の再会でうらの重荷はかなり軽くなったのではないでしょうか?
いずれにしても、苦しみ、悩んで重荷を背負って生きてきた人は崇高で美しい。
そして<傷ついた人が息をつき、荷物を下ろせる場所>があると、少しは穏やかな気持ちになれる。
襄はそんな場所として<教会>を作ることを考えた。
やはり生きていく上で、宗教や哲学といった精神的なものは大切だと思います。
一方、山川捨松(水原希子)。
あるいは徳富猪一郎(中村蒼)。
彼らは若く、これから荷物を背負っていく存在。
若いってことは、これなんですね。
夢と希望に溢れ、実に軽やか。
ラストに軽やかな捨松を登場させたのは、重荷を背負って生きてきたうらとの対照なのかもしれません。
時代は<若者の時代>になりつつあるようです。
みね(三根梓)がこう言った時、母親のうら(長谷川京子)の顔が一気に変わる。
今までの他人を拒絶するこわばった顔から、喜びと涙の顔へ。
そして
「よがった、よがった。みね、きれいになって……。幸せに暮らしているのか?」
山本家から離れて別の人生を歩んでいても、うらは、常に「みねの成長と幸せ」を考えていたんですね。
親にとっては子供の幸せが何より大切なこと。
不覚にも涙を流してしまいました。
そこに至るまでの盛り上げ方は以下のような感じ。
・会津に戻ってくる八重(綾瀬はるか)→ここで気持ちが高まる。
・すっかり変わり果てた城下だが、角場の名残を見つけて、喜びも哀しみもあった昔を思い出す→さらに気持ちが高まる。
・お吉たちとの再会→風景や事物から人間との出会いへ。
・うらとの再会→お吉などより深い関係の人間との出会い。
出会う事物のレベルを少しずつ上げていき、最後にうらを登場させてピークに持っていく。
手法としては、ベタで定石どおりなんですけど、上手く乗せられた。
そして最後は、「余計なことをしたのではないか」と悩む八重に語った襄(オダギリジョー)の言葉に拠るまとめ。
「(うらさんは)重荷を下ろしたのではないですか? みねさんの幸せを見届けて」
そうですね、人はそれぞれ何らかの重荷を背負って生きている。
忘れて記憶の外に置いてしまえば楽になれるのでしょうが、なかなか捨てることが出来ない重荷。
襄の言うとおり、今回の再会でうらの重荷はかなり軽くなったのではないでしょうか?
いずれにしても、苦しみ、悩んで重荷を背負って生きてきた人は崇高で美しい。
そして<傷ついた人が息をつき、荷物を下ろせる場所>があると、少しは穏やかな気持ちになれる。
襄はそんな場所として<教会>を作ることを考えた。
やはり生きていく上で、宗教や哲学といった精神的なものは大切だと思います。
一方、山川捨松(水原希子)。
あるいは徳富猪一郎(中村蒼)。
彼らは若く、これから荷物を背負っていく存在。
若いってことは、これなんですね。
夢と希望に溢れ、実に軽やか。
ラストに軽やかな捨松を登場させたのは、重荷を背負って生きてきたうらとの対照なのかもしれません。
時代は<若者の時代>になりつつあるようです。
前回はきちんと確認して投稿したつもりだったのですが、
どういう訳か不完全な文章で載ってしまったようで、
申し訳ありませんでした。
それでも文意を読み取ってくださって、
的確な返答を書いてくださったのは、流石、でございます。
襄と板垣との会話の中で、会津の藩士はよく戦ったが、領民はソッポを
向いていた。と、ありましたが、
仲間とはぐれた白虎隊士の一人が山中で農家の夫婦に自決を止められて
生き永らえた、という話を聞いたとき、
この非常時に農家は普通に仕事をしていたんですか!?と、驚いたんですが、
そういう状況だったんですね。
もともとこの戦争は、判断を誤った藩主と自分達の正当性を守ろうとした
藩士たちが 勝手に 起こした戦争だと領民たちは思っていたのでしょうか。
封建制度が崩壊することをかえって望んでいた一般市民もいたでしょうね。
板垣がこれが日本という国全体のことだとしたら大変なことだ、という
内容のことを言っていましたが、領民も戦争に加わっていたとしたら
焼け野原はますます広がって、太平洋戦争の時の沖縄のように無駄に悲惨な
状況を生んだのではないかと思うのですが。
藩主が賢明な人であったら、領民が被害を受けずに済んで良かったと
思うのではないのでしょうか。焼け野原を再興したのは領民の力でしょう。
板垣のこの言葉はこの後に発布される徴兵制度への前フリなのでしょうけれど
平和な世の中を望んで、むしろ戦争を回避するための知恵なり見識をもった
人間を育てるために大学を創ろうとしている(ように見える)襄と、
戦争ありき、の姿勢でいる板垣とで、意見や考えに相違はないのかと
少し気になりました。
うらさん、相変わらず凛として綺麗でしたねー。
それにしても、覚馬も八重も 自分で決めて 独りを選んだ人には
相変わらず口では心配してても、ほったらかしなんですね。
人間、そんなに強くないのに。
結局、お互いの前の伴侶は見るに見かねた周りの人たちに
面倒を見てもらっているではないですか。
次回では山川一家と八重が再会するんてすよね。
幼馴染みとはいえ、前夫を切り捨てた 鬼 と何のわだかまりもなく
対面できるんですかね。
尚乃助ってやっぱり余所者として見られていたのでしょうか。
山本兄妹がいい加減な分、捨松の存在が救世主のようにすら思えます。
水原希子きれーい!河北麻友子もアメリカからの帰国子女の経験をこのドラマで活かせないかと思って思っていたので、予想が的中して嬉しいです。
次回が楽しみです!
