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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

爆笑問題のニッポンの教養

2008年11月26日 | バラエティ・報道
 「爆笑問題VS早稲田大学学生」

 わが後輩ながら情けない。学生の質もここまで落ちたか。
 他の大学で同様のことを行ったこの番組を見たことがあるが、他の大学の学生の方がいろいろなことを考えていた。

★まず「早稲田精神高揚会」
 薄っぺら。
 早稲田精神など少しも理解していないで学ランなど形ばかりという感じ。
 軽いばかりで背中に一本筋が入っていない。
 軽いことやヘラヘラしていることを否定するわけではないが、いやしくも「早稲田精神高揚会」でしょう?

★「純粋」
 会社の不正を知ったら告発すると学生は言う。
 だが爆笑の太田さんに「その結果会社が倒産して同僚やまわりの人間が露頭に迷ってもいいのか?」と問われて答えられない。
 すごく考えが浅い。

★「個性が活かされない社会」
 就職活動をしている学生は言う。
 「自分たちの個性を社会は認めてくれない。個性を活かしてくれない」
 そういう現実があるかもしれないが、それを突破するのが本当の個性。
 個性は戦って傷ついて磨かれていくものだと思うが、彼はどれ位戦ったのだろう。
 「自分は入社試験すべてに落ちた」と田原総一朗さんは言ったが、そういう体験をしたのか?
 あるいは田原さんは現在では大変個性的な人だと思うが、就職試験を受けていた時にはそれほどの個性でなかったはず。
 長い年月の積み重ねで田原総一朗という個性が作られたのだ。
 20歳前後の人間に「自分には個性がある」などと言ってほしくない。
 また個性的であればあるほど、その門戸は狭くなるもの。
 例えば芸人の鳥居みゆきさんを採用する企業はあまりないでしょう。
 個性を活かそうと思ったら就職という選択肢ではないかもしれない。
 それを認識してほしい。

★「絵本」
 世界の子供たちに夢を与える絵本を作りたいと涙を流して語る学生。
 その思いは立派だが、太田さんが言った様に彼に自分の思いを表現する『芸』はあるのか?夢を実現する『戦略』はあるのか?
 夢を語って涙を流しているだけでは何も始まらない。
 自分の思いを表現する『芸』を磨くだけでもすごい努力と長い年月がかかるのに。

 学生たちの意見を聞いて思ったのは総じて『考えが浅い』ということ。『戦っていない』ということ。
 もっとも田原総一朗、爆笑問題というプロのいるリングにアマチュアが上って戦ったことは認めるが。
 以上、自戒もこめて。

※追記
 出演されていた大学教授の皆さんのお話。
「昭和はミステリーの時代。平成はホラーの時代。
 ミステリーには解答が用意されているが、ホラーには答えがない。
 不合理で説明のつかない現実があるだけ。
 平成は解答のない時代」
 なるほど!

「個人も大事。社会も大事」
 個人が極端に行きすぎると秋葉原の事件の様に個が暴走する。
 社会が極端に行きすぎると全体主義。お国のため。
 どちらに傾きすぎてもいけない。

「ふにゃふにゃした体の人間が舞台にあがってウケている」
 役者さんも芸人さんもプロフェッショナルは体を鍛えている。
 仮に太っていてもインナーマッスルはしっかりしている。
 基礎と言ってもいいかもしれない。
 ところが現在は?


※追記
 学生たちの雰囲気では田原総一朗さんを敬遠する様な感じがあったが、ああいううるさい親父の意見こそ耳を傾けた方がいいと思う。
 自分の対極にあるものにこそ自分を変えるものがある。


コメント (2)
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