官兵衛(岡田准一)の短所は<夢中になるとまわりが見えなくなってしまうこと>
秀吉(竹中直人)に心酔するあまり、小寺政職(片岡鶴太郎)の気持ちがわからない。
短所=長所で、<夢中になれること>は良いことでもあるんですけどね、今回はマイナスに働いてしまった。
この短所を別な言い方で表現すると、<一歩引いて物事を見ることが出来ない>ということ。
半兵衛(谷原章介)はそんな官兵衛に広い視野で物事を見ることを説く。
「大義の前につまらぬ面目など無用」
「天下統一。天下統一がなれば戦はなくなります。
この乱世を終わらせるのです。
それこそが拙者の大義」
官兵衛にとっては、特に二番目の<天下統一>という言葉は衝撃であっただろう。
今までの官兵衛の視野は<小寺家>であり、広くて<播磨>だった。
あるいは<生き残る>というのが生きる第一義であった。
それが<天下統一>という大きな世界に。
<天下統一>。
この視点で物事を見れば、義兄弟の契りの文書や小寺政職など、小さなものに見えてしまう。
もっとも大きな視野や大義というのも一長一短で、それらにとらわれるあまり小さなほころびを見逃してしまうんですけどね。
織田信長と明智光秀が良い例。
要は大きな視点と小さな視点のバランス。
信長のように神様の視点で物を見ていると、人を駒として扱い、いくらでも残酷になれる。
話を戻すと、広い視野を説く竹中半兵衛はこうも語る。
「この乱世を天下太平の世へと作りかえるのです。
これほど面白い仕事はござらぬ。
そのために我々軍師は働くのです」
これに対して官兵衛。
「我々? それがしもですか?」
「そう、あなたも。軍師、官兵衛殿」
これを半兵衛が語ったのは、自分の余命があまりないことを覚ったからだろう。
自分が果たしていた軍師の役割を官兵衛に託した。
「軍師、官兵衛殿」と<軍師>に規定したのも、
官兵衛の織田家での<発言力>や、<政治力>で秀吉にはるかに及ばないと判断したためか。
官兵衛は、組織のパワーバランスの中を巧みに泳いでいく秀吉タイプでなく、秀吉の下で策を立てる方が合っている。
こう見ていくと、官兵衛はすべて半兵衛の掌の上で踊らされているような感じがしますね。
しかし、軍師としてのすぐれた資質はある。
半兵衛から学ぶことはまだまだ沢山あるようです。
最後に作劇のことに触れておくと、この作品、伏線の張り方が巧みですね。
織田信長が鉄甲戦について語るシーンでは、明智光秀(春風亭小朝)と荒木村重(田中哲司)がいて、和平休戦を説く村重を叱りつけ、本願寺を根絶やしにしろと命じる。こんな信長を村重と光秀はどう思ったか。
松寿丸(若山耀人)のシーンでは、後の加藤清正、福島正則を登場させた。
最近の大河ドラマは行き当たりばったりの感じが多かったですが、今回は違う。
作家さんの中で、一年間の構成と登場人物がしっかり把握されているから、こういうシーンを作れるんでしょうね。
秀吉(竹中直人)に心酔するあまり、小寺政職(片岡鶴太郎)の気持ちがわからない。
短所=長所で、<夢中になれること>は良いことでもあるんですけどね、今回はマイナスに働いてしまった。
この短所を別な言い方で表現すると、<一歩引いて物事を見ることが出来ない>ということ。
半兵衛(谷原章介)はそんな官兵衛に広い視野で物事を見ることを説く。
「大義の前につまらぬ面目など無用」
「天下統一。天下統一がなれば戦はなくなります。
この乱世を終わらせるのです。
それこそが拙者の大義」
官兵衛にとっては、特に二番目の<天下統一>という言葉は衝撃であっただろう。
今までの官兵衛の視野は<小寺家>であり、広くて<播磨>だった。
あるいは<生き残る>というのが生きる第一義であった。
それが<天下統一>という大きな世界に。
<天下統一>。
この視点で物事を見れば、義兄弟の契りの文書や小寺政職など、小さなものに見えてしまう。
もっとも大きな視野や大義というのも一長一短で、それらにとらわれるあまり小さなほころびを見逃してしまうんですけどね。