いつもありがとうございます。
いくさと領民の件
戦国時代、領民はいくさを大きな見せ物として弁当を食べながら見ていたという話を聞いたことがあります。
昔は役割分担が出来ていたんでしょうね。
小説「のぼうの城」では、領民が藩主を慕って、いっしょに城に入って戦っていましたが、それは希有の例だったのかもしれませんね。
そして、おっしゃるとおり、近代化が進むにつれ、徴兵制度となり、国を挙げての戦争になる。
被害も甚大になる。
これを見ていると、進歩が果たして良いことなのかとも考えてしまします。
襄と板垣の思想については、深く探求してみたいですね。
板垣の自由民権運動は、「国民を政治に参加させる」、という薩長派閥に対抗する革新運動で、「国民」を中心に置くという点で、襄と意気投合していたのかもしれませんね。
山本兄弟に関しては、覚馬はうらを、八重は尚之助をいろいろな経緯や理由があったにせよ、捨てたという点で負のエピソードですよね。
どう取り繕っても、オランダ焼きさんのように考えてしまう人が出てくる。
作家としては、処理に困った史実だったのだと思います。
捨松は今後の物語で、どう活躍していくんでしょうね。
この作品は、どうも登場人物を広げすぎて、結果として描き切れていないという感じがある。
剛力彩芽さんが演じた日向ユキとか。
捨松もそうならないことを望みます。
京都守護職拝命の皺寄せを受けて困窮した上、
篭城戦に必要な物資の強制徴収やら
焦土戦術で家屋を焼き払われるやらで、
板垣達は地元民の手引きで城下まで進撃してますから。
奇兵隊を組織して幕軍を追い返した長州に比べれば
硬直した封建制度の会津が負けるのは歴史の必然と
言えますが会津主体のドラマで直接的に描写できない
脚本家としては今回はギリギリだったように思います。
>そこに至るまでの盛り上げ方は以下のような感じ。
>・会津に戻ってくる八重(綾瀬はるか)→ここで気持ちが高まる。
>・すっかり変わり果てた城下だが、角場の名残を見つけて、喜びも哀しみもあった昔を思い出す→さらに気持ちが高まる。
長大な幕末編の分厚い蓄積が活かされていて良い感じだったと思います。
今回の実質的主人公は何と言ってもうら。
実際の登場時間は短かったものの、登場人物たちと視聴者の心の底に大きな存在感を示していました。
長谷川京子さんも美しく、また好演だったと思います。
幕末編の頃から「悪人ならざる敵」であった西郷、大久保、木戸が世を去った今、西郷頼母の娘を優しく看取った「敵将」板垣退助が「自由民権」で登場してきました。
オランダ焼きさんとのやりとりでコウジさんが答えておられるように
>板垣の自由民権運動は、「国民を政治に参加させる」、という薩長派閥に対抗する革新運動で、「国民」を中心に置くという点で
襄の味方なのだろうと思います。
なお、お二人の議論に一言だけコメントすると、問題の根源は「近代の光と影」というところに帰着すると思います。
西洋の人たちが世界大戦によって近代国家の「影」に直面した20世紀になってから、「中世は暗黒時代」という近代礼賛のイデオロギーから目醒め、中世に対する真剣な歴史研究が始まったと言われています。
次回はもう一人の「敵将」大山弥助(巌)と山川捨松とのロマンスに、「弥助を撃ったおなご」八重が絡むようです。
腕相撲勝負とのこと、本物の八重さんならいざ知らず綾瀬はるかさん-彼女は運動神経は抜群だそうですが-ではややミスマッチな感じもしますが。
コメントありがとうございます。
現実はそうだったんですね。
お吉たちの言動を見ていると、会津は領民と一体になって戦ったという印象を受けますが、現実は乖離していて、脚本では敢えて触れなかったことなんですね。
いつもありがとうございます。
長谷川京子さん、よかったですよね。
みねの結婚を知って、一瞬で笑顔が、どんなせりふよりもうらの気持ちを表現していて、本当に良かった。
>西郷頼母の娘を優しく看取った「敵将」板垣退助
まさにそうでしたね。
板垣は、大きな力に虐げられている人たちに共感する力を持っていたんでしょうね。
それと西洋では、中世の見直しが始まっているんですか。
おっしゃりとおり、僕も魔女狩りなど「中世は暗黒の時代」という印象をいだいていましたが、それは近代社会の宣伝で、今後は別の顔が見えてくるかもしれませんね。
最後に大山と捨松とのロマンス。
時代は進んで、薩摩と会津の対立は解消されていったことの象徴かもしれませんね。
次回、どう描かれるか楽しみです。
江戸時代では政治も軍事も武士階級のものであり、庶民とは関係のないところにありました。
国民国家(ネイション・ステイツ)は西欧でもフランス革命後に本格的に現れた国家の形で、文字通り国民が国家に参加するというものです。
政治に関わる権利とともに兵役の義務も国民が負います。愛国心というのが生まれるのも国民国家の成立と不覚かかわっていいます。
教育もまた国家に役に立つ人材を育てるためのものなのですよね。
新島襄が「国家の介入のない私立大学」というとき、彼のなかには国民国家を超える思想があったのかも知れません。
いつもありがとうございます。
この時期は掘り下げていくと、民主主義形成期で面白い時期ですよね。
福島事件、秩父事件など民衆が政府の圧政と闘う事件があり、板垣の自由民権運動があり、かたや政府は「国民国家」を作るために『教育勅語』を作成したりしている。
結果としては政府側が勝利するわけですが、政治史上は実に混沌とした時代ですよね。
また『教育勅語』とキリスト教の教えは矛盾するものなので、襄がどう折り合いをつけていたのかは調べて見たいと思いました。