平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

レ・ミゼラブル 第1話

2006年02月27日 | テレビドラマ(海外)
「レ・ミゼラブル」の物語の根底に流れるモチーフはこうだ。

「他人のために懸命に生きる人間がどんどん不幸になっていく」
 例えば、ジャン・バルジャン。
 彼は貧困にあえぐ人たちが罪を犯さないよう働いて賃金の稼げる工場を作り、市長になって善政を敷くが、少年から過去に2フラン盗んだことでジャベールから追われる。今はすっかり悔い改めているのに。
 フォンティーヌもそうだ。
 彼女は娘のコゼットのために懸命にお金を稼ごうとする。しかし、工場長が「未婚の母」である彼女を憎んでクビにしたため、身体を売ることになる。そのお金はコゼットを預かってもらっているテナルディ一家に送られるのだが、テナルディ一家はコゼットに満足な食事も与えられていない。こき使われて悲惨な暮らしをしている。それなのに娘を想うフォンティーヌは「コゼットが病気になったから薬代で40フラン送ってほしい」という手紙を信じ、歯を売って40フランを作ろうとする。

一方、ジャン・バルジャンらとは反対の人物もいる。
「善良でないが故に私服を肥やし安楽な生活を送っている人たちだ」
例えば、先程のテナルディ一家。
フォンティーヌを騙し、お金を巻き上げている。

物語は「善良であるが故に苦労しなければならない人たちと悪徳をして安楽な生活を送っている人たち」を描いて進行していく。
作品を見る者は、この矛盾に憤り、いつか善良な人間が報われることをハラハラドキドキして見守る。
同時に「善良であるが故に苦労してしまう現実と悪徳であるか故に安楽な生活を送れる現実」を目の当たりにする。

そして作品を見ている者は考える。
「こんな世の中なら自分も悪徳に手を染めた方がいのではないか?」
「こんな善が苦労する世の中なら、悪徳に手を染めた方がいい暮らしができるのではないか?」

この「善良と悪徳」の対立図式の中で本来、悪を裁かなくてはならないのが警察なのであるが、警察のジェベールはむしろ善良なる者へエネルギーを注ぎ追いつめる。
見る者はますます「自分も悪に手を染めなければ損だ」と考えるようになる。
なぜなら警察もあてにならないからだ。
しかし、見る者は「善良なる者」の勝利を信じたい。
「悪徳がいい想いをする世の中だからこそ、物語では善良なる者が勝利する姿を見たい」と思うようになる。
そこで主人公ジャン・バルジャンの登場だ。
見る者はジャン・バルジャンを応援せずにはいられなくなる。

だが、ジャン・バルジャンはあまりにも善良だからさらに困る。
「ジャン・バルジャンが捕まった」という知らせを彼は受ける。もちろんジャン・バルジャンは彼自身だから、捕まった人間は汚名を着せられた人間だ。彼は馬車を走らせて、「自分がジャン・バルジャンだ」と名乗りに行く。もちろん、彼の中には葛藤があった。自分が捕まれば、工場の人間。自分の治める町の人間が再び迷うことになる。たったひとりの人間のために大勢の人を不幸にしていいのか?そう迷いながらも彼は本当のことを言い、「気分がいい。迷っていた数時間に比べればずっと気持ちがいい」と語るのだ。
フォンティーヌが自分の工場をクビになった時もこう考える。
「彼女がいなくなったことに気づかなかった自分が悪い」

見る者は「善なる者が報われることを願い、善なる者の過度の善良さにハラハラドキドキする」
これが「レ・ミゼラブル」の基本図式だ。
この基本図式がしっかり描かれているからこそ、この作品は見る者を引っ張っていく。
実に見事な物語づくりだ。

★研究ポイント
 見る者をグイグイ引っ張っていく「レ・ミゼラブル」の基本図式。
 どんなに悲惨であっても最後に善が報われるのを描くのが物語の役割。

★追記
 「レ・ミゼラブル」では「善を行う者と悪を行う者」の図式の上にもうひとつ重要なモチーフが描かれている。
 すなわち、「人が悪を行ってしまうのもすべて貧困が原因だ」という思想だ。

 それはジャン・バルジャンの考え方でもある。
 ジャン・バルジャンは過去「貧困」ゆえに罪を犯した。
 それゆえ罪を犯す人を「貧困」ゆえにそうせざるを得なかったと考える。
 ジャン・バルジャンは「貧困」を憎み、金持ちになって多くの人を救いたいと考えた。
 彼はフォーシルバンが荷車の下敷きになった時に言う。
 「彼が悪いのではない。彼に過ちがあったとすれば、貧困ゆえに丈夫な馬車が変えなかったことだ」
 そして、力仕事の出来なくなったフォーシルバンにパリの修道院の庭師の仕事を世話する。
 未婚の母であるが故にフォンティーヌを解雇した工場長にジャン・バルジャンは言う。
 「善か悪かを誰が決めるのですか?神でさえ貧しくて罪を犯した者は許すのに、彼女を罰するなんて神にでもなったつもりですか?その人間がどんな人間か知らずに罰するのは間違いです」
 このことはフォンティーヌが警察に捕まった時も同様だ。
 フォンティーヌは身体を売った客とのいざこざで牢獄に入れられてしまう。本当は彼女をからかった客が悪いのに、彼女の身なり・仕事で彼女が悪いとされてしまったのだ。フォンティーヌが子供のために仕方なく身体を売っていることを知っていればなおさらだ。警察はそれを見抜けなかったが、ジャン・バルジャンはそれを見抜いて彼女を救う。

 余談だが、研究者に拠ると、作者ユーゴーはあの悪の権化・テナルディ一家でさえ、貧困ゆえ罪を犯しまった犠牲者という意図で書いていたらしい。

★追記
 今回は、ジャン・バルジャン(ジェラール・ド・ペルデュー)、ジャベール(ジョン・マルコビッチ)の映像「レ。ミゼラブル」をもとにした。
 ハラハラドキドキ連続で面白いですよ。

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