織田信長と明智光秀が良い例。
要は大きな視点と小さな視点のバランス。
信長のように神様の視点で物を見ていると、人を駒として扱い、いくらでも残酷になれる。
話を戻すと、広い視野を説く竹中半兵衛はこうも語る。
「この乱世を天下太平の世へと作りかえるのです。
これほど面白い仕事はござらぬ。
そのために我々軍師は働くのです」
これに対して官兵衛。
「我々? それがしもですか?」
「そう、あなたも。軍師、官兵衛殿」
これを半兵衛が語ったのは、自分の余命があまりないことを覚ったからだろう。
自分が果たしていた軍師の役割を官兵衛に託した。
「軍師、官兵衛殿」と<軍師>に規定したのも、
官兵衛の織田家での<発言力>や、<政治力>で秀吉にはるかに及ばないと判断したためか。
官兵衛は、組織のパワーバランスの中を巧みに泳いでいく秀吉タイプでなく、秀吉の下で策を立てる方が合っている。
こう見ていくと、官兵衛はすべて半兵衛の掌の上で踊らされているような感じがしますね。
しかし、軍師としてのすぐれた資質はある。
半兵衛から学ぶことはまだまだ沢山あるようです。
最後に作劇のことに触れておくと、この作品、伏線の張り方が巧みですね。
織田信長が鉄甲戦について語るシーンでは、明智光秀(春風亭小朝)と荒木村重(田中哲司)がいて、和平休戦を説く村重を叱りつけ、本願寺を根絶やしにしろと命じる。こんな信長を村重と光秀はどう思ったか。
松寿丸(若山耀人)のシーンでは、後の加藤清正、福島正則を登場させた。
最近の大河ドラマは行き当たりばったりの感じが多かったですが、今回は違う。
作家さんの中で、一年間の構成と登場人物がしっかり把握されているから、こういうシーンを作れるんでしょうね。
語らいの場面は、まさに軍師学の師匠半兵衛先生による「父兄面談」の様相を呈していました。
そこで今の官兵衛が抱える問題点を知るや、直ちに思い切った指導を行います。その効果はてきめんで、
>官兵衛にとっては、特に二番目の<天下統一>という言葉は衝撃であっただろう。
官兵衛は一皮むけて広い視点を支障と共有するに至ります。
>これを半兵衛が語ったのは、自分の余命があまりないことを覚ったからだろう。
>自分が果たしていた軍師の役割を官兵衛に託した。
半兵衛先生は明らかに官兵衛を自分の後継者と目していたからこそ、厳しく教育しようとしていたのでしょう。
ところで、今まであまり触れることがなかったのですが、職隆は味わい深いキャラですね。
あくまでも当主官兵衛を表に立てて存分に活躍させながら、その背後をしっかりと守っています。
今回のみならず、前回は松寿丸をしっかりと教育していましたし。
今回の半兵衛との出会いと語らいにしても、天才軍師相手にまったく「位負け」した感じがなく、実に爽やかで気持ちのよい雰囲気に終始していました。
考えてみれば、職隆が若くして隠居せざるを得なくなったのも、足利義昭の書状をめぐる政職の嫉妬ゆえでした。
<小寺家>という狭い世界の中でも、しっかりと苦労を重ねるならば人間に深みが出てくるものですね。
柴田恭兵さんも、こうした「いぶし銀」のような父親役が似合う年齢になったのですね。
いつもありがとうございます。
職隆と半兵衛の会談で、半兵衛は「一歩引いて物を見たくなった」と言っていましたが、隠居して現実から離れた職隆は、一歩引いて物事を考えられる存在だったんでしょうね。
><小寺家>という狭い世界の中でも、しっかりと苦労を重ねるならば人間に深みが出てくるものですね
というのも同感で、苦労や困難は人を同じ境地や哲学に誘うんでしょうね。
大まかに分ければ、半兵衛は書物から学ぶことが多い学究型、職隆が経験と自分を見つめることから学ぶ現実型。
しかし、たどりつく境地や哲学は同じ。
この点で、ふたりを会合させた作者の手腕は大したものですね。
最近、成熟ということを考えますが、職隆の枯れ方、深みは大変興味深いです。