平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「第二の故郷」 室生犀星~東京が抱きしめてくれた! 庭のものは年々根をはって行った!

2023年01月05日 | 
「第二の故郷(ふるさと)」

            室生犀星(むろう・さいせい)

 私が初めて上京したころ
 どの街区を歩いていても
 旅にいるような気がして仕方がなかった
 ことに深川や本所あたりの海近い町の
 土蔵作りの白い家並(やなみ)をみると
 はげしい旅の心をかんじ出した
 しろい鷗(かもめ)を見ても
 青い川波を見ても
 やはり旅にいる気がやまなかった

 五年十年と経って行った
 私はとうとう小さな家庭をもち
 妻をもち
 庭にいろいろなものを植えた
 夏は胡瓜(きゅうり)や茄子
 また冬は大根をつくって見た
 故郷(ふるさと)の田園の一部を移したような気で
 朝晩つちにしたしんだ
 秋は鶏頭(けいとう)が咲いた
 故郷の土のしたしみ味わいが
 いつのまにか心にのり移って来た
 散歩にでても
 したしみが湧いた
 そのうち父を失った
 それから故郷の家が整理された

 東京がだんだん私をそのころから
 抱きしめてくれた
 麻布の奥をあるいても
 私はこれまでのような旅らしい気が失(う)せた
 みな自分といっしょの市街だと
 一つ一つの商店や
 うら町の垣根の花までが懐かしく感じた

 この都の年中行事にもなれた
 言葉にも
 人情にも
 よい友だちにも
 貧しさにも慣れた
 どこを歩いても嬉しくなった
 みな自分の町のひとだと思うと嬉しかった
 街からかえると
 緑で覆われた郊外の自分のうちの
 いきなり門をあけると
 みな自分を待っているような気がした
 どこか人間の顔と共通なもののあるいろいろな草花、いろいろな室(へや)のもの
 カチカチいう時計

 自分がいるとみな生きてきた
 みなふとった
 どれもこれも永い生活のかたみの光沢(つや)を
 おのがじしに輝き始めた
 庭のものは年年根をはって行った
 深い愛すべき根をはって行った


                      ※おのがじし~めいめい
 ………………………………………………………………………

 異邦人だった作者が次第に東京に馴染み、東京が「第二の故郷」になるという作品である。
 詩のモチーフは実にシンプルでわかりやすい。
「東京が第二の故郷になる話」と内容を一文で表せることは大切だ。

 面白いのは犀星の言葉のセレクトだ。
「東京が抱きしめてくれた」
「自分のうちの門を開けると、みな自分を待っているような気がした」
「自分がいるとみな生きてきた」
「みなふとった」
「おのがじしに輝き始めた」
 これらの主語はみな「物」である。
 通常、東京が抱きしめたり、物が待っていたりしない。
 でも犀星にはそう見える。そう感じる。
 この世界の逆転が面白い。
「ふとった」なんて表現を見るとワクワクする。

 世界と和解し、調和を感じている室生犀星。
 何て幸せだろう!
 こんなふうに世界を愛したい!

 ラストの締め方も上手い。
「庭のものは年年根をはって行った」
「深い愛すべき根をはって行った」

 根無し草の生き方もあるが、人にはこういう生き方もある。


コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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犀星が考えていた「下町」と「山の手」の違い? (2020-08-15 21:07:49)
2023-01-05 23:10:53
コウジさまへ

>そのうち父を失った
>それから故郷の家が整理された

>東京がだんだん私をそのころから
>抱きしめてくれた
>麻布の奥をあるいても
>私はこれまでのような旅らしい気が失(う)せた
>みな自分といっしょの市街だと
>一つ一つの商店や
>うら町の垣根の花までが懐かしく感じた

犀星には詳しくないので、ちょっと信じられないんですけど、本当にこんな詩を詠んでいたんでしょうか?
これでは、犀星が上流階級として東京に迎え入れられたことを喜んで、舞い上がっているようにも思えるんですけど…

「君たちはどう生きるか」という昭和戦前時代に書かれた一種のジュブナイルがありました。
あの小説には、主人公のコペル君を諭すおじさんがいました。コペル君は、麻布のような山の手のエリート階層の生まれ育ちでした。ところが、おじさんの言葉で、恵まれない人たちが下町に大勢いることに気づかされます。
「君は恵まれているんだ。そのことに気づけたのはさすがだ。同じ東京でも、山の手と下町ではまるで違う地域なんだよ。その違いを今認識できたのは、実は大きな一歩を踏み出せたことなんだよ」
といった趣旨のことを言っていました。

犀星がもし「麻布に住めたこと」を無邪気に喜んでいたのであれば、まあ意外に大したことはない俗物だったのかも…

そう皮肉っぽくも考えてしまいます。
返信する
麻布を歩いて (コウジ)
2023-01-06 09:17:30
2020-08-15 21:07:49さん

いつもありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。

>>麻布の奥をあるいても
これは文字どおり、麻布を散歩したということで、麻布に住んでいたという意味ではない気がします。

僕も犀星が「家族を愛したキリスト者」であることくらいしか知らなかったのですが、調べると、私生児で養子に出されてかなり苦労された方のようです。

でもご指摘ありがとうございます。
麻布が山の手のお金持ちの住む地域だったことを知って、この詩をより深く味わえました。
おそらく犀星は金持ちの住む麻布を散歩して違和感を抱いていたのでしょう。
そんな麻布とも犀星は和解した。

僕がこの詩に違和感を抱くとしたら、土地に根を張った犀星の生き方でしょうか。
僕は「根無し草」の生き方に憧れるんですよね。
でも憧れるのは自分が根無し草の生き方をしていないから。
だとしたら「根無し草」を諦めて、この詩のような境地を目指した方がいいのかもしれません。
返信する
成功と高揚感 (2020-08-15 21:07:49)
2023-01-07 20:20:35
コウジさんのおっしゃりたいであろう「叙情」とは、少しズレた内容のコメントを書き込んでしまったかもしれず、少々後悔しています。

ただ、これは、犀星が作家や詩人としてようやく一本立ちできた時期に詠まれた詩のようで「麻布から受け入れられた」といった内容も、もしかすると「東京の文壇に認められた」ことから来る、一種の「高揚感」なのかもしれません。

その「高揚感」も、苦労と努力の末に勝ち取ったものですから、わたしみたいな懶惰な人間がケチをつけるのもお門違いでしょうし、犀星もそのような意図はなかったのかもしれません。

ただ、21世紀の今の世の中は「自己責任」だらけになっています。こういう「昔の人の高揚感」であっても、読んでいてちょっとイライラする気分が起きてしまうのも事実です、その「気分」が逆恨み的で、お門違いなのも分かってますけど。
ただ、平成令和の今の世の中は、エラい人の多くが「世襲的な人」ばかりで、犀星のように苦労をした人が認められる感じではなくなっているということもあります。
いろいろな感情や思考が、ちょっと錯綜しています。

いずれにしても、この犀星の詩は初めて知りましたし、いろいろ考えるヒントをくださって、ありがとうございます。
返信する
こちらこそありがとうございます (コウジ)
2023-01-08 09:38:28
2020-08-15 21:07:49さん

こちらこそありがとうございます。

作品の解釈に正解はなく、作品はどのように解釈されてもいいと僕は考えているので、2020-08-15 21:07:49さんが「高揚感」を読み取ったのも正解だと思います。

大切なのは作品を通して何を考えたかなんですよね。
2020-08-15 21:07:49さんはこの詩から「自己責任論」を考えられた。
僕もこれで考えるヒントをいただきました。
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